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2010年大河ドラマ『龍馬伝』コミュの龍★2史実トークフリー(ネタバレアリ)★

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内容  龍馬伝に関連する史実に関して、ネタバレ制限を設けず、史実に関するトークフリーのトピ

注意点 1、ネタバレを含んだコメントがありますので、ネタバレを知りたくない方は、当トピをロムしないで下さい。
     2、史観に関しては様々ですので、徒に史観の押し付けをしない。
     3、コメントの発言者に対して、誹謗中傷する様なコメントは禁止します。
    
     4、可能な限り、その根拠を提示する。
     5、必要に応じて管理人が指示、勧告する場合、速やかに従う事。   
       従わない場合は、強制退会を含めた強制措置を取ります。

コメント(282)

横レス&トピずれ気味ですが、

カソリック 英語読み
カトリック ラテン語読み

なので、我々日本人はどちらを採用してもいいと思いますよ。
所詮、外国語を正確にカタカナ表記するのは難しいですしね…。
話は変わりますが龍馬伝はなぜ坂本竜馬の逸話を削除しているのですか?
勝海舟との出会いとかお佐那さんとの別れの話とか…もったいない気がするんですがたらーっ(汗)
 スペイン、ポルトガルのカトリックの国が植民地化するために布教活動をしたのは、中南米の現実を見れば確かでしょう。宣教師も当然知った上でしょう。
 
 歴史を振り返れば、237の方の書かれている「キリスト教の教義自体隣人愛ではなく同胞愛です。従わない場合はどんなことをしてもいいのです」この通りとおもいます。(細かい文献等はわかりません。すみません・・・)

 龍馬と全く関係なくて申し訳ありません。
>syamojiさん

ありがとうございます。まぁ、私もある程度本で勉強しましたしね。
だって、教義にそう書いてありますからね。信じる人の信仰まで否定しませんが、現実は現実。
まぁ、関係ない話はこれ以上しませんが。
それにしても、ドラマを見ていても幕末のグラバーさんも含めた商売人は宗教は押し出してきませんね。
それは一応禁教令に配慮をしていたということでしょうか?
今日は近藤長次郎の回でしたね。

長次郎の最後は、史実自体があまりにすさまじいために
やっぱり切ないですね。
つくづく侍はつらいですな。

長次郎、史実では上士由比猪内の付き人となり極めて
学問優秀とされ、特別に士分を許された人なのですが、
土佐ではかなり珍しいことだったでしょうね。

長次郎は士分になれたことが誇らしかったんだと思います。

現在の価値観ではちょっと測りがたいものですね。
侍など大抵は貧乏で、非常に不自由なものです。

明治後、四民平等になりましたがやはり武家への憧れというのは
強いものでした。大金持ちの町人の子息がわざわざ貧乏だけど名家の
武家に婿養子行きたがったりしました。そんな文化性を当時日本にいた
外国人が奇妙がっています。

長次郎は侍として死にました。が、無念すぎます。
長次郎が生粋の侍なら、逆に死んでいなかったのではないでしょうか。

「名こそ惜しけれ」ですね。

長次郎の死は龍馬にとっても痛恨極まりないことだったと思います。

ドラマとしては長次郎の密航計画に長崎奉行所が絡んでいましたが、
すばらしい見識だと思います。

亀山社中があんな市街から遠いところにあったのも、
奉行所を意識していたからですね。

それにしても早すぎる長次郎の死は、残念としか
言いようがないですね。




可愛い春路ちゃん、将来はファーストレディですからね〜ハート
これもネタバレになるかなーと思ったので、一応こっちへ(笑)。
みなさん感動しているので、水を差したくないですが、史実で事実なので。
近藤長次郎、公のお金の横領をして留学を考えてはいけないと思うのですが…。
>廃人底辺showさん

そうですね。
大泉洋さんのリアルキャラと熱演で、すっかり長次郎に感情移入してしまっていますが、

「術数有り余って至誠足らず。上杉氏(長次郎の変名上杉宋次郎のこと)身を亡ぼす所以なり」
と龍馬を嘆かせたほど。

実際の長次郎は、権謀に長け姑息なところもあった人物だったのかもしれませんね。

だからこそ、正規の道を踏みエゲレスへ留学していれば、維新後にいっぱしの政治家になれていた可能性もあったのに。
本当に残念です。
>superhypermushroomさん

