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曽我量深

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詳細 2019年12月9日 15:16更新

曽我量深の生命に敬意を表し

その思想に追随し生きる者達が集う場



曽我 量深

(そが りょうじん、1875年9月5日-1971年6月20日)は、日本の明治〜昭和期に活躍した仏教思想家。

新潟県味方に生まれる。本姓、富岡。1899年、真宗大学(現、大谷大学)本科を卒業。同年、新潟県見附の浄恩寺の養子となり曽我姓に改姓。1903年、清沢満之が主催する私塾浩々洞に加入。翌年、真宗大学研究院を卒業して同大学の教授に就任するが、1911年、真宗大学の京都移転に反対して辞職。郷里新潟に帰り研鑽を続けつつ、同郷の金子大栄と親交を深めた。
1916年、金子大栄のあとを受けて、清沢満之が創刊した雑誌『精神界』の編集責任者として上京。同年、東洋大学教授となる。1926年、大谷大学教授に任じられ京都に移るが、1929年、『無量寿経』に説かれる法蔵菩薩を、唯識に説かれる第8阿頼耶識とする説が異安心とされ、翌年、同大学を退職した。
その後も自説を堅持し、左京区鹿ケ谷に開設された興法学園で金子大栄とともに研鑽と講義を継続、多くの著作をあらわした。1941年、真宗大谷派最高の学階である講師を授与されて大谷大学教授に復職し、1951年、同大学名誉教授、1961年から6年間、同大学の学長を務めた。
伝統的な解釈のもとに継承されてきた仏教・浄土真宗の教学・信仰を、幅広い視野と深い信念とによって受け止め直し、近代思想界・信仰界に開放した功績は顕著で、近代仏教思想史の展開上、大きな足跡を残した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%88%91%E9%87%8F%E6%B7%B1





曽我量深 略歴    
明治8年(1875) 9月5日
新潟県西蒲原郡味方村富岡量導師の三男に生まれる
明治32年 24歳 7月、真宗大学本科卒業。
同大学研究院に入学の時、新潟県見附市浄恩寺曽我恵南師の養子となり曽我姓となる
明治35年 27歳 2月、真宗大学教授就任
10月、真宗大学教授辞任
明治36年 28歳 3月18日清沢満之師、帰郷後の浩々洞に入洞
明治37年 29歳 7月、真宗大学研究院卒業
9月、真宗大学教授就任。
浩々洞発行の雑誌『精神界』に逐次論文を発表。
明治44年 36歳 7月、真宗大学教授辞任(帰郷)
大正5年 41歳 9月、東洋大学教授就任
大正7年 43歳 7月、日本大学講師就任
大正11年 47歳 6月『救済と自証』
大正12年 48歳 3月、日本大学講師辞任
大正13年 49歳 3月、東洋大学教授辞任(帰郷)
6月『地上の救主』
大正14年 50歳 4月、真宗大谷大学教授就任
昭和5年 55歳 3月、真宗大谷大学教授辞任
(異安心問題)
昭和13年 63歳 11月『伝統と己証』
昭和16年 66歳 4月『内観の法蔵』
7月、夏安居本講「歎異抄」
8月、大谷派講師
11月、大谷大学教授就任
昭和24年 74歳 9月、大谷大学教授退任(免職)
昭和26年 76歳 12月、大谷大学名誉教授
昭和36年 86歳 8月、大谷大学学長就任
昭和40年 90歳 11月、勲三等瑞宝章受章
昭和42年 92歳 8月、大谷大学学長満期退任
昭和46年(1971) 96歳 2月、発病
6月20日自宅にて逝去
法名無極院釈量深
http://homepage3.nifty.com/daihi/hondou/index.htm



曽我量深選集第一巻〜第十二巻
http://www2.neweb.ne.jp/wd/yayoishobo/Data17/List076.html


写真は曽我量深選集第六巻より

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2006年11月14日

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