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ルーマニア人の彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシ(1876年〜1957年)
ブランクーシは、今世紀もっとも重要で独創的な彫刻家と世界で広く認められている。
ブランクーシの芸術は、形態の創意、素材への挑戦、強靭な美のあらわれであり、自己鍛錬的で、瞑想的であり、表現性に富んでいる超然性、深遠な知的能力によって達成されている。
このコミュニティでは彫刻家の一面と、またプラトンのギリシャ哲学から影響されていたブランクーシの思想家の面での「言葉」を紹介していきたい
●ブランクーシの言葉●
「単純さは、芸術の目的ではない。しかし、事物のリアルな感覚に接近してゆくと、知らず知らずに単純さに到達するのである。単純さは、その底に複雑を秘め、その意義を理解するためには、その本質によって人は成長しなくてはならない。」
「美は、絶対的なバランスである。」
「リアルなものは、外側の形態ではなく、事物の本質のほうである。この真実から出発するとき、外面を模倣することによって本質的にリアルなものを表現することはいかなる人にも不可能である。」
「『彫刻は、触ってみたくなるものでなければならない』と[ブランクーシは]言う。『上手くできているだけではなく、一緒に親しく暮らせるものでなければならない………ミケランジェロのモーゼと一緒に暮らすなんて途方もないことだ。例え彼の力を認め、驚嘆しているにしても!! 我々は、その存在をまるで原子のように感じるのではなく、生命の奇跡に反応し、共鳴すべきなのである。人が生きていることを享受し、身の回りの美をみたり、発見したりすることができると言う特権ほどすばらしいものがあるだろうか!」
「彼に言わせるならば、それは、『すべての形態を一つの形態にまとめようとする気違いじみた難問』を解決しようと言う試みなのである。…………『男や女の体を見てごらん。それは愛すべきものではないだろうか。でも、それをコピーしようと言うのはばかげたものだ。芸術家は、自分で何か美しいものを創造したほうがましなのではないだろうか』」
「制作そのものではなく、制作する状態に自分を保つことのほうが難しいものです」
「私は、純粋とか抽象とか呼ばれる形態を作ろうとしたことはありません。純粋さ、単純さは、決して念頭にないのです。事物のリアルな感覚に到達するころが、唯一の目標なのです。」
「もはや子供でなくなったとしたら、すでに死んでいるのです」
「理論は価値のない見本であり、行動のみが重要なのです。」
「芸術は、突然、一気に、生の衝撃、息詰まる興奮を与えなければなりません」
「呼吸するように創造することができたならば、それは、真の幸福でしょう。そこに到達しなければなりません。」
「私の一生は、奇跡の連続でした」
「理解できるまで彫刻をじっとみつづけなさい。彫刻を理解したものは、神の間近にいるのです。」
「大衆の無意識の芸術(私たちが民俗芸術とよんでいるもの)やあちこちで少数の個人が成し遂げたものをのぞくと、諸芸術はそれだけで存在してきたことはなかったのです。それらは、いつでも、宗教の添え物(あるいは、付属品)だったのです。宗教を一つ一つみるたびに、きわめて美しいもがつくられ、そのあとに退廃が続くのを、私たちは、目の当たりにしてきたのです。
こうした宗教の産物を普遍的な芸術とみなすことはできません。水は、いつでも水なのです。とはいえ、そのたびに、アルカリ性であったり、鉄分や硫黄分を含んでいたりして、質は異なっています。私たちは、誰もが飲むことのできる純粋な水の水源を探さなければなりません。 芸術は、生まれようとしているのです。ひとたび、宗教や哲学から解放されれば、芸術は、世界を救済しうる唯一のものなのです。芸術は、難破のあとに、人を救う厚板なのです…。」
皆さんも是非とも考える機会を持ってみてください
良い言葉ばかりです★