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名古屋の左サイド

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詳細 2012年6月24日 23:43更新

Jリーグ名古屋グランパスエイトで活躍した(orしている)左サイドを
主戦場とした選手について語らうコミ。


☆現名古屋所属
◎DF
・片山奨典
国見高校→国士舘大学とサッカー界のエリート街道を歩んできた選手。
高校での同級生にはアテネ五輪代表の徳永悠平(FC東京)、
大学での同級生には同じく名古屋に入団した竹内彬がいる。

名古屋入団当初は左SBの即戦力として同期入団の阿部翔平とともに期待されていた。
開幕戦では左サイドハーフでいきなりスタメン出場を果たすも、
結局1年目は公式戦12試合の出場にとどまった。
2年目もしばらくはナビスコ杯要因だったが、5/12の横浜F・M戦で
交代出場で今季初出場を果たすと、その直後にゴールを決めた。
そのゴールは彼にとってJリーグ初ゴールで、アシストは同期入団の阿部翔平であった。
その後も途中出場が中心ではあるが、コンスタントに出場を続けている。
ストイコビッチ監督が就任した08シーズンは出場機会に恵まれず、09シーズンからJ2横浜FCに移籍することが決まった。

・阿部翔平
こちらも市立船橋高校→筑波大学とエリート街道を歩んできた選手。
今季名古屋に入団した小川佳純は高校の一年後輩で、大学では
昨年のJリーグ新人王藤本淳吾(清水エスパルス)とともにプレー。
開幕戦で途中出場でデビューしたものの最終的には公式戦12試合の出場にとどまった。
2年目もベンチには入るものの、リーグ戦でのスタメン出場は
U22代表で不在となった本田圭佑代役での出場以外なかったが、
5/12の横浜F・M戦で3連敗中の流れを変えるべく左SBでスタメン出場を果たすと、
完封勝利に貢献するだけでなく、前述の片山へのアシストも決めるなど、
攻守に活躍した。
小柄ながら高い身体能力を活かした守備力と高精度の左足から
繰り出されるミドルパスを武器にその後名古屋DFラインに
欠かせない選手となり、出場停止以外は全ての試合(10/21現在)でスタメン出場している。
本職の左SBだけでなく、3バックの左CB、4バックのCBでもプレーし、
10/6の清水戦では後半から3バックの真ん中でプレーするなど、
現代サッカーでは不可欠なポリバレントな面も持っており、
今後は日本代表入り定着が期待される選手。

◎MF
・渡辺圭二
沼津学園高校在学中に名古屋の練習に参加し、その際当時の
ベルデニック監督に才能を評価され、入団した選手。
スピードを活かしての左サイドから突破力が持ち味の選手。
最も得意なポジションは左WBで、左SBも務める。

北京五輪出場を目指す代表チームのメンバーにも招集されたことのある
能力の高い選手だが、ケガが多く、レギュラー定着には至っていない。
今季も途中出場した開幕戦でのケガの回復が長引いたが、6/30の
甲府戦で今季初スタメンを果たすと、中断明けも出場機会を確保し、
10/6現在リーグ戦10試合に出場している。
(昨季までの最高は05年の13試合)
08シーズンは出場機会に恵まれず、退団することが決まった。

・マギヌン
2007年まで1年半余り川崎フロンターレでプレーし、2008年から名古屋に加入した得点力の高いMF。
豊富な運動量があり、ドリブルが得意で、ミドルシュート、ゴール前での嗅覚も優れた選手である。守備も献身的にこなすなどブラジル人プレイヤーではなかなか見られないチームプレーに徹せられることが出来る。
またゴール後には蟹股になり無作為に揺れる通称「マギヌンダンス」を披露する
など陽気な性格の持ち主でもある。
カッとなりやすく警告を多くもらうのが玉に瑕ではある。

