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2011年05月09日14:54

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マチ★アソビvol.6(2日目) その2

○9:30〜 デジタルクリエーター養成講座「ニトロプラス10年の軌跡」(in あわぎんホール)

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講師はニトロプラス社長のでじたろう氏と副社長のどいよしなお氏。

大人気だったそうで、早朝からの受付にも関わらず、
150名(200名?)の定員が満員に。

お2人とも、本当に生き生きと楽しそうにお話されていました。

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でじたろう氏(以下・で)
「緊張しますね。(笑)
このたびは皆さんお集まりいただきまして、、、
噛み噛みですね。
お集まりいただきましてありがとうございます。
本日はufotableの近藤さんにこのような機会を与えていただいた事を
感謝したいと思います。

私はですね、でじたろう、本名は小坂崇氣なのですが、
オタクとして生まれ、オタクとして育ち、オタクとして社長をしている人間です。
昔は(オタクは)虐げられた存在でして
常にオタクの人たちが好きなコンテンツを知らしめたいという強い思いを持っています。」

どいよしなお氏(以下・ど)
「はじめまして、どいよしなおと申します。
いわゆる雑用ですね、会社の。
元メタボのガレージキットモデラーのオタクです。」


司会兼パワーポイント係は、広報のニトロくんさん。


で「ニトロくんは入社6年目で、ニトロプラスの歴史の半分くらいを知っている人間で、
最近は開発にも関わってもらっているマルチな広報です。」


ど「ニトロプラスを知っている方ー。」

(さすがにほとんどの参加者が挙手。)

ど「ニトロプラスのゲームをプレイしたことがある方ー。」

(やはり、多くの方が挙手。)

ど「じゃあ、『Steins;Gate』で初めて知った方ー。」

(1人だけ挙手。)

ど「『まどか☆マギカ』で初めて知った方ー。」(笑)

(数名手が挙がる。)

で「では、説明が簡単でいいですね。」


(ニトロプラス紹介VTRの上映)

で「10年もやってるといろんな作品があります。
今まで26作品ありまして、その映像をつなげたVTRでした。」


(ニトロプラス会社概要のスライド)

で「資本金は1000万円。(笑)
社員は現在38名で、虚淵玄は取締役です。


(マル秘事項)
年間売上:約6億円

売上構成比率
PCゲーム:45%
コンシューマーゲーム:20%
ライセンス:35%


ど「たぶん、『まどか☆マギカ』が大ヒットしたので、
ライセンスの部分が増えるのではと期待しています。(笑)
来年は税金が大変になりそうです。

これ、マル秘情報なのでTwitterには書かないようにしてください。(笑)」

で「調べれば分かることですけどね。(笑)

うちの特徴としては、ほとんどが社員ということです。
生活の事とか考えながら仕事するのはストレスが溜まるので、
できるだけ『居たい会社』にしようと思っていて。
クリエイターに優しい会社にしようとしています。」



(「ソニコミ」のムービー上映)

ど「本作からはキャラクターがぐりぐりと動くということで。」



ど「と、いうことで、今日のテーマです。
『ニトロプラス物語』ということで。」



『受け手から送り手へ 〜時は28年前に遡る〜』

で「ちょうど高校の時ですね。
僕らはある模型屋さんで知り合ったんですが。

当時14歳のとき、『ガンダム』を観ました。
『ガンダム』はエポックメイキングで
当時クラスで『ガンダム』を観ていたのは2人くらいでした。
それで、啓蒙活動をやってたんですが、それが映画化しまして、
2作目の『哀・戦士』が終わった頃に『ガンダムセンチュリー』が出まして、
スタジオぬえの方を中心に、当時慶應義塾大学で
今をときめく河森(正治)さんや美樹本(晴彦)さん、そして大野木(寛)さんといった人々が
偶然にも集まって『ガンダムセンチュリー』という本を作り上げたんです。
中を見ますと、本当に高度なSF考証が書いていまして、
それで、なるほど、と。
モビルスーツに手足がついているのは宇宙で効率よく向きを変えるためなんだな、と
目からウロコが落ちまして。」

ど「この話であと1時間くらい喋れます。」

で「1人の力というのは限られているんですよ。
中には新海誠さんのような例外もいますけど、
たとえば、宮武(一貴)さんだけではつくれない。
美樹本さん、河森さんがいて、初めてできる。

そして、また画期的なものを観てしまいまして、
『DAICON FILM』のSF大会のオープニングで、
これがまた画期的でしびれるようなアニメーションだったんですけど、
たまたま庵野(秀明)さんや赤井(孝美)さん、山賀(博之)さんといった人たちが
偶然大阪芸術大学で集まってできて、
個人的には羨望と嫉妬を覚えたんですよね。

