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開催終了3/10プルードン読書会のお知らせ

詳細

2007年02月24日 00:55 更新

3月10日(土)午後1〜4時までウィメンズプラザ1F会議室にて、自由放送の勉強会の一環としてプルードンの読書会を行います。
参考テキストは『世界共和国へ』(該当箇所p185〜194)を持って来て下さるとうれしいです。

題目:「プルードンの社会構想と組織論」
発表者;関本洋司(報告は一時間ほどであとは参加者によるフリーディスカッション)
参加費:無料
場所:東京表参道ウィメンズプラザ、1F交流コーナー
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/contents/map.html

*詳細変更あればまたご連絡さし上げます。
なお午後4時から同所でFA(grassroots)↓の会合があります。こちらもよろしかったらご参加下さい。
http://park.geocities.jp/freeassociations21/
http://park.geocities.jp/grassroots2007/

//////////

以下、参考までにwikipediaより引用させていただきます。

ピエール・ジョセフ・プルードン Pierre Joseph Proudhon(1809年1月15日−1865年1月16日)フランスの社会主義者。
生涯
ブザンソン地方のムイエールと呼ばれるところで生まれた。父は醸造職人・樽製造職人をしていた。12歳に宿屋の食糧係として働きはじめ、コレージュの6年生に通学生として編入された。仕事のために授業を時々休み、教科書を筆写したり街の図書館に通ったりとほぼ独学の状態で、学業を完全に終了することはなかった。19歳から自分で生計を立てねばならず、ブザンソンの印刷所へ印刷工として就業した。この時期、教会用のラテン語訳聖書の校正をしているうちに広汎な神学の知識を身につけヘブライ語を覚えてしまったという。1837年に最初の著作『一般文法論』を書く。

スュアール年金という奨学金を受け、1839年『日曜礼拝論』を書くがその内容が財産平等の理想に基づく社会改革という思想が聖職者会議に忌避され、本の販売は禁止された。1840年6月『財産とは何か』が出版されたが、「財産、それは盗奪である」などの過激な表現によりブザンソン・アカデミーが出版の認可を取り消し、プルードンは前言撤回を拒否する。1841年4月に財産に関する第二論文、1842年1月に第三論文が追加された。この間経済学者のブランキや社会主義者のピエール・ルルー、コンシデランと知り合っている。第三論文がブザンソン警視庁に押収され、起訴される。1843年3月に印刷所の仕事を辞め、1847年10月までリヨンのゴーチエ兄弟商会の事務員・法律顧問となる。実務に妨げられながら経済学者と交遊し、1846年『経済的矛盾の体系、または貧困の哲学』を出版する。このころ、ロシアのバクーニンとも知り合い、ヘーゲル弁証法について徹夜で議論している。

1848年の二月革命のさい、チュイルリー宮の無血占領に参加し、2月7日からロシアの社会主義者ゲルツェンの協力も得て『人民の代表』『人民』『人民の声』などの新聞を発刊し、人民銀行と相互主義的交換組織を試み、6月の補欠選挙で国民議会議員に選出される。1849年に大統領ルイ・ナポレオンを反動の権化として自分の新聞で攻撃したため、3年の懲役と罰金刑を宣告された。獄中生活の中で裁縫師と結婚して子供をもうけ、『一革命家の告白』(1850年)、『十九世紀における革命の理念』(1851年)などの代表作を書く。

出獄後の1858年『革命の正義と教会の正義』は6000部売れるが、公共道徳・宗教・国家を攻撃したとして警察に押収され、再び懲役3年と罰金刑を宣告され、家族とともにベルギーのブリュッセルに亡命した。1862年に特赦を利用して帰国し、1863年『連合主義原理』を執筆する。遺著『労働者階級の政治的能力』を口述して完成し、パリ・コミューンの5年前に心臓病で他界した。


政治思想
プルードンは独学で経済や政治学を身につけたので、およそマルクスのように体系的な思想家ではない。『哲学の貧困』で行われたマルクスの論難(しかしマルクスはプルードンをかなり曲解して批判している)をはじめとして、プルードンの思想はさまざまな方向から批判された。

