今回の日記は、断続的に書いている『魔法少女の系譜』シリーズの一つです。前回までのシリーズを読んでいないと、話が通じません。
前回までのシリーズを読んでいない方や、読んだけれど忘れてしまったという方は、以下の目録より、先にお読み下さい。
魔法少女の系譜、シリーズ目録(2014年01月22日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=25849368&id=1920320548
今回も、前回に続き、『魔女はホットなお年頃』を取り上げます。
この作品は、日本の口承文芸そのままの構造だと、前回に書きましたね。伝統的な異類来訪譚と、まったく同じ構造です。
この作品は、また、報恩譚でもあります。いわゆる「恩返し」の話です。
前回に紹介した「葛の葉伝説」も、異類婚姻譚であると同時に、報恩譚になっていますね。人間の男性に助けられたキツネが、恩返しのために、人間の女性に化けてやってきます。
これのキツネを、ツルに変えると、「鶴の恩返し」になりますね。「鶴の恩返し」は、人間の男性に助けられたツルが、恩返しのために、人間の女性に化けてやってきます。最後に、正体がばれて、男のもとを去ってしまうところまで、「葛の葉伝説」とそっくりです。
このような、異類婚姻譚(異類来訪譚の一種)かつ報恩譚は、数多く伝わっています。
ということは、それが、人々に好まれたわけですね。
『魔女はホットな〜』は、伝統的に人々に好まれてきた話を、テレビでやりました。「魔(法少)女」という新しい衣を着せて。
日本製のテレビ番組で、タイトルにはっきりと「魔女」を付けた作品は、おそらく、『魔女はホットな〜』が、最初でしょう。
それまでは、『奥さまは魔女』のような、輸入もののテレビ番組しか、ありませんでした。
『コメットさん』も、『魔法使いサリー』も、『ひみつのアッコちゃん』も、『魔法のマコちゃん』も、タイトルに「魔女」は付きません。
それには、理由があるはずです。
日本では、「魔女」という概念は、外国から輸入されました。欧米文化圏からの概念ですよね。最初は、おそらく、グリム童話あたりからの影響が強かったと思います。
グリム童話に登場する魔女といえば、間違いなく、悪役です。絶対的に悪い存在です。その影響を受けて、日本でも、「魔女」の印象は、悪かったでしょう。
このために、子供向けのテレビ番組で、主役を「魔女」とするのは、抵抗があったと思います。
しかし、いくつかの「魔法少女もの」―昭和四十年代には、まだ、そんな言葉はありませんでしたが―の作品を経て、「魔法を使う女性=良い人」というイメージが、広まってきました。
『奥さまは魔女』などの米国製テレビドラマで、「魔女」のイメージが向上したことも、あるでしょう。
「魔女」という新しい概念を、日本のテレビに導入するにあたり、使われたのは、「化けるキツネ」という伝統的な概念でした。
冷静に考えれば、「化けるキツネ」は、「魔女」ではありませんよね。それが、『魔女はホットな〜』では、故意に一緒くたにされています。
新しい概念を、みんなにわかりやすく紹介するには、古い概念でたとえるしか、なかったのでしょう。
このようにして、『魔女はホットな〜』は、日本のテレビの中に、「良い魔女」という概念を作り上げました。ヒロインは、魔法で人助けをしますからね。
おかげで、その後、『好き!すき!!魔女先生』などの作品が生まれます。『魔女はホットな〜』がなければ、石ノ森章太郎―当時は、石森章太郎―の『千の目先生』が、『好き!すき!!魔女先生』というテレビドラマになることは、あり得なかったでしょう。
『魔女はホットな〜』は、魔法少女ものの発展において、大切な地ならしをしました(^^)
なお、『魔女はホットな〜』は、テレビドラマと同時に、漫画化もされました。漫画を描いたのは、なんと、竹宮恵子さんです。
ただし、漫画版は、テレビドラマ版と基本設定が同じだけで、ストーリーは、別ものです。
テレビドラマと漫画とでメディアミックス、という戦術は、すでに、昭和四十年代(一九七〇年代初頭)から、行なわれていたのですね。最近、始まった傾向ではありません。
伝統からの影響という点では、『魔女はホットな〜』の最終回も、気になります。
最終回で、ヒロインのこん子は、バイクの後ろにまたがって去ります。故意か偶然か、これは、伝統的な日本の「化けキツネ」の性質と、そっくりなのです。
日本の「化けキツネ」の中には、「オバリヨン」とか、「ばろう狐」などと呼ばれる妖怪がいます。ある特定の場所に棲みついていて、そこを人が通ると、「オバリヨン」、「ばろう」などと呼びかけます。
これらの言葉は、「おぶさろう」という意味です。この言葉に答えてしまうと、人の背中や、人が乗っている馬の後ろ、あるいは、担いでいる駕籠【かご】などに、ずっしりと重みがかかります。キツネが人におぶさるわけです。
どういうわけか、人におぶさって移動する「化けキツネ」がいる、と、昔の人は信じました。各地に似た話が多いことからして、「化けキツネ」の性質としては、わりと普遍的なものとして認識されていたのでしょう。
この性質は、明らかに、こん子の最終回の行動を思わせますよね?