自分一人の力は限られていて、
僕にはいったい、そういう運命的な出会いが、いつあるんだろう、と思って。

僕、○○高校の出身なんですが、なんでその高校を選んだかというと、
漫研があったから。
その頃はまだ同好会で、部員も女子ばかりだったんですが。

『マクロス』のヴァルキリーの紹介本を作って、
漫研の部誌としては日本で一番売れた本になりまして、
40人〜50人くらいに部員が増えたんですけど、
その中で運命の人を探そうと思ったんですけど、
いないんですよね。(笑)

遊び仲間は増えたんですけど、
僕と一緒に創作をやってくれる人は見つかりませんでした。

その後、運命的に土居と出会うんですよ。」

ど「運命的だったんだ。」


当時、2人で某有名SF映画の宇宙船のプラモデルを自主制作していたそうです。
でじたろうさんがモデルを作って、どいさんがパッケージを描いていた、と。


で「僕らはあまり、仲良しじゃなかったんですよ。
模型屋の店長がハブになって2人をつないでくれた、と。

当時、スタジオぬえにそれを送ったら、
『ちょっと遊びに来なさい。』と言われて、
アニメ業界に足を突っ込んで、ここからデビューする予定だったのですが、
『マクロス』やって『オーガス』やって『メガゾーン23』やってイケイケだったころ、
『ジ・アニメ』の編集部に入って、
その後『New type』の編集部に出向して1年間編集をしました。
その後、10ヶ月『アニメディア』で編集をして、
その後小学館に行ってくれと言われて『てれびくん』の編集をしました。
僕、特撮も大好きで、中の人もやってまして、
『バイオマン』の兵士役で映画に出たこともありました。
その知識が小学館の中で重宝されたんですけど、
でも僕はゼロを1にするという仕事がしたいと思って、編集をやめて、
当時ナムコさんやバンプレストさんのゲーム開発をやらせていただきました。」




『夜逃げからのスタート 〜ニトロプラス誕生秘話〜』

で「28の時、独立しました。」

ど「同じ年に僕も独立してたんですよ。
当時Macを使っている人が少なくて、Macを使ってるだけで
仕事を声かけてもらえる時代で。」

で「土居は今、Macを裏切りまして。」

ど「仕事上、Windowsじゃないと開発ができないので。」

で「僕は社長はやりたくなかったので、10歳くらい年上の営業マンがいて、
彼が社長をして、僕は取締役をしてたんですけど、
ある時、10億円くらいの取立てが来るようになって、
どうしたんだろうと思うと、社長がたくさん愛人をかこって使い込みをしていまして、
すごく負債を抱えていました。

もう時効だから言いますけど、夜逃げをしました。
それで土居の会社に世話になる形で夜中に引越しをしたんですけど、
ジョイまっくすは引越しが得意だったんですよ。(笑)

『引越しなら俺にまかせろ!!』と。

当時から、ジョイまっくすと虚淵はいまして。

それで、最初は子供向けの学習ソフトに企画書をつくりまして、
結構ヒットしました。
虚淵はそれのプログラムをやって、ジョイまっくすはデバックをしていました。

ある時、虚淵がですよ、
『もう子供向けのゲームは作りたくない。』と言い出しまして。(笑)

子どもを集めてデバックをやって
『つまんない。』とか言われるのがショックだったみたいで。

それで、会社も安定してきたので、
自分達がやりたいものを作っていこう、ということになって。

虚淵は映画好きなので、映画的なゲームになってきまして、
僕も一番好きなアニメは『伝説巨神イデオン』というくらいなので
心の傷を残すゲームを作りたい、ということになって。

当時スタッフに1人だけ美少女18禁ゲームが好きという人がいまして、
『今、美少女18禁ゲームが熱いです。』と言われて、
半信半疑だったんですけど、当時Leafさんの『痕』という作品がありまして、
殺伐とした、心に傷を残すようなゲームで、
あ、こういうのが美少女ゲーム業界で受け入れられているんだ、
こういうのを受け入れてもらえるお客さんがいる、ということで、
『Phantom』という企画をスタートさせました。」



『ニトロプラスはホワイトベース 〜素人集団によるゲーム開発〜』

で「虚淵は小説家志望で、角川のスニーカー大賞に応募したことがあると
履歴書に書いてあったので、
『小説書けるんだね、じゃあ、書いてみてよ。』と。
『アムロみたいにマニュアルを読めばできる。』と。


