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2016年08月07日22:35

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シン・ゴジラ感想〜ネタバレあります〜

もう一週間になってしまいました。
「シン・ゴジラ」を鑑賞してから。

正直、もう日本では、「ちゃんとした」ゴジラ映画は作れないと思っていました。
ゴジラは、どんなに設定も変えても、背後に「核」を背負ったキャラクターです。
「ゴジラはエンターテイメントだから、反核などの政治的メッセージを乗せるな」という声は、最近のツイッターでも、実は昭和29年の初代「ゴジラ」上映当時からもたびたび起こっていたのですが、ゴジラというキャラクターが「元々そう」なのだから、これは仕方がないこと。

コメディゴジラの最高峰である「キングコング対ゴジラ」でさえ、核の話題は避けていません。

ですが、あの3.11、福島第一原発の事故以来、いわゆる「放射能」に対する話題はほとんどタブーとなってしまいました。
アメリカで作られた「Godzilla」は、確かに原発事故を取り上げていましたが、あれは主役がムートーな映画でしたし(ゴジラはムートーの天敵としての存在価値しかなかった)、そもそもアメリカが「反核」の映画など作るわけがない。

日本で「ゴジラは放射性因子を帯び」ているとか、そんなことを描いたら、一斉に「不謹慎だ」との声が上がり、そもそも制作する時点で上から圧力がかかるものと思っていました。

ですので、周囲の激賞の声を聴きながらも、大して期待せずに見に行ったのです。

が。

なお僕は「エヴァンゲリオン」を見たことがありません、よってエヴァとの類似性については語ることができませんので、あしからずご了承ください。


(これよりネタバレがあります)



※ストーリー

キャッチフレーズの「日本対ゴジラ」(現実対虚構)の通り、敢えて登場人物の「生活」や人となりなどに触れず、「官僚」「政治家」などの「機能」としての人間と、想定外の災害として現れた「巨大不明生物」ゴジラとの戦いのみに焦点を当てるつくりとなっていました。

これは賛否あるようですが、「何を取り上げ」「何を捨てるか」というのは映画を面白くするために必要なことであり、やろうと思えば、庵野総監督(脚本担当)は、各キャラクターの「背景」などをすべて書きだすこともできたと思います。

では、例えばキャラクターの誰それが、誰それと恋仲になって、とか、そんなのをこの限られた時間の映画の中に押し込んで

「面白かったか」

その点で考えると、この選択は正解だと感じています。


これはディザスター映画だ、リアルだ、シミュレーション映画だ、などと言われていますが、そういう意味で、「シン・ゴジラ」は徹底して、観客を楽しませる「エンターテインメント」として厳しく制作されたものだということが分かります。


よく比較されるのが、1984年の「ゴジラ」です。あれも政府の、ゴジラに対する対策が主として取り上げられていました。それはさらに先鋭化するような形で次作「ゴジラvsビオランテ」に引き継がれていますが、両方とも政府関係者でない人物が主要人物となってゴジラを倒すのに尽力している点、「シン・ゴジラ」ほどは徹底していなかったといえます(しかし僕は否定はしたくありません。両作品とも好きな映画ですので。現に84ゴジラの主人公である「まき・ごろう」の名前が、意外な形で今作にも使われていますし)。

しかも、やはり3.11以降明らかになってきた、政治の「負の部分」もしっかり取り上げています。
自衛隊の防衛出動や武力行使については、1996年の「ガメラ大怪獣空中決戦」(今作の監督である樋口氏が特撮を担当)でも言及されていますが、それをさらに押し進めた感がありますね。

各政府筋のキャラクターが「これは想定外だから」と、「想定外」を免罪符のように使うんですね。
本来なら「想定していなかった」こと、「想定していなかったことに対応できないこと」が問題になるべきであるのに、「想定外であるからには自分には責任がない」という逃げを打つ姿勢が、実にリアル。しかも、そういう発言をしている人物に「悪意がない」ように描かれているんです。

官僚や政治家とは「そういうものだ」

と描かれている。それに対して、やはり、やれ政権批判だなんだとの声も上がるようですが、庵野総監督たちからすると

「そういうものだ」から、「そう描いた」

に過ぎない。実際かなり突っ込んだ取材をしたうえでの描写であると聞いています(官僚たちが自分のフィールドの専門用語を早口でまくしたてるあたりは、その取材の結果の演出であるそうです)。

「トラには縦じまがあるものだ」というのと、同じレベルの≪事実認識≫なんですね。


「え、今のはどの役所に命じられたのですか?」

というセリフも実に面白かった。縦割りというのが、こんなにはっきりと描かれているというのは稀有な映画だと思います(「ゴジラ対モスラ」昭和39年に、「すぐで半年、よかろで2年、審議審議で5,6年」というお役所を揶揄したセリフが出てきますので、実はこういう目線も、ここまで先鋭化はしていないものの、ゴジラ映画ではかなり古くからあったものではあります)。


