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2013年10月04日03:45

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『硫黄島に於ける戰沒者の遺骨』に就いて

 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

『Motion1(Mirror) &(Substance) 曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

映像は伊丹にある、

『柿衞文庫』

へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。





     『硫黄島に於ける戰沒者の遺骨』に就いて


 先日、電視臺(テレビ)で硫黄島(いわうたう)の戰沒者の遺骨の現状について報道されてゐた。
 店でそれを見てゐたら、

 「あの島を戰沒者の墓苑にしたら良いのに」

 と、常連の客のS氏が云ふので、それは良い提案(アイデア)だと思はず賛同してしまつた。
 「墓苑」といふのには引掛かつたが、あそこを戰沒者の追悼の場所にすれば、靖國神社への參拜問題も解消されるのではないかと考へたからである。
 けれども硫黄島については、映畫(えいぐわ)『硫黄島からの手紙』がアメリカ國防總省から東京都の特別許可によつて、その一部が島内で撮影されたといふぐらゐの知識しかなかつた。


 そこで調べて見ると、硫黄島の戰ひでの日本人戰沒者の遺骨が本土へ歸還したのは約八千柱で、一萬三千柱餘りの遺骨は地下に埋もれたままであるといふ。
 それに比べて、どのやうな事情があるかは不明だが、硫黄島で戰死した米軍兵の遺體の大半は、摺鉢山山麓を中心に墓地を造成し、それぞれの柩の上に十字架を立てて手厚く埋葬されてゐたが、現在は全てが米國本土へと歸還を果たしてゐるといふ。
 勿論、地下壕に籠つてゐた爲に埋れた儘で亡くなつた兵士の遺骨との比較はあるものの、この差は一體(いつたい)なんなのだらうかと思つてしまふ。


 ただ埋葬地の作業は、未だにその埋つてゐる數さへ解らない不發彈や、有毒な硫黄瓦斯の對處(たいしよ)に困難を強(し)ひられ、就中(なかんづく)人員の確保さへ思ふやうにならないといふから、已むを得ない部分があるのだらう事は容易に推察出來る。
 現在、海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれてゐるので、硫黄島へは慰霊や基地施設の工事などの例外を除けば一般民間人の上陸は禁止されてゐて、一部の舊(きう)島民が歸島を求めてゐるものの、政府はこの要望に應(おう)じてはゐないので島民の歸島は実現してゐないといふ事も解つた。


 さうして一九八五年の硫黄島の米軍上陸四十年目に、『名譽の再會』と呼ばれる行事が行はれ、硫黄島戦に參加した米軍が上陸した二ツ根濱で石碑が建てられて、和文が刻まれた山側と英文が刻まれた海岸側に參加者が別れて整列し、除幕と獻花の後にそれぞれが碑に向つて歩み寄つて握手と抱擁を交はしたといふ。
 かういふ慰靈祭が行はれるのはとても結構な事で、國防の戰略上の問題があるのだらうが、島民への返還はあつても良いのではないかと思つてしまふ。


 ところで先ほど、

 「墓苑といふ言葉に引掛かる」

 と書いたが、その理由は二つあつて、ひとつは筆者が公人の靖國神社への參拜を快く思つてはゐないからで、それならば硫黄島に公人や一般人が追悼できる、それに代るものがあつてもいいのではないかと考へたのである。
 御存知の方は、千鳥ケ淵に戰沒者のご遺骨を埋葬してある墓苑が、國によつて建設(一九五九年)されてゐるではないかと言はれるかも知れない。


 確かに、千鳥ケ淵ならば追悼するのに交通も便利だから、敢(あへ)て東京都區から南方におよそ一二〇〇粁(キロメエトル)に位置する硫黄島に、そのやうな戰沒者を慰靈追悼する爲の碑を造る意義はあるのかと思はれるかも知れないが、さうしてそれが實現可能なものであるのかどうかは解らないが、もしそれが可能であるならば、どんな所で兵士達が戰つて死んで行つたのかが解り、その苛酷さを體驗しながら死者の魂を弔ふのは有意義な事だらうと考へたからである。


 では、なぜ靖國參拜に賛成できないかといふと、神道といふ祭司ともいふ可き天皇を頂點とする日本古來から續く宗教と繋がるからで、日本國憲法の政教分離に反するからである。
 戰前の憲法は主権が天皇にあつたが、敗戰後の憲法では國民が主權となつてゐる。
 個人には信仰の自由があるから、そこのところの兼合ひが考慮されなければならないが、大體、國の爲に戰つて死んだら靖國神社に入つて神になつて英靈として祀(まつ)られるから、愛國心があるなら安心して死んで來るが良い、と言はれても納得出來るとは思へない。


 赤紙一枚で戰場に驅出され、戰死した後に靖國神社に合祀されて國會議員が參拜しようとした時、それは駄目だと言はれると、

 「國の爲になくなつた英霊を參拜する事の何處が惡いのか」

 と言はれて、靖國に來る事こそが國家に殉じた英靈を慰める唯一の方法であるかのやうにいふが、それではまるで「マツチポンプ」である。
 その前に戰爭を囘避して出兵をさせないやうにするのが政治家の役目ではないだらうか。
 國を愛するならば、そこの住民である國民も愛さなければならないだらう。
 どこに愛するものを死に追ひやりなどするものだらうか。