先ほどの子供向けゲ−ムの絵を担当していた矢野口君。
絵が描けるということで、美少女ゲームの絵が描けるのか、と思ったけど、
絵なら一緒、ということで、
『本見ながら描いてよ。』と。


なまにくATK。
当時ゲーム会社100社くらい落ちたという人で、
すごく社会性が無くて。(笑)
『これは落ちるな、と。』
でも、僕はそういう才能を見抜く力にたけていたので、こいつを鍛えていこう、と
採用して。」




『メーカー初挑戦 〜前途多難な流通探し〜』

ど「いろんな流通会社さんを訪問したですけど、
どの会社でも言われたのは、『こんなもの売れない。』と。(笑)
そして、『もっと巨乳を増やしなさい。』と。
そういうこと言われるとやる気なくすんですけど、と
別の会社を紹介してもらって。
でも、そこでも同じことを言われて。

でも、僕達はやりたいことをやりたいと思っていたので
思いを強く伝えてみて、受け入れてもらえまして。」




『手探りのプロモーション活動』

で「僕達は美少女ゲームユーザーじゃないので
美少女ゲームユーザーの気持ちが分からない。
それで、どうすれば僕達の気持ちが伝わるんだろう、と考えて、
思いついたのが、ガン雑誌。
美少女ゲームの記事が全く載っていない。(笑)」

ど「これを秋葉原のゲームショップさんにプロモーションして、
言われたのはやっぱり」

で・ど「『こんなの売れない』。」

そして、、、、



『やっぱり売れなかった・・・orz』(笑)

で「目標本数2万本。
発注はたったの2000本。
でも、翌週も2000本発注が来ました。
その翌週も2000本は発注が来て、
こんな売れ方をするのは珍しい、と。
当時ネットで啓蒙活動をしてくださったみたいで、
その年のうちに1万本近く売っていただきました。」




『ニトロプラス第2作 初めての主題歌は紅白歌手』

で「おそらく業界では初めてだったと思うんですけど、
ゲームの発売前に主題歌をシングルカットしました。


(ニトロプラス第2作:吸血殲鬼ヴェドゴニア
主題歌:紅白歌手・小野正利)

バイクはSUZUKIのバイクです。(笑)
やっぱり『仮面ライダー』と言えばSUZUKIです。
最近はHONDAですが。」





『ニトロプラス=虚淵 からの脱却』

で「3作、4作と虚淵作品で続けちゃうと
虚淵以外の作品を作った時に文句を言われるんじゃないかと思いました。
新しい企画としてロボットものと魔法少女ものの企画を立ち上げました。

企画が一向に進まないうちに、
虚淵が業を煮やしまして、『俺に書かせろ。』と。(笑)




『前例がない、選択肢のないゲーム 鬼哭街』

で「虚淵は、
『主人公はこういう性格と決まってるんだから、選択肢は決まってるじゃないか。』と。
『「銃を撃つ/撃たない」 → 「撃つ」に決まってるじゃないか。』と。(笑)

でも、選択肢をなくしたら、もはやゲームではないのではないか、と思ったけど
一度実験でやってみよう、となって。」




『ニトロプラス=虚淵 からの脱却 (その2)』(笑)

で「また虚淵作品が3作続いてしまって、
魔法少女ものを作ってたんだけど、全然面白くならなくて、
いつの間にかハードSFになっていって、
できたのが『“Hello,world.”』。
残念ながら売り上げ的には『Phantom』を越えられませんでした。」
(※作品としては一生懸命作ったので思い入れがある、とお話されていました。)




『亡霊(ファントム)の呪縛』

で「当時、ネットで『ニトロプラスって「Phantom」だけだよね。』とか言われてて、
『斬魔大聖デモンベイン』はスタッフが
なんとか『Phantom』の呪縛から抜け出したいと全力投球した作品でした。

結局『Phantom』の呪縛を解き放ったのは虚淵だった。(笑)

スタッフが全力投球して作って、
おかげさまで『Phantom』を越えるヒットにつながった、と。」




『ニトロプラスの新たな試み』
・発売前にメディアミックスを仕込む。
・アニメ化とPS2ゲーム展開を戦略的に。




『ニトロプラスの方向性の模索期』

で「僕の中で、『デモンベイン』でニトロプラスの目標を達成してしまった感があって、
次の方向性の目標として、クリエイターの個性を活かした作品を作っていきました。」

2003年 沙耶の唄
2005年 天使ノ二挺拳銃
2005年 塵骸魔京
2005年 刃鳴散らす
2006年 機神飛翔デモンベイン
2007年 月光のカルネヴァーレ