気持ち悪いほど上で書こうとしたことと同じですね。ありがとう。
やっぱりそういう側面はあったのでしょう。
それ以外は残っている限りでも本当に素晴らしい人物なのですが…。
 榎本のように幕臣としてでも留学できていれば、道も開けた気はしますが・・・。冷や汗 勝塾が閉鎖に
なった後、龍馬達の仲間から離れ、浦賀与力の中島三朗助にでも助力を買っていれば別のルートで
留学の可能性も有ったと思いますが・・・。

 幕府の海軍伝習所きっての落第生で同期生から総スカンを食っていた、勝海舟の弟子という時点で
非合法な手段しか残されていなかったのでしょうか・・・。

 
亀山社中と新撰組は実はよく似ているんですね。
それぞれ薩摩と会津がバックにいるわけですが、
「浪人結社」ですね。
むろん士分以外もおり、身分区分は両方ともめちゃくちゃです。

ただ新撰組と亀山社中では「目的」は天と地ほど違いました。
勤皇倒幕と勤皇佐幕ですね。こんな単純な区分けは乱暴ですが、
まあそういう側面は間違いなくあった。
真逆ですね。開明派と保守派、言い方は何でも良いのですが。

しかし新撰組も亀山社中も強烈に大切にしたものがあった。

それが「士道」です。

もっとも「士道」は忠義の価値観など、色々議論のあるところではあります。


ただ当時の武士は時代がどう変わろうと、
「倫理道徳観」までかえるつもりはありませんでした。
当時を考える上で、このことがとてつもなく大切なことなんです。

長次郎のやったことは明らかに抜け駆けであり、亀山社中の規約にも
違反しておるわけです。
が、当時でもあのくらいのことなら死ななくても
良いという感覚はあったと思います。このあたりの感覚の
説明はとても書き切れませんが・・・

むろん町人なら示談の範囲でしょうから死にません。
また、現在なら「背任」でしょうか。未遂ですから懲戒でしょうね。
いずれにせよ死にはしません。

余話ですが井上聞多(馨)は明治後、公金と自分の金の
区別がつかずずいぶん責められたり、西郷さんからは「三井の番頭」
などと罵られたりしました。侍の金銭感覚もちょっと今の価値観では
はかりきれないものもあります。後々後藤あたりが派手にやってくれる
と思いますが、今の価値観で言うと、かなり杜撰ですね。

長次郎は純度の高い「侍」だったと思います。
新撰組の近藤、土方にも共通している感覚ですね。

龍馬がいれば、長次郎は相談したと思います。
龍馬以外に相談できる理解者を持たなかったのは長次郎の
不徳かもしれません。

いずれにせよ長次郎は侍の死である「切腹」を自ら選び、
介錯もされず果てました。

侍は、強かったと思います。またとてもつらかったと思います。


我々が忘れていけないのは当時の日本人が西洋帝国主義の侵略を
許さなかったことですね。

長次郎もその一人だったのです。
新撰組の話しが出たので。。。

新撰組の勘定方で豪商の息子河合さんも横領の罪で切腹してますが彼の場合、ドラマと違い史実では近藤局長の横領の罪を被ったとされています。

亀山社中と逆な感じですね。。。
悪いのはどちらも近藤さんですが(^_^;)
弥太郎、新撰組にこんな拷問受けたのですか?
偏見に満ちた書き込みが沢山ありますね。

南米の状況を見るとわかりますが、スペインやポルトガルが侵略してますね。例えばイエズス会の場合、後ろ盾はポルトガルですが、創始者のイグナチオも日本に来たザビエルもスペイン人です。7人で始めたんですが、当初から国籍はバラバラで、パリで結成されました。日本でも、布教の邪魔だから(今の感覚からいくとこれもどうかと思うけど)人身売買はやめてくれと商人に呼びかけたけど無視されたそうです。

日本でも宗教法人として届け出ているので、日本語の名称は「カトリック」です。アメリカならCatholicになりますが。

キリスト教って自分が一番って思ってそうだから(20年ぐらい前はそんなかんじでした)嫌だと思って神道とか佛教とか調べてコミュなんか入ってみたんだけど、「日本の宗教は和を重んじるので他の宗教を貶したりしません」っていうんですが、「浄土真宗は佛教じゃない」とか、今回のようにキリスト教貶すぞ。キリスト教は駄目ですって言ってる時点で体質がわかりますよ。

