巷にゆけばわがこころ
千の矢もて刺さる
その矢、心に痛ければ
われはいつもあこがれけり
去りゆかむ去りゆかむと
いずこへか?
ルソーがえがく月明の原始林を
そが無人の平和の木の間を
遠く! 遠く!
われとわが影を見失うところへまで
(高群逸枝『火の国の女の日記』より)
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高群逸枝(たかむれいつえ)は明治27年(1894)、熊本県下益城郡豊川村南豊崎(現在の松橋町)に生まれる。若い頃より詩人として活躍し、九州新聞などで短歌や詩を発表する。大正7年(1918)逸枝24歳、恋愛問題に悩んだ末、半年かけて四国遍路を行う。その時の遍路ルポ『娘巡礼記』が熊本の九州日日新聞に連載される。師範学校を卒業後、大正9年(1920)上京し『日月の上に』『放浪者の歌』などの詩集を刊行して文壇にデビューする。結婚をしたが産児を脳しんとうで失う。その後、アナーキズムと出会い、アメリカやヨーロッパの哲学書に深い感銘を受け、平塚らいてうと共に無産婦人芸術連盟を結成し、婦人問題や運動に情熱を注ぐ。昭和6年(1931)逸枝36歳、世田谷の林に囲まれた白い洋館「森の家」にこもり、女性史研究に没頭する。33年に及ぶ門外不出、面会謝絶により『母系制の研究』『招婿婚の研究』などを発表する。「女性史学」という新しい分野を切り開いた。
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面会謝絶門外不出!!!!!
…というわけで「友達なんていらない!」と思っている方、
お友達になりましょう。
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わたしゃ野生の一本野菊
雨のふる日も風吹く夜も
泥にまみれて立ち上がり
愚痴をいわずにきたのです
花はしぼんですがれてしまい
やがて散る日となりました
けれど私のぐるりには
おなじ土から咲いて出た
若い多くの花もある
せめて私の身の上ばなし
なにかのためになるならと
それがこの身にのこされた
いまは最後の希望なの
そうよ最後のねがいなの
(高群逸枝『火の国の女の日記』より)
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