『ニトロプラスキラル誕生』 

2005年 咎狗の血
2006年 Lamento−BEYOND THE VOID−
2008年 Sweet pool




『「デモンベイン」に続くヒット作の模索』

で「やっぱり『デモンベイン』が亡霊だったんです。」


『新たなる目標 他メディアへの足がかり』

で「GONZOさんから、ニトロプラスさんの企画でなにか作品を作っていきたいと
声をかけていただいて、できたのが『ブラスレイター』でした。

で、次が『Fate/Zero』ですね。
TYPE―MOONさんの言わずと知れた『Fate/stay night』の外伝を
うちの虚淵が執筆させていただきました。
『Fate/stay night』の外伝を他社に書かせてくださるというのは
TYPE−MOONさんは度量の広い会社だったと。
虚淵も全身全霊で書かせていただき、ヒットすることができました。



「『Phantom』のテレビアニメ化」



「魔法少女まどか☆マギカ」

で「最初にお話をいただいたのは2008年ですね。
アニプレックスの岩上敦宏さんから
『「Fate/Zero」を読みました。
虚淵さんの執筆力で魔法少女ものをやりたい。』と。

で、最初は戸惑いました。
え、虚淵でいいんですか、と。
この蒼樹うめ先生の描いたかわいい娘がどんなことになってしまうのか、と。(笑)」



「続・殺戮のジャンゴ −地獄の賞金首―」

で「これがまた虚淵バリバリのいったい誰得なんだ、という作品で。(笑)
虚淵の4年ぶりのゲームで、
なかなか書いてくれなかったのですが、やっと書いてくれました。」




『科学ゲームシリーズの誕生』

「CHAOS;HEAD」

で「志倉千代丸さんが『ぜひニトロプラスで。』と言ってくださって。」

ど「志倉さんのプレゼンが7時間続いたんですよ。(笑)」



「Steins;Gate」

で「『Steins;Gate』については、
下倉バイオが企画の段階から参加して、脚本も書かせていただいたので
思い入れも強い作品です。」




『新たな社内制作体制によるイノベ−ション』

2008年 スマガ
2009年 装甲悪鬼村正
2010年 アザナエル




『ニトロプラスの強み』

「なぜ美少女アドベンチャーゲームなのか?」
・レーティングに囚われない表現手段が取れる。
・グラフィック・シナリオ・サウンド・ボイス・ムービーと多様な表現による演出
・マンガや小説よりも動的でアニメにはないインタラクティブ性
・アニメやコンシューマーゲームに比べ制作コストが安い


「PCアドベンチャーゲーム以外への積極的展開を図ることによるクリエーター育成」

「自己資金、自社制作によるライセンスの確保」

「作品の定番化戦略」

で「『Phantom』を作った時から、
10年後『Phantom』が残っているように作ろうよ、と思って
作っていました。」




『ニトロプラス 今後の目標』
・PC美少女アドベンチャーゲームのリリースを継続
・一般レーティングへのコンシューマー展開
・モバイル機器への配信
・アニメ・コミック・ノベルへの展開



『フィールドにこだわらないユニークな作品制作』
・アドベンチャー以外の3D技術を使ったゲーム
・ネットゲーム
・アニメーション
・海外展開
・ショールーム



『目標の先にあるもの 1/1ガンダムの感動』

で「ぜひ見たほうがいいと思います。
お台場で見たんですが、海と森を背に、だんだんガンダムが見えてくるんですが
本当に感動なんですよ。
あんなことが起こるとは、30年前には想像できなかった。
そして感動した。

ディズニーランドは自分達の世界観を1つの箱庭の中に表現している。
それをリアルに体現していく。

こういった感動を与えていきたいな、と。
650万円使って2メートルのデモンベインを作ったんですけど、
お客さんもみな感動してくださって、
これは650万安いな、と。
デモンベインの1/1を作るのはガンダムより難しいですが
いつか実現できたら、と。」



『目標実現のためのキーワード』


「作品愛」

で「作品に思い入れを持つ一番の方法は、
その作品の開発に関わることです。
うちの会社はラインがないんです。
最後の数ヶ月はほぼ全員が関わります。」


「挑戦」

で「挑戦ってすごく楽しいんです。
挑戦って、初めてのことなので
守りにあまり入らないようにしよう、と。」


「心を震わすエンターテイメント」

で「作品として楽しむということ。
先ほども言いましたけど、『イデオン』大好きなんです。
心に響くし、心に傷が残るんですよ。
10代の頃だからこそ傷が残る作品というもの。
そういう心に傷を残す作品を作っていきたいと思います。」