仲良しグループだけがあれこれ言うのもどうかと思います。
中国はターゲットになるけど、日本にはそれほど魅力が無かったのではないかと。

急速に勉強して西洋列強と対抗出来るほどの武力を身につけたからとも言えますね。

幕府がペリーの来航を知らせてきたとき、既に中国は1戦交えていて中国が負けたという情報も得ていましたから。

(いまさら入門坂本龍馬)

西洋の帝国主義に負けなかったかもしれませんが、日本も「大東亜共栄圏」なんて言って似たような事をしてますよね。
ちなみに、弥太郎が新撰組に暴行されたなどということはないですが、新撰組と見廻組の軋轢についてはああいうことも多々あったようで。
それが新撰組の限界でもあったし、幕府の限界でもありましたね。
弥太郎また龍馬に心配かけてましたね。来週はとうとう 寺田屋が狙われるわ。そして以前から龍馬さんがラジオで言ってましたが、お龍さんの入浴シーンがあるので、それがちょっと楽しみですわーい(嬉しい顔)
>てれじあさん

西洋の帝国主義に負けなかったかもしれませんが、日本も「大東亜共栄圏」なんて言って似たような事をしてますよね

確かにそうですね、日本はさらに人体実験などもしていたようですし。
これも1種の宗教なのではないかと思います。

私は特に宗教にこだわっているわけではないので「カトリック駄目」などとは思ってません。
事実信じることは救われる人のほうが圧倒的多いはずです。
皆さんも歴史的事実でこのようなことがあったというだけで、宗教を利用してそのようなことがあったと話ているので、お気を悪くしないでください。
>かーずさん

まあそんな事いっても所詮歴史検証なんて自分の生まれる前を誰かがでっち上げて作ったって可能性もあるんでしょうしたらーっ(汗)
え!何?
大東亜共栄圏と帝国主義=だと言った珍獣がいると聞いてストーンウォールに乗りこんで飛んできやした
注意点 1、ネタバレを含んだコメントがありますので、ネタバレを知りたくない方は、当トピをロムしないで下さい。
     2、史観に関しては様々ですので、徒に史観の押し付けをしない。
     3、コメントの発言者に対して、誹謗中傷する様なコメントは禁止します。
    
     4、可能な限り、その根拠を提示する。
     5、必要に応じて管理人が指示、勧告する場合、速やかに従う事。   
       従わない場合は、強制退会を含めた強制措置を取ります。

 かーずさん
>日本はさらに人体実験などもしていたようですし。

 人体実験は別に日本の専売特許じゃありません。どこの国でもなにがしかの人体実験やっているん
ですよ。その中でも一種の宗教じみていたのはナチスドイツの人体実験ですけどね。

 そしてカトリックは変わったと仰有っている方に疑問を持つのは、この蛮行を知りながら結局黙認
したともいわれる教皇を聖人にしようとする神経を理解できないからでもあります。

 因みに、カトリック教会は十字軍遠征や異端審問については謝罪してますが、ホロコーストは未だ
に沈黙してます。多分スペインやポルトガルの蛮行について述べた祝福の言葉も撤回はされないで
しょうね。文化遺産とはいえ日本の信仰を堂々と悪魔行為と認めた聖像を保存し続ける限り・・・。
 で、八百万の神も仏陀も阿弥陀も悪魔とするイエズス会の祈念碑が現在も残っていることは無視ですか・・・。もうやだ〜(悲しい顔) 皆さんが論じているのは今のイエズス会やカトリックではなく1500年代のカトリックの話ですけれど。当然デマルカシオンという単語を理解した上で発言されているのでしょうね。どうも世界史用語にはお詳しくないような気がするので・・・。

 教皇自身が勅書という形でカトリックの布教の為にスペイン、ポルトガルが新領土とすることを認めたのは歴史的事実ですし、その中に日本をポルトガルの領土としてして認めるとする文字が含まれていたことも同じです。まぁポルトガルはスペインに吸収されるから布教も一本化されますが・・・。

 因みに天皇もキリシタン大名も結局本心から布教を許したわけではないのは、洗礼名を持っていた大名達が禁教令が出た途端に棄教して、領内の信仰も禁止したことからも分かりますけど・・・。

 宗政一致の国が宣教を認める替わりに貿易してやると言ってきたんですから、どちらかを切り分けることは不可能、最初のうちは貿易の為に改宗もしたりしましたが、信長、秀吉によって宗教戦争も大名間の死闘も禁止されてしまい、スペイン・ポルトガル人の持ち込む品物が国内で生産できるようになると、宗教戦争の恐怖を知り尽くしていた日本人はカトリックの潜在的な危険性を理解して排除しました。

