■安保デモ「大きな誤解」=菅官房長官
(時事通信社 - 08月31日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3592197
●【ネット空間を、日本国憲法を実現する【無血democracy革命】あるのみの文字で埋め尽くせ。!】
臨時革命政権を宣言し、現国家権力の三権を掌握する方法がある。内戦など起こらない。無血の内に可能。 1000万人のデモ、2000万人のデモ、3000万人のデモとデモが蜂起すれば、もはや権力は去勢される。
国民は蜂起すべきだ。みんなが歩き出せばそれでdemocracy無血革命は成立する。
●国民は蜂起すべきだ。みんなが歩き出せばそれでdemocracy無血革命は成立する。
どこかのバカが、首相官邸前の警備バスと警察官の数があるから見通しがないなどと言ってるのがいた。
どこまで馬鹿なのだ。
機動隊の数は全国通算しても3万人だ。
(警察の機動隊:
http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse132.html)
日本の人口は、【平成27年8月1日現在(概算値)】 <総人口> 1億2689万人
(総務省統計局
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.htm)だ。
国民の半分が蜂起しても6000万人を超える。
自衛隊が治安に出動して親兄弟同胞に銃口を向けるならもはや暗黒国家だ。
その自衛隊の数でさえ、23年度末現在で陸上自衛隊14万人(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A)、
国民の10人に一人が蜂起しても1千万人を超える。
国民の100人に一人が蜂起しても100万人を超える。
集団的自衛権行使容認に蜂起する覚悟のある人は国民が歩き出せば、100人に1人どころか、
50人に一人となった時点で200万人を超え
25人に一人となったところで400万人を超える。
国民が歩き出せば、全国で歩き出せばもはや、政府は倒れる。
銃口を国民にむけたら、その瞬間に、世界は日本が世界に類を見ないナチス国家であることを認識するだろう。
国民が蜂起するということは、これだけの威力があるのだ。
首相官邸前の警備バスと警察官の数のどこが問題なのだ。
歩き出せばいい、国民が歩き出せば、革命がその瞬間に成功する。
どこかの馬鹿が、見通しのない革命には参加しないといってきた。
頭がおかしい。
国民の10人に一人が蜂起しても1千万人を超える。
一千万人蜂起して、政権が倒れる見通しがなければ参加しないなどと言ってるやつは頭がおかしい。
国民の100人に一人が蜂起しても100万人を超える。政権が倒れる見通しがなければ参加しないなどと言ってるやつは頭がおかしい。
この100万人が首相官邸、国会、霞が関周辺に向かえば、その時点でもはや政権など持たないのだ。
50人に一人となった時点で200万人を超える。
25人に一人となったところで400万人を超える。
全国で歩き出す日本人民が全国で蜂起する日本人民が出て、これに対して
機動隊の数は全国通算しても3万人だ。
陸上自衛隊14万人が出動しても焼石に水だ。
革命政権樹立を宣言した時点で、日本の革命は成功だ。
霞ヶ関、永田町の統治機構を、掌握。
革命というのは、日本国憲法に実に忠実な手段なのだ。
日本国憲法そのものが、人民の革命権と表裏一体のものだ。
もし、日本国憲法が政治テロにより蹂躙され、破棄されたなら、このような政治テロは、日本国憲法下のふつうの対抗手段【選挙、デモ】では、対処できないのだ。
非常時には非常時の手段がいるいのだ。
日本国憲法はそれを保障している。公務員のスト権だ。これにより、ゼネストが行われる。これで政府は倒れるのだ。しかし、GHQ、および、日本政府は、憲法を無視して、憲法に反逆する法律を作り、公務員のスト権を剥奪した。
これで、戦争を防げなくなったのだ。
日本国憲法のどこにも、国民は法律を守れと書いてない。
日本国憲法は、国民にこの憲法を守れと諭している。この憲法に背く法律には従うなといっているのだ。
これは、抵抗権、革命権と直結する。
そもそも日本国憲法は、近代市民革命の系譜にある。
近代市民革命は、社会契約説にもどづく。
国家は、主権者人民の基本的人権を守る為にあるのだ。
個人個人がそれぞれ自由であり、その自由な個人が互いの約束(契約)によって
自然権たる基本的人権を守るために国家を成立させているのだ。(社会契約説、それにより近代市民革命を起こし、そこで樹立した世界普遍の原理)
そして、主権は、人民にあるのだ。政府にはない。(社会契約説、それにより近代市民革命を起こし、そこで樹立した世界普遍の原理)
人民主権は社会契約説の核心中の核心の思想である。
主権(政治を最終的に決める権利)は人民にある。政府にはない。
政府が、人民の利益に反する行動をとるなら、主権のある人民がそのような政府はいつでも破棄しできる。当たり前なのだ。
安倍晋三に主権はない!