 プルードンは民衆とブルジョアジーの両者を兼ね、不偏不党の立場で社会的矛盾をとらえている
 財産一般を攻撃しているのに、小財産を擁護している (*)
 家庭生活と女性の意義について、反動的な考えを持つ (**)
 フランス人としてのナショナリズムを克服できていない (***)
これらの難点は、1840年代にヘーゲル哲学を受け容れた後も持ちこたえられ、ジョルジュ・ソレルなどのフランスの社会主義者・無政府主義者たちに引き継がれた。農民の生まれである彼は工業を嫌悪しプロレタリアートを蔑視していたが、1864年に発表された『六十名の宣言書』に関する社会主義者たちとの議論では、労働者を救うのは労働者自身であることを認めた。プルードンは有能なジャーナリスト・パンフレット作者であり、その雄弁な社会批判と文体の簡潔さは書簡にもあらわれる。晩年の「連合主義」はあらゆる中央集権的な組織への警戒として今日でも顧みられる。


*(利子に代表される不労所得を攻撃したが、他方で小農が土地を所有できる長期的プランを練っていた:引用者注)
**(女性の特質を消失するべきではないと考えていた:引用者注記)
***(本人はパリにはなじめずジュラ地方の人間であることを公言していた:引用者注記)
参考サイト:mixi内プルードンコミュ二ティ(現在109人参加)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=27721

コメント(4)

  • [1] mixiユーザー

    2007年02月24日 23:59

    ダルマ舎といいます。
    忙しい時期で、仕事の予定が入るかもしれませんが、参加したいと思います。
  • [2] mixiユーザー

    2007年03月12日 15:11

    ダルマ舎さま
    読書会参加ありがとうございました。こちらも勉強になりました。以下、当日お配りしたレジュメを転載させていただきます。

    ////////////


    プルードンの社会構想と組織論
                2007月3月10日 関本洋司@ウィメンズプラザ
    ☆はじめに:
    ピエール・ジョセフ・プルードン(Pierre Joseph Proudhon;1809年1月15日?1865年1月16日)

    1809年1月15日ブザンソンに生まれる(フーリエと同郷)。
    原価しか受け取ろうとしなかったビール樽職人の息子*。
    1826年父、訴訟に負け破産。
    1827年印刷工になる。
    1829年校正を担当したフーリエの『産業的新世界』を読む。
    1833年弟が行軍中に死去。「この死は、わたしを現存秩序の和解しがたい敵たらしめた」
    1838年友人と共同経営する印刷所倒産。ブザンソンの奨学金獲得、パリの大学で学び始める。
    1840年『所有とは何か』
    1843年リヨンの海運業者で会計が係を担当。
    1846年マルクスから協力要請の手紙。『諸矛盾』
    1848年二月革命。新聞『人民の代表』発刊。交換銀行を計画。補欠選挙でナポレオン三世(この大統領に当選)と一緒に国会議員になる。(「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」)。議会で歴史上ではじめてとされる「階級闘争」を宣言。
    『人民の代表』発刊禁止。
    1849年人民銀行を計画。大統領侮辱罪で(ベルギーから銀行清算のために帰って来たところ)逮捕。バスティアと論争。獄中で書いた『革命家の告白』出版。ユーフラジーという女性と獄中で結婚。
    1850年『人民』廃刊。
    1851年『19世紀における革命の一般理念』でルソー批判。
    1853年『投機家要覧』。同郷のクールベと交友関係。
    1855年永続博覧会計画提出。
    1858年『革命と教会における正義』。ベルギーへ亡命。
    1860年『戦争と平和』
    1861年『租税の理論』
    1862年『連合とイタリアにおける統一』
    1863年『連合の原理』
    1864年『政治的能力』最終章を後述。喘息の発作。
    1865年1月16日。死去。(懺悔を断り、妻に向かって「君に告白するよ」と言ったという。)

    国家社会主義に対する唯一の代替案提出者。自己統治としてのアナーキズムを提示。
    所有論、集合力、アンチノミー、相互主義、連合を柱にした社会構想。

    プルードンは、聖書/スミス/ヘーゲルから学んだと言っている**。
    それぞれネーション/資本/国家に相当。
    「私に豊かな発送を生じさせたものは三つある。第一に聖書、次にアダム・スミス、そして最後にヘーゲルである」(『プルードン研究』岩波書店1974、p328参照)

    キーワード:
    アソシエーション
    相互性
    正義(配分ではなく交換の正義)
    連合主義、
    がキーワード。
    そのすべてでアンチノミーは維持される。

