2015年は年初からスタートダッシュ。ブリスベンで好調なイバノビッチを破って優勝、そのまま全豪も勝ち進み、準優勝。
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2014年6月7日、全仏2回目の優勝。GS5勝目
14年5月11日 Madrid Open 優勝
14年4月27日 Porsche Grand Prix 3連覇
13年3月17日 BNP Paribas@Indian Wells 優勝
2012年6月9日、全仏優勝で生涯グランドスラム達成
12年5月20日 ローマ優勝! 2連覇!
01年デビューの天才少女シャラポワ、今年で26歳(1987年4月19日生まれ) 強いティーンエージャーが続々台頭する女子テニス界ですが、どこまで行っても女王はシャラポワ。08年の肩の故障&手術&リハビリで9ヶ月戦線を離脱し、以前のようなサーブが打てなくなりました。しかし小さいフォームでのサーブの改良を続け、打ち負けても打ち負けても強打を続け、練習を重ね、ついにNo.1 にも復帰しました。モデルのような美貌とオーラが常に話題ですが、実際にはものすごい努力と執念の人です。
【2013年】
前半はインディアンウェルス、2連覇となるポルシェオープンと優勝し順調でしたが、年後半はケガで半年間ほとんど試合に出ることができず、予定されていた東レ、北京、WTAファイナルなども欠場しました。
【2012年】
2012年のマリアはフルモデルチェンジ、完全復活を一層力強く示しています。年初のパタヤでA.カーバーに、全豪準決勝でクビトバに全英の雪辱後の決勝ではアザレンカに足をすくわれたものの、ポルシェオープン、ローマと2勝、全豪、マイアミと準優勝。全仏準決勝まで23勝4敗、12連勝中で生涯グランドスラムを達成しました。
【2011年】
2011年は5月のローマで約1年ぶりの優勝を飾り、全仏も順調に勝ち進み、生涯グランドスラムの夢が目前まで迫りましたが、残念ながら準決勝で李娜に敗れました。
続くウィンブルドンでは決勝進出。残念ながらクビトバの鉄壁のプレーを崩せなかったものの、肩の故障からは完全に戻ったと言えるでしょう。
夏の北米戦線では早めの敗退が2回続いたものの3戦目のシンシナチで見事優勝しました。全米はいまひとつ、東レは足首のケガで4回戦敗退と残念でしたが、ランキングも2位に戻り、08年の肩の故障・手術から完全復活を示しています。
11年08月22日 シンシナチ 優勝!
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【2009年】
08年秋に肩の故障で戦線を離脱して、手術をはさんで休養約9ヶ月。心配されましたが、09年の5月に復帰して半年、ついに復帰後初のシングルスのタイトルを獲得したのが2月のメンフィスでした。
3月のインディアンウェルスでべスニナと組んでダブルスで復帰、初戦敗退も、5月のワルシャワでシングルス復帰。サーブを肩への負担が軽いフォームに変えて全仏、全英へも出場。8月のトロントで決勝進出もデメンティエワに負けました。バーミンガムとLAではセミで李娜とペンネッタにそれぞれ敗れましたが、どの試合でも、テニスに賭ける情熱と、勝負にかけるガッツはまったく衰えていないことを見せています。女王の女王たる所以のひとつでしょう、
全米では3回戦で新進のウダンに破れたものの、既に昨年休養前の試合勘を取り戻してきており、遂に東レパンパシフィックで復帰後初の優勝を成し遂げました。年間の成績が31勝9敗。故障中に126位まで落ちたランキングは14位まで戻り、09年を締めくくりました。しかし、昨年から徐々に試合を減らしていたマリアにとって、ランキングはあまり意味のないものになっているとは言えましょう。
【2010年】
2010年はタイ、香港とエギジビションを経て全豪へ、しかし不覚の開幕戦負け。
2月にアメリカに行き、メンフィスの大会で優勝しました。
3月中旬、右ひじの故障で戦線離脱、5月に復帰し初戦のマドリッドはいいところがありませんでしたが、2戦目のフランスのストラスブールでも優勝しました。最終的に2010年はランキング15位で終了しました。
オフィシャルHP: 情報豊富です。
http://
ソニエリのマリアのデータのページ
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2004年、17歳で当時のウインブルドン史上、2番目の若さ、最も低いランク&シード(15位、13シード)で優勝。前哨戦のひとつのバーミンガムを勝ってはいたが、その少女がそのまま全英を連覇するとは思う人は多くはなかった。04年は他にソウル、東京AIG、また年末のツアーチャンピオンシップも優勝し、03年末の32位から4位へと、一気に時代のトッププレイヤーに躍り出た。年間通算55勝15敗。
05年は前半勢いを保ち、8月にロシア人で初のランク1位になるも、後半ケガで年末は5位になり、優勝は前年から連覇のバーミンガムと、東京東レ、ドーハ、の3勝だった。53勝12敗。
06年、春からインディアンウェルス優勝をはじめ順調、ウィンブルドンは準決勝で敗れたが、サンディゴを優勝、またUSオープンでは決勝でエナンを破って優勝。年間59勝9敗、年末ランク2位。
07年、体への過度の負担を避け、またテニス以外のオファーも増え、出場トーナメントを少しずつ減らし、07年の出場は13大会。全豪は惜しくも準優勝。優勝はサンディエゴだけだったが、年末のエナンとのチャンピオンシップ決勝は一段上に向かう予感の戦いとなった。40勝11敗、ランク5位。
08年、香港のエギジビションから臨んだ全豪で初優勝、FED Cup2戦、ドーハ、インディアンウェルスの決勝(クズネツォワに負け)まで18連勝。続くアメリア・アイランドも優勝。5月には再びランク1位に返り咲く。しかし、少しずつ肩の調子が悪くなり、7月のカナダ、ドマホウスカ戦後、2回戦の杉山戦は棄権、休養・リハビリに入る。32勝4敗、9位。