22年前のバレンタインデイは東京ドームに5万人が集まった。
ローリング・ストーンズ初の来日公演が行われた日だった。
前年アメリカ30都市でスティール・ホイールズ・ツアーを行い
350万人を動員(1公演平均6万人、当時ギネスブックにも掲載)し、
その勢いそのままに来日し、およそ50万人が目撃者となった。
90年2月14日公演初日 来日公演チケット販売告知
ローリング・ストーンズは1962年に結成されブライアン・ジョーンズ、
ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツ、
ビル・ワイマンが初期のメンバー。イギリス中のライブハウスで
ブルースやリズム&ブルースのカバーを演奏するバンドだった。
その後ビートルズに対抗するようカバーからオリジナル曲中心に変更、
サティスファクション、一人ぼっちの世界、黒くぬれ!が大ヒットし
ビートルズと共に世界のロックファンを二分した。
ライブはストーンズの得意分野だったがドラッグの常用が表面化
ミック、キース、ブライアンが逮捕。その後も幾度の逮捕歴があり
日本公演がなかなか実現しなかったのはこの逮捕歴の為だった。
69年ブライアンが解雇、後任にミック・テイラーが参加。
ブライアンが水死体で発見され7月5日ロンドン・ハイドパークで
25万人が集まり彼の死を追悼。同年12月6日全米ツアー終了後
カリフォルニア州オルタモントで30万人を動員したコンサートで
演奏中に殺人事件が発生。一躍スキャンダラスなバンドの代表となる。
71年ビートルズ解散後、自分たちのレーベルを設立。
世界一有名なベロマークはこのとき誕生しブラウン・シュガーが大ヒット。
72年メインストリートのならず者発売に伴い全米ツアーを敢行。
翌年日本公演が実現し武道館で5回の公演が決定!
チケットも完売し、初来日公演を待つはずだったが公演3週間前
日本政府はストーンズの来日を認めずコンサートはキャンセル。
日本公演は幻になってしまった。この年悲しみのアンジーが大ヒット。
74年ミックテイラーが脱退。75年ツアーはロッド・スチュワート
&フェイセズのギタリスト、ロニー・ウッドをサポートメンバーに
迎え全米ツアーを大成功させた。その後ロニーはストーンズ加入。
77年トロントでキースが大量のドラッグ所持で逮捕。懲役刑が予想
されたがミックが裁判で活躍し懲役刑を免れた。だが来日は絶望視!
78年ミス・ユー、(ロック初の12インチシングルも発売)アルバム
女たちが大ヒット。この時のツアーは昨年DVDと映画が公開。
81年アルバム刺青の男発表、シングル、スタート・ミー・アップが
大ヒット。全米ツアーに初のスポンサーを導入。麻薬のバンドから
健康的なバンドにイメージチェンジし全米ツアーは265万人動員。
このツアーは映画になり、初めて多くの日本人が動くストーンズの
映像を見ることができた。タイトル「ザ・ローリング・ストーンズ」
LET’S SPEND THE NIGHT TOGETHER
翌年82年ヨーロッパ公演を6年ぶりに行う。
この後、83年アンダーカバー、86年ダーティー・ワーク発表。
しかしツアーは行われず、年齢から来る限界説、解散説、不仲説が
流れミック、キースの対立が表面化。しかし89年グループとしての
活動を再開。7月にニューヨークのセントラルステーションで記者会見
が行われ全米ツアーが発表。8年ぶりの活動再開にファンは狂気し
アルバム、スティール・ホイールズが大ヒット。そして翌年初来日。
世界一有名なロックンロールバンドの最高峰が日本にやってきた。
私も海外でしか見たことが無く、キースが成田空港に来た時は
合成映像としか思えなくらいすごい事だったのです。
当時の新聞記事でストーンズの歴史を飾ってみました。
私も10公演全部見に行きました。いい思い出です。
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