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プラスティック・ウエノ・文学コミュのきょうの「読了本」

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コメント(55)

綾辻行人「水車館の殺人」(1988年初版、2008年新装改訂版 講談社文庫)

1987年に「十角館の殺人」で新本格推理の旗手として華々しいデビューを飾った著者の館シリーズ第2作。閉ざされた館、仮面の主人、くせのある客人、その中で起こる殺人事件。そして招かれざる探偵。過去と現在が交差する構成で飽きさせない。ゴシック風味と横溝正史へのオマージュが感じられる。館シリーズの中でも人気の高い作品。
ども、はじめて書き込みます。
奥田本、「サウスバンド」はおもしろかった。型にはまらない生き方に賞賛と憧憬を抱くのはロッカーの性?
「ララピポ」もそうですが、この方は群像劇を描くのがとてもお上手で、「邪魔」「最悪」もお奨めですヨ。
17 J.J.Kamiyaさん>
サウスバンド読んだら是非一言!独自の視線、期待しております。
ララピポ、良かったら読んでみて下さい。

18 タカヤさん>
PUB(文学)へようこそ!
奥田本、私もよんでみたいと思います。今後も書評よろしゅうに。
私も読了いたしました。

森見登美彦『四畳半神話体系』(角川文庫)

個性的な主人公達が繰り広げる活き活きとした4つのきわめておばかな歴史的時間。第4章の「八十日間四畳半一周」は非現実な幻想文学の世界なのに非常に写実的である所に感心した。どこか安倍公房的世界をも彷彿とさせる。やはり文学というものは自然に見えてもどこか狂っていて、どこか歪んでいて、どこか毒気を帯びているものなのだ。

文学で何かが変われる?救われる?
そんな事ありゃしないぜ。
本谷有希子『江利子と絶対 本谷有希子文学大全集』(講談社文庫)

劇団を主宰する著者の初期小説三作を集めたもの。私は表題作がお気に入りです。まったく、大した才能が現われたものだ。
花村萬月『空は青いか 萬月夜話其の一』
花村萬月『犬で悪いか 萬月夜話其の二』

私は萬月さんの小説が大好きで、その萬月さんのエッセイ。

以前にも萬月さんのエッセイは読んでいますが、このシリーズは、常体と敬体を織り交ぜた文体なんですね。私は、常体だけで、バシッとわれわれにもの申してくれる文体の方が好き。

でも、内容はもちろんよくて、車での旅行記などが長々と続くのですが、運転の出来ない私も、充分に楽しめました。
横澤彪(聞き手 塚越孝)『テレビの笑いを変えた男 横澤彪かく語りき』(扶桑社)

ご存じ、ひょうきん族や笑っていいともなどを創った名物プロデューサーの横澤さんの本。

横澤さんって、きっとヤリ手バリバリの自己顕示欲の強い人なのだろうと勝手に思い込んでいたのですが、全然そうではなく、むしろ一歩引いて、プロジェクトを動かすタイプの人のようです。ビジネス本としても、非常に勉強となります。伝説のまさに当事者の方の話はおもしろい。

ところで、聞き手の塚越孝さんは、元ニッポン放送で「つかちゃん」との愛称で親しまれたアナウンサー。ライブドアショックでフジテレビに移籍されたと。こういった点ひとつとっても、ホリエモンってのは経営というものをわかっていない。この本を読んで、プロジェクトを遂行するということはどういうことか、その初期段階でプロジェクトの新規性と社会的価値をいかに考えるか、遂行のために組織をどのように動かすのか、といったビジネスの基本を、学ぶことをお勧めする。

赤塚不二夫『「モテる男」はこれでいいのだ。』(文庫ぎんが堂)

赤塚先生が女性を中心としたハチャメチャな生活を赤裸々に語った本。ハチャメチャでもモテるのは、その根底にやさしさがあるからだ。こういう生き方をしてみたいモンです。
村上龍『無趣味のすすめ』(幻冬舎)

村上龍さんがビジネスパーソンに向けて語る本。

私は、本書の全ページ、全言葉に同感を覚え、納得しました。
小説家がビジネスについて語ると、視点が新しくておもしろい。時に、その視点がずれていて読むに値しない作家(すなわち、実際に働いている身からすれば、世間知らず)もいるのですが、龍さんに限っては、いままで読んだ本ではそのようなことなく、小説同様、切り込み方が鋭いです。

