彼が描くたった一筋のラインは、女性の持つ美しさ、エレガンス、香水の香りが舞い上がる瞬間やドレスのシルエットの揺らぎまでも描き出し、黒と白を効果的に取り入れた色使いは思わず深いため息が洩れてしまうほど鮮やかである。
享年95歳。その死の間際まで精力的に活動し続けたファッションイラストレーター、ルネ・グリュオーのことが気になる方の為のコミュニティです。
<関連サイト>
Fashion Memories
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<Biographical Notes>
ルネ・グリュオー
Rene Gruau (1909-2004)
1909:
イタリアの伯爵家に、レナト・ザヴァグリ=リッキャルデリ・デル・カミナテとして、イタリア人の父親とフランス人の母親の間に生まれる。 幼い頃から絵を描き始める。14歳の時、イタリアで初めて デッサンが出版される。18歳の頃にはすでに、イタリア、イギリス、ドイツで出版される。
1924:
母親とともにパリに移り、母親の性であるグリュオーを名乗るようになる。建築家のキャリアを断念し、モード画を描いていこうと決意する。
1935-39:
『フェミナ』誌、『マリー・クレール』誌、『ロフィシエル』誌、『ル・マガジン・デュ・フィガロ』誌の仕事を始める。またアメリカやイギリスの出版物の仕事も手がける。
1940:
フランス南東のリヨンに疎開し、そこで『マリー・クレール』誌のためにデッサンを描く。
1946:
『インターナショナル・テキスタイル』誌の仕事を開始。1984年まで、全ての表紙を描く。
1947:
クリスチャン・ディオールとの仕事上の厚い友情が生まれる。この年から、二人の名前は密接に結びつくことになる。ディオール・パルファムのための初期の有名な広告「ミス・ディオール」が発表される。
1948:
『ハーパース・バザー』誌、『ヴォーグ』誌の仕事のため、アメリカへ発つ。2年後『フレアー』誌専属の画家となる。
1949:
有名なポスターとなった《ルージュ・ベゼー》を描き、 『クラブ・マガジン』誌の表紙を飾る。
1956-63:
演劇の舞台装飾と衣装デザインを手がける。パリの有名な キャバレーである「リド」と「ムーラン・ルージュ」の ポスターを描く。
1964-70:
主に広告の仕事と並行して、再びモード画に復帰し『ヴォ ーグ・フランス』誌、『マダム・フィガロ』誌、『エル』誌、 『ロフィシエル・ド・ラ・クチュール』で描く。
1989-97:
ディオールやジバンシィなど、最も顕著なクチュールの メゾンの仕事や、香水や化粧品の仕事を共に続ける。
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光琳社出版「MEMORIE DE LA MODE GRUAU」より抜粋
97年以降については後日補足予定