mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

Richard Sorge

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細 2023年2月14日 20:48更新

世界でも有名であり超一流の「スパイ」
彼を語らずして「スパイ」、「ハッカー」は語れない。

1920-1945年代という帝国主義という名の侵略戦争の
暗黒の時代に平和のために自己犠牲してまで平和を
貫こうとした方です。


【関連映画】
「スパイ・ゾルゲ」公式サイト
http://www.spy-sorge.com/


【詳細】
リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge,1895年10月4日 - 1944年11月7日)は第二次世界大戦中のドイツのジャーナリストと言う肩書きを持つソビエトのスパイであり、戦前の日本を舞台に行ったスパイ事件「ゾルゲ事件」を起こす。



経歴
鉱山技師のヴィルヘルムとロシア人ニナとの間にゾルゲは九人兄弟の一人としてロシアのバクー(現在のアゼルバイジャン)で生まれる。彼のおじはカール・マルクスの秘書であった。3歳の時に家族とともにベルリンに移住。

1914年10月に、第一次世界大戦にドイツ陸軍に志願兵として参戦。負傷し戦線から引き入院中にして社会主義思想を知る。1919年にハンブルク大学で政治学の博士号を取得し、その後ドイツ共産党へ入党。1921年にドイツへ戻り結婚した。1924年には党での活動が評価されコミンテルン本部にスカウトされソ連共産党に、さらに労農赤軍本部第4局(のちのGRU)に籍を移してソ連の首都モスクワへ赴く。

【ゾルゲ事件】
ゾルゲは1930年にドイツの新聞社「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の特派員というカバー(スパイ活動のための仮の職業)を与えられ上海に派遣される。上海では、特派員としての仕事を通じて、当時、毛沢東に同行取材するなど中国で活躍していたアメリカ人ジャーナリストのアグネス・スメドレーや、当時朝日新聞記者だった尾崎秀実と知り合う。1932年1月には日中軍の上海市街戦(上海事変)を報告した。同年12月にモスクワに戻る。1933年9月6日に「フランクフルター・ツァイトゥング」紙の東京特派員として日本の横浜へ派遣された。その目的は、日本やドイツの動きをソ連に送ることであった。


日本潜入
上海時代に知り合った近衛文麿内閣のブレーンで、この頃は南満州鉄道嘱託職員をしていた尾崎秀実や、フランスのアヴァス通信社(現在のw:AFP通信社)の特派員で、ゾルゲの特派員仲間でもあったユーゴスラビア人のブランコ・ド・ヴーケリッチ。元老、西園寺公望の孫で、尾崎と同じく近衛内閣のブレーンの一人であった西園寺公一(さいおんじきんかず)。洋画家で、アメリカ共産党員の宮城与徳。ドイツ人技師のマックス・クラウゼンとその妻アンナ・クラウゼンらを中心メンバーとするスパイ網を日本国内に構築し、スパイ活動を開始する。


対独戦への貢献
当時の日本におけるドイツ人社会で、日本通かつ熱烈なナチス党員として知られるようになっていたゾルゲは、オイゲン・オットー駐日ドイツ大使の信頼を勝ち取り、最終的には大使館付の私設情報官という地位を得た。ゾルゲはその立場を利用して、ドイツによるソ連侵略作戦「バルバロッサ作戦」の、正確な開戦日時(1941年6月22日開戦)を含めた詳細な情報を事前に入手したが、ゾルゲのことを2重スパイではないかと疑っていたヨセフ・スターリンはその情報を無視、その結果ドイツ軍お得意の電撃戦に翻弄されたソ連は緒戦で大敗してしまい、首都モスクワまで数百キロまで迫られるという状況に陥ってしまう。

この様な状況を受けて、近衛内閣のブレーンで政権中枢や軍内部に影響力を持つ尾崎は、日本軍の矛先を、同盟国・ドイツが求めていたソ連への進攻でなく、仏印や英領マレー、フィリピンなどの南方へ向けさせるための工作を行った。尾崎の工作がどれほど決定に影響したか定かではないが(日本軍部は、独ソ戦開戦に先立つ1941年4月30日に日ソ中立条約が締結されていた上、南方資源確保の意味もあってソ連との開戦には消極的であったといわれている)、ともかく尾崎の思惑通りに、1941年9月6日に行われた御前会議で日本軍は、南方及び米国への進攻を軸とする「帝国国策遂行要領」を決定した。

当然ながらこの情報を事前に入手することが出来たゾルゲは、それを直ちにソ連本国へ伝えた。その結果、ソ連はその戦力を独ソ戦(ロシアでは大祖国戦争と呼ばれる)に集中することができ、その直後のスターリングラード攻防戦でドイツ軍を撃破、最終的に1945年5月に独ソ戦に勝利する。

これらの情報は、クーリエを使って秘密裏にソ連へ送られていただけではなく、クラウゼンが無線機を使いソ連極東部にある中継地に向けて送信していた。特高は早いうちから怪しい無線電波が東京市内(当時東京は市であった)よりソ連や中国方面に向けて送信されていることを突き止めていたが、クラウゼンが送信する場所をこまめに変更していた上、暗号自体を解読することが出来なかったため、一味が逮捕されるまでその発信源を掴む事は出来なかった。

コミュニティにつぶやきを投稿

最近の投稿がありません泣き顔
つぶやき・トピック・イベント・アンケートを作成して参加者と交流しようわーい(嬉しい顔)
参加メンバー 186人

もっと見る

開設日
2005年9月3日

6828日間運営

カテゴリ
芸能人、有名人