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前田紀貞建築塾コミュの加藤 聖也

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コミュ内全体

初めまして。
第5期設計演習・建築論コースから参加させていただく事になりました加藤聖也と申します。

先日は見学という身分ながら大学の課題をもっていったのですが、前田アトリエの皆さんは心身に見てくださり、とても感謝しています。この場を借りてお礼申し上げます。

現在私は早稲田大学建築学科で友達と刺激し合いながら、日々建築という生きていく上で基礎となる衣・食・住の住に関わる重要な事を学んでおります。

私が建築を志したのは、ぼんやりとでしたが中学の時でした。
そこから大学に入り、日々新しい事を学び、その志がより明確、且つ頑固としたものになっていくこの過程に胸の高まりを押さえきれない状況ですが、不安も同時にあります。

前田建築塾を見学させていただく機会がありました。その時先生の講義うけ、ここでは大学でも自分一人でも学べない事があり、それが自分の志をいい方向により頑固としたものにできると感じました。
だから前田建築塾に第5期生として入塾する決意をしました。

前田建築塾でやると決めた以上とことん頑張るので、前田紀貞先生よろしくお願いします。

またお世話になる前田アトリエの皆さん、半年間よろしくお願いします。

コメント(46)

2010.11.27
〈設計演習〉
・来週までにやること
今回行った操作は、折紙の要素の抽象化にもなっていなかったので、もう一度根本の1枚の折紙を折り曲げる事で生まれる空間・構造を考える。このルールを考える上での背骨にして、ここからは私意性を含めてもう一度考え直す事によりそこから発展性を探る。
・私/全体に対するコメント
面剛性が折紙のエッセンスではないのか。
折紙のもつ面剛性を背骨にして、考えを深めていく。
毎回、待てよと振り返る事で自己制御をする事も大切。デザインを自分でやり始めた時に危ないと思った方がいい。つまり、細かいデザインをやっている時は自分が弱っていると考えた方が良い。
ルールのエッセンスを考える。
あやとりなら変異(tに対する)がエッセンスであり、これは折紙にも発展的な話。
何故、この土地でその考えている変化が妥当なのかを考える。変化すること、前/後がある事をどう空間にするか。
ルールには存在理由が必要。ストーリーを考える上で連想ゲームになってはいけない。同相、同じシステムのものを見いだす。それは形のトレースの仕方、話の進め方かもしれない。つまり、相手にこじつけを想起させないストーリーをつくることかもしれないということ。
何か他のもののルールをとってきた時、そこから一対一で出てくるものは具象的なものだろう。それをどう抽象的にするかという事だ。
その考え方のプロセスとして、分節(ARTICULATION)と統合(INTEGRATION)、求心的考え方と遠心的考え方がある。ここでいいう求心的とは敷地の中に自分の建物を置くという考え方であり、遠心的とはあるシステムが無限にあってその中に敷地があるという事。
建築をつくる時、始めからあまり幾何学を使わない方が良い。
建築はできた時に風景を感じなくてはいけない。
地下・半地下は気をつけてつくるべし。
断面、高さを常に計画する事が大切。
街区をどうするのか、外向を考える。そしてランドスケープである外向からの要求を考え、アーキテクチャを考える。
建築を考える上で大きいものを一つより小さなものを多くの方が考えやすい。
デュシャンの原基の話。1mのひもを1m落とす事からストーリーが始まる。
また、マリリンチェアーのように作品にストーリーがあることで芸術性を帯びる。
〈建築論講義〉
言葉を雰囲気で理解するのではなく、根本を理解してから用いる。
芸術とは、その作品を通じて初めて自然を見せる事ができるものである。
つまり、それは存在を知る事ができるものであり、自然はそういうものでしか存在していないと言う事もできる。そして建築は存在させる装置であるべきであり、所与のもの・生のものは自然ではない。その方法としては、フレーミングであったり反射であったり。また逆をいくエッセンスというものがある。それは反視点という考え方でテーマと逆をいく事でその本質を見いだすというものである。
これは華道にも通ずる考えであり、自然を愛するには自然を憎む事から始めなさいという考えがある。例えば、想起のランドスケープデザイナーとして知られるイヴ・ヴルュニエの例などがある。
教育された私たちは存在としての自然を受け入れる事はできない。今の建築にプラントボックスを置く緑とかは記号として緑を扱っている。
また風景というものがある。風景とは芸術によって発見されたものであり、風景も自然と同じ視点で見るものである。
昔、徒歩の概念では風景というものは存在しなかった。汽車により、自分が普段見ているものと違う事に気付いて初めて知った。現代ではその一例として絵はがきがある。
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僕たちは別々に学んである事を別のものとして扱いがちですが、実際は国・数・理・社など一般的に私たちが学ぶ事は全てリンクしているように、今回建築論講義で学んだ『自然』と設計演習をもっとハイブリットして住宅課題においていいアイデアを考え直したいと思います。
最後の言、その通りだ。