有識者会議が「役に立たない」なんて、まぁよく書いたものだと。


そして、国連安保理からの、核兵器使用の「圧力」。
昭和37年の「キングコング対ゴジラ」でも、日本は国連から水爆攻撃を要請されている場面がありますが(現場判断で蹴っている辺り、今作に比べると軽い扱いであるとはいえ)、受け入れてしまったのは今作が初めて。84ゴジラでは非核三原則を盾に三田村首相は断っているんですが、今回は首相が死んでしまい、総理大臣代行が圧力をかけられたわけで、かなり厳しい情勢でしたね。

彼が災禍を逃れられたのは、たまたま外遊中であったことが、序盤の「テロップ」で説明されているのですが、最後はすべての責任を取って辞職する筋書きを描いていたというのが、ゆるそうに見えてこの農水大臣も只者ではなかったということです。


さて主人公・矢口は、そんな政治家や官僚の中で、「良識派」のように描かれています。それ故に、政治家として「現実的でない」、庵野総監督に言わせると「子供」のキャラクターです。
熱過ぎて、先輩である赤坂によくたしなめられている。

せめてそういう人物を入れておかないと、観客は「エンターテインメントとして」「楽しく」この映画を見ることはできなかったと思います。

彼のキャラクターを示していたのが、ゴジラの第一回の上陸の後の視察シーン。
被災地を視察した大臣たちが立ち去った後、生活の後を残す瓦礫を見つめて、一人合掌する矢口。

親の七光りで政界入りしたとされる彼ですが、このシーンでただの「絵にかいたような正義感」や「在野の天才科学者」とも違う、好感の持てる青年に印象付けられたと思っています。


平成ガメラシリーズではままあった、「直接、人間の死を描く」シーンは、今作では極力伏せられていますが、「合掌した」ということは「人が死んだのだ」とわからせることができるわけで、「演出」というものの大事さがわかります。


主要キャラクターとしては、巨大不明生物特設災害対策本部、巨災対のメンバーがいますが、本当に一人ひとり語っていたら大変なくらい。

彼らが、これまでなら「当たり前」だった、「ゴジラは核物質で生きている」ことを、この世界観でも信じられないんだけど事実そうだ、と感じられるように、「いったん否定して」「どう考えてもそうとしか思えない」と実証していく。
そのプロセスはある意味「ウルトラQ」的といえるかもしれません。

そしてカヨコ・アン・パタースン役の石原さとみのコケティッシュさ、まさかのセクシー衣装での登場、正確なんだろうけど胡散臭い英語、

しかし祖母の祖国である日本を、実は愛してくれてた、それがわかって急に愛すべきキャラクターに変貌していく。

矢口と語り合い、日本への核攻撃をさせたくないので退去命令が出ても日本にとどまっている、と告げるシーン、
普通にセリフ劇でもいいところを、わざわざクレーンを使って、引きながら撮っていく演出には唸りました。

似た感じですけれど、矢口と赤坂が空港で語るシーンも、わざと引きの絵を使ってあるんですよね。
樋口監督の「絵」に対するこだわりでしょうか。


※特撮
確かにゴジラはフルCGであったでしょう、しかし、モーションキャプチャーのモデルとして人間(野村萬斎)さんが演じておられるという意味では、僕は「デジタルスーツメーション」と思っていいと思います。
これ、庵野総監督がずいぶん以前に撮られた、実写版「キューティーハニー」の流れをくむ演出だと思っています。つまり実写の素材を使って、アニメを作る、というもの。

方向性は逆かもしれませんが、「まず作りたい絵を考えて」「そのためにどんな技術が必要で」と考えていくやり方としては、同一線上にあるものでしょう。


今回は何より、ゴジラが進化、変身する怪獣であるということが新しかったですね。
(ゴジラザウルス、ベビーという前例はあれど、あれは主役ゴジラではなかった)
上陸してきた≪第2形態≫の顔を見て、「えっ!顔が違う」と驚いたのは僕だけれはないと思います。

ここからは音楽の演出にもかかわってくるのですが、その第2形態が、直立の第3形態に進化変身する際に、初めて伊福部昭音楽が使われるんです。
第1作ゴジラの、ゴジラ上陸の音楽でした。

ゴジラが暴れるシーンの「ゴジラの猛威」ではなく、この音楽を持ってきたセンスには鳥肌が立つ思いでした。(この時のゴジラの鳴き声も、第1作からの流用です)

その後、2度目の上陸の際に(この形態が最終の第4形態)、まず「キングコング対ゴジラ」の「ゴジラの恐怖」がかかり、次いで、あの聞きなじんだ「ドシラ、ドシラ♪」のゴジラのテーマが聞こえてくるんですが、これが第1作からではなく、第15作「メカゴジラの逆襲」からの流用というところが、実に芸が細かい!

