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カタカムナ

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詳細 2024年3月5日 09:53更新

カタカムナのツドヒです。
[イヤシロチ] と [ケガレチ] だけがカタカムナじゃナイ!
カタカムナには、私たちが忘れかけている大自然と共存するための叡智があります。
みんなでカタカムナによる新しい世界を追求していこー!

THINK NOT but FEEL THE PEACE! ― カタカムナ

■カタカムナと楢崎皐月

※ずっと前の文章ですがとりあえずはこれで勘弁 --;

 そもそも、カタカムナなる文献は、それこそ奇妙で信じがたい話を通じて現代にもたらされました。カタカムナを研究している相似象学会の宇野多美恵女史の著する「相似象第十号」にはこうあります:

 電気物理技術研究家, 楢崎皐月が, 昭和二四年, (1949年), 兵庫県六甲山系金鳥山中にて, 平十字(ヒラトウジ)と名のる老人より「カタカムナ神社の御神体」として伝えられた巻物を私共はカタカムナ文献の原本としている。(三号・八号)
(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第十号」 株式会社現代社 p.3)

 楢崎皐月(ならさきこうげつ)は、第二次世界大戦中に実在していた一流の物理学者でした。彼がこの平十字(ヒラトウジ)という人物に出会う前、楢崎皐月は、陸軍の製鉄所長として当時の満州・吉林にいました。そこで彼は娘々廟に詣で、その地で信奉を集めていた老子経道士・慮有三(らうさん)老師に出会い、次のような話を聞かされます:

 直接に, 「老子の古伝」として伝えられら言葉によれば, 我々が, シナ民族固有の文化と思っていたもの(易・漢方医術・製錬法・老荘哲学・堯舜(ぎょうしゅん)の理想政治等)は, 日本上古代の文化の流れをくむものであるとのことである。(八号84〜101頁)
そしてこの慮有三老師の語った, 日本上古代の文化を示す「八鏡文字」とは, 「<カタカムナ>の声音図賞であったことが, カタカムナの文献解読の結果, 確認されたのである。(三号8・51頁, 八号83〜89頁)
(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第十号」 株式会社現代社 p.8)

 アジアの住人には、太古から「八鏡文字」なる文字があって、ここから得られた叡智が、東洋の思想の源泉となった、ということです。この慮有三老師との出会いについて、相似象はこう語ります:

 吉林の山中に獨移(どくい)する老僧の, 思いも及ばぬ, 驚くべき識見と, 人格の高潔さ, 一種の超能力的不思議さ等に打たれた。彼は, 改めて入門を乞い, 敗戦で引き上げるまで, 親交を結ぶに至ったのである。
(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第八号」 株式会社現代社 p.86)

 この後、昭和20年(1945年)に日本は敗戦が決定し、楢崎皐月は日本で星製薬の要請を受けて、新しい日本の農業技術についてを研究していました。帰国してから、何とか慮有三老師との連絡を試みたが、当時、廟の主は別の人物に替わり、その消息はつかめなかったようです。

 さて、話は楢崎皐月のカタカムナ文献との出会いに戻ります。昭和23年(1948年)、楢崎皐月は星製薬・星社長のもとを離れ、翌年の昭和24年(1949年)に、彼は兵庫県・金鳥山で穴居実測調査をしていました。そこで例の怪人物、平十字(ひらとうじ)に出会うのです。相似象が語るところによる、この場面を見てみましょう:

 十二月から三月にかけての寒中の六十四日間, 金鳥山の付近に穴居していた楢崎たちのもとに, 初めて訪れた時の平十字氏は, 猟師の姿で, 鉄砲を持ち, 腰に兎を一匹ぶらさげていた。そして、鉄砲をガチャつかせて威嚇しながら、「お前さんたち何の為にやってきた?泉に妙なものをしかけるから, 森の動物達が, 水飲みにいけなくて困っている。すぐにとり除けろ」と怖い顔で命じ, 「決して狐をうつな, 兎ならくれてやる」と腰に下げたのを投げ出して言ったという。楢崎が直ちに言われた通りに取りはずしておいたところ, 次の夜再び現れた平十字氏は機嫌よく労をねぎらい, 「お前さん達は感心だ、穴居しなければ、本当の事はわからない」と褒め, お礼にと, 古い巻物をとり出し, 自分は平十字(ヒラトウジ), 父はカタカムナ神社の宮司, この巻物は, 父祖代々「御神体であるから, 見たら目が潰れる」と言われて, 厳しく秘匿されて来たものであることを告げ, 「今までに, 刀のツバや定紋の絵だろうと言った学者があったが, そんなものじゃないんだ」と厳然として言い, 又「カタカムナの神を祭り伝える家柄は, 平(ヒラ)家と食(メシ)家である」とも語ったという。
(宇野多美恵著 1982 「相似象学会誌 相似象 第八号」 株式会社現代社 p.91)

 楢崎皐月は、この巻物の図柄を写させてくれ、と要請すると、平十字は「お前さんたちの足で険しい山坂は大変だから, オレが持って来てやる」と言い、それから二十日間、楢崎のところにせっせと通ってくれたそうです。

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