ところで、こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、龍さんって、何だかんだで、説教が好きですね(笑)。『すべての男は消耗品である』というのも、若者に対する説教本であると思うのですが、学生時代にそれを読んでいた感覚を覚えました。大人になってからも、また説教されてしまった(笑)。
> ウエノさん
あ、それ同感です!
無趣味のすすめは気になってたのにまだ読んでないんですが…
村上龍さんのエッセイは、多分大槻ケンヂさんが「すべての男は〜」の解説か何かで書いていたんですが、「はらがたつ」要素があると思うんです。
文章で腹を立たせるなんてすごいと思うんです!
そういえば小説とかじゃないんですが最近ハムレットとリア王を読みました。読了本。
あまり理解できなかった(訳の良し悪しもあるかもしれないですが)んですが、とにかくみんな死ぬあたりは悲劇でした。
でもセリフは凝ってましたやはり。
好きなセリフあったんですが忘れました…
田口ランディ『コンセント』

人間の心理、精神世界の深遠を垣間見たような、何かドンと来ました。
今風で言うとスピリチュアルな世界ですが、割りとリアルに感じられた。こういうのって、ほんまかいな?って部分はあるが、歌でも絵でも文書でも、魂を込めれば何かが伝わってくるということで何気なく経験していることだよなと。

読後に、著者が女性と分かり更にびっくり。やらしいシーンがすごいんだよ。。

> かいまさしさん

うん! 
やはり、甲斐くんは、いいね!
よくわかってるよ!!
(↑ なぜに上から目線(笑))

私もオーケンの解説(『消耗品』のVol.2)を読んだのは大学生のころだったと思いますが、よーく覚えています。龍さんを読んだときに感じるあのいやーな感じ(でも、同時に、すごーくいい感じ(笑))を的確に表していると思います。

オーケンの解説に、「龍さんが、<xxの本も読んでいないのか>(記憶違いで、<xxの店にも行ったことないのか>だったかもしれない。しかしそんなことはどうでもよい)などと書いているからと言って、急いで、その本を読んでみよう(or、その店に行ってみよう)などと思うのは、ダメな男なんですよねえ、龍さん。」といったことが書いてあったと思います。

甲斐くんも、私も、若いころからそういったものを読み、育っているため、おそらくナイスな大人になった(であろう)いま、『無趣味のすすめ』も読んでみると、面白いことに気づくと思います。この本、我々にとって新しい示唆など一つもない。全部、我々の普段からやっていることの確認作業にすぎません。私が、「本書の全ページ、全言葉に同感を覚え、納得した」とい書いたのは、そういう意味です。

たとえば、表題と同じ「無趣味のすすめ」というエッセイは、甲斐くんや、プラスティック・ウエノ・バンドの、通常からやっている音楽活動の精神を、一流作家が裏書きしてくれたにすぎません。何ら新しいことを教えてくれるわけでは決してない。

一方で、こういう一流小説家によるビジネス本/人生訓本が出ると、目から鱗が落ちたなどといって、周りに薦めるナイスでない大人がいます。そういった人は、私にとって迷惑で仕方がありません。たとえば、渡辺淳一の『鈍感力』も、その人にとっては、いままでに想像もしなかった視点を与えてくれたようです。その人は、この本が出る数か月前は、私のことを「鈍感」と言って叱っていました。本当に、馬鹿ではないかと思いました。この手の人は、急いでxxの本を手に取ったり、xxの店に行ったりする人生を歩んできたのでしょう。

私は、こういったみっともない人間には絶対になりたくありません。そうならないためにも、今後も音楽や文学といったものに親しんでいこうと思います。

蛇足ですが、○○○○さん(ご本人が隠したいようですので、自粛。ヒントは、私の尊敬するミュージシャン)は、●●●●氏の『欲●の●法』(これは、自明ですね!?)を読んで、全く同感できず、不潔に感じ、途中で投げ出したようです。私はこの本も全ページに渡り同感を覚えましたが、○○○○さんのような読み方も、勿論、感性豊かな人生に裏打ちされた、全く正しい読み方であることは言うまでもありません。

