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2009年12月16日20:20

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桜色の時代(2−1) 1995−「もっと!ときめきメモリアル」の頃(前編)

○【ラジオ】「もっと!ときめきメモリアル」(95年4月15日〜96年3月30日放送 文化放送)

このラジオについての私の想いは、今年の3月24日(桜さんのお誕生日)の日記で
全て書きつくしたと思います。

でも、「私と桜さん」について書く上で、「一番大事なところ」なので、
その時の日記をコピペさせていただきます。

「前に読んだ。」という方は、スルーして「後編」へ進んでください。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1991年・春。
私の中学校生活は、親の転勤により、全く新しい土地でスタートしました。

軍隊のような厳しく規則正しい小学校を卒業した私にとって
いわゆるヤンキー中学でのカオスな日々は全くの異文化社会。
環境も方言も違う異境の地で、私は学校に馴染むことができず、
さらに1年生のはじめに、とあるきっかけからクラス全員からシカトされるようになり、
結局そのまま中学3年間は、毎日登校して、1日中机に座って、帰るだけの日々。
完全に自分の殻に閉じこもり、誰も信じられない、周りの全員が悪人に思えていた、
そんな中学時代。



1994年・春。
再び、親の転勤により、高校入学と同時に関西へ移住。
こちらでは少ないながらも友達はできたし、ささやかながらもクラブ活動もやったりして
中学時代よりはアクティブな生活だったと思うけど、
基本的には、中学時代の暗黒の思い出を引きずったままでした。





話は急に変わって、
PCエンジンソフト「ときめきメモリアル」が発売されたのは、この年の5月27日でした。
元祖PCエンジン版は、発売当初はたいして話題にはならなかったものの、
クチコミによって評判が広がり、やがて社会現象になっていきました。

私も、高校2年生の時、発売から1年以上経つにもかかわらず、
PCエンジン専門誌で毎号特集が組まれている状況を見て、
「ときメモ」がやりたくてやりたくてたまらなくなりました。

しかし、当時「ときメモ」は超入手困難で、中古ショップを数十軒探しても、
全く手に入らない状態。
「ときメモ」への思いが膨らむ中、
そういえば、「ときメモ」のラジオが放送されていたことを思い出し、
火曜日の22時、雑音激しい東海ラジオにチューニングしました。
1995年7月、ラジオ「もっと!ときめきメモリアル」との出会いでした。

そして、この番組のパーソナリティが、丹下桜さんでした。

丹下桜さんのことは、「ママレード・ボーイ」の佐久間すず役などで、
以前からそれなりに注目はしていましたが
「ときメモ」とは何の関係もない丹下桜さんが番組のパーソナリティを担当していることは
最初はやや違和感もありました。
しかし、最初は「ときメモ」のラジオドラマが目当てで聴き始めたラジオですが、
次第に桜さんのトークにも魅かれてかれていきました。
リスナーからの真剣なお便りに対し、どこまでも親身になってその想いを受け止め、
でも、自分の意見を押し付けたりはしない。
そして、社会道徳的にいけないことには、八方美人にならずにはっきりと注意もする。

そんな、あまりにも優しくてピュアなトークに、
少しずつ、私の凍てついた心は溶けていきました

そして、番組放送開始から半年。
1年間の放送の折り返し地点となった回で、
それまで一貫してリスナーのお便りに対して聴き手に徹していた桜さんが、
初めてリスナーへの想いを語ってくれました。
もう、随分昔のことで、録音もしていなかったため、詳細は覚えていませんが、
その伝わってくる想いの大きさに身が震えた記憶と、
静かな「大好き、、、。」というメッセージは鮮烈に印象に残っています。

そんな桜さんのトークを毎週、寒空の下ベランダに出て聴いていた
「もっと!ときめきメモリアル」。
番組を通じて、桜さんからも全国のリスナーからもいろいろな気持ちを教えられました。
人を想う気持ちの強さや優しさ。
そして、世の中にはこんなあたたかい気持ちを持った人たちがたくさんいるということ。
それは、「当たり前のこと」と思うかもしれません。
しかし、私にとっては、中学校入学以来5年間、無くしていた「事実」でした。

そして、いよいよ迎えた最終回。
桜さん、最初は、溢れる想いを抑えようと、必死でハイテンションを装っていたのですが
途中で、ついに我慢できなくなって、号泣してしましまいました。

(以下、最終回のトークより抜粋。)