あらゆる分野に類推を働かせよ。
2010.12.4
〈設計演習〉
・来週までにやること
敷地をより分析し、コンテクストを理解する。
折畳・展開構造から生まれるスペースの有効利用を考える。例えば、換気、給湯、給水、排水、電気、ガスといったパイプスペースによる空間利用。
もっと具体的につめてよいのではないか?
・先生のコメント
ルールとは、できるだけ自分を排除するものでる。
空間構成は相対的なもので、スケールは絶対的なもの。
外向を考えるという事は、空間を豊かにする事であり、それにはパターンを尽くす必要がある。
作ったものに満足してしまう人がいるが、それは完成ではなく出発点である。
1ルームで仕切られていない空間の場合、空間の透過率を考える。透過率とは風景をコントロールするものである。
デザインの生/死を考える。素材は好みより、空間を生かすか殺すかを考えて使って欲しい。壁や天井などが同じ素材である必要が無い。
均質空間とは、全体的に均質に見えるだけであり、実際はバランスとアンバランスから成立している。
・テクニック
どうやって風景をつくっていくか。
囲う事で空間にメリハリを付ける。=アイストップ
内部の外部化でもある吹き抜けやトップライトとして穴・レベル差、曲・斜、空間のジョイントとして階段・スロープ、大地との関連を考え、手順を踏む事で風景をつくる。
〈建築論講義〉
今まで『存在』『自然』『風景』とは何かという事をを学び、今回は『美』『芸術』とは何かを学んだ。『美』『芸術』を考えるにあたって、根本にある考えがツリー構造とセミラチス(リゾーム)構造である。
ここでいうツリー構造は、中心があるもので、西洋型である。具体例としては、宮殿式庭園など。つまり、構築的であるという事だ。また、中心生があるという事で一神教などもあげられる。解釈が1つに限られる事から、説明的な考え、つまり近代建築に属する考えである。文の構成からしても、関係詞などによりとても構築的である。
反対にセミラチス(リゾーム)構造は多中心的なもので、東洋型である。重層・多層的。具体例として、日本は文化的側面・ビジネス的側面から見てもセミラチス・多中心的である。また、多中心から八百万神などもある。文の構成からしても、名詞形だけを捉え、名詞が重層して1つの風景が見えるのが日本の文法であり文化である。また、この事から詩的であり、解釈は無限という事になる。構造は、軍事的に、またインターネットにも利用されている。有機生命体のシステムでもある。例えば、脳、ホログラム。また現代建築に属する考え。
これらどちらが良い悪いの問題ではなく、2つの考えがあるという事だ。
この2つを混同する事で、古典の美と近代の美を混同してしまいがちである。しかし、2つは全く異なるものである。古典は、構築化され、名付けられたもの=道具世界に属するものである。反対に近代は、構造そのものであり、中世的無名=存在世界の属するものである。
すなわち、古典の美は決められたものを美しいといい、近代の美は答えが無いものである。建築においては、この後者の様な装置であるとともに、見た事無いけどどこかにあった様なと感じさせるもの、つまり、建築を作るのにこの手があったかと思わせるものでなくてはならない。
近代への導入・階級社会の消滅はニーチェの神は死んだが代表しているが、これはツリー構造の1番上、つまり中心が欠落したという事である。つまり、解答がなくなってしまったのだ。しかし、この事態を困ったと捉えるのではなく、いくらでも答えがあるのではないかというのが近代の世界観である。
ルールは無限の美の為に重層をおこなう。つまり、無秩序を構造化するものである。ここでの構造は世界観とも同義であるが、全てのルールが世界観・存在をつくれるかはわからない。それには作ったものが余韻を残すものではならなく、それは綺麗であってはならない、巧くあってはならない、心地よくあってはならない。
つまり、近代とは自分で世界を見つけ出し、見いだすものである。


ツリー構造とセミラチス(リゾーム)構造について。
今回この2つの別々の考え方があると学びましたが、実はこの2つは同じものではないのかと思います。例えば、教会のある集落を見てA君は『あれの集落は枝状プラン(ツリー構造)だよ』、B君は『あの集落は、求心型(セミラチス(リゾーム)構造)だよ』と言ったとします。すると、この集落は全く別のものとなって存在する事になってしまいます。しかし、A君は教会を中心とした主な街路も含めて集落を表現したのに対し、B君は教会だけに注目したにすぎません。このように今回の場合でいう根源的な集落は一つでしかありません。よってツリー構造とセミラチス(リゾーム)構造は捉え方の違いであり、本質は同じところにあるという考えは誤りなのでしょうか?
よく書けている。


ツリーとセミラチス、その本質は同じではない。
その違いは説明した通り。


「A君は『あれの集落は枝状プラン(ツリー構造)だよ』、B君は『あの集落は、求心型(セミラチス(リゾーム)構造)だよ』と言ったとします。すると、この集落は全く別のものとなって存在する事になってしまいます。」
について。

おまえの記載しているのは、解釈の問題だな。
解釈は、どのようにすることも可能だ。
つまり、「本質は同じ」ではなく「解釈とは逆方向の視点も可能」と言うのが正しい。
書き込みが遅くなって申し訳ありません。
2010.12.11
〈設計演習〉
・次回までにやること
ジオメトリーを考える。
水回りなど、建築として使う事を考えて機能付けをするべし。
ライトコートの垂直性。
今回の設計に置いて床の発明が鍵である。
・先生のコメント
デザインは”発明”するものであり、ジャック・デリダの差延のように言葉も”発明”するものである。
デザインの生かす/殺すを考える。また空間を豊かにする為に、透過率などを考える。
コンセプトから建築にする建築化における必要な事は、機能付けと意味付けである。
また厄介な事があった場合、それを回避するのではなく、それを乗り越える事でそこからオリジナリティーが生まれる。
内に家具を置き、外に樹木を置くと言ったように内と外を明確にし、どのように考えるか。また内と外は水平方向のアクティビティーであり、階段/スロープは上下方向のアクティビティーである。
地と図を考える。
模型表現にあたって、知らないうちに家にある材料に縛られていないか。つまり、限られた範囲内でしか、建築を考えてはいないか。
常に労力という障壁(厄介なもの)をこえるか。限界を超えるかを意識する。
パターン付けをするべし。
模型は模型ではなく建築である。つまり、模型を作る時模型を作っては駄目である。
空間で絶対に話したい事を伝えるべし。
分棟型の建物の場合、外を通ってもらた方がいいと思う生活景まで考えて使うべし、さも無ければ、使うべきでない。
突っ込まれないように考えるべし。
生活配置を決め、家具をきちんと配置し、全員の家族のシュミレーションをし、客などの他人が来た時なども考えるべし。
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もう一度自分のルールから生まれる空間というものを先生から頂いたコメントを参考にして考え直したいと思います。
12/11は座会にも出れず、早退させていただくかたちになりまして申し訳ありませんでした。座会は帰宅後U-streamで拝見させていただき、とても濃く身のためになる時間をどうもありがとうございました。
「シュミレーション」ではない「シミュレーション(simulation)」だ。