長くなりましたが、文学にとって非常に大事なことであると思いましたので、敢えて書きました。

ところで、『消耗品』の解説は、オーケンの他にも、黒木瞳さんや、サトエリなんかも書いていて、そういうところも、龍さんらしくて(すなわち、「こういったかっこいい有名人は、みんなオレのファンなんだぜ」ということ(笑))、いいですね。

椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮文庫)

筆者は、もと平凡パンチ編集者で、三島由紀夫番。「”キムタク”なみのアイドルだった」三島由紀夫が、思想と格闘の末あの割腹自殺へと向かう間の、ごく普通の人間としての交流の様子を、仕事のパートナーの視点から活き活きと描いている。

三島は、私の生まれる2年前に既にこの世を去っていたわけであるが、できれば同時代を生きて彼の思考をいうものを見てみたかった。なぜに私的軍隊? なぜに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地? うなずいて陰ながら応援しただろうか、それとも、苦笑いしていたのだろうか。

角田光代『人生ベストテン』(講談社文庫)

角田光代さんって、個人的に『対岸の彼女』や『八日目の蝉』のイメージが強く、女子校感覚で、なかなか男性というものを描けないのではと思い込んでいたのだが、大きな間違いであった。

『「夏きたらいいよ。夏ならただで若い女といくらでもできるから。このあたりの女の子、退屈しきっているから逆ナンしてんの、夏場なんかはいっせいにね。よそからきた男ならだれでもいいって話。いやマジよ、これ」』

『「そいつ、ブスだろ」男はちらりとぼくを見、真顔で言った。「そういう騒ぎだてする女は決まってブスなの、な、そうだろ?」』

これらは、女にひどいめにあわされて気分転換に田舎を訪れた男に対し、とある男が話かけた台詞。ほんと、こんな感じですな。なんでわかってるんだろう。

ところで、角田光代さんは、ご結婚されたとのことで、おめでとうございます。
外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)

「寝させる」「忘れる」「脱線させる」など、生真面目で几帳面な皆々様方から見れば噴飯ものの方法論を、英文学の大家が真正面から叙述すると、偽善的でセンスのない方々は、すばらしい、目から鱗が落ちたと、また周りの人にお勧めするのであろうが、私のような人間にとっては、何ら新しい示唆はなく、普段からやっていることの確認作業で、その点で本書の全ページ、全言葉に同感を覚え、納得した。

現役の東大生、京大生諸君も、きっとそのような読み方をしているのではないかと思う。

ところで、プラスティック・ウエノ・バンドでは、一度鼻歌、ピアノあるいはギターのみでざーっと作った曲を、録音もしないで、数週間、数ヶ月間、場合によっては数年間もほったらかしにして、たまたまメロディがよみがえってきて気付いたときから、バンドサウンドとしてやりなおすことが多々ある。これ、すなわち、「忘れて」「寝かしている」のである。記憶の隅に落ちて、それでも、這い上がってくるメロディのみを信じているのであり、時間がたつと、その時点での最新のバンドのノリとうまく融合されるのである。メンバー一同、音を録音し真剣に聞くのは、ライブ直前であり、それは、曲の方針のほぼ決まった時点での最後の微調整と、イメージトレーニングを目的としている。メンバー一同、これらは誰から言い出したわけでもなく、無意識裡に組織としてそのような手法を取っている。
川上未映子『ヘヴン』(講談社)

傑作。称賛すれどしきれない。私ができる限りのありったけの賛辞を差し上げたい。できれば、いますぐ川上未映子さんを力強く抱きしめたい。
これぞ、文学である。

陰惨なシーンに胸が痛くなりました(だから、私は長くは書かないのですが)が、最後、一条の差し込む光に導かれました。<ヘヴン>というのは、どこかここではない場所にあるのではなく、まさに、ここに存在している。
寺坂直毅『胸騒ぎのデパート』(東京書籍)

筆者は、テレビ東京の番組『やりすぎコ―ジー』などを担当する放送作家。一度、番組で「寺坂という男」という企画あり、ご覧になった方も多いと思いますが、この人すごいです。デパートめぐりが趣味で、エレベーターの写真を観ただけで、「xx県のxxデパートのxx社製」と当てたりしていた。あと、紅白歌合戦の前日に山籠りをして、自ら身体を痛めつけて感覚を研ぎ澄まさせた上で、当日はオンタイムで大いに楽しみ、後日、紙で舞台セットを再現したりしているとのこと。