「これは、私個人、桜個人の思いなんですけど、
辛いこととか、苦しいこと、悲しいことってね、望まなくてもやって来るの。
そんな時でもね、、、気持ちが元気なら、
あと、、、自分と一緒に、一緒になって頑張ってくれるって人がいるんだったら、
私、大丈夫なの。
状況が変わってくれるから。
でもね、気持ち、、、気持ちが、自分の気持ちが元気でないと、
本当に辛いこととか悲しいことにつぶされちゃいます。
あのね、本当にガガーンとかって落ち込んだ時にね、
自分のこと嫌いになりそうになっちゃいました。
でも、私のまわりにいてくれる大事な人、大切な人とか、あとリスナーのみんながね、
私のいいところを見つけてくれた。
探してくれた。
だから、、、今、私、こんなんだ、、、なんですけど、私今元気なのよ、本当に。
平気なの。
大丈夫なの。
人の気持ちってすっごいの、本当に。
、、、強いの。
すごい今、それだけで生きてる気がする。
、、、ごめんね、、、みんながね、私がずるずるしちゃうとね、すごく心配かけちゃうから、
ぜったいぜったい、もう泣くもんか、今だって、、、泣いてないぞ、笑ってるもん、だって。
だから、私が本当に、今もこの瞬間感じてるそのままの想いを
私の言葉でみんなに伝えたかった。
感じてほしかった。
、、、本当に、全てがきれいごとで片付けられるとは思わない。
嫌なこととか、嫌いな自分って避けられない。
これはどうしようもないこと。
だけどね、一週間の中のこの30分、この時間だけは、
辛いこともある、辛いこともあるけど。でも、信じられることだってある。
がんばろう、、、いつだってゼロから始められるって、そう思っていた。
だからね、みんなの毎日の中にも、
私が、、、感じてきたようなものを、、、感じてもらえたら、、、いいなぁっと。
みんなもドキドキしてワクワクして、キラキラしてほしい。
そういうのをみんなの生活の中でみつけてもらえればいいかなーって思ってた。
あとね、前にも言ったことあるんだけどね、
ある人が「桜さんはリスナーの人を大切にしていますね。」って言ってくれたのね。
すごく嬉しかったのと同時に、リスナーの人とかまわりの人がね、
私を大切にしてくれてるの、てね。
スタッフがね、私途中でボロボロになりそうだったけど、みんなで見守ってくれてるの。
本当にありがとうございます。
本当に大事にされてるの。
大切にって思ってくれてるの。
だから、私も大切にしたい、守っていきたいと思った。
嬉しかった。
本当に本当に、支えてくれて、守ってくれて、本当にありがとうございます、本当に。
そしてみんな、たくさん応援してくれて、本当にありがとう。

いっぱいいっぱいもらった声の中から、一枚ご紹介します。
『桜さんこんばんは。
この番組は本当にいろんなことを教えてくれました。
(中略)
ゲーム中で詩織ちゃんが言っているように、出会いがあれば別れもあります。
だけど、僕たちリスナーのみんなと桜さんやドラマのみんなは、
ラジオで言う伝説の樹の下で出会ったんですよね。
だからみんな、forever with you。』」

※この日記を書くために当時の録音テープを聴き返したけど、
番組冒頭の一言目で、もう涙がこぼれましたよ!!





この番組と桜さんに出会って、私は変わりました。
少しずつ、積極的に人に話しかけるようになっていったし、
他人を、自分を、好きになることが、少しずつできるようになりました。

絶望と無気力から始まった高校生活でしたが、
一人の声優さんとの出会いが私の瞳に映る世界を大きく変えました。



これは、私が高校の卒業式の時に、
CD「月刊ときめきメモリアル」内の桜さんのラジオトークコーナーに
投稿したハガキの文章です。

「桜さん、こんばんは。
この間、うちの高校の卒業式が行われ、僕も無事高校を卒業することができました。
卒業式は大変気持ちのいいもので、友人たちをはじめ、
先生方や両親にも素直に感謝の気持ちを感じることができました。
でも、こういう気持ちには「ときメモ」や桜さんに出会わなければ、
なることができなかったと思います。
この番組で桜さんやリスナーの素直な気持ちに触れて、
僕自身も素直な気持ちを持つことができたから。
やっぱり僕にとって高校3年間で一番大きな出来事といえば、
2年の夏にこの「ときメモ」に出会ったことだったと思います。
(中略)
高校は出たけど、もちろん「ときメモ」は聴き続けていきます。
これからもよろしく!!」




丹下桜さんとの出会いは、自分の人生の中の大きなターニングポイントでした。
その後、桜さんは、いろいろあったらしく、声優の世界を去られ、
今は新たなフィールドで活動されています。
私自身も、その後、何度も挫折したり、世の中とのギャップに苦しんだり、
自分を見失ったりしました。

だけど、あの時代に感じた気持ちは、自分の心の中の大切な場所に、今も生きています。

丹下桜さんは今でも、私が一番好きな声優さんです。
基本的に声優さんはリスペクトの対象だと思っている私は、
声優さんをニックネームで呼んだり、下の名前で呼んだりはしません。
だけど、ただひとり、丹下桜さんだけは、「桜さん」と呼ばせていただいています。
そう呼びたい、特別な方なんです。



本日、3月24日は丹下桜さんのお誕生日です。
ラジオで初めて出会った時は22歳の年上のお姉さんだった桜さん。
今では、当時の桜さんよりも私のほうがずっと年上になってしまいました。
でも、永遠に桜さんは、私たちのお姉さんです。

お誕生日、本当におめでとうございます。

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