「出れず」は“ら抜き言葉”だ。正確には「出られず」である。


言葉をしっかりと使うと、男としての品格ができてくる。
書き込みが遅くなって申し訳ありません。
2011.1.12
〈設計演習〉
『ーなのですが』という枕詞、excuseはいらない。
言葉やプレゼンといった説明法、レトリックによって評価はいくらにでも変わる。
分かりやすい図面を描くには、色のテイストを揃えたり、それに合ったフォントを選ぶ。
線は、大・中・小、濃・中・薄を使い分け、パラペット、階段の手すりなどを描く事で図面を引き締める。
階段の描き方。
2階図面は直下のものだけを描く。
平面図の切断面はGL、FLから1.5m。
siteplan、植栽の描き方。
家具、動くものは点線表現といった線種の使い分け。
扉はプライベートの方に開く、開き勝手も考える。
コンクリートパネルの描き方。
ガラスは薄い緑を使うとそれっぽくなる。ガラスの面積が大きくなる場合はそれを割ったほうが良い。
階段に人を置く事で動きをつける。

『火曜までに模型をアップする』という事でしたが、遅くなり申し訳ありません。

〈建築論講義〉
『場所』とは何か?
場所は空間であり、関(函)数である。
例えば、x^2という関数があったとする。これは二乗するといった働きがある。しかし、その働きは目に見えなく、手に取れないものである。
目をつぶった時に表れる意識野も場所である。
無の庭と呼ばれる龍安寺の石庭も、今回で言う場所である。
有、無の基底にある空こそが場所である。それは変容するものである。
つまり、建築も固定されるべきではなく、変容をするべきものである。
西洋は変化しないものに対し、日本は常に変容するものであり、映し出すものである。
空(クウ)は空(カラ)であればいいものではない。そこに必要なのがルールであり、ルールは必ずしも何でもあってはいい訳ではない。また、そのルールは新しい風景を生む事もあるが、なくす事もある。
空というものは超越論的である。
場所・空間を創るという事は何か?ということを常に考えていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回設計演習で発表したものを実際に形にしてみました。
今までは水平方向にしか畳込んでいなかった空間を今回は垂直方向にも適用してみました。
しかし、空間に多様性はでるものの最初に決めたコンセプトと乖離してしまったので悩んでいます。

以上です。
「空間に多様性はでるものの最初に決めたコンセプトと乖離してしまったので悩んでいます。 」

「後付けコンセプト、大歓迎」
http://norisada.at.webry.info/200606/article_2.html

を読んでみろ。

次までに以下は必ず。

内外がわかるようにガラスのしきり
内に家具と人、外に植栽
階段、スロープ
機能のおさえ
図面、資料の整備(赤ペン用)
分かりました。
ありがとうございます。

では、この『水平・垂直方向に畳込む空間』で進めたいと思います。
申し訳ありません。書き込みが遅くなりました。

2011.115
〈設計演習〉
図面の書き方。
手すりにより賑わいを表現。手すり自体はそんなに目立たなくて良い。
同じ黒色でも濃度の使い分け。
今回立面は寸法はいらない。
コンクリートの打ちっ放しには目地を。
輪郭線はクッキリとかく。
ぼやかしによる遠近法で図面に奥行きを。
立面で階段の表現を分かりやすく。芸術を描くように空間性を描く。
添景としての人はただぽつぽつと配置するのではなく、ストーリー性を考え、対をもうけたりする。
フォントの差異の表現。デザインとフォントの内容を考えなければならない。大きさなども。
台紙をいれたり、足し算ではなく引き算の表現もある。
技術を身につけるとともに好きになれ。
本で理論力を。
外向の添景。
いくらリアルにするでも拾うものを決めて図面を描く。
敷地線を描く。
常に誤解の可能性をつぶす。
寸法の親子の距離は近めに。
木の配置にも動きを。
立面の場合基本ガラスは壁として考える。表現として背景に薄く表現するのはOK。
実際に人がその空間に入った時にどう行かせるかなど、空間の特性を考える。
断面は通芯も。
壁の厚さ、材料を変化させる場合、必ず理由あり。生活する時にメリットあり。
〈建築論講義〉
論理とは二元論で形式性のものであり、ツリー構造のもとに成立する。
またそれは西洋的、SOLID、分節(ARTICULATE)、他の思想、構造化されたもの(ヒエラルキー ex.レンブラントの絵画の様な)、理性、抽象、記号、表層、意識、近代建築(今までの近代建築はこちら側の分類に属し、もうコルビュジエが全てやり尽くしている。)、明、価性ー光(ミース)、身体性(ヴィトルヴィウスからきている)、宗教、理解といったものだ。それに対し非(あらず)論理(≠無論理)は、一元論であり(非二言論、非論理という論理がある)、東洋的、LIQUID、統合INTEGLATE、一の思想、ありのまま、フラット、摂理、具象、存在、深層、無意識、現代建築(これはこちら側に踏み込む事で見つけられるのではないか)、暗、高松伸の織陣、言語化で読み取れない余韻、仏教(神がいないー生きる指針)、知る(即)イコールではない、タルコフスキー(巻き戻しても見れる。ストーリー性とは何か。それよりただ重層している何かが存在している。)、沖縄(ヌタ、シャーマン)、夢、精神分離、薬物、子供、創造性といったものである。
意識と無意識。無意識は意識に対して脳の中では1000倍の容量をもつといわれ、無意識の中でもフロイトのいう個人的無意識とユングのいう普遍的集団無意識の二つに分類され、意識と個人的無意識をまとめて精神といい、普遍的集団無意識を身体という。つまり、建築でいう身体制とは非論理に属するものである。つまり、実際は言語化できないものである。
ARCHTECTUREはACHE(原理)TECHNE(技術)からなり、ギリシャ時代の建築はアルケとテクネーだった。つまり、原理を知る技術を持っている人という意味だった。ex.トゥルーマン=仕切っている人=アーキテクト。

