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デイモン・ヒル

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詳細 2016年10月31日 22:33更新

デイモン・ヒル(Damon Hill)
■生年月日:1960年9月17日生
■国籍:イギリス
■チーム履歴
・1992 ブラバム・ジャッド
・1993-1996 ウィリアムズ・ルノー
・1997 アロウズ・ヤマハ
・1998-1999 ジョーダン・無限ホンダ

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デイモン・ヒル。
元ワールドチャンピオン、グラハム・ヒルを父に持ち、ウィリアムズのテストドライバーを経て1992年、ブラバムからF1デビュー。

1993年、ウィリアムズへ移籍。
アラン・プロストのチームメイトとして参戦し、ハンガリーGPでの初優勝を皮切りに3連勝を成し遂げる。

1994年、イモラでのアイルトン・セナの死後、突如として名門・ウィリアムズのエースに昇格。

1994年〜1995年はミハエル・シューマッハーとタイトル争いを繰り広げるものの、当時最強を誇ったウィリアムズのシャシー、ルノーエンジンを搭載するマシンを駆っていたということもあり、ドライバーとしての実力は評価されることはなかった。

1996年、史上初の親子2代でF1チャンピオンに輝くも、ウィリアムズからの契約は更新されず、ヤマハエンジンを搭載することになった弱小チーム・アロウズへ。

しかし1997年、ヒルは真の力を発揮する。
その舞台は初優勝の地、ハンガリー・ブダペストだった。
予選で好位置につけると、スタート直後にミハエル・シューマッハーを抜き、トップに躍り出る。
2位のジャック・ビルヌーブに30秒以上の大差をつけ、終盤に突入。
アロウズにとっても、ヤマハエンジンにとっても初優勝の期待が最大限に膨らんだが、残すところあと数周というところで、非情にもヒルのマシンはギアトラブルに見舞われた。

みるみるとスピードを失うマシン。
その横をあざ笑うかのようにビルヌーブが過ぎていく。
結果2位に終わったものの、誰もがこの走りでデイモンの実力を再確認したのであった。

1998年、無限ホンダエンジンを積んだジョーダンへ移籍。
ベルギーGPでジョーダンにとって初優勝を遂げる等、安定した成績でジョーダンをマクラーレン・フェラーリ・ウィリアムズに次ぐコンストラクターランキング4位に押し上げた。

1999年、ヒルは39歳になっていた。
チームメイトのハインツ・ハラルド・フレンツェンが好走を見せる一方、序盤から下位グループをひた走る日々が続いた。

そして迎えた母国・イギリスGP。
ヒルはこのGPを最後に身を退くことを示唆していた。
最後の輝きを放つかのように、ヒルは渾身の走りを見せる。
結果は5位入賞。この後モチベーションを回復させたヒルは最終戦・日本GPまでレースドライバーを務め上げ、引退。

駆け引き等のレーサーとしての能力よりも開発能力に長け、抜群のセッティングを決めてマシンを走らせ、好結果を生み出してきた。

当時のマスコミが表面的な解釈でヒルを過小評価していたが、それは違う。
レースが始まってから終わるまでマシンを労わり続け、壊さずにレースを全うする。
デイモン・ヒルこそ、真の『ドライバー』と言っても過言ではない。

そんなヒルが今春、ジャッキー・スチュワートの後を継いでBDRC(ブリティッシュ・レーシング・ドライバーズ・クラブ)の会長に就任した。
数々の懸案を抱えるイギリスレーシング界を、『ドライバー』デイモン・ヒルが引っ張っていく。

デイモン・ヒルが忘れられない、またはちょっとでも知っているという方は遠慮無くご参加下さい。

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■通算成績(1992〜1999年)
・出走回数 115回
・年間総合優勝 1回(1996年)
・優勝 22回
・ポールポジション 20回
・ファステストラップ 19回

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開設日
2006年6月23日

3819日間運営

カテゴリ
スポーツ
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