    日本への紹介:
    大正10年の『財産とは何ぞや』の発売禁止以来、クロポトキン、バクーニンが主流。森鴎外も言及(『食堂』)。
    森野栄一、などの地域通貨研究家による再評価がある。柄谷行人の『トランスクリティーク』(=TC,2001)『世界共和国へ』(=W,2006)。


    ☆1、著作とその社会構想

    『所有とは何か』(1840)

    所有は盗み(不労収益への疑義、所有ではなく占有を主張)
    「所持を保持しながら所有を廃止せよ」(TCp254)

    所有は不可能(剰余価値の認識) 

    所有は自由(小農の土地所有への長期プロセス案)


    『経済的諸矛盾の体系』→マルクス、ワルラスの批判を招く。それぞれマルクス経済学、近代経済学に発展。

    『革命と教会における正義』(1858)
    相互性を正義(配分の正義ではなく、交換の正義)と位置づけている。
    『戦争と平和』(1861)
    『租税の理論』(1861)
    『連合とイタリアにおける統一』(1862)

    『連合の原理』(1863)農工連合 →農業『所有の理論』(1866)
                   →工業『労働者階級の政治的能力』(1865)

    参考:『所有の理論』(1866)の土地銀行案<小作料なら永久に払わなければならないが、この場合、かれの返済額は年々、地価にくり入れられ、それに応じて土地は彼のものになっていく。>『プルードン研究』p208

    *プルードンの言う連合は、アソシエーションではなくフェデレーション。経済的実質を重視。ルソーは政治と経済を分けているため、ルソーの言う社会契約には経済的基盤がない***。

    ゴドウィンから受け継いだルソー=社会契約批判
    <プルードンはルソーの「社会契約」という考え全体を廃棄したのではありません。その契約が対等でないこと、双務的ではないことを批判したのであり、ある意味で、社会契約の観念を徹底化したのです。> (双務的/片務的)
    <アナーキーは通常、混沌や無秩序のように思われますが、プルードンによれば、国家によらない、自己統治による秩序を意味するのです。>(柄谷W.p187)

    参考:『プルードン研究』p48作田啓一作成の図。






    参考:Wp22の四つの交換図。

    <それ(アソシエーション)は現に行われている資本制生産そのものに含まれている可能性であって、どこか外にあるものではない。そこで、プルードンは、「われわれの前に現象している世界」の深層に、社会的労働の生み出す「緒力の均衡に由来する連帯性」、諸個人の「自発性」と「絶対的自由」によって形成される「真実の社会」があると考えたのです。>(Wp190)

    『人類における秩序の創造』(1843)→『経済的諸矛盾の体系』(1846)→『投機家要覧』→「アンチノミーは解消されない」(革命と正義(1858))→恋愛論に応用。

    『人類における秩序の創造』(1843):
    →<著者プルードンは1840年の『所有とは何か』で展開した方法論をここで放棄する方向へむかう。すなわち,矛盾(たとえば所有と共有)をより高次の第3項で解決するというアイデアを捨て,「矛盾の解消は次の矛盾へとつながり,矛盾は系列的に連鎖する」という系列の法則,系列弁証法を発見する。>斎藤悦則サイトより

    『トランスクリティーク』ではこの書に対するシュティルナーの批判が紹介されている(定本p259)。

    <プルードン自身が、「フォイエルバッハはドイツのプルードンである」ということを認めていました。>(Wp190)???
        ↓
    <グリュン*はこの本に感動して抄訳し,プルードンを「フランスのフォイエルバッハ*」と呼んだし,ゲルツェン*は「純粋のヘーゲリアン」と賞賛したが,それらの見なしはいずれも当たっていない。プルードンは自覚的にも,用語法のうえでも,同郷の先達フーリエ*の思想を継承し,科学主義で色づけなおして発展させようとしたのである。>斎藤悦則サイトより

    <フォイエルバッハなどは,個別的自我に集合的自我を対置し,これが神の正体だという。しかし,そう言い切ったからといって社会が変わるわけでもない。神の摂理を社会の法則と言い換えただけ。人類=神とみなすことは,現状を肯定し,共同体に身をまかせよというに等しい。われわれはむしろ,人類にとって神(神が存在するとして)は敵だと言いたい。(無神論ではなく反神論)。宿命とされるもののなかから,人類(集合存在)の法則を発見したい。>『経済的諸矛盾の体系』「第8章 矛盾の法則のもとでの神の責任と人間の責任――神の摂理の問題の解決」より
    http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/syscon_table.htmlにおける斎藤悦則の要約。

