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2007年07月31日10:24

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アル中歴:4家族

「家族」ってなんだろう♪

家を作り 庭を作り 家族を作った。
子供も…一応…育てた。
家と庭で「家庭」
でも「家族」って…いったい なんだろう???

11年前に俺のオヤジが68歳で死んだ。
家も庭も作った。…でも殆どいつも そこには居なかった。
今年78歳になる母は 父が死ぬまで
「いつか毎日一緒に暮らすこと」…を
夢みつづけていたように見えた。

位牌になって仏壇に収まった父に
毎日供え物をしている母の後姿は なんだか嬉しそうに見える。
死んでから初めて ゆっくりと話を聞いてくれるようになった…
そんな感じがしているのだろうか?
子供の頃学校から帰ると家に誰も居ないことが多かった。
「共稼ぎ家庭」(…当時は「鍵っ子」という言葉もあった)

兄貴や妹が居たが 一緒に遊んだ思い出より
他に誰も居ない家で ひとり遊びしている自分の姿
…の方が焼きついている。
どこか いつも「さみしそうな」自分が居た。
(妹も同じようなことを言っていると最近母が言っていた。)

自分が親になって
子供たちにさみしい思いだけはさせたくないと思った。

うちは カーちゃんが勤め人 俺は自由業だったので
俺が子育て担当になった。
長男が4歳の頃しごとのつごうで保育所に預けた。

4ヶ月ぐらいして しごとが一段落した頃
相変わらず あまり嬉しそうじゃないので…
本人に「どうする?」と訊いたら
…「行きたくない」…と言うので
…「まぁいいさ でも小学校・中学校ぐらいは行けよ♪」…と
確認して やめにした。
下の子二人も本人たちに訊いて好きにさせた。

いつも どこでも 奴らと一緒だった。
ミルク 哺乳瓶 オシメ の頃から…
お絵かき道具 おもちゃ 昼飯 お昼寝の布団…
仕事の現場とワゴン車が保育所代わりだった。
ひとりおんぶした上に もうひとり肩車して
走り回った時は さすがにぎっくり腰になったりも…した。

…つづく


2007年08月01日00:10 アル中歴4家族つづき
…つづき

ともあれ 子供たちは伸び伸びと育っていた。
1995〜6年頃までの写真の中の子供たちの笑顔に 影は無い。

それは俺が「酒を飲み始めた時期」と重なる。

酒は家庭の「暮らし」を「家族」を壊してゆく

両親の諍いは 子供たちのこころに暗い影を落としていった。
罵りあう両親の声に こころふるわせていた子供たち。
無知と 安易さ わかったつもり…
解っていても止められなくなる「依存症」の怖さ。

『 アルコール依存症の「被害者」は子供たちです。
      …周辺の大人たちは「共犯者」です。 』

…と医者は言っている。

自分が「危ない」と気付き始めたのは
2000年頃になってからだったように思う。
それから専門家の信頼できるアドバイスに出会うまでに…
5年もかかった。

なぜもっと早く 素直になれなかったんだろう?…と
いまさら悔いてみても始まらないが…。
傷つけてしまった「子供たちの心」への「罪滅ぼし」は
もう二度と酒を口にしないことの他には無いと思う。

『「依存症」はプロにもむずかしい病気です。
             …シロウト判断は禁物。
          …信頼できる「プロ」に任せなさい 』

医者は 患者にも家族にも そう言っている。

いつまたスリップ(再飲酒)し再発してしまうか?
その怖さを忘れないため…風化させないために…
自助グループに通いつづけることが大切なのだろうと思う。

あわてないこと… あせらないこと…

「アルコール依存症」は…

「自分自身の心身を傷つけてゆく…壊してゆく病気」
  …だということ… と同時に

「周辺のひとたちをも まきぞえにしてしまう病気」
  …だと言うこと。

  そして…
「大切な家族を 傷つけてしまう…病気」

  …だということを 忘れてはいけない。



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