◎FW
・玉田圭司
06年に名古屋に加入した巧さと速さを兼ね備えたドリブル、
高い技術力が持ち味のセカンドストライカー的FW。
ペナルティエリア付近の左45度付近でのプレーを最も得意としている。
前所属は柏レイソルで、99年習志野高校を卒業して、入団した。
吉野智行(現横浜FC)は高校時代の同級生である。
加入後3年間は年数試合の出場にとどまっていたが、
2002年にJ1残留争いを繰り広げていた頃に頭角を現し、
03年、04年には2年連続2桁ゴールを挙げるなど活躍し、
日本代表にも選出された。アジアカップでも活躍し、優勝に貢献した。
しかし05年は思うようにゴールを決められず、チームも低迷し、
結局J2降格となってしまった。
そしてそのオフ、W杯出場を見据えていくつかのオファーの中から
名古屋への移籍を決断した。
名古屋ではチームにフィットせず、思うような活躍は出来なかったが、
ドイツW杯のブラジル戦での先制ゴールは多くのサッカーファンの
記憶に刻まれていることであろう。

W杯以後は代表とは無縁となり、07年も名古屋では杉本の控えに
甘んじ、ケガもあり、本格的に出場し始めたのは8月からで、
復帰初戦では試合終了後サポーターといざこざを起こしたが、
その後はスタメンで出場し続けており、6試合で4得点と活躍した。
ストイコビッチ監督が就任した今季は見事復活し、日本代表でもエースとして活躍している。

・深井正樹
2008年鹿島アントラーズから1年間の期限付き移籍で加入した鋭いドリブルが持ち味の161?と小柄なFW。近年は左SHでもプレーすることがある。昨年は期限付き移籍でアルビレックス新潟でプレーしていた。
スピードとテクニックで相手守備陣を翻弄し、切れ味鋭く、かつ細かい独特のタッチのドリブルと、左足から繰り出されるパワフルシュートが特徴。
駒澤大学時代に組んだ日本代表巻誠一郎(千葉)とのコンビは、「大学サッカー史上最高の2トップ」と謳われた。
名古屋ではフィットせず、期限付き移籍期間を満了せずして、巻誠一郎の所属する千葉へ移籍。J1残留に大きく貢献した。

☆現役他クラブ所属選手
◎DF
・中谷勇介
97年に奈良育英高校から加入。
名古屋で長年正GKを務め、日本代表としても02年日韓W杯に
出場している楢崎正剛は高校の2年先輩である。
左SB、WBが本職で、左サイドに流れてゲームを組み立てが
出来るタイプのFWがいると高い能力を発揮する選手。
ケガが多く、シーズンを通して活躍した年はないといってもよく、
離脱中にポジションを奪われることが多く、99年途中に浦和に
レンタル移籍、00年は川崎に完全移籍しているが、
01年に再び名古屋に復帰した。
その後は5年間名古屋でプレーしたが、06年開幕前に大卒の
阿部、片山、大分から有村と同ポジションの選手が相次いで
加入したこともあり、開幕直前に柏に移籍した。
しかしここでもケガをし、出番は少なく、柏がJ1に復帰した07年も
出番はなく、9月に京都へレンタル移籍し、京都のJ1復帰に貢献した。
今季から京都に完全移籍することが決まった。

・平岡直起
00年夏に名古屋が主力3選手を解雇し、チームが喧噪に包まれている中でG大阪から加入した左SB。
元々はFWなこともあり、攻撃的な選手で、SBながらゴール前まで
攻め上がることもある選手。
名古屋ではレギュラー定着には至らなかったが、いぶし銀の選手として
貢献度は高かった。
03年からは清水に移籍し、04年オフに戦力外となり、一時は引退が伝えられたが、同時期に名古屋でプレーした森山泰行の誘いを受け、当時東海社会人2部だったFC岐阜に移籍。
08年1月19日に引退を表明し、JFL・FCMIOびわこ草津の監督に就任。現在は同クラブのフロント入りしている。

・有村光史
通称「アリソン」。
99年に福岡教育大学を卒業後プロ入りし、01年まで鳥栖、05年までは大分でプレーしていた。
名古屋には06年に加入。
右利きの選手で、両SBを務められる期待のDFとして加入したが、名古屋サポーターの間ではリネカー、オリビエ、ホミルドらと並ぶ悪い意味で伝説的なプレイヤーである。
特に第2節の清水戦ではとんでもないプレーがあったらしい・・・
(管理人はそれを見ていないので、ご存じの方教えてください。)
やがてシーズン途中にして、当時J1復帰をかけてJ2で戦っていた神戸へ移籍し、
07年からはJリーグ参入を目指してJFLで戦っているロッソ熊本へ移籍した。
赤いユニフォームがお好きなようであるw
08年シーズン限りで引退することが発表されている。