    『経済的諸矛盾の体系』(1846):
    「マルクスの著作の真意は,かれの考えそうなことはどれも私がとっくに考え,かれより先に発表しているので悔しいという気持ちだ。」( マルクス『哲学の貧困』(1847)へのプルードンの書き込み)
    http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/P%26M.html


    『投機家要覧』(1854):
    『資本論』第三部に似た記述があることで知られる著作。マルクスはこの書の売り上げを気にしてエンゲルスに問い合わせている。

    会社四季報のようなもの?→4段階の産業観、

    産業的無政府、絶対的所有権と競争による経済社会の支配。
    産業的封建制、金融的・産業的寡頭支配のための資本家と銀行家による経済の組織化。(→具体的代替案としての「農工連合」)
    産業的帝政、国家による全経済生活の吸収。
    産業的民主制、人類の真の解放をもたらす。
    という認識。

    「産業的封建制のあとには、歴史的アンチノミーの法則にしたがって、産業的民主政がつづくはずである。…昔の封建制と革命のあいだには、一時的体制として専制があった。したがって新しい封建制と決定的清算のあいだには、経済的集中が、はっきりいえば産業的帝政があるだろう。」

    <いま一つ注目すべき点は、かつてかれが「肯定的アナルシー」とよんだものが産業的民主政としてより具体的に提起されている点である。それは信用の相互化と労働者組合とを骨格として、工場および企業における所有関係を変革して、生産手段の集団的所有を実現する。それと同時に工場、企業における国家と資本家の専制的支配を労働者自身による管理ー自主管理ーによっておきかえられる。ここでプルードンは、労働者の解放にとって所有関係と同時に生産手段の使用、管理の問題がもつ重要性を明らかにすることによって、労働者の自主管理の先駆的主唱者として登場している。>阪上孝『プルードン研究』p376より

    『連合の原理』(1863)より:
    権威と自由のアンチノミーの維持。
    《政治の問題とは、権威と自由という二つの相反する要素間の均衡を見出すことにある。あらゆる誤った均衡は、ただちに、国家にとっては混乱と崩壊とを意味し、市民にとっては抑圧と悲惨を意味する。いいかえれば、社会秩序の異常ないし乱れは、二つの原理の対立から由来する。それらは二つの原理が調整され、したがってもはや害し合うことがなくなった時に消滅するだろう。二つの力(権威と自由)を均衡させること、それは、それらを相互に畏敬させ、仲直りさせる、一つの法にそれらを限定させることである。何が権威と自由とに優越する新しい要素、双方の同意によって制度の特徴となる新しい要素を、われわれに供給するのであろうか、――それは契約であり、その文面が対立する二つの力に対し、法となり、強制力を働かせるのである》(『連合の原理』P377)。

    『政治的能力』:
    「相互性とはなにか。それは、わたしたちのさまざまの法律的カテゴリーにおいて、現在にいたるまで無視されたり保留されたりしている正義の一つの方式である。そしてこの方式に従って社会の成員が、…仕事には仕事、信用には信用、(中略)誠実には誠実、真実には真実、自由には自由、財産には財産をもって交互に約束しあい保証しあうことである」(『政治的能力』『プルードン研究』p303より)

    その他の著作:
    著作権論(『文学的世襲財産』1862)
    芸術論(『芸術の理論とその社会的目的について』1865)
    キリスト論(『イエスとキリスト教の起源』1896)
    膨大な手帳と書簡が残されている。


    ☆2、組織論

    マルクスとの往復書簡(政治革命と社会革命)
    ブルードンからマルクスへの手紙、一八四六年五月一七日
    「さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖パルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。」『革命家の告白(1850)』(作品社)より
    「政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する」 (「連合の原理」)TCp274

    交換銀行→人民銀行→永続博覧会計画(後退戦)

    職業教育における系列理論。

    基礎:集合力理論→マイナスの剰余価値

    具体的な計画案(交換銀行その他)。

    <プルードンは、国家において王権を廃棄するだけでなく、経済において「貨幣の王権」****を廃棄しなければならないと考えた。>(柄谷Wp198)

