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2015年07月04日12:47

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キレた! 焼身自殺ー貧困老人たちの絶望的反乱 「超特急ーのぞみ」−「地獄への片道切符」  戦後70年と当時「若者たち」の「青春の光と影」と見る影もない「今」

「日米安保強化法案ー日本の軍国主義化」に狂奔し、「格差社会の放置」のままーますますの「奴隷労働強化法案」や「値上げ放置」ー貧困の再生産過程に於ける老人の末路や、如何に


「日米安保ー血税ばら撒き総理」が内政をおろそかにして日本の「抑止力論ー軍事大国化」を目指すなら、「キレタ! 貧困老人たちの絶望的反乱」が、いよいよ増殖してゆくだろう。




 まず、今回の事件による二人の犠牲者に、哀悼の辞を述べる、合掌。

そして「居合わせた人々」には、お見舞いを申し上げたい。




 ニュースに流れる「高齢者の不祥事」−例えば「万引き犯」の増加が、茶の間に流れるようになって久しい。このような「日本の姿」を私たちが目にするようになるとは「夢には思いもしなかった」のが、多くの日本人の感慨だろう。

 それは子供も老人も問わない。社会を見る目を、誰しもが得たのなら、誰もの眼にも、そう映ってあるだろうということだ。

 およそ老人は子供たちより人生の手本として尊敬され、若者たちよりは経験豊富な先輩としてあるべき筈だろう。しかし今、老人たちは子供たち若者よりは「粗大ゴミ」の扱いをされ始めているのではないか。

「新幹線内、焼身自殺」 これだけでニュースに二十分。けれど当初は「国会前での焼身自殺」であったらしい。いいや、これは「焼身供養」」と言うべき事件なのかもしれない。それは天平年間に「小僧・行基」が「指、肘を焼き剥ぎ……」 民衆の前でアピールした古事に由来した言葉である。ブータンでは僧侶たちが幾人も「チベット問題」に抗議して、この焼身供養に身を捧げている類のものだ。、




 新幹線の開通の頃、専用軌道を走る列車は「夢の超特急ーひかり号」と呼ばれた。高度成長期を象徴する一特筆すべきエポックとして、そう名付けられ親しまれた。今回事件は「ひかり・のぞみ」への反乱と観て良いだろう。

 東京ー大阪、三時間。二大都市圏を結ぶ高速鉄道は、「列島改造論」の先駆けとしても在った。「鉄腕アトムの時代が来る!」 今はまさにそのような科学技術の発展した時代でもあるのだ。

 大東亜戦争、太平洋戦争ー「敗戦」 戦後、誰しもが焼け野原に在り、貧しかった。しかし「平和憲法の基」 生活再建の槌音は空高く鳴り響いた。貧困が全く無かったわけではない。しかし誰しもが助け合い、未来に希望を抱く時代であっただろう。

「夢破れて山河あり」−「もはや、戦後ではない」 その言葉通り、日本は不死鳥の如く奇跡と呼ばれる復興を成し遂げた。戦争へと駆り立てられた民族としてのエネルギーが「平和、復興」へと、日本丸の舵が「面舵一杯!」と切り返された為だった。




 しかし、「この頃日本は、何かが変だ……」 今や、多くの人々が気づき始めた。「この国はどうなるのだ。何処へ向かって走っているのだ」 誰しもの、当然の疑問であるだろう。

 たかが「老人一人、新幹線での焼身自殺」 あなどるなかれ! これは象徴的事件なのだ。平和・人権思想より取り戻された「人間」が再び「モノ扱い」され始めたことにより起きる「絶望シンドローム(症候群)」と言いさえできる事件だろうか。

 庶国民の税金が、「一総理・政府与党」により「欲しい儘」にされている状況がある。格差増大は著しく、若者たちは結婚さえ、子供さえ作れなくなっている。増して若者たちを戦場に送りだそうと「自己の保身」は確保したまま、一部政治家たちが策動し始めた。それは日々茶の間に報道されている。

「公務員・大企業にボーナスが出た」 それ以前に「ばら撒き総理」が国民より吸い上げた血税の総額はどれだけー米国・諸外国に入れ挙げた「総額は幾ら」と報道しろ!




「庶国民にとって、税金とは何か」 このことの歴史を見て見る。大宝律令ー日本は律令国家体制の国造りの中で『 租穀 』として、これを規定する。「水稲ー米は穂のまま」とする、このことで保存期間がより長くなるようだ。

 朝廷は庶国民に配分した畑より「一町の田租を稲22束とする」ことを決定する。これはここより収穫された稲の約3%に当たり、これを計画の元として30年分の蓄積計画を建て約一年分の「輸租田(税対象の田)」の収穫量を確保しようとしたという。

 これは当時「大和朝廷支配下の全国的飢饉を一年間に耐え抜く」賢明な施策である。ここには「税金は納めたものに、還元される」という不文律が在る。これは当時の人々を脅かす天災や飢饉などに備えるために考えられた。そのために蓄積された穀物の事であり「お金」」のことだ。

 広く世界を眺めれば、戦争屋や天災に苦しむ人々が大勢いる。これを助けるのは日本人としての当然の義務でもあるだろう。「苦しい時は、お互い様」である。人間同士が互いに助け合う事に意義を挟む気は毛頭無い。しかし「日本の軍事大国化の布石」としてそれらがあるなら黙っていられる訳も無い。




「総理」が「国民の皆さん」という時に、身の毛の逆立つのは「私、一人だけ」の事だろうか。私には「私等の為の、使い捨て労働力の皆さん」と聞こえてならない。全く「人情」を感じないのだ。

 これが「今回事件」全て・真相というのではない。「今、変わりつつある日本」への「前兆への警鐘」として、また「政治は、全てを包摂し、関連づく」ということの「気づきの一つ」である。








■「国会前で死ぬわけにも…」 新幹線放火の容疑者が姉に
(朝日新聞デジタル - 07月03日 09:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3497489
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