 で、幕府にしてみれば島原・天草の戦い前の代官の悪政なんかどうでもいいんですよ。そんなのは後でどうにでも処分できるんですから・・・。

 それよりも重要なのは、苛政を持って幕府の統制下に入らないキリシタンという危険な存在を見つけ出して根こそぎにすることでした。信長と一向宗、秀吉の根来寺と同じ構図です。そして12万人の兵力をつぎ込み、島原・天草のキリシタンや、それに近い農民達を殺し尽くしたことで日本に260年間の宗教的ミラクルピースが生まれました。

 これもまた歴史的事実ですけどね・・・。
やれやれ、Capriさんのおっしゃるとおりだと思っているので、この件にはこれ以上首を突っ込まないつもりだったのですが、仕方ないですね。
まず偏見に満ちまくっているのがいるので、そこに言及しなければなりませんが、まずは、私はここにそこの将軍以外
仲良しこよしの人間なんていませんし、宗教についてはどうでもいいというスタンスを貫いていますね。
キリスト教がダメだなんていってないし、浄土真宗なんかはどうしようもない仏教だと思っているぐらいですから。
宗教そのものは信じる人にとってもすばらしいものですね。それは別にかまわないです。
ただ、過去の歴史において宣教師が侵略の尖兵になってやってきて、織田信長もそれに気づいていたきらいがあります。
それでも彼は実利を重んじて、鉄砲や新たなる者の入手のためにずっと利用していたようですが。
一向宗についてはどうしようもないというしかないですね。アレは正直好きになれないですね。
仏敵・織田信長を討ち取れば極楽浄土!なんていうのは宗教、仏教の本来の教えからいっても
論外だと思いますし、アレは完全に民衆の洗脳としか言いようがないです。
個人的な感情はともかくあるのは事実だけです。言葉には気をつけてもらいたいものです。
弥太郎と龍馬は、後藤昭二郎を介して一度、会ったくらいでこんなに親しくなかったと思います。
>仙道楓さん

一度ってことはないと思います。
一緒に仕事していますし、商社機能を龍馬から引き継いでいます。
お酒を一緒に飲んだり、選別をたくさんあげたりといった記録も残っています。
険悪だったとかしたしかったとか諸説ありますが、知り合ったのは坂本晩年ですが、後藤に紹介してもらった後はそれなりにかかわっていたようですよ。
読むの嫌に成るぐらい物凄い思い込みですね。

私はアンチ宗教コミュに入っていたのですが、ちゃんと研究されているから痛いところついてきます。

天草の反乱がカトリックの差し金だというなら、何故、武士がもっとも多い米沢はなんの反乱も起きなかったんですか?皆粛々と処刑されていきました。(景勝はうちにはキリシタンはいないと言い張ってましたが、2代目になると力関係で無視できなくなり、家老の甘粕の次男一族からはじまってずっと処刑されていきます。 )

私がもしも植民地を増やしたいと思っていて宗教が利用出来るんだったらとっくに米沢・会津のキリシタンを使うでしょうね。そもそも秀吉が禁教令を出した段階で、キリシタン大名をつついて、反乱を起こさせます。

関が原以降の天草の農民なんて勝てるわけがありません。

天草には豊臣方の浪人も混ざってました。反徳川なら誰でも良かったのかもしれませんがそんな事情から天草四郎は秀吉の息子なんて話も(絶対嘘だと思うけど)出てます。

日本では、天草四郎やガラシャ夫人が有名ですが、カトリック的には全然尊敬の対象ではありません。やっている事が日本の封建主義下での誰でもやる事です。
RAVEN@睨海酔候 さん根拠を示してください。

イエズス会の教会の前に毎年門松が飾られるので内部的に批判対象になっているという現実があります。それと、イエズス会は霊操という黙想をするんです。だから座禅会に参加して勉強したりしています。「南無アッパ」という本を書いてる神父様もいらっしゃいます。

何故かって、イエズス会の特徴はその土地の風習に合わせてその土地に土着化させるという布教方法を設立当初から貫いてます。

また、外部的にはわからないかもしれませんが、教皇が一人で頑張っても教義は変えられません。今の教皇は、実は保守派なのです。だからラテン語でミサやりたいとか言ってるけどどこの国に行っても内容は同じだけどその国の言葉でミサをやっています。(英語ミサとかインドネシア語ミサとかっていうのはその言葉を使う人の為にやっています)

