■<国会>12月14日まで延長 TPP承認確実に 自公合意
2016年11月28日 16:27 毎日新聞
国会会期 12月14日まで延長へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4315496
●【保坂展人氏がこの記事をツイッターで国民に告発した。死に体のTPPよりはるかに重要な問題だ。】
東京新聞:
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016112590070454.html
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表現の自由に制約「当然」 自民、改憲草案撤回せず
2016年11月25日 07時04分
衆院憲法審査会は二十四日、憲法で国家権力を縛る「立憲主義」などをテーマに議論した。自民党の中谷元氏(与党筆頭幹事)は、二一条の表現の自由に制約を加えている同党の改憲草案について「極めて当然のこと」と、一定の制約が必要との考えを示した。草案の撤回にも応じなかった。 (清水俊介)
現行憲法の二一条は集会、結社、言論の自由を規定。草案は「公益及び公の秩序を害すること」を目的とした活動は認められないと付け加えた。自民党は憲法審の再開に当たり草案を事実上封印すると表明したが、撤回はしていない。
この日の審議で民進党の奥野総一郎氏は、二一条に触れ「精神の自由の尊重は憲法の基本原理。修正を加えることは改正限界を超える」と問題視した。これに対して中谷氏は「オウム真理教に破壊活動防止法が適用できなかった反省を踏まえた」と説明。「公益及び公の秩序を害すること」という表現が「制限を厳しく限定している」として理解を求めた。ただ、何が「公益及び公の秩序」に当たるかは曖昧との指摘がある。
現行憲法は国民を権力から守るため、国会議員ら権力側だけに憲法の尊重擁護義務を課しているが、自民党の草案は国民にも尊重義務を課す内容。中谷氏は、これについても「国民も憲法を尊重すべきことは当然」と指摘した。
民進などは、草案は立憲主義に反するのに撤回されていないと批判したが、中谷氏は「立憲主義を何ら否定するものではない」と説明。自民党の平沢勝栄氏は草案の九条改憲に関連し、自衛隊の存在を明記することが立憲主義にかなうと述べた。
(東京新聞)
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●言論の自由とはなにか、自由とは何か。自由は規制すべきものという馬鹿野郎が後を絶たない。憲法9条を守れとかなんとかわかったようなこと言いながら。
そういう馬鹿野郎にあなたもなっていないか?
これが社会科学としての論理だ。↓
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◆表現の自由は公共の福祉に優先する
◆「権力と結びついていない言論」だけが本当の言論
◆「権力 対 言論」 の構図
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●言論の自由を口にする評論家は多い。
改憲賛成、日本国憲法押し付け論賛成、日本軍保持賛成、対米隷属反対の代表格といえば
ご存じ孫崎享氏だ。
だが、氏は言論の自由が世界で日本は何番目とかの記事は出すが、言論の自由とはなにかを
追究した記事を書いたためしがないと思う。私は知らない。
だからこそ、岸信介賛成、日本国憲法改憲賛成しながら、言論の自由を守れというようなスタンスをとれるのだ。
平和革命を言えば、
こんなツイッター記事で、返事することができるのだ。
ナチスを倒すには国民は一つにならなければならないという事を全く理解していない。
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/800511422820020225?lang=ja
だが、多くの人がこのような評論家の大矛盾に気づいていない。あいまいにまぁいいことも言ってるからいいじゃないかくらいの認識だ。
そして、
「言論の自由」を口にした人はみんな「言論の自由」を守る人だとか錯覚している。
「言論の自由をまもれ」 = 「だが自由は規制して当たり前」 「なぜなんら何でも自由でないから。」
そんな曖昧な結論を感覚的に持っている。
分かったような情緒的価値判断で締めくくる。
それではだめだ。
社会科学として見なければならない。
心の問題や情緒の問題にすり替えて結論付けてはでたらめになる。
たわごとになる。
ファシズムの波にさらわれる。ナチスの餌食になる。
こんな重要な東京新聞の告発記事に反応しない言論人など言論人に値しない。政治家にも値しない。
●自由とは何か、言論の自由とはなにか、表現の自由とはなにか。
これを、理解しなければ、ナチスに飲まれてしまう。
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表現の自由は公共の福祉に優先する
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「いかなる「公共の福祉」よりも、自然権たる基本的人権の表現の自由が上」
https://twitter.com/reef100/status/710457344572788736
【関連ツイッター】
今日の一言:保坂展人さんへのツイッター
https://twitter.com/hosakanobuto/status/802854561102761986
*−−−−−編集後引用開始−−−−−−*
保坂展人 認証済みアカウント
@hosakanobuto
表現の自由に制約「当然」 自民、改憲草案撤回せず:
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016112590070454.html … 自民党の中谷元氏(与党筆頭幹事)は、二一条の表現の自由に制約を加えている同党の改憲草案について「極めて当然のこと」と、一定の制約が必要との考えを示した。草案の撤回にも応じなかった。
21:40 - 2016年11月27日
アステローペ・リーフ @reef100 0:07 - 2016年11月28日
@hosakanobuto 憲法の名宛人は統治権力ですが、すなわち、憲法は国家権力を縛るものであって国民を縛るものではない。事実、「日本国憲法は国民に一つも義務を課してはいない」という原理原則を日本国民に自覚させる必要があります。
この原理原則をなぜ戦後70年たっても日本人民は自覚できないのか?自由はそれ自体が規律であり最高の規律であり最高の規律を規律で縛れば最高の規律たる自由が死ぬ。日本人は本当の自由という意味が分かっていない。進歩的な事を言ってる人が自由は規制すべきという。
自由を規律で縛るという事は、自由を認めないということだ。
自由という規律は、最高の規律だから縛ることで死ぬ。自由それ自体の持つ自律性が自由の規律たるゆえん。最高の規律たる自由という規律は、その自由の力を信じ切ることで初めて自由が生きる。
自由というものは、公共の福祉(public welfare)にも、深く関係していると思います。
第14-171 ◆◇◆『社会契約説とpublic welfare (パブリック・ウェルフェア) ◆◇◆
http://reef100.blog.fc2.com/blog-entry-4121.html …
言論の自由も、無論、権力が言論の自由を規制することは、言論の自由を認めないということ。
たとえばヘイトスピーチなどは、ヘイトスピーチを規制する条例や法律を作るのではなく、権力を、暴力的権力、非合理な権力から、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力に変えることで実現すべきもの。そのような国家の権力、社会の権力を樹立することが必須。
言論の自由は表現の自由ですが言論の自由を規制したら自由が死ぬ。権力が暴力的権力、非合理な権力なら、どんどんその縛りを拡大してくる。ここで止められるなんて線はあり得ない。これは本当の言論というものが「権力 対 言論」という構図である事を示している。
だから、「権力と結びついた言論」は、本当の言論ではない。「権力と結びついていない言論」だけが本当の言論。「言論を縛れ」という言論は、本当の言論ではない。権力に迎合したメディアの言論など、言論ではない。
*−−−−−編集後引用終了−−−−−−*
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「権力と結びついた言論」は、本当の言論ではない。
「権力と結びついていない言論」だけが本当の言論
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(
https://twitter.com/reef100/status/802898135131430912)
(了)
<追記>
基本的人権は公共の福祉より優先する。これのわからない奴は皆ナチス。憲法9条を守れと言ってても、言論の自由を守れと言ってても皆ナチス
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957071025&owner_id=38378433
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