本書は、デパートめぐりを、北から南まで改めて筆者自ら再現し、それを紹介してくれるものです。もちろん、わたしは特にデパートが好きでも嫌いでもないのですが、筆者のモノを面白がる思考の旅に、大いに共に参画し、堪能することができました。

寺坂さんは、将来、それこそ、野坂昭如氏や、青島幸男氏や、景山民夫氏のように、直木賞ぐらいは獲るのではないか。それぐらい大きな才能だと思う。みなさまも今から注目していてください。

ところで、昨年、クワタ氏が「ひとり紅白歌合戦」というコンサートをやったのですが、もしDVDをお持ちの方は、クレジットを見てほしい。寺坂氏の名前も入っています。『やりすぎコ―ジー』を観たクワタ氏が、この企画をよりリアルなものにするために、寺坂氏にコンタクトを取り助言を求めたのでは?などというお粗末な想像も、非常に楽しい。
前に読了していたが、ここに書いていませんでしたので遅ればせながら。

森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)
さわやかでユニークな小説。しかしながら森見氏の小説には一見さわやかな表情の裏に一種の毒が隠されているような気がします。恐らく小説というのはそういうものなのでしょう。そしてこのコミュに来訪される方は、私などが今更こんな事を付け加えて言うまでもなく、とうの以前にきっと気づかれているのでしょう。
JUNさん

毒があるのか!?
実は、私は、とうの以前に全然気づいていなかった(笑)。

この小説は、読んでから知ったのですが、直木賞候補になっていたようですね。こういう小説が候補になるとは、こんな時代でも、少しはいい時代でもあるかもしれません。

京都の学生さんって、あんな感じなのかなあと、いろいろと想像がふくらみます。いなせな街並みを背景とした、無駄なエネルギーの疾走感がたまらなくすばらしい! 親愛の情をこめて、「お兄さん粋ですなア」と、声をかけてあげたい。

ちなみに、全くの蛇足ですが、私自身も人から「お兄さん」あるいは「兄さん」と呼ばれるのが好きです。ちょうど、吉本の芸人さんが先輩芸人のことを、そう呼ぶかのごとくに。会社の後輩の女性(関西出身)にも、なるべく俺のことをそのように呼ぶようにと頼んでおり、あきれられておりますが、できる範囲内で励行してくれています(笑)。

あと、前にも書きましたが、森見氏の小説の主人公は、非常に昔の私の手口によく似ております。とても他人事とは思えない!
(でも、私の名誉のために言っておきますと、『太陽の塔』の水尾さんレポートのようなことはしていません。念のため。)
33 ウエノさん>

偶然にも同じ時期に読みました。
確かに期待していたほどにはピンとこなかった。これを方法論に則ってそのまんま忠実にやる人はまぁおらんやろ?と。

私の場合は仕事で問題がなかなか解決しないとき、一晩寝てしまうと次の日にいいアイデアが浮かぶということはままあり、誰しも自然とやっていることを体系立てて整理したものかなというように捉えました。

それよりも、"たとえ"を使う文章が頻繁に出てくるところが面白く、「まるで・・・のように」という表現が、どれだけ元のモノから離れたところでそのモノを表し、言いえているかという部分において、お笑いのつっこみ的な要素(「・・・・か!」)と同じだなぁなどと考えてしまった。

タカヤさん

そうですね、アナロジーの箇所で、「C:XとA:Bが同じ関係ならば、AX:BCとなり、∴X=BC/Aで、Xは文章上の残像作用ということになる」という説明は、少し感動してしまいました。「何ら新しい示唆はなく、普段からやっていることの確認作業だった」と偉そうなことを書きつつも(笑)。

ところで、先日「すべらない話」を録画して、少しだけ見たのですが、最近のお笑い芸人はすごいですね。あの短い話で、構成が完璧で、まるで映画とか小説とかに匹敵するように感じました。尊敬します。

『週刊朝日MOOK 筑紫哲也 永遠の好奇心』(朝日新聞出版)