2011.1.22
〈第一課題課題プレゼンテーション〉
講評
図面と模型が乖離している。
コンセプトが連想ゲームになっている。
EXCUSEはいらない。
展開構造の良さが分からない。生かしきれていない。
ネタ探しではない。
平面の概要が分からない。
プレゼンが言葉で終わっている。
説明できないものを分からせる為にはそれなりの準備が必要。
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今回の講評で自分に足らない所を改めて理解し、自分が今後どのようにやっていくかという方向性を見つめ直す、自分を見つめ直すいい機会を頂いた事を感謝します。
今後今回の講評会をふまえて頑張っていきたいと思うので、これからもよろしくお願いします。
まず言っておけば、おまえの建築の方向は悪くはないのだ。
今、日本の皆がやっているようなくだらん方法とは一線を画していることは確かだ。

だが、その手法に問題がある。
その為には、まずは場数を踏め。
そして、いくつもの案やスケッチを作り見せ、その度に己を自己批評することだ。
そうすれば打たれ強くなる。

ひとつのものを恐る恐る出しているようなものではなくて、撃沈覚悟でやってみろ。

そうすればいつか開ける。

気張れよわーい(嬉しい顔)
ありがとうございます。

はい。
いくつもの思考を頭の中だけではなく形にし、それを見てもらい自己批評する。
これを数をこなす事で場数を踏み、手法の問題点を把握しその建築の矛先を正したいと思います。

また第一課題の模型写真をアップしときます。
2月10日から2月23日までヨーロッパに行ってくる為、2月12日・19日の講義を欠席させて戴きます。
また26日からよろしくお願いします。

加藤 聖也
2011.2.26 設計演習
講評
空間は面白いが、砂利の配置にRule、自然の摂理が欲しい。
自律は出来ているので、他律、具象を考察する。
球面の生かし方、水の必要性をもっと考察するべきだが、進める上で色々問題が生じる事が予測されるので、全てを解決しなくてもよいがVisionを大切にすること。

工程表
2/28 NOW
3/1 案確定(自然の摂理)
3/2 図面諸室Layout
3/5 図面/3DCG作成
3/12 presentation-technique/資料作成(最終調整)/prebo作成開始
3/19 presentation

砂利の配置のRule、自然の摂理について
大きさの異なる砂利の配置は、固体結晶の空間充填でも同様に解く事が出来るので、固体結晶の配位数、体積占有率、充填などを考察しながら砂利の空間充填をStudyしていきます。
少し頻繁にアップしてみろ。
ちょっとした詰めの仕方で、良くも悪くもなりそうだから。
2011.3.2 Study
砂利の配置のRule、自然の摂理について
大きさの異なる砂利(球体)の配置は、固体結晶の空間充填でも同様に解く事が出来る。そこで固体結晶の配位数、体積占有率、充填などを考察しながら砂利の空間充填をより具体化してみました。
直径が2m、4m、6mの3Typeの球体の空間充填の方法をPatern分けすると全部で28Paternある事が分かりました。(写真)
そこでこの28Patern各々に適当な諸室の機能を与え、他律を考慮し、空間を構成していきます。他律は、周りの敷地の特徴(海、道路、住宅街、日照など)という制限を設け、自然界で物理的に起こりうる範囲で28PaternをRandomに配置するというRuleで構成します。
これは自然の摂理を踏まえた上での砂利の配置のRuleと言えるでしょうか?
以下。

/どういう理由から28Paternになるのか?(自然界で物理的に起こりうる範囲で28Patern)
/球体は空間充填にはならない

そこの意味がわからん。

あと、これだけ積層したら何層の建物になるんだ?
そのへんのスケールの問題は大丈夫か?
2011.3.5
アップが遅くなり申し訳ありません。

『設計演習』

 発表した内容
砂利の配置のRule、自然の摂理について
建物の配置図検討
イメージ外観・平面

 指摘された事
建物の配置図検討のレイヤー(間隔)のストーリーの検討
アート・イン・レジデンスとして機能からのルール、接続のルールを考える
今では彫刻のままであるので建築家の手法を行う必要がある
もっと中を歩いて発見すべし
水平面を確保するルールをもう一つ検討する
球体の垂直高さの考察
球のスケールの検討

 全体
建築は裏のストーリーで良くも悪くもなる
プレゼンなど人の心を自分の土俵に持ってくる土俵を作る
覚醒していない、独自の世界観を大切にする
建築家は誰も”人と違う”事で悩む

『建築論』
形式性とはなにか?
形式性は20世紀に入って崩壊しつつあり、限界がある。しかし、この形式性のずれにこそ学ぶ事があり、現代建築に通じるものがある。
形式性=論理=公理、公準、形式性の崩壊:不完全性定理
脱構築、マルクスを用いた具体例。
例)マルクスはユートピアになるはずだったのに何故崩壊したのか?
それは共産主義(マルクス主義)の崩壊であり、ツリー構造の論理がはやらなくなった。マルクス主義は自分が貧しかったのが出発点であり、結局はマルクス主義を否定、賛成しすぎるのもおかしい。
また公理系は疑いもないかも知れないが、それは感情や感性が基づいたものかもしれない。
結局、ユーグリット・リーマン・双曲幾何学の様に世界の事実は複数個ある事を学ぶべし。

 工程表
3/12 案確定(自然の摂理)/図面諸室Layout-study
3/13 図面/3DCG作成/模型作成開始
3/14 presentation-technique/資料作成(最終調整)/prebo作成開始
3/19 presentation

12日のエスキースで案が固まり次第模型を作製しなければ、かなり予定が厳しい事が分かった。また適宜調節して満足いくものを作ります。
2011.3.16

STUDY

fig1
敷地周辺に存在する海岸線に沿った線状のレイヤーによる構成をどのように今回の設計に適用するか。
前回までは、このレイヤーを等高線のようにして敷地内まで取り込んでいたがルールとして弱いという事だった。そこで今回は海、砂浜、階段、公園・商業施設、道路、商業・住宅、線路、住宅エリアという線状のレイヤーをそのまま今回の設計に縮小して適用した。
fig2
上記のルールによって求められたレイヤーを基準に、球体の配置分布の密度、配位数の異なる球体群を配置する。その際は、2011.3.5に決めた砂利の配置のRule、自然の摂理のルールに基づいて配置した。

