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Federico García Lorca

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詳細 2022年3月8日 11:30更新

フェデリコ・ガルシア・ロルカ Federico García Lorca
(1898〜1936)

現代スペインを代表する詩人・戯曲家の一人。27年世代generación del 27の中核として活躍した。

1898年6月5日にスペインのフエンテ・バケロス県で生まれる。父親は地主で母親は小学校の教師であった。母親から文学の楽しさを学んだフェデリコは、幼い頃から歌唱の才能にも恵まれていたといわれている。また彼の育ったグラナダの民謡や風土は、後の彼の文学作品に大きな影響を与えた。更にガルシア=ロルカの青春時代は丁度98年世代の作家達が活躍していた時期でもあり、彼はロペ・デ・ベガやアントニオ・マチャード、ラモン・デル・バジェ=インクランなど多くの作家の影響を受けた。

1918年にガルシア=ロルカは「印象と風景 Impresiones y paisajes」を出版、1920年には自作の戯曲「蝶の呪い El maleficio de la mariposa」が公演された。その後も「詩集 Libro de poemas」を出版したり絵の展覧会を行うなど活発な芸術活動を行った。またサルバドール・ダリやペドロ・サリナス、ホルへ・ギジェンやラファエル・アルベルティなど、当時の気鋭の芸術家達とも親交を深めていた。

20年代の後半に二つの重要な詩集である「歌集 Canciones」と「ジプシーのロマンセ集 Primer romancero gitano」を出版したガルシア=ロルカは、1929年にニューヨークに向けて旅立った。翌年にはキューバのハバナに赴いたが、1931年のスペインに於ける第二共和制発足に伴い帰国、国営劇団ラ・バラカ La Barracaの共同監督に就任する。この時期に彼は有名な戯曲である「血の婚礼 Bodas de Sangre」、「不毛 Yerma」、「独身のドニャ・ロシータ Doña Rosita la soltera」を執筆している。

1933年ガルシア=ロルカはアルゼンチンに赴き、劇場の監督として指導に当たった。しかし1936年にフランコ将軍が北アフリカで蜂起しスペイン内戦が勃発すると、彼はコロンビア・メキシコ両政府の亡命受け入れの申し出を断り、故郷のグレナダへ帰国した。同じ年の8月19日、ガルシア=ロルカはビスナールからアルファカールへの街道で遺体で発見された。若きグレナダの詩人は、彼の思想を嫌悪した反乱軍兵士に射殺されたのであった。

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