私は元来、政治思想というものに全く興味なく、たとえば、朝日新聞や朝日ジャーナルの言論の位置づけもあまりよくわからず、知ろうとも思わないのであるが、筑紫さんのおっしゃることは、至極まっとうで、よく理解ができ、好きであった。

この本に、筑紫さんが生前愛した沖縄、京都、アメリカ(アメリカは愛しているのかどうかわかりませんが)の写真が載っていた。自分がジャーナリストであるということ以前に、あくまで一人の人間としての視点から、その町の持つ美しさ、その町の抱える問題点を、ずっと切り取ってきた人なのだなあと思った。

下記は、本書でのCoccoのインタビューである。
『会う前は大嫌いだった、哲也のこと。沖縄から上京して、まだ仕事がなかったころ、テレビをつけたら哲也が沖縄から中継していたの、後ろにエイサー隊を従えて。何なのこの男、って思った。いま思えば悔しかったんだよね。エイサー隊の前に立って、沖縄から何かを発信するのは、沖縄人である私のはずなのに、って。』

『でも会ったらいっぺんで好きになった。哲也は、ひたすら私の話を聞いてくれた。自分が沖縄のかとをどう考え、どう報道してきたとか、そんな話は全然しなくて、ただ聞くだけ。私、70歳近い人で、他人の話を人に初めて会った。(笑い)』

以前、サンボマスターがNEW23に出たときに、山口氏が台本を無視して筑紫さんに「アメリカをいう国をどう思いますか」と聞き始め、筑紫さんが困った様子で、苦笑いしながらいなしていたことがあった。まるで大学生とゼミの先生という感じであった。そんなことを思いだした。

町を見るということは、人の話を聞くことだ。人を知るということは、人の話を聞くことだ。そんなあたり前のことを熟知し、実践していたから、筑紫さんのニュースを観ると、世界のいろいろな問題点を認識できたのだと思う。

筑紫哲也『若き友人たちへ ―筑紫哲也ラスト・メッセージ』(集英社新書)

本書によれば、コロンビア大学のスクール・オブ・ジャーナリズムでは、新入生の最初の授業でこういう質問をするらしい。

『きみは、戦争を報道をするために従軍記者として戦場に出かけたとする。取材をしているすぐそばで、一緒に行った兵士が打たれて倒れた。その時きみはどうするか?』

すると、生徒の反応は、8:2で助けるが優勢になるらしい。しかし、その後いろいろな事例、たとえば、ベトナム戦争をやめさせるために、ジャーナリズムが一枚の写真で大きな力を発揮したことなどを説明すると、授業の最後には、これが全く逆転して、2:8、すなわち、取材を続けるに意見が傾くということである。

そこで、教授はこういう話をするらしい。
『きみは、どちらを選んだとしても、一生その十字架を背負い続けることになる。兵士を助けなかったことで取材はできたかもしれないが、では取材を続けた人間に悔いがないかといえば、自分が一緒に行動していた兵士を見捨てたことで、この兵士は死ぬかもしれない。彼を見捨てたことで、人間としての痛みを背負うことになる。逆に、兵士を助けるというヒューマンな行為は、自分本来の事実を世間に伝えるという仕事、もしかしたら戦争を早くやめさせれたかもしれない使命を放棄したという悔いが残る。どっちを選んだとしても十字架を背負わなきゃならない。そういう職業がジャーナリストなんだ。』

この話を読んで、映画『コミック雑誌なんかいらない』のラストシーンを思い出した。裕也さん演じる芸能レポーター<キナメリ>が、豊田商事会長が刺される現場を目の当たりにする。周りの記者はカメラのシャッターをきるだけで、動かない。キナメリは、人をかき分けて、助けに入る。しかし、逆に刺されてしまう。刺されたキナメリに、フラッシュが集中砲火する。何かコメントくれ! 早くしゃべってくれ! 何だ、英雄気取りかよ! と記者たちは叫ぶ。

この映画で、キナメリは最後の最後に、自分の判断で一方の道を選んだ。十字架を背負う覚悟を決めたのだと思う。

十字架を背負わない周囲の記者たちに、キナメリは最後こうい言った。
"I can't speak fuckin' Japanese"

角田光代『今、何してる?』(朝日文庫)