    →単なる貨幣の廃絶ではない点が重要。貨幣の特権を剥奪するというアイデアがゲゼルにつながる。

    『連合の原理』より:
    《政治的契約が、民主政治の思想が示唆する双務的、実定的な条件を満たすためには、懸命な限界のうちにとどめられ、契約がすべての人々にとって有利な便利なものであるためには、市民は提携組織の中に入りながら、第一に彼が国家に捧げるのと同じだけ国家から受けとること、第二に、契約を結んだ狙いであり、それにもとづいて国家に保証を要求する特別な目的がない限り、市民はあらゆる彼の自由、主権、発議権を保つこと、が必要である。このような整理し理解された政治的契約は、私が連合と呼ぶものである》。(p370)

    《連合の契約とは、限定された一ないし多数の目的のための双務的、実定的な契約であり、しかも、その基本的な条件は契約当事者が、彼らが放棄した以上の主権と行動とを自らに留保するものである》(『連合の原理』p377)

    《憲法に属する知識はすべてここに見られる。私はそれを三つの命題に要約したい。
    1 それぞれが主権をもつ、中ぐらいのグループを形成し、それらを連合の協約によって結合すること。
     2 連合した各国家の中に、諸機関分離の法則に基づいた政府を組織すること。――私は権力の中で分離しうるものすべてを分離すること、限定しうるものすべてを限定すること、異なる諸機関ないし役人たちに分離され、限定されたすべてを配分すること、何一つ不分割の中に残しておかないこと、公共の行政をあらゆる公開と監査の条件の下におくことを、いいたい。
     3 連合した諸国家ないし地方および自治体権力を中央権力に吸収するかわりに、中央権力の権限をたんに一般的な発議と相互保証と監督の役割に縮減すること。中央権力の命令は、立憲君主政治において、王から発するものすべては、その執行が認められるためには大臣の副著がなければならぬように、連合した諸政府の署名にもとづき、それらの指定した代理人によってしか執行を認められない。》 (『連合の原理』382)

    <二十年にわたって練られた、あらゆる私の経済的思想は、農・工連合という三つの言葉に要約しうる。>(p410)


    評価:ゲゼルによる再評価

    〜「自然的経済秩序」〜
    第1部 富の分配とそれを支配する状況
    1-0 序論

    「金利や地代とも呼ばれるいわゆる剰余価値、つまり不労所得の除去は、あらゆる社会主義的な運動の当面の経済目標である。この目標の達成のために一般的に、生産の国有化などとともに共産主義が要求されるが、P.J.プルードンこそが私の知る限り、資本の本質の探求でこの問題の解決の可能性を示唆した唯一の社会主義者である。
    (中略)
    プルードンが社会主義者に50年以上前に明らかにした、不断の重労働で資本家をうまく攻撃でき放逐できるという方策は、今日当時よりも理解されていない。プルードンは完全に忘れ去られてこそいないものの、誰も彼をきちんと理解していない。そうでなければ、資本家はいなくなっていたことだろう。プルードンの方法論(交換銀行)が間違っていたので、彼の理論は全体が信用されなくなったというのが、決してプルードンがきちんと理解されなかった理由なのだろう。きちんと理解したことを実践せず、失敗のために尻込みしてしまったのだ。
    (中略)
    なぜマルクスの資本理論がプルードンの学説を追い出せ、社会主義を独裁制にできたのだろうか。どうしてマルクスと彼の理論が世界のあらゆる新聞で語られるのか。マルクス主義の絶望とそのための無害性だという人がいる。ちょうど資本家がキリスト教の教義を恐れないように、資本家は彼の理論を恐れない。むしろ、マルクスやキリストについておおっぴらに話すのは資本家のためになる。マルクスは資本家を決して破壊できないが、それは彼が資本の性質を誤解しているからだ。しかし、プルードンに注意しよう。彼は徹底的に無視するに限る。妨害や擾乱、または中断なしに労働者が働ければ、資本家は資本の供給過剰(商品の生産過剰と混乱しないように)ですぐに窒息するという彼の主張は正当なものなので、彼は危険人物である。直ちに実行できるため、資本家の攻撃のためのプルードンの提案は危険なものである。マルクスのプログラムは最新の機械と道具を備えた現代の訓練された労働者の莫大な生産能力について語っている。マルクスはこの莫大な生産能力で何も始められない。プルードンの手にかかるとこれは資本家に対する武器となる。そのためプルードンを忘れてもらえるように、マルクスを喧伝せよ、と。
    (中略)
    資本のマルクスの吟味は、最初から道を踏み外している。農民同様マルクスは、資本を物的財とみなした。これに対してプルードンにとって剰余価値は物的財の生産物ではなく、市況である経済状況の生産物である。マルクスは剰余価値を、所有が与える権力の乱用の産物である強奪とみなす。プルードンにとっては、剰余価値は需要と供給の法則に則ったものである。マルクスによれば、剰余価値がプラスであるのは自明だが、プルードンはマイナスの剰余価値もあり得るとしている(プラスの剰余価値は供給、すなわち資本家側の剰余価値で、マイナスの剰余価値は労働側の剰余価値である)。マルクスの解決策は、組織によって達成されるべき非所有者の政治的優越組織である。プルードンの解決策は、われわれの生産能力の完全な発展を妨げている障害の除去である。」