「そして・・・絆(きずな)」

で「アニメーション作品の最後のテロップを見ると、
本当にたくさんの方が関わられています。
『科学ノベルシリーズ』が成功したのは
絆というものを大切にしていきたいと考えていた結果かな、と思います。
ニトロプラスはイメージとしては
硬派で敷居が高いように思われているかもしれませんが、
スタッフは全然そんなことなくて、全然ウェルカムなので
どんどん企画を持ち込んでほしいな、と思います。」



↓GIGAZINEさんによる写真つきのきちんとしたレポ
http://gigazine.net/news/20110505_nitroplus_machiasobi6/









○12:00〜 ufotable新コンテンツ発表会(in 東新町アーケード)

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東新町アーケードで
近藤光ufotable社長、飯泉嘉門徳島県知事、原秀樹徳島市長の三者による
重大発表が行われる、ということで、会場の守住ビル前に移動。

街中のアーケードで、県知事や市長を招いて新コンテンツの発表会を行うなんてすごい!!

時間になり、司会進行の「みのりスクランブル!」メインキャスト
阿久津加菜さん、五十嵐裕美さん、高井舞香さんの3人が登場。
そして、近藤社長、飯泉知事、原市長と「守住ビル」のオーナー守住九一氏が登場。


近藤光社長(以下・近)
「重大発表。
もう、めちゃめちゃネタバレですよね。(笑)
ビルのオーナーの守住氏、そして県知事、市長のご厚意もあって
ここに映画館を作ることになりました。

昔の活気を取り戻す、ではないけど、
新しい東新町をつくるにはどうすればいいか、と。」

飯泉嘉門徳島県知事(以下・飯)
「こうして、近藤さんにここに戻っていただいて、
我々もアニメ世代なので、もっと言えばアニメ世代のハシリなので。
アニメはサブカルチャーと言われていますが、
ここにいる人誰もサブカルチャーと思ってないでしょう。
日本のメインカルチャーですよね。
ここから世界に発信する映画祭ができれば、と思います。」

原秀樹徳島市長(以下・原)
「阿波おどり以外でこんなに東新町に人が集まるというのは
ないんじゃないでしょうか。
徳島市は、県庁所在地で唯一映画館がない市なんですよね。
映画館を作るというのは徳島市の悲願でした。」

守住ビルオーナーの守住九一氏(以下・守)
「高齢化社会を迎えていますので、私も御年70歳を迎えております。
お年寄りも楽しめるように、ということで
午前中は普通の映画館に、ということで近藤さんにお願いした次第です。」
(午後はアニメ作品の上映が中心になる予定とのこと?)


そして、ここでスペシャルゲスト登場!!

近「ロシアからチェブラーシカさんが来てくださいました。」

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飯「新しい文化を発信するのは、これまでは東京だった。
それがこれからは徳島になっていく。
これからはそういう時代でしょう。」

近「初音ミクと県知事が一緒に写っている写真を私は何度見たことか。」

原「私はアニメは知事ほど精通してないので、
こんなに人が集まるとはびっくりしていますが、
これからは徳島と言えば阿波おどりとアニメがある、という町にしていきたいです。」

近「さっき世界と言いましたけど、
もうロシアからチェブラーシカが来ているじゃないですか。(笑)

僕もチェブラーシカみたいなのを作っていきたいんです。
ちょっとした嫉妬なんですよ。
みんなチェブラーシカが出てきて喜ぶじゃないですか。」


飯「アニメというのはいつも東京からばっかりじゃないですか。
それを徳島から発信していきたい。
これからはアニメを通じて、世界の中の徳島にしていきたい。
いよいよ徳島空港が『徳島国際空港』になっていく。
今まで映像でしか見たことがないような人がどんどん徳島に世界から乗り込んでくる。
そういう時代がもう、そう遠くないです。」

近「本当に奇跡なんです。
嘉門さんがいて、市長がいて、守住さんがいて、
たまたまそこにufotableがあって、
僕だけではできなかったし。」

飯「まずは徳島から日本は元気なんだぞ、というのを
世界に発信していければ。
アニメを起爆剤にしていければ、と強く思います。」

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お4方、それぞれ立場は違えど、
思う存分自由に大きな夢を語られていた、という感想を受けました。

本当に、この時代の徳島にこの知事と市長がいて、
そこにufotableがあって、
「マチ★アソビ」がイベントが成功して、
徳島がアニメを通じてどんどん盛り上がっている。
これは本当にすごい事だと思います。



↓GIGAZINEさんによる写真つきのきちんとしたレポ
http://gigazine.net/news/20110504_ufotable_cinema_machiasobi6/


↓風船匠じょにぃさんin東新町アーケード
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(つづく)
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