本書の序で、筆者はこう語る。

『この一冊は、私は珍妙な恋愛をしつつ、読んだ本の珍妙な感想をつぶやきつつ、ごくふつうにすぎていく日々をつづったエッセイです。あなたのごくふつうの日々と照らし合わせて読んでくれたらとてもうれしいです。』

文学や大衆芸能、ロックンロール、そして、ジャーナリズムというものは、ごく普通の日常生活に、真摯に耳を傾けることはら始まる。それをみなに届くものになるかどうかは、それは演者の芸次第である。しかし、すべての出発点は、やはり日常と寄り添うことである。

私は、本書により、角田光代さんの日常生活を大いに垣間見た。大作家ではなく、ごくふつうのかわいらしい女のコでした。
外山滋比古『ライフワークの思想』(ちくま文庫)

以前、『思考の整理学』を読んで、いろいろとエラソー(笑)なことを書いたのですが、こちらの方は、結構難しいかったです。『思考の整理学』を底流にしつつも、上級者向け?

でも、『パブリック・スクール』や『島国考』といった論文がなかなかおもしろかった。
41で、Coccoさんのコメントの二つ目の引用が脱字など多く、文意が伝わりずらいと思いますので、下記に訂正します。すみませんでした。 ウエノ

『でも会ったらいっぺんで好きになった。哲也は、ひたすら私の話を聞いてくれた。自分が沖縄のことをどう考え、どう報道してきたとか、そんな話は全然しなくて、ただ聞くだけ。私、70歳近い人で、他人の話を聞く人に初めて会った。(笑い)』


福田和也『大作家”ろくでなし”列伝 名作99編で読む大人の痛みと歓び』(ワニブックス[PLUS]新書)

題名通り、大作家のろくでなしな有様を書いた本なのであるが、それは読んで楽しんでいただくとして、それ以前に、本書の『はじめに 本は、人生を作る』がすばらしい。名文です。
もし読むのであれば、この<はじめに>を、何度も何度も読み返してほしい。(私もまだ一回しか読んでいないけど(笑)。)

『なぜ本を読むのか。そうした疑問をあなたは感じたことがあるのだろうか。もしも感じたことがあり、そのことについて考えたことがるのなら、それだけで君の人生は何ほどかのものだ。』

『豊かな人生とは、自らゆったりとした、表情豊かな時間を作りだせる者だけに可能だ。音楽は映画は、人に時間を圧しつける。書物だけが、人に時間を自ら養い、育てることを教える。』

『はじめて電燈が点いたときにいかに世人が驚いたか。それと同じ感動を、人に与えることが出来るのが、偉大な作家だ。彼らの作品を、自分が映画監督になったつもりで、一場面、一場面を想起しつつ、その場面のあらゆる光や匂いや雰囲気を味わい尽くすようにして、味読してほしい。おそらくあなたは、彼が見いだした人間の魂のなかの新世界を発見するに違いない。そして、その発見は、間違いなくあなたの魂と人生の幅と可能性を広げるものだ。』

今年もよろしくお願いします。

昨年、読んでよかった本を急ぎ3冊あげてみます。

川上未映子『ヘヴン』(講談社)
磯崎憲一郎『終の住処』(芥川賞発表の文藝春秋で読みました)
モブ・ノリオ『JOHNNY TOO BAD 内田裕也』

今年も、いろいろな本との出逢いを楽しめたらと思います。

本年も、本コミュをよろしくお願いいたします。

ウエノ
よく考えてみましたら、上記3作品中、2作品について、何にもコメントしていませんでした(笑)ので、以下に感想を。

磯崎憲一郎『終の住処』

芥川賞の選評で、<ぺダンティックだ><ハイブロウだ>などと書かれていたため、読むのを後回しにしていたのだが、ひょんなことから読んでみたら、非常に面白かった。いわゆる、普通のサラリーマン、OL、ビジネスパーソンとして働いている人であれば、共感できるところがたくさんあると思う。個人的には、特に鼻持ちならないようには感じなかった。よって、仕事とプライベートの関係などにお悩みの方には、最適である。
(著者は、三井物産の現役の社員の方です)
モブ・ノリオ『JOHNNY TOO BAD 内田裕也』(文藝春秋)