    その他:
    *『プルードン』(平凡社、河野健二)
    **『革命家の告白』(1849)
    ***『19世紀における革命の一般理念』(1851)
    ****以下関本洋司のblog、http://plaza.rakuten.co.jp/yojiseki/diary/200409270000/より

    「政治問題と経済問題の同一性、解決の方法」(「人民の代表」1848年5日9月発表分、『資料フランス初期社会主義二月革命とその思想』河野健二編、平凡社、p344)より、社会全体をいかに捉え、改革の方向性をどうするかという彼の思想の核心部が明確にされている、その後半部を紹介したい。

     「・・・人間の王権を廃止したように、貨幣の王権を廃止することが重要である。市民間の平等を樹立したように、生産物間の平等をつくり出すこと、全員に選挙権を与えたように各商品に代議能力を与えること、われわれが王権や大統領制や執政官(ディレクタトワール)の仲介なしに社会の統治を組織しようとしているように、貨幣の媒介なしに価値の交換を組織することが、重要である。要するに、政治的次元で行なおうとしていることを経済的次元で行なうことが重要なのである。それがなければ、革命は重要な部分を欠くことになり、不安定になるであろう。
     したがってこの二つの改革、すなわち経済的改革と政治的改革は緊密に結び付いている。両者はそのどちらが欠けても実現されえない。政治組織を経済組織から分離することは、絶対主義に後退することであり、現実ではなくて意見を法とつねに取り違えることである。それは、進歩を妨げることである。
     真に革命的であるためには、新しい基本構造が、この学派の言葉を用いることを許していただければ、主観的であると同時に客観的であること、それが人間と同様に物のあいだにおいても平等の組織であることが必要である。生産物間の均衡は市民間の正義と同じものである。こうして正義は、われわれにとっては、具体物であると同時に理念的存在である。そして一八四八年革命はとりわけ経済的革命であるから、われわれはまさに経済科学にたいしてこそ、新しい共和的原理を求めなければならないのである。
     信用と流通を組織すること、一言で言えば銀行を創出すること、これが、経済的基本構造と同時に政治的基本構造の出発点である。同じ等式が社会問題と国家の問題の解決に役立つであろう。同じ定式がこの二つの解決を表わすであろう。」(阪上孝訳)

     上記の文章からはプルードンの、政治革命ではなく社会革命を重視するスタンスがより明瞭にわかると思う。当時、人々が政治革命に熱狂的する中で、プルードンのこの態度は特筆すべきものだった。
     技術的な点をより具体的に言うと、同年発表された交換銀行定款によれば、貴金属貨幣は交換券で払いきれない端数にのみ使用される予定だった。 
    プルードンの論旨は題名を見れば明らかだが、8日発表分の文章よりも、その後半部に当たる9日のこの文章の方が、プルードンの経済重視のスタンスをより鮮明に表していると言える。また、「こうして正義は、われわれにとっては、具体物であると同時に理念的存在である」という箇所は、「イデア=レアリスム」というプルードンの方法論を示していると言えよう。 
     先にプルードンのアイデアとLETSの理念との類似性を指摘したが、「信用と流通を組織すること、一言で言えば銀行を創出すること」という部分を見るならば、当然ながらこれらは今日の市民バンクの試みとも繋がるものであり、交換銀行案が却下された後にプルードンが提出した、広く出資者を募る形にした人民銀行案においてはよりその傾向が強くなる。
     ちなみに、「貨幣の王権を廃止する」という方向性は、マルクスの価値形態論から見ても、正しいのではないだろうか。




    付録:

