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やり投・村上幸史

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詳細 2021年5月16日 00:07更新

やり投げ・村上幸史選手(スズキ)について


□■競技経歴■□

中学時代は軟式野球部に所属し、愛媛県下では名の知られた好投手であったが、体育のハンドボールの授業中に陸上部の顧問の先生の目に留まり、やり投で日本一にならないかと勧誘を受ける。自分の力だけで勝負し、結果がすべて自分に返ってくる個人競技に魅力を感じた村上は、全国的な投てき競技の強豪校として知られる今治明徳高等学校に進学し、陸上競技部に入部。

1年次は基礎体力を鍛える同校の方針もあって県大会には110mハードルに出場した。2年次の1996年にはめきめきと頭角を現し、インターハイやり投で優勝(記録65m80)。追われる立場となった3年次の1997年インターハイでは、やり投(記録68m06)と円盤投(記録53m28)の2冠を達成した。同年秋には東予選手権やり投において76m54のジュニア日本新記録を樹立。この記録は現在も破られていない。

1998年に日本大学に進学。同年、フランスのアヌシーで開催された第7回世界ジュニア陸上競技選手権大会男子やり投で銅メダルを獲得する。これは日本投てき史上、世界大会初のメダルであった。3年次の2000年に日本選手権やり投で初優勝(以降2009年まで大会10連覇中)。4年次の2001年には第21回ユニバーシアードで7位入賞。日本インカレでは80m59の日本学生新記録を樹立。日本人3人目の80mスローワーとなった。

2002年スズキに入社。同年の釜山で開催された第14回アジア競技大会アジア大会に左頸骨の疲労骨折の重症をおして出場し銀メダルを獲得。アジア大会後に左頸骨の手術に踏み切ったが、本来の助走速度を活かした投てきができなくなり、しばらく精彩を欠くようになる。しかし、短助走での投てき技術の向上と、足の回復もあって、2004年シーズンには自己記録を81m71にまで伸ばし、アテネオリンピックに初出場(予選落ち)。途中、2006年には自身2度目となる2006年ドーハアジア大会の銀メダルを獲得するも、2005年ヘルシンキ世界選手権、2007年大阪世界選手権、2008年北京オリンピックと世界大会では4大会連続で予選落ちとなり、世界大会決勝進出の目標は果たせないでいた。

2009年8月21日、ベルリン世界選手権男子やり投予選において、自己ベストの83m10(日本歴代2位)を出し決勝進出を果たすと、8月23日の決勝では2投目で82m97を投げ、3位入賞を果たし、世界選手権の投てき種目において室伏広治(ハンマー投げ)に続いて史上二人目の銅メダルを獲得した。


□■スズキ陸上競技部公式サイト
http://www1.suzuki.co.jp/t_and_f/

□■自己紹介はこちら
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45715194&comm_id=4501577



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