mixiユーザー(id:3722815)

2007年11月01日00:46

31 view

映画【パンズラビリンス】考

最近、ダーク・ファンタジーの傑作と呼び声の高い、話題の映
画を観てまいりました。

【パンズラビリンス】
そのあらすじは、圧政に苦しむ中、内戦に明け暮れたスペイン
で、体制側の大尉と再婚した母につれられて、地方の軍事拠点
につれられてきた少女の物語です。

さて、作品を観て、私が感じたことを表現する上で、劇中の、
詳細な描写に触れねばなりません。
ネタバレを嫌う方は、この先を読まないで下さい。


* この先に、映画【パンズラビリンス】のネタバレ記事が含
  まれます。
  ご注意いただくと共に、ネタバレを嫌うお方は、この先を
  読み進まないよう、お願いいたします。


****************************



1_お伽話は残酷

現在、世の中に語り継がれているお伽話や、童話や寓話の類い
は、原典からあらすじを抽出しているものの、元の話とは似て
も似つかないくらいに改変され、歪曲されているものが大半だ
そうです。

例えば、赤ずきんちゃんですが、最近のお話は、ラストで赤ず
きんちゃんとオオカミは、和解して仲良しになっているそうで、
もちろん、食べられちゃったはずのおばあさんも生き返ります。

ワタクシが聞いていた話は、少なくとも、おばあさんは、アタ
マから、バリバリと音をたてて食べられてしまって、死んじゃ
います。さらに、赤ずきんちゃんは、復讐のために、寝ている
オオカミのお腹をかっ捌いて中に石を詰め込み、川に追い落と
して殺します。

とまあ、30年ちょっとの間でも、こんなにも表現が柔らかく
なっておりまして、本物の原典に至っては、どんなにスプラッ
タなのか、逆に興味がわきます。

昔話は、元々、口述伝承により伝えられているものを編纂して
いる作品が多く、何をもって原典とするのか意見が割れている
ようですが、少なくとも、古典においては、コドモ向けのお話
といわれるものでも、描写に関しては容赦なかったようです。

恐怖によって、コドモを社会的にしつけるという意味があった
からでしょう。

で、本作ですが、ある意味、ネオ古典といっていいほど、その
描写が容赦ありませんでした。
そう言う意味で、ファンタジーの王道(原点か?)といえます。



2_夢と現(うつつ)

ファーストシーンは、倒れたオフェリアの口元から鼻にかけて
流れる血が、逆回しで吸い込まれていくシーンです。
唐突すぎるのですが、このシーンの意味を理解するかしないか
で、作品の解釈は大きく変わると思われます。

劇中では、彼女を中心とするお伽話の世界と、内戦に明け暮れ
る現実の世界が交互に干渉し合う形で描かれて、話が進んでい
きます。
なかでも、特徴的なのは、お伽話に出てくるイキモノ達の造型
や、その行動のグロテスクさです。

改めて、ファーストシーンを思い返すと、劇中の数々のグロテ
スクな表現は、ラストの一瞬に、彼女の脳裏によぎって消えて
いった世界の追体験であると思えてきます。

つまり、彼女が、つらい現実から逃避する為に思い描いた、幻
想の世界を観ていたのではなく、彼女が経験してきた数々のお
ぞましい現実と、その間にひとときの安らぎを求めた寓話の世
界が、彼女の最期の瞬間に際して、アタマの中で、ないまぜに
なってしまった状況を観たのです。

ヒトは、多かれ少なかれ夢をみる事で、現実との折り合いをつ
けています。
つらい事があっても、明日があるさと思い、老いや病気で死ぬ
とわかっても、あの世でシアワセに暮らせると信じる事で、恐
怖に対抗できます。

ただし、それが、想像の産物である以上、自らの体験した世界
感を超えるものにはなりません。



3_最期の夢

彼女に試練の数々を繰り出すモノ達がオゾマシイ造型なのは、
現実にみてきた光景の大半が、そのようなものなのであろうと、
容易に想像がつきます。

現実に彼女は、継父が小間使いのメルセデスの逆襲に逢って、
口を裂かれてしまった後の姿を見ている訳ですし、戦渦の中に
あって、従軍に近い場所にいれば、その他の情景も推して知る
べしです。

さらに何を隠そう、最後の王宮の風景は、金色に輝いています
が、おとぎ話にありがちな、花や宝石や刺繍の施された絨毯や
細工に凝った飾り物の類いが、ほとんどありません。
それは、彼女が、それらの造型に繋がる現実の光景や宝飾類の
類いを実際にみた事がないからと思われるのです。

戦時下においては、宝飾の類いは早々に隠される反面、金は、
貨幣以上に尊重されたでありましょう。
王宮が金で出来ていながら飾り気に乏しいというのも、それが
彼女の頭の中で創造された光景であるからに他なりません。

彼女の見た夢は、受け入れがたい現実世界からの逃避というよ
りも、彼女の防衛本能が作り出した最後の幻想だといえます。
メルセデスのように強く生きられない彼女が、禍々しい現実に
精神的に対応する為には、ココロにファンタジーの壁をつくる
以外に手段がなかったのでしょう。

最期に、自らの存在意義を全面肯定することで、彼女は、死と
いう、逃れられない現実に対抗することができたのです。

0 27

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する