    新NAM原理におけるプルードン関連箇所からの引用。

    http://nam21.e-city.tv/principles.html

    New Associationist Movement(NAM)の原理  第二版

    NAMセンター評議会
     二〇〇一年七月一日

    C プログラム解説
    C-1

    さらに重要なのは、LETSが「連合の原理」とまったく合致するというということである。それはたんに経済的でなく、倫理的なアソシエーションである。共同体における互酬制が共同体への帰属を強制し、また、市場経済が貨幣の共同体(国家)への参加を強制するのに対して、LETSにおける社会契約は、プルードンがいった「連合」におけるそれと同じである。すなわち、諸個人はいつでもLETSをやめることができるし、複数のLETSに所属することもできる。国家による単一の通貨と違って、LETSは複数的であり、多種多様体としてある。さらに重要なのは、他の地域通貨とちがって、LETSにおいては、各人が(たんに口座に記録するだけだが)通貨を発行する権利をもつことである。国家主権の一つが貨幣発行権にあるとするならば、これは口先だけの人民主権ではなくて、各人を真に主権者たらしめるものである。そして、このことは、LETSがたんなる地域通貨ではないということ、あるいはたんなる経済的問題ではないということを意味する。別のところで述べるように、資本も国家もネーションもそれぞれの「交換」原理にもとづくものであり、広い意味で「経済的」なものだとすれば、それらにとってかわりうるのは交換原理としてのLETSにもとづくアソシエーションだけである。

    D−4

    アソシエーショニズムは、プルードンの「連合の原理」(ただし、後期プルードンは通常のアソシエーションと区別するために、それをfederationと呼んでいる)において明確に定義されている。プルードンは、権威と自由をアンチノミーとしてとらえている。それは、いわば、「中心があってはならない」と「中心がなければならない」という二つの命題が成立しなければならないということである。たとえば、アナーキストは一般に「権威」を否定するが、そのことがたんに混沌・混乱をもたらすだけなら、むしろ裏腹に「権威」が復活してしまう。プルードンにとって、アナーキズムは権威と自由の二律背反を超える、もう一つの「秩序」でありgovernmentである。バクーニン以下の、もっぱら破壊と混沌を好むアナーキストたちは、そのような認識をもっていない。彼らは、破壊のあとに、「大衆」が自然に、自発的に新たな秩序を作りだすだろうと信じていたにすぎない。実際は、プルードンがいったように、「大衆」はむしろ強い権威を求めるのだ。逆に、マルクスは、プルードンのいうアンチノミーをつねに考えていたといってよい。したがって、マルクスがバクーニンを批判したとき、彼は権威主義者としてそうしたのではない。むしろ、マルクスはプルードンが見出した「権威と自由」のアンチノミーという問題を、バクーニンよりも深刻に受けとめていた。実際、マルクスはプルードン派の構想が実現されたパリ・コンミューンを賞賛し、そこから「可能なるコミュニズム」のヴィジョンを得たのである。しかし、アナーキストと同様に、マルクス主義者はこの出来事から何の教訓も得なかった。
    NAMの「原理」は、あらためてこの課題の解決をはかろうとするものである。ところで、プルードンは、このようなアンチノミーを解決する「原理」をfederationに見出して、次のようにいっている。《政治の問題とは、権威と自由という二つの相反する要素間の均衡を見出すことにある。あらゆる誤った均衡は、ただちに、国家にとっては混乱と崩壊とを意味し、市民にとっては抑圧と悲惨を意味する。いいかえれば、社会秩序の異常ないし乱れは、二つの原理の対立から由来する。それらは二つの原理が調整され、したがってもはや害し合うことがなくなった時に消滅するだろう。二つの力(権威と自由)を均衡させること、それは、それらを相互に畏敬させ、仲直りさせる、一つの法にそれらを限定させることである。何が権威と自由とに優越する新しい要素、双方の同意によって制度の特徴となる新しい要素を、われわれに供給するのであろうか、――それは契約であり、その文面が対立する二つの力に対し、法となり、強制力を働かせるのである》(『連合の原理』P377)。
    したがって、アソシエーションとは契約によってなりたつものであり、それが法でもある。ただし、この契約は通常のルソー的「社会契約」とは違う。それに関して、プルードンはつぎのようにいう。《政治的契約が、民主政治の思想が示唆する双務的、実定的な条件を満たすためには、懸命な限界のうちにとどめられ、契約がすべての人々にとって有利な便利なものであるためには、市民は提携組織の中に入りながら、第一に彼が国家に捧げるのと同じだけ国家から受けとること、第二に、契約を結んだ狙いであり、それにもとづいて国家に保証を要求する特別な目的がない限り、市民はあらゆる彼の自由、主権、発議権を保つこと、が必要である。このような整理し理解された政治的契約は、私が連合と呼ぶものである》。(p370)《連合の契約とは、限定された一ないし多数の目的のための双務的、実定的な契約であり、しかも、その基本的な条件は契約当事者が、彼らが放棄した以上の主権と行動とを自らに留保するものである》(『連合の原理』p377)。
    とはいえ、それはあくまで「法」である。プルードンはそれについてつぎのように言っている。《法は権限をもつ権力から神の名において人間に通告された命令である。これは神学と神秘による定義である。法は事実の関係の表現である。これは、モンテスキューによって与えられた、哲学者による定義である。法は人間の意志の仲裁の規約である。(革命と教会における正義8章参照)これは契約と連合の原理である。外見は変わりやすいとはいえ、真実は一つである。これら三つの定義はいずれかがいずれかに含まれているし、実際は同一のものと見なされなければならない。しかしそれらが生む社会制度は同一ではない。第一のものによって、人間は自分が法とその設定者ないし代表者の臣下であると公言する。第二のものによって、人間は広大な組織の、なくてはならない一部であることを認める。第三のものによって、人間は法を自分のものとし、あらゆる権威、運命、支配から解放される。第一の方式は宗教的人間のものであり、第二は汎神論者のものであり、第三は共和主義者(連合主義者)のものであって、これのみが自由と両立しうる。》(『連合の原理』p363)
     この法には、当然、「強制力」がある。アソシエーションは「無政府的」ではなく、一種のガヴァメント、つまり、自己統治self-governmentである。それは、アソシエーションが契約によって成立するということにほかならない。たとえば、NAMには誰でも入ることができる。しかし、そこには「契約」が伴うことが確認されなければならない。この契約によって、各人は何の拘束も受けないし、それまで所属していた組織をやめる義務もない。しかし、会員でありながら、NAM的な組織原則を否定することは許されない。このような契約を認めていない者は、会員の資格をもたない。プルードンは、この「契約」が文として明記されされなければならないといって、つぎのようなfederationの憲法を提起する。

