mixiユーザー(id:38378433)

2016年07月06日18:55

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今日のツイッター:対岩上安身さん、批判されたら、「じゃあ自分でやれよ」とブロックしてきた。メディア作れってか?!

https://twitter.com/reef100/status/750582613547646976
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3、別の流れ
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3(別)−1
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3(別)−2
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https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/751102317307437056?lang=ja
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ここで岩上さんにブロックされた。
上記写真はあらかじめ取得したもの以外は、ログオンせずにネットより取得した。

【了】

<追記>


岩上安身氏の発信する情報には、誤りがある。
一つは、近代社会契約の国家の約束定義を源泉にしていない。すなわち自然権たる基本的人権を守る為に人民が国家を作ったと言う約束定義からはずれた政治を頭に描いている。

これは、ナチスが、国家は民族(国民)に隷属すると言っているから、ナチスは国家社会主義ではなく国民社会主義だと主張する東大の歴史学者石田某の主張に 対して、

国民主権の解釈によっては国民主権からナチスが生まれるんですね、と相槌をうった岩上氏の認識に出ている。

すかさず東大の歴史学者石田某氏はそう なんです!!と。
(※「岩上さん、国家社会主義を国民社会主義だとする東大の歴史学ではナチスを防げない。
2016年07月05日23:41
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953899249&owner_id=38378433 」)


冗談ではない。それじゃナチスの用語を逆の意味で使う屁理屈を認めているってことだ。 人民主権から、ナチスなど生まれはしない。

国家は人民が人民の自然権たる基本的人権を守る為に作ったとする近代社会契約の国家の約束定義からは、自然権たる基本的人権を守るという認識目的を持たない国家など正しい意味で国家ではない。そこで行われる自然権たる基本的人権を守ると言う認識目的を持たない政治など正しい意味での政治ではない。

自然権たる基本的人権を守るという認識目的を持たぬ多数決も議会制民主主義(間接民主制)もそんなものなにを決めようが正しい意味での democracy(人民支配、人民主権=政治を最終的に決定する権利は人民にある)ではない。そんなもの反democracy。反人民主権。

近代社会契約の国家の約束定義を源泉にしないと、こう言う曖昧主義(オブキュスランティズム)になる。

岩上氏の発信する情報の誤りの二つ目は自衛隊という暴力装置はじめにありきの考え方だ。

これが近代社会契約の国家の約束定義よりも重要な前提として、岩上氏の場合なっている。
だから、そう言う前提からはそう言う結論(自然権たる基本的人権を守るより上位に、自衛隊を存在させることを重要な事とする)が導出 されている。

ミスリードが分析ででてくる。全面戦争は良くないが、領空侵犯に対して迎撃し最小限の戦争をしてあとは外交で処理する、と言う主張を展開する。そんな都合のいい戦争などに戦争を限定できるものか。

ミスリードだけではない。
確信的に自衛隊の存立に絡む自衛隊問題には斬りこまない避けて通る。
3.11が演出米国、自衛隊員の工作により実行された海底原爆爆破による人工地震であること。
熊本地震の震源地が自衛隊駐屯地の直下でありこと。
それら、自衛隊の工作にかかわる真実追究は確信的に避ける、逃げる。

【了】


【関連日記】
「英語版の新聞では、すでに改憲派は3分の2が射程距離に入ったとか。本当の狙いは9条改憲ではなく、国家緊急権を定めた緊急事態条項改憲だという。これでナチスが完成する。一巻の終わりになるぞ。
2016年07月05日00:54
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953880134&owner_id=38378433 」


「岩上さん、国家社会主義を国民社会主義だとする東大の歴史学ではナチスを防げない。
2016年07月05日23:41
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953899249&owner_id=38378433 」


「今回の選挙は、ナチス国家となるか、ナチス国家を土俵際でとりあえず防ぐかの最後の砦だ。
2016年07月06日07:17
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953904206&owner_id=38378433 」


【関連つぶやき】
https://twitter.com/reef100/status/751215572801638400

<追記>

「批判よりも代案では民主主義は機能しない
2016/07/09 06:38
茂木健一郎氏ブログ
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/4562528.html 」
*−−−−−−引用開始−−−−−−−*

批判よりも代案では民主主義は機能しない

2016/07/09 06:38
いつの頃か、「批判だけでなくて、代案を」というようなことが言われるようになった。誰がどう言い出したのかわからないけれども、おかしな話だと思う。批判と代案は独立であり、批判は批判で大切にきまっているからである。

諸国の議会の様子を見ていると、与党に対する野党の役割は、何よりも「批判」である。しかも、容赦ない、過酷なまでの批判である。英国でも、アメリカでも、その他の国でも、野党は与党の政策を徹底的に批判する。それが野党の存在意義だからだ。

批判は、カトリック教会における「悪魔の代理人」に似ている。提案されたある政策に、どのような欠陥があるのか、矛盾があるのか、岡目八目で検討し、批判する。そのために野党があるのであって、批判のない野党はない。

そもそも、野党に相当する英語は、oppositionである。最初から、与党に対立するものとしてそれが前提とされ、期待されているのである。そうでなければ、野党の存在意義がないと言えるだろう。野党に対して、「批判よりも代案を」というのは、議会制民主主義の本質を知らない人だ。

「批判だけでなくて、代案を」という一見もっともらしいスローガンの矛盾は、野党の代案が通る確率がそもそも低い、ということからもわかる。むろん、与党との話し合いで代案の一部が反映されることはあるかもしれない。その場合も、十分な批判がなければ、そもそも議会が機能しない。

諸外国に比べて、日本の野党による与党の批判は、むしろ、まだまだ生ぬるい方だと私は感じる。これは、日本人気質によるところが大きいのかもしれない。日本の政治に必要なのは、代案よりも、むしろ、より本質をとらえた、容赦ない批判の方だろう。
*−−−−−−引用終了−−−−−−−*

岩上安身氏への忌憚なき批判をブロックするという、IWJというメディア主催者岩上安身氏よ、
「批判するなら自分でメディアを作れ」と言わんべく「じゃあ、じぶんでやれよ」と吐き捨てているようでは、そんなもの正しいメディアとは言えない。ジャーナリストとしても失格だ。

【了】



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