立憲主義とは国民が憲法により、政府を縛ることを指す。
そのような憲法が近代憲法だ。日本国憲法は近代憲法だ。
これを破棄した安倍晋三とその政府は、もはや、人民に敵対するものであって、革命権、抵抗権に基づき排除する権利を、主権者人民は持つ。
革命と、日本国憲法は表裏一体のものだ。
●内乱罪とは、<主権者人民の政府を倒す者>に対して適用する<主権者人民の為の法律>だ。
革命が内乱罪に当たらないことは言うまでもない。内乱罪は、安倍晋三と現政府にある。
公明党、自民党、集団的自衛権行使容認という暴挙を行ったこの犯罪者は、内乱罪に相当する。
そのような内乱罪を働いた自民党と公明党は、破防法により解散されなければならない。
●すべての暴力が否定されるわけではない。
かつて戦後米軍兵士が何人も機関銃を父親に突き付け、その目のまえで娘を強姦した。その現場の米軍兵士の写真を見たことがある。これは日本でいくらでも起こったことなのだ。
あなたはそれでも暴力はすべていけないという聖者か。撃ち殺されても抵抗するのが人間ではないのか?
そうして撃ち殺された人もいるだろう。
女が髪を逆立てて棒を振り上げている。暴力はよせ?馬鹿言うな。女の前にはオオカミがいて、女の後ろには幼子がいるのだ。それでもあなたは暴力を否定するのか?
そこまで行けば聖者だ。それぞれの主義だ。そのような主義でも宗教観でも持つのは自由だ
だが、政治は、宗教ではない。
政治は、国民の生命と財産を守るためのものだ。
その暴力が、人民の視点に基づくものなら、その暴力は必要な暴力なのだ。
そこに、人民の視点があるかどうか。それが政治の視点でなければならないのだ。
●主権者人民の政府が乗っ取られ、それを倒すとき、悪漢のインチキ政府の番犬と小競り合いがないとは言えない。あるともいえない。democracy無血革命が基本だが不慮の事故は絶対にないとは言えない。
もしあれば、人民の蜂起は、それも乗り越えて前進し、主権に基づき、政治的権力を人民の手に掌握しなければならないのだ。
そんな衝突がない場合もある。
東西冷戦のベルリンの壁は、群衆が歩き出したとき、警備兵はどうぞどうぞと鍵を開けた。
それまでどれだけの人がこの壁を越えようとして撃ち殺されてきたことか。その警備兵が開錠したのだ。さあ、お通りくださいと。
大群衆の行進を前に、銃口は意味をなさないのだ。
フィリピンのマルコス大統領のマラカニアン宮殿に大群衆が行進を始めた。大群衆に同調した兵士の戦車も動いた。ウィキペディアのこの記述は間違っている「2月22日選挙結果に反対するエンリレ国防相、ラモス参謀長らが決起し、これを擁護する人々100万人がマニラの大通りを埋めた。」
(フェルディナンド・マルコス:
http://nazr.in/v0M)
逆だ。民衆が決起し、それに軍の一部が同調したのだ。軍が決起し、民衆が同調したのではない。
100万人のマラカニアン宮殿への大行進に、戦車がアリバイ作りに、わずかに動いたのがいただけだ。
この群衆に逆らってはとても誰も、政権など掌握できないことを知ってのことだ。
(了)
【関連日記】
まだだめだ、「安倍辞めろ」「戦争法案反対」レベルでは、だめだ。無血democracy革命の必要性をデモ参加者は認識すべきだ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945614242&owner_id=38378433
もう、一つや二つの法案反対などというデモでは時代遅れなのだ。国家権力をそっくり入れ替える無血democracy革命以外ない。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945618115&owner_id=38378433&org_id=1945614242
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