日本中に降りられた全ての『毘沙門天』を愛するコミュです。
日本以外の広い地域(中央アジア全域、中国など)でも、独尊として信仰されている「毘沙門天」でありますので、様々な宗派や流派などの壁を超えて「毘沙門天」を思う気持ちはただ1つ…という事で、古今東西全のて幅広い情報交換場になればと思い、このコミュを作成いたしました。
そこで「毘沙門天」を
信仰されている方
御縁を感じている方
純粋に好きな方
興味のある方
近所に毘沙門天が…の方など、
どうぞお気軽にご参加ください。
また、トピの方も「毘沙門天」に関する事であれば、どうぞご自由にお立て下さい。
毘沙門天とは?
『毘沙門天(びしゃもんてん)』とは、梵名でサンスクリット語である『ヴァイシュラヴァナ』の音写であり、「全ての事を聞く知恵者」を意味する事から、別名を『多聞天(たもんてん)』とも呼ばれる。
古代インド神話の財宝神『クベーラ神』が、モデルとされており、仏教に帰依し「毘沙門天」となった。
仏法と仏教徒を護る『十二天』、および帝釈天に仕え須弥山の四方を守護する『四天王』に数えられ、須弥山第4層の北面で「夜叉」や「羅刹」などの魔神軍団を率いて「北倶廬洲(ほっくるしゅう)」を守っている。別名「天敬城」とも呼ばれる、蓮の花の香りに満ちた絢爛豪華な御殿に住み、「吉祥天」を妻(もしくは妹)に持つ。
毘沙門天のお姿
日本では、右手に「宝塔」、左手に「宝棒」もしくは「三叉戟」を持ち、邪鬼を踏みつけ、鎧を着込んだ武将姿であるのが一般的であり、軍神・武神としてのイメージが強いのだが、戦乱の世に「聖徳太子・楠木正成・武田信玄・上杉謙信」らの有力たる武将達が、必勝を祈願し自らの守護神として毘沙門天を崇めていた事が後世に影響しているのだが、庶民の間では福の神「七福神」として広く信仰されている。
中国では、右手に傘、左手に鼠(マングース)を持った姿で表されている。これは、唐の玄宗皇帝治世の時代に西域の安西都護府が敵軍に攻められ、包囲された際に、玄宗皇帝に依頼された名僧・不空三蔵が祈りをささげると、毘沙門天とともに金色の鼠があらわれ、敵軍の弓の弦を噛み切って退散させたことにより、鼠が毘沙門天の使者とされたからだという。このことにより、毘沙門天が北(子)の方位を守っているとされた。
日本三毘沙門
朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)
聖徳太子が物部守屋討伐の必勝祈願を行った場所(現・信貴山奥之院)で、「寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻」に毘沙門天が現れ、討伐の「二秘法」を授けた事により、見事に討ち果たしたことから「最も貴ふすべき山」とされ、「信貴山」が建立されたと伝わる。
鞍馬寺(京都府京都市左京区)
京都の北方を守護する為に、東寺を建立した藤原伊勢人(いせんど)、もしくは鑑真の弟子・鑑禎(がんてい)が毘沙門天と千手観音を安置したのがはじまりとされている。
残り一つには諸説あり
大岩山多聞院最勝寺(栃木県足利市)
聖武天皇の命で行基が開いたとされ、樹齢600年の「毘沙門天の杉」がある。
蓮勝寺(神奈川県横浜市)
運慶の作と伝わる毘沙門天像があり、横浜七福神のひとつとされる。
妙福寺(愛知県碧南市)
本尊は阿弥陀如来だが、聖徳太子作と伝わる毘沙門天像があり、三河七福神のひとつで「志貴の毘沙門天」ともいわれる。
本山寺(大阪府高槻市)
修験道の開祖「役小角」が開いたと言われ、本尊「毘沙門天像」も役小角の作とされる。
東寺(京都府京都市)
東寺の本尊は「薬師如来」だが、毘沙門堂に毘沙門天が祀られており、京都の七福神めぐり(都七福神)の1つ。
成島三熊野神社(岩手県花巻市)
旧称「成島寺」。神社内にある毘沙門堂には、高さ4.73mの日本最大毘沙門天像「木造兜跋毘沙門天立像」が安置されている。
その他数多く…。