◎MF
・滝澤邦彦
97年に武南高校を卒業後名古屋に加入した技巧派レフティで、左SH・左WBを主戦場とする選手。
ネタとして伝説的な選手で、Jリーグ初ゴールは腹で決めている。
またクロスがワンパターンなふわっとしたボールが多いことから、
一部では「ポヨヨンタッキー」の蔑称で親しまれた。

ルーキーイヤーから公式戦に出場したが、年々出場機会は減少していった。
ところが00年夏の主力3選手解雇に伴い、出場機会が増加。
「レアル・マドリードでも通用する」と通用すると高く評価したベルデニック監督が就任した02年から03年はレギュラーに定着した。
ちなみにベルデニックの評価はお世辞だと思われる。
でなければレアルマドリードは非常に敷居が低いクラブであるw
04年は大型補強もあり、出番が激減し、シーズン途中で神戸へレンタル移籍した。
05年は千葉へ完全移籍したものの、その年のオフ戦力外となり、
06年は所属クラブが決まらなかったが、6月に当時J2の横浜FCに加入するとブランクを感じさせない活躍で、J2優勝&昇格に貢献した。
07年も活躍しており、チームのアシスト王である。
08年も横浜FCでチーム最多出場を果たすなど活躍したが、構想外となり退団することが決まっている。
09年は横浜FCでも指揮を執ったことがある高木監督が就任するJ2・東京Vへの移籍が有力となっている。

・平野孝
93年に名門・清水商業高校から加入した左サイドアタッカー。
ルーキーイヤーから多くの試合に出場していたが、
95年にベンゲルが監督に就任し、才能が開花。
スピードを活かした突破、強烈な左足から繰り出されるミドルシュートは
相手DFを恐怖に陥れ、名古屋の上位進出、天皇杯制覇に大きく貢献した。
97年からは日本代表にも選ばれており、98年フランスW杯にも2試合に出場した。
今後も名古屋を引っ張っていく選手かと思われたが、00年7月に
当時のジョアン・カルロス監督との衝突から最終的には解雇という形でクラブを去った。
この事件は一般週刊誌でも話題となったほどで、真相は未だに闇の中である。
その後は京都→磐田→神戸→東京V→横浜FMと移籍を繰り返し、
07年はアメリカのMLS・ニューイングランド・レボリューションの練習に参加したものの契約には至らず、5月末からは大宮の練習に参加。
8月より正式に入団し、出番は少ないものの監督からの信頼は厚い、
貴重なサブとしてプレーしていたが、オフに戦力外通告を受けた。
08年夏よりアメリカのUSL(メジャーリーグサッカーの実質的下部組織)に属するバンクーバー・ホワイトキャップスでプレーしている。

・原田拓
大津高校より01年に加入した正確なボールコントロールが持ち味の選手。名古屋では主にボランチでプレーしていた。
ベルデニック監督時代は特に期待を集めたが、出場時に思うような活躍が出来ず、04年からは大分に移籍し、当時のハン・ベルガー監督から信頼を勝ち取り、
レギュラーとして活躍した。しかし同監督退任後は出場機会が減り、
05年6月に川崎へ移籍し、現在も川崎に所属している。
出場機会は決して多くないが、ACL一次リーグでゴールを決めている。
08年はさらに出場機会が減り、退団が決まっている。

・佐藤悠介
96年大宮東高校から加入した高い精度のキックを持つレフティ。
名古屋では2年間トップチームでは出番がなく、退団。
その後は神戸、大宮でプレーし、01年からは4クラブ目となる山形へ移籍。
レギュラーに定着したが、クラブの事情もあり、03年からはC大阪へ移籍したが、そこではレギュラー定着に至らず、05年からは湘南、07年からは東京Vでプレーしているが、オフに戦力外通告を受けた。
現在はJFL・栃木SCに所属しており、来季からのJ2昇格にも大きく貢献した。

