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【秋田豊】

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詳細 2018年10月6日 11:52更新

■1970年8月6日生まれ
■愛知県出身
■ポジション:ディフェンダー
■所属チーム
<選手としての所属>
・愛知高 - 愛知学院大
・鹿島アントラーズ - (1993 - 2003)
・名古屋グランパスエイト - (2004 - 2006)
・京都サンガ (2007) <2007年引退>

■■データ
■合計
609試合、53得点

■代表
日本代表:45試合、4得点
■クラブ
<鹿島アントラーズ>
J1リーグ:334試合、20得点
ナビスコ:45試合、5得点
天皇杯 :38試合、6得点
Xelox  :5試合、0得点
CS   :10試合、2得点
AFC   :10試合、4得点
ACW   :5試合、4得点
A3   :3試合、1得点
ACL   :3試合、0得点
PSM   :22試合、4得点

<名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)>
J1リーグ:57試合、3得点
ナビスコ:10試合、0得点
天皇杯 :5試合、0得点
PSM   :2試合、0得点

<京都サンガF.C>
J2リーグ:14試合、0得点
入替戦 :1試合、0得点

■略歴
秋田は1993年愛知学院大学を卒業後、地元である名古屋グランパスに入団したかったが、オファーをかけたJリーグのチームが鹿島しかなかったため、鹿島に入団することとなる。
大学時代ボディビルをしていた友人とフィジカルを鍛えたというだけあって、入団当初から屈強な肉体と高い打点のヘディングを持つセンターバック。
93年からしばらくはプロのスピードに慣れるためサイドバックを担当していたが、95年になると大野俊三に代わり鹿島のセンターバックとしてヘディングとフィジカルに圧倒的な強さを見せ、鹿島の対空迎撃報として君臨。
磐田の中山雅史とは名勝負を幾多も繰り返した。
ファルカン時代から日本代表に選ばれ、98年はW杯にレギュラーとして出場し予選後半ではMVP的な活躍を見せた。
02年W杯もサブ扱いながら連続してW杯に選ばれた。長年鹿島で活躍し重鎮として絶大な影響をもっていた秋田であったが03年シーズン、鹿島DF陣がスピードに翻弄されるシーンが目立ち守備が不安定になると、鹿島のフロント側から、「秋田は年齢的に1年間コンディションを整えるのが難しい」、「世代交代のためなど」といくつもの理由を説明され、秋田は2004年シーズンより地元である名古屋グランパスに移籍することとなった。
秋田退団発表後、説明が不十分だったため、サポーターの多くが反感を抱いたことからも、秋田がいかに鹿島で大きな存在であったかが分かるシーンであった。

2004年より地元、名古屋グランパスエイトに所属し、プレーをしていた。2006年、名古屋はコーチとしての慰留の打診を行ったものの、本人は現役続行を希望。J1、J2に関わらず移籍を志願し、2007年より京都サンガF.CにてJ1昇格を目指しプレー。京都はJ2リーグで3位として入れ替え戦に参加。入れ替え戦で見事J1昇格を決めた。しかし、シーズンの半分以上出場出来なかった場合、引退するという目標に基づき、2007年惜しまれつつも引退した。

2008年より加藤久監督の下京都サンガのコーチに従事し、2010年7月より監督として就任している。

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カテゴリ
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