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2015年09月19日07:51

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さよなら、人類

またまた北欧からふしぎな魅力の映画がやってきた。
ちっとも面白くない面白グッズを売り歩く2人組セールスマンを中心に、白塗りメイクをしたゾンビのような人たちが繰り広げるナンセンスで体温の低いコント集。とぼけた間合いで笑いと哀感を誘いつつ、最後にズドンと人類の飽くなき欲望に警鐘を鳴らす。いやはや。

モスグリーンをベースに完璧に統一されたくすんだ色調と、エドワード・ホッパーみたいに奥行きを強調した構図が印象的だ。簡素なアパートの廊下の電気を手前から順番に消していくシーンでは奥行きがさらに強調されてちょっと鳥肌が立った!とにかくすべてのシーンで人物とモノの配置と動きが計算されていて、何か執念を感じる。背景はすべてマット画によるアナログ撮影らしい。監督はロイ・アンダーソン。ウェス・アンダーソンといい、ポール・トーマス・アンダーソンといい、アンダーソンという名字の映画作家はみんな構図フェチなのか(笑)

コント集の中で一番笑ったのはサルの実験だ。サルが定期的に全身に電流を流されてキィ〜〜〜と身体を硬直させて叫んでいるのに、右奥にいる女性が電話で「お元気でなにより」と話している。可哀想なサル(笑)。
そういえば、本作の邦題は、「さるにはなりたくない/さるにはなりたくない」と歌う”たま”の「さよなら人類」を連想させる。「武器をかついだ兵隊さん/南にゆこうとしてるけど/サーベルの音はチャラチャラと 街の空気を汚してる」という歌詞を思い起こすシーンもある。70年代のプログレッシブロックのタイトルみたいな原題「実存を省みる枝の上の鳩」よりは、この方が覚えやすくていいかもしれない。おかしくて哀しいシュールな世界観も少し似ている。

とはいえ、本作の持つ冷徹さや慈悲は、ノスタルジックなたまの世界にはとうてい収まりきれないものだ。
とくに終盤の悪夢のシーンの切れ味は凄い。”ファラリスの雄牛“を思わせる巨大な樽型の処刑装置に次々と若い黒人奴隷が入ってゆき、その下で火が炊かれ、樽がクルクルと回転する。今度はどんなオチなのかなあとのんびり期待していると、突如、そのシーンが映り込んでいたガラスの扉が左右に開き、そこからシャンパンを飲みながら件の光景を見物していた紳士淑女の姿が現れる。切り返しなしのワンシーンで描かれたイメージの鮮烈さに息が止まりそうになった。

この悪夢というよりは幻視の恐ろしさを必死で訴える主人公は、隣人から顰蹙を買い、相棒からも「こいつは哲学者だから」と軽くあしらわれる。世界では一部の限られた人たちの欲望を満たすために人権が虐げられている人々がいるのに、庶民は日々の暮らしを続けていくことで精一杯。庶民もまたちっぽけな欲望を満たすことしか考えてない。サルのシーン以外でも繰り返される「お元気でなにより」のペーソス。どのみち、そんな不完全な存在でしかないのだ、人類は。と、思わず、”実存を省み”たりしてしまう映画だ。

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