『魔女はホットな〜』の製作側の人が、そこまで、日本の伝統を意識していたかどうかは、わかりません。製作側の方々のお話を聴きたいところです。
『魔女はホットな〜』の最終回については、別の見方もあります。「ヒロインがバイクに乗って去るのは、次の番組を意識している」というのです。
『魔女はホットな〜』の後番組は、初代の仮面ライダーです。
そう、「バイク」が、重要な道具ですね。
初代の仮面ライダーは、大変な人気番組になりました。これのために、「変身ヒーロー」ブームが起こったほどです。
そのブームは、「魔法少女もの」にも流入しました。『好き!すき!!魔女先生』が、最初の変身する魔(法少)女になりました。
『魔女先生』の斬新さについては、以前、さんざん語りましたね。
『魔女はホットな〜』と『魔女先生』とは、放映期間は、わずか一年の差しかありません。『魔女はホットな〜』が、昭和四十五年(一九七〇年)十月からで、『魔女先生』が、昭和四十六年(一九七一年)十月からです。
でも、その一年の差が、大きかったのですね。
徹頭徹尾、伝統から外れていない『魔女はホットな〜』と比べると、『魔女先生』の斬新さが、際立ちます。
以下に、比較してみましょう。
魔女はホットな〜 魔女先生
ヒロインの正体 化けキツネ 宇宙人
ヒロインの変身 最初に人になる一度だけ 後半、アンドロ仮面に何度でも変身
魔法の道具 母の形見のペンダント 指輪にエネルギーをチャージ
ヒロインの職業 お手伝いさん 小学校の教師
ヒロインの目的 人に恩返し 地球人の監視
最終回 どこかへ去る 去らない。いつもの日常が続く
わずか一年の間に、『魔女先生』のような魔(法少)女ものが受け入れられるほど、視聴者の理解が進んだということでしょう。
けれども、さすがの『魔女先生』でも、取り入れなかった「変身ヒーロー」の要素があります。
それは、「弱点」です。
変身ヒーローには、わかりやすい弱点を持つものが、少なくありませんよね。
例えば、ウルトラマンには、地球上で三分間しか活動できない時間制限があります。
キカイダーは、悪役のプロフェッサー・ギルの笛の音が弱点です。この笛の音を聞くと、キカイダーは苦しんで、戦えなくなります。
レインボーマンには、「ヨガの眠り」という休息期間が必要です。戦いの後には、どうしても、動けず、戦えもしない「ヨガの眠り」に入らなければなりません。
『魔女先生』には、このような弱点は、ありませんでした。
『魔女先生』に限らず、のちの魔法少女ものでも、わかりやすい弱点があるヒロインは、ほとんどいません。
興味深いことに、この「弱点」に関してだけは、『魔女はホットな〜』に、登場します。
ヒロインのこん子は、「イヌに弱い」という明確な弱点を持ちます。
「弱点を持つ魔(法少)女」として、こん子は、貴重な存在です。「あり得たかも知れない魔法少女」や、「変身ヒーローと魔法少女との差」について、考えさせてくれますから。
今回は、ここまでとします。
次回も、『魔女はホットな〜』を取り上げる予定です。
2014年05月21日追記:
この日記の続きを書きました。
よろしければ、以下の日記もお読み下さい。
魔法少女の系譜、その20(2014年05月21日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=25849368&id=1926829195
今回のレビューは、こん子にちなんで、化けキツネが登場する本を選びました。
『妖怪と怨霊の日本史』です。
本書は、妖怪や怨霊という視点から、日本史を読み解こうという試みです。それは、ある程度、成功していると思います(^^)
日本の代表的な妖怪として、化けキツネが、本書の要所要所に登場します。
よろしければ、以下のレビューもお読み下さい。
妖怪と怨霊の日本史
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=25849368&id=241164
ログインしてコメントを確認・投稿する