前回のエスキースでこのままでは建築ではないとの事だったので、水平面を確保するといったルールとしてfig1でのルールからの応用を検討している。

球のスケールの検討
球の内部空間だけを考えるのではなく、球同士の結合部も必ずしも全てではないが人が通れなくてはならないので、その結果直径2400mm,4800mm,7200mmの3タイプの球を用いる事にした。

建築化するにあたっての機能からのルール
今回のこの設計する建築は、機能から住まう空間を作っていくというよりは、内部に入って空間からその機能を発見するように空間に対する機能のルールを見つけていきたいと思います。

工程表
3/20図面完成
3/26模型完成
4/2 プレゼン
先日の地震で自宅に5m程の亀裂が入ったため、もしかしたら自宅を出なくていけないかもしれません。よって変動が生じると思うので、詳細な工程表は週末の自宅の検査以降アップします。
方向性はこんな感じでいいだろう。
とにかく、建築のプレゼンテーションには、論理的な筋書きを欠かしてはならない。
人に説明した時、「なるほど、その筋書きならわかる」と納得してもらえるような筋を考えることだ。
独りよがり、連想ゲームはダメだ。



あと、工程が延びたのだから、必ず提出物をしっかり仕上げてくれ。
模型も図面、プレゼンボードも。

おまえの第二課題には期待している。
気張ってくれ。
承知しました。

ではここからは論理的側面からアート・イン・レジデンスの機能を考慮して建築化していきます。

ありがとうございます。
ここから気張って頑張ります。

2011.3.19
アップが遅くなり申し訳ありません。

設計演習

自分の発表
敷地のコンテクストから建物の形態への導入過程。
ルールにより表出した空間を建築化する際の考察。
内観、外観パース。
芸術家により異なるクラスターの広がり。それが密接に関係し、つながる事で砂利の空間充填の空間を満たす。
nLDKではできなかったセミラチス的コミュニティーの在り方とセミラチス的空間が生む古典芸術と現代芸術の観察方法。

指摘された点
光をどのように空間に導入するのか。
空間の多視点的発見。
どこが人が通れて通れないかをはっきりする。
中間層の空間の質をプログラムに反映する。
どのような材質を用いるのか。
もっとリアルな空間にするべきだ。
どう暗いのか、どう明るいのかを感じ、どう住まうのかを考える。
ルールは空間の密度を作るもの、つまり居場所ができる。

建築論

形式性とは何か?
論理とは形式性みたいなものであり、数学的なものである。しかし、20世紀ゲーテは形式性とは不完全性定理であるとといた。なぜならば、公理が身体的なものによっていたからだ。
そこで建築ではこのテーマをどのように考えればよいのか?
古典主義/モダニズムは参照がある/ない?(どちらも形式性ではある。)古典主義はベートヴェンの田園や英雄と言たもので、海辺の絵に例えれば、それはロマンチックな風景を想起させると言った主題、whatとなるものが存在する。それを参照先と呼び、神、解答、ユートピアや真理と言ったものである。それに対し、モダニズムは参照先が無いのである。つまり、whatの矛先が存在しなく、その各々の関係性、構成ーcompositionに美をもとめたhowを基調としている。例えば、カンジェンスキーの抽象画や現代音楽のシェーンベルクの様に、それが何を示しているかという問いは愚問であり、それはシステムからの美しさであり、ものそのものではない。つまり、古典主義は結果を大事にし、モダニズムはプロセスにこそ美があり、知識自体を楽しむ事に知的興奮を覚えるもである。つまり、モダニズムは時代による背反だけではなく、根本を理解するにつきる。例えば、建築をシステマティックに創っていくコルビュジエの初期作品やバウハウスの初期の土着的部分ではなく、インターナショナルスタイルの未来のカルテドラルといった近代建築である。またジャクソンポロックの筆から垂れるといったルールに身を委ねた創作姿勢にも見る事ができる。
しかし、モダニズムの参照先は無限時間においてないわけではない。その参照先である原点は最初は空白であるが、時間とともに充満されていき、古典主義のもつ構成に移行していくのである。例えば、機械という構成を取り入れているものでも、今度はその機能というものが頂点に君臨してしまうという事だ。つまり、最近の抽象画がつまらなくなってしまったのは、何も無いという事が目的になってしまっているからだ。
しかし、どちらがどちらがよいという事ではない。実体はあるものだと思っても実際はないといった色即是空、実体のあるものは実際はないというこだわりも捨てるといった空即是色の様に二極によってはならない。両極を見据えるべきなのだ。
2011.4.2 講評会

アップ遅くなり申し訳ありません。

今回講評をして下さった長島先生、前田塾長、白石さん、辻さん、安斎さん、村越さん、黒瀬さんには大変感謝してます。ありがとうございます。

発表した事
水のかたちを自然のルールとして設計する。
水のかたちは海の波を見ても分かるように、絶えず自然の影響を受けて変化する不定形なものである。しかし、私達は水のかたちが出る瞬間を海岸に打ち寄せた波に見る事ができる。
その現象を私達が目にした時、それはマクロな視点であるが、それをミクロな視点で見た時に毛細管現象に着目してルールの抽出を行った。以下のようになる。
ミクロな視点で見た時、水は砂浜の砂利の隙間をぬっていくかのように毛細管現象で充填されていく。その水のかたちに注目すると、水のかたちは砂利の空間充填のよって変化する事が分かる。そこで砂利の空間充填を原子配列に用いられる配位数に注目した。
ここで今回指定された敷地に大きな水槽があるとして、上記のルールにより砂利を敷き詰める。これをネガポジにした時に水のかたちが出るという設計手法を用いた。
またルールとは他にこの空間を建築化する際に中間層を用いた。
この建物の機能は、アーティスト・イン・レジデンスである。そこで私はここに住まう芸術家を現代アートの人たちに絞りここで創作活動を行うとともに、作品展示を行う空間とする。
ここで現代アートにしぼった理由は以下のようである。
現代アートは古典芸術と観察方法が異なり、作品を他視点的に観察し、多視点的な解答を得る。その手段をとる時に、半階が多い、階層のグラデーションが多い水のかたち二より生まれた空間は、作品を多視点的に観察する行為の投影としてみる事ができるのでは無いかという事を提案する。