 抑々、靖國神社はその前身を東京招魂社といつて、大村益次郎の發案のもとに明治天皇の命により戊辰戰爭の戰死者を祀るために一八六九年(明治二年)に創建されたもので、他の神社に比べて歴史はそれほど古くはないのである。
 それが日本國を守護するために亡くなった戰沒者を慰靈追悼する爲の象徴(シンボル)となつてしまつたところに問題があるのである。


 人は神輿(みこし)があると擔(かつ)ぎ出さうとするものである。
 なければ擔ぎやうがない。
 南北朝が終り、戰國時代も終息する頃に織田信長が出現するまで、朝廷とは名ばかりで貧困に喘いでゐたと何かで讀んだ記憶がある。
 徳川幕府になつても實權(じつけん)は武家にあり、朝廷は明治政府を迎へるまでこんにちのやうに象徴的な儀式の役目しかなかつたのではないか。
 法の下に平等であるべき筈なのに、その神道といふ宗教施設の靖國に參拜に行くといふ事は、いづれその名の元にまたしても兵士として戰爭に行かなければならない破目に陥(おちい)りはしないかと危惧されないだらうか。
 狐が虎の威を借りるやうに、その虎のやうな抗ふ事の困難な絶對的な權力装置として機能が作動してしまひ、制禦出來ずに破滅の坂を辷り落ちてしまはないかと心配されるのである。


 それで思ひ出したが、福澤諭吉(1834-1901)の『學問のすすめ』の中に、

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

 といふ有名な一説があるが、これは總ての國民が平等であるといふ事を述べてゐる譯で、それはある意味で天皇でさへ國民と同じ立場であると言つてゐる事にはならないだらうか。
 この本が一八七二年(明治五年)に初編出版されたものである事を考へれば、この當時にこんな文章を書いて不敬罪に問はれなかつたのかと疑問に思つてしまふ。
 案の定、調べて見ると『學問のすすめ』への批判は罵詈雜言を極め、脅迫状も來て、友人の忠告もあり、殆んど身邊も危きほどの塲合があつたといふ。


 かういふ權力の制度(システム)は愼重に扱ふ可きで、個人の信教の自由を保障してゐるとは言へ、公人がそれを助長するやうな靖國へ參拜をするといふ行爲(かうゐ)は、自ら愼まねばならないのではないか。
 公人になるといふ事は、個人を犠牲にして國民の公僕足らんと決意しての出馬ではなかつたのか。
 さうであるならば、ある時は公人、ある時は私人といふ使ひ分けは諦めるしかなく、それが嫌ならば選挙に出なければ良いのではないか。
 それはさうだらう、議員の子供の結婚式にしたつて私的(プライベエト)な儀式にしたところが、交際の範圍の關係上決して一般市民のそれとは同一ではない筈である。


 その意味では、小泉前首相が首相當時に參拜するに當つて「虚心坦懐に熟慮」したと言つたが、それは人を目眩(めくら)ましにかける言葉でしかなく、憲法を犯す口實にしてはお粗末で、言葉に醉(よ)つてゐるとしか思へない。
 それが許されるのならば、「虚心坦懐に熟慮」した結果、銀行強盗をする事にしたといふ事さへ言へるのである。


 憲法問題やA級戰犯合祀問題を共に囘避する爲に、靖國神社ではなくアメリカのアアリントン國立墓地のやうに、

 「特定の宗教に據(よ)らない、公人や私人を問はない國民の總てが何人もわだかまりなく追悼出來る」

 とする無宗派の國立の追悼施設の設立が必要で、例へばアアリントン國立墓地の敷地内の複數の教會はすべて基督教だが、埋葬や慰靈また追悼の際には、基督教形式に限らずどの宗教形式でも、或いは無宗教の形式でも本人や遺族が自由に選擇出來るやうな、それに類する施設があつても良いのではないか。
 現在の千鳥ケ淵戰沒者墓苑は無名戰沒者を追悼する施設であり、全ての戰沒者を追悼する施設ではないので新たに建設する方法もあつてしかるべきではないか。


 さうして、「墓苑」といふ事の氣になつたもうひとつの理由もそこにあつて、鎭魂の爲の儀式といふものは普通に考へれば宗教的なものであらうが、硫黄島では「墓苑」といふのではなく、一切の宗教色を排した追悼の碑として、それも日本の戰沒者だけではなく、世界中の戰爭で亡くなつた全ての人の慰靈の場所として、更に全人類の平和を祈念する聖地として提供出来れば良いのではないかと思つたからである。
 勿論、如何なる宗教を個々の人が信仰してゐてその氣持でその碑に對して向合つても、他の人に強要しない限りは自由であるといふ事は附け加へておかなけらばならないだらう。
 信仰する人も無宗教の人も、共に參拜出來る場所としてあれば、こんなに好もしい事はないやうに思はれるのだが……。


     二〇一三年十月四日午前三時半自宅にて記す




政治家の擬裝(ぎさう)工作?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1916982311&owner_id=25109385


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