第1作での「ドシラ、ドシラ」は「ゴジラに対する人間側のテーマ」であるのに対し、「メカゴジラの逆襲」におけるこの音楽は「ゴジラのテーマ」として使われたものですので、

ゴジラに対して「メカ逆」でのゴジラテーマを使うのは、そういう意味でも正解なんです。
庵野さんのマニアックさがにじみ出ていましたね。



シルエット的には、平成vsシリーズなどの重厚なゴジラの姿に似て、咀嚼できない外向きの乱杭歯になった歯列は、第2作「ゴジラの逆襲」からモチーフを取ったものと思われます。

全身傷だらけのような赤切れの姿や、不気味な顔は、ゴジラにも「美しさ」を求めたい僕としては「かっこいい」とは言いづらいものですが、ストーリー展開としては、この形態しかありえないと思えます。

以前、ガメラシリーズやゴジラでも「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」であったように、怪獣も光線を出すのは必死だ、という演出は今作でも見られ、ゴジラはなかなか熱線を吐かず(実は声もなかなか発しない)、東京で初めて発射したときは、まず油のようなものを吐き出したかと思うとそれが紅蓮の炎に変わり(口が三つに裂けたように大きく開きます)、徐々に収斂されて紫の熱線に変わり、遂には全身からも光線を発するようになる。

都心を焼き尽くすまで吐き続け、徐々に熱線が炎に戻り、遂に放射を終えるとエネルギーが切れて沈黙するという。

今までのゴジラでは見られない演出でした(平成ゴジラの「全身放射」の変形かも知れませんが)。


だからこそ最終決戦で、「エネルギーを全部放射させ切るために陽動の攻撃をかける」という作戦が行われるんですね。

無人戦闘機が使われるせいか、ここはゴジラシリーズの音楽ではなく、同じく戦闘機が多数登場した「宇宙大戦争」のマーチが使われているんですが。伊福部先生をして「長時間演奏させるのは無理だから(レコードの音源は)編集したものだと思う」と言わしめた、東宝特撮でも屈指の、テンポが速く勇壮な音楽に乗って、「無人在来線爆弾」などが炸裂する、非常に迫力のあるシーンになりました。


ミニチュアもあり、実景との合成もあり、CGもあり、盛りだくさんの特撮でしたが、先に述べたように「どんな絵がほしいのか」を先に考えた結果の、見事な特撮演出だったと思います。


※音楽
この流れなので、一緒に書いときますけど(笑)
ところどころ、「エヴァンゲリオン」の音楽も使われているそうです(今作の音楽担当・鷺巣氏の作曲による)。
巨災対の面々にかかる音楽がそれと思われますが、この演出も秀逸で、同じ旋律(リズムパターン)かと思わせて、当初の重苦しい雰囲気から、徐々に軽快さが増していき、最終決戦に向けては、わくわくするような躍動感を持たせてくるんですね。

エンディングのキャストロールには、また伊福部音楽が流用されているのですが、「三大怪獣地球最大の決戦」「ゴジラvsメカゴジラ」のオープニングテーマ曲が流れたのには、疑問を感じました。

今流れでなぜ「ラドン」や「メカゴジラ」のライトモチーフを流す必要があるのか・・・

これもきっと仕掛けがあるのでしょう、もう一度映画を見に行かないといけないなー。




ということで
※感想

とにかく面白かったです。あまりに情報量が多いのと、これまで以上に恐ろしいゴジラに対し、ゴジラ好きの僕が珍しく「ゴジラ、死んでくれ!」と願ってしまったり、かなり長時間、口をポカーンと開けて見てしまってました。

もうね、理屈がどうあれ、こんな見方をしてしまったからには、もろ手を挙げて降参するしかないわけですよ。

不謹慎がなんのその、「元々、政府ってそんなもの」と、取材の結果分かったうえで描かれたからには「不謹慎」ではないわけで。

この映画は、原爆投下はもちろん、3.11を経験した日本にしか作れないなと感じました。
ここで大事なのは、庵野総監督や樋口監督は、きっと、「福島の事故に対してのメッセージ」として作ったものではないということ。
そういう事故が起こった、日本という国の映画人が作ったら、こうなった、というだけだと思います。

政治的メッセージは、僕ら見るものが感じるならば勝手に感じでおけばいいものなんですよ。



しかしこれ、アメリカでは公開されないだろうなー(苦笑)
「ゴジラvsビオランテ」で、バイオメジャーという組織が「アメリカにある」と描いただけで、反米映画とみなされて劇場公開されなかった、というお国柄ですから。


まぁ、世間が、世界がどう見るかはともあれ、新しい観点から描かれた新しいゴジラ映画が、日本で作られたことを誇りに思って、僕はまた映画館に行きたいと思うし、いずれソフトを買って家でも楽しもうと思います。


ただ
ツイッターで時々聞かれた感想への回答ですけど

僕はいくらシン・ゴジラが素晴らしかったからと言って、過去のゴジラ映画がかすむとは思っていません。今でもキングコング対ゴジラは大好きです。ビオランテもキングギドラも大好きです。

ゴジラという素材の料理の仕方が違うだけ、優劣ではないと思います。

が、
今回はおもちゃなどの商品展開、スポンサー展開ではなく、単に「映画として」商売が成り立つほど大ヒットした「ゴジラ」を、素直に喜びたいと思います。
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コメント

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