指摘された事
模型とパースを一致させるべし。
光が入らない空間があるのはおかしい。開口部などをもうけるべきである。
水と砂利がリアルではない。
建築になっていない。彫刻でもない。
開かれないと駄目である。他社の視点を取り入れて行く事が必要である。
最後の詰めが甘い。
プレゼンは共感してもらう為のものであるのに、自分の美意識の中にしかいない。
ガラスが無ければ、内と外が分からない。

抱負
今回も詰めが甘い事により同じ過ちを犯してしまいました。そこに尽きると思います。
それに加え、後輩に負けるという屈辱を受けました。
よって、同じ過ちを3度起こさぬよう第3課題を頑張ります。
2011.4.9

設計演習ー自然を受信る庭

発表した事
自然と呼ばれるものには、熱や風や光など様々なものが作用している。例えば、熱であれば日射熱、風であれば地下鉄風や音や振動にもなりうる。また光では、オーロラや、虹、都市光、太陽光、電気や火と言ったものも含まれる。
そこで私は3つ提案します。
・地下鉄風の有効化(喫煙所の設計)
・1つは風の音化
・虹、オーロラの空間化
地下鉄風の有効化は、今社会で問題になっている喫煙所の設置と無駄に吹き流しにされている地下鉄風を考慮し、地下鉄風を受信する自然する。システムは、地下から地上に向けて吹き上げる風を用いて地上にエアーカーテンを作ることで、不可視の領域分けによる喫煙所を設計する。例えば、喫煙者と禁煙者の距離は近くともエアーカーテンを挟めば、喫煙者の煙草の煙は上空までもって行かれるため、遮るものがなくとも禁煙者に対して不快感を与えない。それに加え、実際閾は存在しないため話したりするなど、今は存在しない禁煙者と喫煙者が互いに心地よく共存する世界ー庭を築くことができる。
風の音化は、間伐による被間伐材の有効利用と風を受信する森とします。システムは、間伐で先端を切った樹木の中をくり抜く事で、木々の間を通り抜けてきた風をその被間伐材が受信し、笛鳴り現象を利用して風を音化することで森林に音の森を築くことができる。
虹、オーロラの空間化は、プリズム現象の乱反射を用いる事で、都市光や日光を用いて都市内に虹、オーロラを出現させる。
今の段階では1つ目の、地下鉄風を受信する庭を掘り下げて行こうと考えていますが、他にもいいアイデアはないか探りながら思考を深めていきます。

指摘された事
不可視の領域分けは考えとしては良いが、その庭が人の心を動かせうるものか、実際どのような庭が生まれるのか。また効果を実際に示して欲しい。
また実際にはダクトがどのようになっているのか。
建築を前提としてつくってはいけない。
こうであろう?では無く、実験し、実際を確かめ、素材などを検討し、素材からヒントを得るべきだ。それに必要なのは無私である。

建築論ー『他者性』『外部』『交通』

他者性=外部=交通である。モノというものは必ず対極にある。しかし、陰と陽、上と下、有と無、筋と情というように物事はどちらが良いではなく、これら2つを見極めていい案配を保つのが必要である。
現在、世の中は創作を二元論でやっているが、これは同じ事の繰り返しになってしまう。つまり、無意味なのである。そこで一如、基底、空、非外部という超越論的な立場で物事を考えるべきなのだ。
庭とは、まさに関数であり、装置でも、場所でもあり、超越論的のものである。
ルールは+にもーにもなりうる。
間は、無でもなく空である。床の間は何も無いが、それが良い空間になったり、人がきて初めて働きだす空間である。
お金は、今回の地震がきたら役に立たないものになってしまう。お金より食料などや水に方が重要になる。このときお金の存在は空と言える。また、お金は命懸けの飛躍とも言われている。
生活が超越論的な中で動いているのに対し、モノ作りの人はそうでないものを望んでいる事がおかしいという事に疑問をもって欲しい。
死ぬのはいつも他人ばかりなり。
前田先生から見た皆の合理主義かロマン主義かの印象。
合理主義→渡辺さん、菅野→戸村(真ん中?)→自分→遠藤→ロマン主義
という様な印象だった。しかしこれもどちらが良いのではなく、論理的思考をもちつつ、狂気の様なものを作るのが良いのではないか?
明日、建築塾と手伝いに行くことができなくなりました。
申し訳ありません。

理由は、明日引っ越しをする事になりました。
度重なる地震により、部屋の罅と給水管の泥水により今の場所に住む事が困難に
なったためです。
今日の午前中家の検査があったため、前日連絡となってしまい申し訳ありません


エスキースは後日mixiにてアップします。


加藤聖也
承知した。
東京でそんなことがあるんだな。

何か困ったことがあれば言え。
一応、設計事務所だからわかることもある。

2011.4.30
アップ遅くなり申し訳ありません。

 設計演習
4/23
行った提案
ー地下鉄風の有効化(見えない閾)による喫煙所の設計ー
地下から地上に向かって吹き上げる風(地下鉄が通る度に生み出される)は、自然が生み出した風ではなく、季節の変化や天候の変化といった自然的な要素を持ち合わせていない。毎日同じ時間に同じ強さで吹く、無表情な風である。しかし、都市に対しては自然の風と化した。
そしてここに地下鉄でいつも垂れ流しにしている地下水を利用してシャボン玉を飛ばす提案をする。これにより、上空に舞ったシャボン玉は刻一刻と変化するビルの隙間風などの都市風の影響を受ける事により、季節の変化や天候の変化といった自然的な要素を含み、一度きりの風景を創る。同時に煙草の煙だけでなく都内の排気ガスや埃、塵なども一緒に吸収し空気の浄化を促す。