カトリックコミュ見てもらえばわかりますが、たまに公会議というのをやります。今カトリックがキリスト教と認めているのは381年の公会議で決められたニケア・コンスタンチノープル信条の内容を認めているかいないかで判別しています。

第二バチカン公会議は1962年から1965年に開かれた公会議なので、未だに第二バチカン公会議以前が正統だなんて寝言言ってる信者もいますよ。

その結果世界宗教会議にも参加しています。日本からは天台宗が出ているので、天台宗はとても好意的ですよ。比叡山に登ったらわかります。

私は先祖代々の信者ではなく、幼稚園と高校がキリスト教だったこともあって、キリスト教が一番だなんて言って他の宗教を嫌っているのを見て本当に嫌でした。

佛教の方が色々考えて中身がありそうだと思って佛教の勉強をしたのですが、質問すると「素直じゃない」って言うんです。盲信してはいけないといわれてきたのでカルチャーショックでした。

そんな時、2000年頃ヨハネ・パウロ二世が(第二バチカン公会議の決定に基づいて)他の宗教を認めて来なかったのは間違いだと世界中に謝罪して歩いているというニュースを見たので改善されたなぁと思って2002年に洗礼を受けました。

何故幼稚園・高校の時とは違うのかというと、やはり人の人情としていくら決まったからといって、母国語でやりましょうという形から入るものはその日から一斉に始められるのですが、古い考えが染み付いているので時間がかかったわけです。
管理人です。

トークフリーとは言え、当コミュは宗教コミュではありません。
延々と宗教論争をするのは度が過ぎます。
今後は、当コミュでの当トピ内で宗教論争をするのは禁止します。
宗教論争は、他のコミュで行って下さい。

トークフリーとはいえ、当コミュは龍馬伝コミュです。
あまり直接的に関係の無い内容での論争は、コミュ違いです。

実際問題あの殺害寸前の話はどこまで史実ベースなのかが分かりませんね。
そこはそういう事実があったという記載はあるものの細部がわからないですから。
事実は坂本の裏書があったことと襲われて薩摩藩邸にかくまわれたことぐらいでしょうか。
ほんっと何も知らないんですみません。
感想トピに

「残り1年ちょっとの人生。。」って書いてる方がいて、

ビッっっっっっっっっくりしました!。

そうなのか、本当に志し半ばで逝ってしまった方なんだなあと。

すみません。それだけです。
感想トピだとネタばれなのかと思いこちらに書いてしまいました。
>もりもりかえるんさん

そうですね。あの若さで何かを成し遂げたのはすごいことだと思いますけどね。
今の若い人や30手前の我々も見習わないといけない部分でしょうな。
坂本龍馬も高杉晋作も小松帯刀もせいぜい30ちょっとでこれだけの事を残しているのは
今より寿命が短かった当時としてもすごいとは思います。
特に坂本、高杉を抜きにしてよく維新を成し遂げられたものだと…。これは史実としてすごいです。
近藤勇がおりょうに懸想してたのは史実なんですね。びっくりしましたw
おりょうさんの真実は調べると結構愕然としますね。
賢婦人か悪人かどちらにもなりうる女性。でも、坂本には癒しそのものだったのでしょう。
おりょうさんが土佐の坂本家から出て行ったのはなぜなんでしょうね。一般には月琴を弾いたり山海を散歩するばかりで家事を一切手伝わなかったからとされていますが、不埒とみえる振る舞いがあったのかも。龍馬が妻だと言っていた人を龍馬さんの兄も姉も坂本家の籍に入れることはありませんでした。
土佐を出てからはちょっとだけ龍馬の墓守のようなことをしたかもしれませんが、二十数年経って新聞記者が訪ねてくるまで坂本龍馬とは縁のない生活をされていたようですね。
行商人から露天商になった西村某の妻で名は西村つる。晩年はアル中気味で人生の苦労が忍ばれます。ただ幕末から明治を生きた女性には、おりょうさんのような人がたくさんいたのかもしれません。晩年に新聞記者が訪ねてくることがなかっただけで。桂小五郎の奥さんや陸奥宗光の奥さんなど鹿鳴館組になった人のほうが希有な存在なのでしょう。
それは調べればたくさん出てきます。実際、ろくな女ではないと思います。
坂本家を追い出された後に海援隊の人たちですらそのおりょうの人間性などの理由から保護を拒否しましたから。
ただ、それでも、あの時代で權平さんがとった行動はひどかったと思いますよ。

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2010年大河ドラマ『龍馬伝』 更新情報

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