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2014年02月14日00:47

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映画【永遠のゼロ】を支持しません

巷で大人気の作品だが、結構いろいろあって観に行けないでいた。

やっと観に行った結果、得られた結論は、VFX以外見るものなしである。
感動できる場面もあったが、それ以上に、個人的に非常に不快な作品だった。

ひとつは、感動の押し売りを感じてしまった事だが、この手の手法は、多かれ少なかれありえるし、情感を揺さぶられる事も映画の醍醐味である以上、それほど問題とはしない。

問題は、このお話が抱えている、構造的な欠陥についてである。
これは、致命的といっていいし、主人公のひととなりや脚本の流れから導きだされるであろう結末として、あまりにお粗末だ。

以下、ややネタバレで書かざるを得ないので、未見の方はスルーされる事を願う。
なお、ワタクシは、原作を一切読んでおらず、予備知識なしの上、観たのは1回だけなので、ひょっとしたら、勘違いしている部分があるかもしれないが、大筋で間違っていないと思われる。

複数回鑑賞された方からの突っ込みや訂正は、大歓迎であるが、多分、ワタクシの根本的な考え方には、影響を与えないであろう。













結論から言うと、主人公が最後にとった行動と、物語の主題には、何の相関関係もない。
むしろ、彼のとった行動は、おおよそ、必然的とは言いがたく、極めてご都合主義的だ。
後付けされた脚本にそって踊らされているようにしかみえない。


なぜなら、彼は、その最後の行動を選択せずに、最後まで逃げ回った方が、彼の願いが成就される可能性が高いからだ。



本作の筋では、後世に自身の願いを伝えることで、自分の代わりに願いを叶えてもらうという事になっているが、それが、正しい選択であるためには、ある条件が必要だ。

それは、『思いを託した人物が、確実に生き残る事』 であるが、それは、そんなに高確率だったのだろうか?
自身が生き延びる事よりも確実な手段だったのだろうか?

中盤、燃料切れで海に不時着したパイロットが不慮の死を迎えてしまうエピソードがあるが、鹿屋を出発して沖縄方面に向かえば、多かれ少なかれ、同様の環境にある。
主人公が類い稀な感性で見抜いたエンジンの不調であるが、それが、どうして『途中で墜落せずに帰還可能』と判断できたのか?

また、運良く、その人物が帰還できたとしても、さらに、同様の作戦が継続される可能性だってあったはずだ。
パイロットが、どんどん減っている中での作戦遂行なのだから、作戦が続く限り、この人物は、死と隣り合わせだ。とても安心して頼れるモノじゃない。
本作では、主人公の参加した作戦が、一連の作戦の最後のステージだったと述懐されている。
しかし、その事は、後世の人間だけが知っている事であり、その当時の当事者達が確信を持ってこれが最後と断定できる状況ではなかったはずだし、そう断定できる当時のシーンや伏線は見当たらなかった。

少なくとも、劇中の作戦について、例えば、【資源弾薬つきて物理的に最後】くらいの描写がなければ、主人公は、安心して作戦遂行できなかったはずである。





あれ?
最後だと確信できてたら、なおさら、自分が生き延びる方を選ぶよね。




だから、このお話では、主人公が作戦に自ら参加するという動機は存在していなくて、仮に、動機があるならば、もうこれ以上、自分の身内が散っていくのをこの眼で見たくないという、感傷的な理由以外ないのだ。
あるいは、本当に、パイロットの数が減ってしまっていて、完全に最後、とか、【上から強要されて止むなく】でないと、彼が作戦に参加する意味は見いだせない。

自らすすんで手を挙げる論理的な根拠がないのである。

(訂正前:仮に作戦参加したとしても、ワタクシが主人公なら、攻撃機/爆撃機ではなく戦闘機に乗る方を選ぶ。)
※この箇所は、読み返すと少々判りづらいので、以下のように訂正する※

仮に作戦参加したとしても、ワタクシが主人公なら、「たとえ、終生、卑怯者のそしりを受けようとも攻撃担当機には乗らず、徹頭徹尾、護衛担当機に搭乗し続ける道を選ぶだろう。それが茨の道と判っていても、残してきた家族の安全には換え難い」。


最後だと確信できてたら、眼の前で仲間が散るのを見るのもこれっきりで、あとは、安心して生き延びられる。
(そういう腕の持ち主として描かれてるよね、トラウマは残るかもしれないけど…)



もう一度書く、主人公の特攻は、物語上、最も最悪の選択肢であり、その行動に脚本上の必然性が全くない。

まさしく【ゼロ】である。




<以下追記>
この脚本上で、最も足りないのは、主人公が自死を選択する明確な動機であり、それが、家族の安全を願う事だけなのでは、他人を頼るよりも、自ら生き延びる事の方がはるかに安全確実である。
逆に言えば、彼は、望まない死を受け入れざるをえない状況に追い込まれて、初めて、他者を頼る事を模索するだろう。

例えば、居丈高な上官から、
「攻撃参加を拒否すれば地上勤務を命じる」
とかいう、それこそ、彼のプライドを切り裂かれるような嫌がらせを受けるとか、

「これ以上の忌避行動は、命令違反と見なし、不名誉除隊の上、恩給取り上げ」
「見事、お国のために散ってみせたら、二階級特進のうえ、恩給は2倍」
「その方が、横浜の家族も助かるんじゃないのかね?」

等と、無理無理強要された挙げ句の果てでなければ、彼が、他者を頼る明確な動機付けにはならない。

言い換えれば、自身の信念を曲げた方が残された家族の為になる可能性が生じてこそ、彼は、自死を選択できるのだ。

もちろん、そうすることで、主人公は、家族を守れなくなる。
そうなってこそ、成功確率は低いだろうが、藁にもすがる思いで、奇跡を一縷の望みとして後進に願いを託すに至るのだ。

しかし、それでも、その策の安全性はちっとも担保されてはいないから、すっきりした顔で搭乗するというのは不自然であり、手紙の字にせよ、もっと、震えてぐちゃぐちゃになってるとか、そういう、切羽詰まった状況を感じさせる描写があって然るべきだと思うのだ。


ワタクシが監督の立場なら、上記のような上官とのやりとりをラストシーンの直前に主人公自身の回想として、フラッシュバックで挿入する。
その方が、望まない死を受け入れる事の理不尽が、より、強調されて、作品のトーンを引き締める事ができるだろう。

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