講評
都内に沢山ある車の排気ガスならまだ分かる。それで都市内に庭を創る。しかし、NOxがどれくらいあるのかとか石鹸膜の障害などどうするのか。
また論理というSTORYがない。それはシステムや形に目がいってしまってVISION(最後の、結果の風景や情景)が見えない。本当は話だけで見えてくるものだ。
今回の案の問題点としてシャボン玉が割れる事で雨が降る、つまり都市でない方がいいのではないか。
どうでもいいものに1つ手を加えて知らないものをつくるか。=芸術=建築
自然のいい事とは変異する事である。
第3課題は1つの小説を書くという行為に比喩する事で、ミニ卒計とも言える。

4.30
行った提案
ー地下鉄風の利用/山の知覚の2案ー
1.今都市では情報や地下鉄など実感出来ない早さが存在している。例えば、スイスでは地下の粒子加速器、日本では地下鉄。2つは同スケールだが日本にはその速度を実感する
装置が少なくうとい国だと言われている。
そこで地下鉄の風・音・光を受信する装置を都内に局所的に配置する事で都全体を早さを感じる装置とする。
2.山奥でで海を知覚する(知覚の拡張)とは遠くのもの、今自分には見えないものの存在を知覚するという事だ。その装置を提案する。
人間はある環境にいるとその周囲は近くしているが、近傍でない遠くのものは知覚していない。例えば、今いる場所から自宅の壁や富士山頂の石ころ、東京湾の底に生息しているヒトデなどを知覚出来るだろうか。

講評
説明は人と共有する為にするもので、個人で閉じていては駄目。相手に知らない世界観を教える事。モノローグとダイアローグの差である。
自分は共有する可能性を探る事である。今回の提案での再認識の意味は?今の段階ではSO WHAT?である。
『庭』は経験を超えるのがテーマであり、再現になっては駄目。

 建築論
4/23-4.30
西洋建築史のおさらい、ポスト構造主義
<ポスト構造主義
SOLID型、構造性、ツリー構造
形而上学(2000年間)
西洋的構造性
形式性

近代
静止画
プラトン
WHAT
建築とは何か?
椅子の真理は離れて一つある。
真理は手につかめるもの。
言語。どのような語り方をしても意味は同じ。
数学的に言葉を解こうとした。
疑っている我がいる事は疑いない。
コギト・エルゴ・スム
構造
<現代建築
LIQUID型、セミラチス、形而上学
東洋的、重層的、非形式性

現代
動画
アリストテレス
HOW
椅子とはどのように表出可能か?
建築とは如何にして表出可能?
椅子の中に真理が個別にある。
真理は働き。
語り口=レトリック(方法、修辞学)=HOW
関係の中で、差の中で言葉を見つけていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ポスト構造主義
今の思想界はポスト構造主義
建築界は思想界から50年遅れる
現代建築近代建築の焼き直しではなく、新しい道を開かなければならない。
近代建築がもたらしたものを拾わなくてはならない。
例)二元論(近)、意識的(近)、無意識的(現)
本当のデコンは、構築のルールに従って、構築をとことんやって、構築を内部崩壊させて否定するべき。
デ・コンは外部から崩壊させている(フィリップ・ジョンソンのデコン展から)
デコンは縦横のGLID形式を壊す所にある。

<形而上
プラトン→デカルト→ヘーゲル
マルクスはツリー構造の頂点を否定しようとして、外部を持ってくる。しかし、またその上に頂点が生まれる事で全体として内部化してしまった。
数字を言葉に置き換える。
<形而下
アリストテレス→スピノザ/ライプニッツ→ニーチェ(神という構築物は死んだ)→ポスト構造主義(デリダから始まる。しかし、まだSOLIDな部分を持っている。)
やはり言葉は言葉でルールは従いつつも内部崩壊させるべきだ。

FIG1見えない閾ーイメージスケッチ
FIG2見えない閾ーイメージパース
FIG3知覚の延長ーイメージスケッチ
2011.5.14
・設計演習
発表した事
山とは自分の見ている風景の境界をつくるもの。つまり頭の中では山の先の風景を感じる事ができない。よってそのトリミングされた風景を脱するために意識を拡張する装置を提案する。
ただ風景が綺麗という感動だけでなく、海を見た事が無い人に感動を与える為に、そして自分の意識の拡張する際の障害であった山を越えた時の感動を与えられるだろう。

講評
頭で考えられたもの。庭は入力があって出力があるもの。アイディアが欲しい。それには取っ掛かりを見つける。
見たいという風景は論理があるか、モノとしてどんだけ魅力があるか。
またその論理は子供が聞いても分かるように。
アイディアからの出発だけでなく、理詰めからの出発でもアイディアは出る。見つけようとして見つけられるものではなく偶然。アイディアは偶然出る。つまり、その場での特殊解。それは他者からの助けでもある。自分でやりきろうとしてもそれは自分の限界を見る事になる。

・建築論
仏教的否定(全否定の論理)
アートマンは一如であり私の構成原理であり、アートマン自身は認識の対象にならなく空に同じ。それに対し、ブラフマンは宇宙の構成原理。仏教はアートマンは意識の最も深い所にある固体という実体として捉える事から脱してい事を指摘。そこで、仏教はそれを真如というはたらきとして捉えた。つまり、もっと空にした。
東洋の論理は非論理、否定の論理。たとえば、東洋は火も雲も実体がないという。
否定の方法として3種ある。
1弁証法
求心的、通時的、ツリー的、notA、静止画、矛盾を良しとしない
2非ず、非ず
遠心的、共時的、セミラチス、非A、動画、矛盾を良しとする
3テトラレンマ⇔ジレンマ
1A、2非A、3Aかつ非A、4非Aかつ非非Aの4段論法
唯一の答えを求めるのではなく、ぼかして行く様な展開をする。つまり、どんどん否定しているのにどんどん肯定しているという事になる。
色即是空は中悟、空即是色は高悟。色即是空で世界は無情であると言ったとするとである二より、西洋に同じ2元論になってしまう。しかし、空即是色はそれすらも空じることで世界が見えてくるということ。
「アートマンは一如であり私の構成原理であり、アートマン自身は認識の対象にならなく空に同じ。それに対し、ブラフマンは宇宙の構成原理」