・三原廣樹
97年佐賀商業高校から加入した正確な左足のキックが武器の選手。
入団時は一部でストイコビッチの後継者と期待されるも2年間出番はなく、ルーマニアのクラブに武者修行を兼ねて1年間のレンタル移籍。
復帰後も名古屋では出番がなく、00年途中で鳥栖に移籍し、自慢の左足で活躍した。
翌年再復帰し、02年まで在籍したが、オフに退団した。
名古屋ではナビスコ杯2試合の出場のみであった。
その後は福岡、札幌でプレーし、06年からはJFLのFC琉球でプレーしているが、
11月19日に2007年シーズン限りでの引退を表明した。

・高橋良太
徳島市出身だが、名古屋の誘いを受け、ユースチームに加入し、
高校卒業後トップチームに昇格したテクニシャン。
トップではリーグ戦1試合に出場に留まり、06年オフに戦力外通告を受け、07年から同じくグランパスユース出身の平林輝良寛とともにJFLのFC刈谷へ移籍。
刈谷では主に左SBを務めている。

・本田圭佑
高性能の左足を持つ「2代目レフティモンスター」。
大阪府出身で、中学時代はガンバ大阪ジュニアユースでプレーした。
誕生日が同じで、U22日本代表でチームメイトの家長昭博(G大阪)と
このころから腐れ縁というのは有名な話である。
G大阪ユースに昇格した家長に対して、本田は見送られ、星陵高校に進学した。
3年次は高校選手権で県勢初のベスト4入りの原動力となる。
またその年度には名古屋の特別指定選手として練習参加だけでなく、ナビスコ杯にも出場し、当時所属していた秋田豊(現京都)に「今すぐにでもプロで通用する」と言わしめた選手である。
入団後は予想通りレギュラーに定着し、31試合に出場した。
06年はチーム事情で、左SBでプレーするなどプレーの幅を広げ、
07年は3月のキリンチャレンジカップで初のA代表入りを果たした。
08年1月18日、オランダ1部・VVVフェンロへの移籍が決まった。
VVVは残念ながら2部降格となり、6月には日本A代表デビューを果たしたが、目立った活躍はできなかった。北京五輪でも活躍できず、戦犯扱いされるなど試練が続いた。しかし北京五輪後は08-09シーズンはVVVで主力として活躍し、1部クラブからも注目を集める存在となっている。

◎FW
片桐淳至
02年岐阜工業高校から加入した「和製レコバ」(管理人命名)
高校3年時の全国高校サッカー選手権でチームを準優勝に導き、
自身も得点王に輝き、準地元の名古屋からのオファーを勝ち取り、入団した。
入団当時から素行の悪さが知られており、実際練習への遅刻を繰り返し、解雇寸前までいったこともある選手である。
ルーキーイヤーは公式戦10試合に出場し、公式戦デビューとなったナビスコ杯の
広島戦ではいきなり初ゴールを決めている。
翌年は出番がなく、04年はアルゼンチンのクラブにレンタル移籍し、05年は名古屋に復帰したが、またしても出番がなく、JFLのFCホリコシ(現アルテ高崎)に移籍し、06年からは故郷岐阜のFC岐阜に移籍し、高校の先輩森山泰行らとプレーしている。
岐阜では絶対的エースである。

・マルケス
03年6月にバスコ・ダ・ガマから加入したチャンスメーカータイプのFWで、02年日韓W杯の南米予選に出場するなど、ブラジル代表として6試合出場1ゴールの実績もある。
前述の中谷とは抜群のコンビネーションを発揮した。
来日当初は冒頭の通りチャンスメーカーで、相棒ウェズレイのゴールを多くアシストしたが、04年は自らが17ゴールを挙げ、中位のチームにありながらベストイレブンを受賞した。
05年5月に家庭の事情を理由に退団し、以前在籍していた母国のアトレチコ・ミネイロに復帰したものの、06年には横浜F・Mに加入し、一部名古屋サポーターの間では反感を買った。
横浜F・Mではケガが多く、満足に試合に出場できないが、
出場時には相変わらずの高い技術を見せていたが、今オフ戦力外通告を受けた。

☆引退した選手
◎DF
・小川誠一
・津島三敏
・小杉敏之
・西ヶ谷隆之
・鈴木正治

◎MF
・ウリダ
・岩本輝雄

◎FW
・エリベウトン
・ストイコビッチ
・小倉隆史

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開設日
2007年10月27日

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