    憲法に属する知識はすべてここに見られる。私はそれを三つの命題に要約したい。
    1 それぞれが主権をもつ、中ぐらいのグループを形成し、それらを連合の協約によって結合すること。
     2 連合した各国家の中に、諸機関分離の法則に基づいた政府を組織すること。――私は権力の中で分離しうるものすべてを分離すること、限定しうるものすべてを限定すること、異なる諸機関ないし役人たちに分離され、限定されたすべてを配分すること、何一つ不分割の中に残しておかないこと、公共の行政をあらゆる公開と監査の条件の下におくことを、いいたい。
     3 連合した諸国家ないし地方および自治体権力を中央権力に吸収するかわりに、中央権力の権限をたんに一般的な発議と相互保証と監督の役割に縮減すること。中央権力の命令は、立憲君主政治において、王から発するものすべては、その執行が認められるためには大臣の副著がなければならぬように、連合した諸政府の署名にもとづき、それらの指定した代理人によってしか執行を認められない。 (『連合の原理』382)

    NAMは、プルードンが指摘したアンチノミーを踏まえて出発している。そして、このfederationにないものをNAMの「憲法」に加えている。地域系と関心系の区別、多重所属によるセミラティス型組織、くじ引き(プルードンは反対であった)、さらに、multi-LETSである。最後に、くりかえすが、NAMは対抗ガンとしての運動である。NAMの「原理」はいわば遺伝子であって、資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す。したがって、NAMが組織として拡大するかどうかは重要ではない。「NAM的なもの」が対抗ガン細胞として現実に定着するかどうかだけが重要である。NAMは、現実の社会がNAM的になったとき、消滅する。しかし、それまでは潜勢力virtualityとして存続するだろう。
  • [3] mixiユーザー

    2007年03月12日 23:49

    追記:
    先にご紹介したレジュメにあるマルクス、プルードン往復書簡は以下で読めます。
    http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/50790313.html

    また、プルードンの没年月日は1865年1月19日が正しいようです。
    (葬儀が19日という可能性もありますが、、、)フランス語版のwikipediaでは16日ではなく19日になっています。
  • [4] mixiユーザー

    2007年03月13日 10:19

    http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo1-0-jp.html

    ゲゼルの文章は上記に載っています。
mixiユーザー
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