「アートマンは私の構成原理であり、アートマン自身は認識の対象にならない。最後のところでそれは、宇宙の構成原理のブラフマンと解け合う。よって、これらふたつは2でなく1と考えることができる。」
の方がよい。

「一如」や「空」は、仏教の概念であるから、その用語を断定的に使用せぬ方がよいし、「アートマン・ブラフマン」にそこまでの思想の質はない。
アップ遅くなり申し訳ありません。

クリステルネロに近似した素材はできそうです。
塩ビ板にくもりガラススプレーと黒スプレーを吹き(吹く面を考慮に入れながら)、只今実験中です。吹くだけでなく他にも手段が無いか模索してみます。

写真の一段目は試作品
2段目は曇ガラススプレーを入れていない状況
3段目はスプレーの吹き具合と距離の関係
4段目右下はクリステルネロ

以上

加藤聖也
第3課題の講評、第5期の締めくくり共に大変遅くなり申し訳ありません。

『第3課題の講評』
ー発表した事ー
・クリステルネロという結晶化ガラス壁素材を用いて、自然の予測できない不定形なリズム、不安定さというものを受信する装置としての庭を提案した。
・設計ー敷地は森林の奥深く。そこにクリステルネロでできた一辺6mの直方体をガラス中によって地上から2.2m浮遊させる。そしてその周囲にもガラス棒の列柱を設け、それらは風に揺らめく。
・クリスタルネロを選定した理由。今回の設計で大きなサイズが可能なガラスであるということ、ガラスであるがガラスっぽくないもの、そしてただ単に透過性がいいのではなく変わった性質があるものを探した。クリスタルネロはそこを満たし、質感は漆の様な質感で、透光性はあるが、光を通すと淡い暖色系の色が幻想的な風景を作り出し、クリステルネロとの距離によって映し出される像が変わる。そこに注目した。
・コンセプトーこの装置は自然をそのまま見るのではなく、コアの周囲に林立する透明ガラスとコアのクリスタルネロにより自然の予測できない不定形なリズムというものを周囲の森林などの自然との距離と像の関係と光の屈折により受信する。また浮遊する事で、地上に立っている時は地面から感じるものは少ないが、360°から自然を受信する事を提案する。
ー講評ー
・理屈っぽい。
・プロセスはいいが、時間変異についてならそのヴィジュアルも。実際のクリステルネロのサンプルがあれば尚良い。
・手法は今までに知られているもの。ー誰でも思いつくもの。発見的な部分が無い。
・やっかいなシークエンスにこそ明と暗を感じるものがある。
・スクランブル交差点に置くなど、都市の中の方が良かった。
・器用貧乏のごまかしを無くして自分を突き詰めていく事。知識が邪魔をしている。至れり尽くせりになったものは人に届かない。
ー反省点ー
ご指摘された様に、どこか小手先に頼ってしまっている自分がいました。だからこれからは、技術というごまかしには依存しないで自分を突き詰めていきます。
それには今まで引っ張られすぎていた知識、技術というものをこれを機に一度0にしてみて、且つ今までのエネルギーを忘れないで今までに無いものをつくっていきます。
また、宴で長島先生が教えてくれた、何事もその問題の根底から疑ってかかれというモチベーションで1つ1つの物事をきちんと考えていきます。

『第5期の締めくくり』

7ヶ月間ありがとうございました。

初めてこのmixiに入塾の意を決めた自分の文章に”ここでは大学でも自分一人でも学べない事があり、それが自分の志をいい方向により頑固としたものにできると感じました。 ”とありますが、ここ前田建築塾では建築やそれに関わる知識だけでなく、筋や情といった自分が恥じない一人間として生きていく上で大切な事など色々学ぶ事で、入塾したての頃とは真逆の考えをもった自分が今ここにはいます。

入塾したてのころは、如何に課題をこなし優秀な成績をとるかという事ばかりを考えていましたが、今は人としてどうあるべきで、本当の意味でのものづくりとは何かという事を考える種を頂いたので、これからはこの種を自分の手で育てていきます。

また前田先生はいつも事件を自分の中に起こし続け、人が考えない事をどう考えるかということを考えておられるように、私もその心持ちを見習って今後死ぬまで頑張り続けます。

改めまして、
前田先生、隆治さん、太さん、直也さん、千紗さん、安斎さん、辻さん、以蔵、五期生の皆、半年間ありがとうございました。

これは終わりではなく1つの始まりとして頑張っていきます。
また近いうちに顔を出しにいきます。


前田紀貞建築塾 五期生 加藤聖也
筋は曲げない 媚びない 飾らない 腰が退けない
そして、人の真似をしない。

何故、人は人の真似をするのか?
それは、そうすれば安心だからだ。同じであることを安心する。動物が一匹が逃げるとそれにつられて逃げる方向を決定するように。

だが、人生を生きることはそれではいけない。
己の轍は己で決めることだ。
それで失敗したら己の責任。すべて己が被ればいいのだ。

己が世界を受け入れれば、世界の方はいつか己に味方してくれるようになる。

聖也が、第三課題で最初に持ってきた案。あれは、どこかで見たことのある世界だ。
それは己が背負う価値のあるものではなく、既に人が背負っているものだ。
人が背負っているから、己は背負う必要はない。
であれば、それを背負う価値などない。

一瞬一時、間違った選択をしてみることだ。恐れることなく。

へたくそでぶっきらぼうでいい。
大切なのは、そこに己が背負うことのできる世界を己で見出すことだ。

そういうことが、世界観を作る人達には求められている。


一匹狼でいけ。

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