mixiユーザー(id:8808804)

2016年03月18日22:36

129 view

0318i

テレビからお経が聞こえてきて、オーケストラなのに何でお経なんだろう?当時、中学生でした、最後まで一所懸命聞きましたが、曲名は何とか交響曲、それが黛敏郎の「涅槃交響曲」と読めるほどの学力は当時ありませんでした、そのときの合唱が東京混声合唱団でした、その後僕がこの曲を振らせていただけるとは夢にも思っていませんでしたが、そのときも合唱は東京混声合唱団でした、但し男声のみですが、その後ホルストの「惑星」を振る機会がありまして、そのときも合唱は東京混声合唱団でした、但し女声のみです、すなわち僕が東京混声合唱団の指揮をするのは今日が初めてということになります、プログラムについてお話しをしますと、あれほど多くの合唱曲を書かれた三善晃先生のこれが初めての合唱曲だと伺っています、この楽譜にエレクトーンと書かれているのがちょっとツボでして、いまこれ音楽の授業ではバツにされます、ヤマハの商品名ですから、電子オルガンと書かなくては、でも楽譜に書かれているとおりエレクトーンを使っています、いま調子が悪くて修理する間お前が出て時間を繋げということでこうしてお話しをしているわけですが、何故こんな話をするかというと、初演のとき三善先生自身がエレクトーンを演奏したのだそうです、当時出始めのころですからいまより素朴なものだったと思いますが、それでも新しい新鮮な音だったのだと思います、このように 作曲家の初期の演奏をすることは大事なことだと思います、私が変わり者だから変なプログラムを考えるのではなくて、ベートーベンの第一を演奏できずして第九は演奏できません、音楽上の発見もたくさんありますし、さて松村禎三先生とは一回だけお会いしたことがあります、松村先生の曲の演奏会があってそれを僕が振ることなったんですが、なんだその若い指揮者は、心配だから電話をかけさせなさい、となって緊張しながら電話をかけたら、ああ君かよろしくね、ってそれだけで終わったんですが、いざ演奏会となったら、途中休憩のときに先生が楽屋を訪ねて来られて、もうそのときは酸素ボンベを装着されていて、でも威厳がありました、僕の手をぎゅーっと痛いほど握って、良かったよと仰って頂いて、それがお会いした最後になりましたが、そのときのぎゅーっという写真を、後々「沈黙」という松村先生の傑作オペラを振るときは傍らに置いて、勉強の励みにしていました、ビーッ!エレクトーンも直ったようですね
[話し]下野竜也
──【音楽】東京混声合唱団 第239回定期演奏会/第一生命ホール
─・─・─・─・
[話し]中田秀夫
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1948690794&owner_id=8808804
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する