内田裕也氏のことを評伝的に描いた小説。というか、裕也さんを描くことにより、アートとは何かということを、本格的に描いた小説だと思う。

すなわち、昔から、裕也さんがいろいろなことをやっているのを、TVなどで観たりして、思わず笑ってしまったりしたのも、すべてユーモアにくるまれた裕也さんのアートにしてやられているということなのである。

本書には美しい文章が多く、読んでいて途中から強い同感を覚えた箇所にボールペンで線を引いていったのであるが、かなり多くの箇所に棒線があつらわれる羽目になり、私の本はかなり
汚れてしまった(笑)。

ちなみに、私は、本書のサイン会にも伺ったのであるが、モブさんがとても真剣に本書への想いを語られていた。表紙(裕也さんがハドソン河を泳いでいる写真)からして思い入れを込めたらしく、その詩的なたたずまいを味わってほしいとのことである。

ところで、先日放映されたニューイヤーロックフェスティバルの録画に失敗してしまった。どなたか、裕也さんのスカイダイビングの模様を録った方いらっしゃれば、ぜひ貸してください。

すみません、立て続けに。
ちょうど、いま、下記のニュースを知りました。
芥川賞は、ひそかに、松尾スズキさんを応援していたので、ちょっと残念でした。
また今度、ぜひ頑張ってほしい。


【芥川賞・直木賞】第142回芥川賞は該当作なし、直木賞は佐々木譲氏と白石一文氏が受賞
1月14日19時28分配信 オリコン

 日本文学振興会は14日、都内で第142回芥川賞・直木賞(平成21年度下半期)の選考と発表を行い、芥川賞は1999年上半期以来の該当作なし、直木賞は佐々木譲氏『廃墟に乞う』と白石一文氏『ほかならぬ人へ』が選ばれた。なお、2009年7月15日に発表された第141回芥川賞・直木賞(平成21年度上半期)は、芥川賞を磯崎憲一郎氏『終の住処』、直木賞は北村薫氏『鷺と雪』が受賞している。


 佐々木譲氏は1950年北海道夕張市生まれ。広告代理店、自動車メーカー販売促進部などを経て、1979年に『鉄騎兵、跳んだ』で第55回オール讀物新人賞を受賞し、作家活動に入る。1988年に『ベルリン飛行指令』が、2007年に『警官の血』が直木賞候補になったほか、『ストックホルムの密使』が第13回日本冒険小説協会大賞を、『武揚伝』が第21回新田次郎文学賞を受賞している。

 白石一文氏は1958年福岡県生まれ。1983年に文藝春秋へ入社。『週刊文春』、『諸君!』、『文藝春秋』、『文學界』の各編集部や企画出版部を経て2003年に退社し、文筆生活に入った。2006年に『どれくらいの愛情』が第136回直木賞候補になったほか、2009年は『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』が第22回山本周五郎賞を受賞している。

 昭和10年に制定された芥川賞と直木賞は、新聞・雑誌に発表された作品のなかから(直木賞は単行本も含む)、芥川賞は純文学短編作品、直木賞は短編・長編の大衆文芸作品の中から優秀作を選定する。芥川賞の選考委員は池澤夏樹氏、石原慎太郎氏、小川洋子氏、川上弘美氏、黒井千次氏、高樹のぶ子氏、宮本輝氏、村上龍氏、山田詠美氏。直木賞選考委員は浅田次郎氏、阿刀田高氏、五木寛之氏、井上ひさし氏、北方謙三氏、林真理子氏、平岩弓枝氏、宮城谷昌光氏、宮部みゆき氏、渡辺淳一氏が務める。

 今回ノミネートされていた作品は以下の通り。

●第142回芥川賞 候補作品
大森兄弟『犬はいつも足元にいて』(文藝冬号)
羽田圭介『ミート・ザ・ビート』(文学界12月号)
藤代泉『ボーダー&レス』(文藝冬号)
舞城王太郎『ビッチマグネット』(新潮9月号)
松尾スズキ『老人賭博』(文学界8月号)

●第142回直木賞 候補作品
池井戸潤『鉄の骨』(講談社)
佐々木譲『廃墟に乞う』(文藝春秋)
白石一文『ほかならぬ人へ』(祥伝社)
辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社)
葉室麟『花や散るらん』(文藝春秋)
道尾秀介『球体の蛇』(角川書店)
モブ・ノリオ『介護入門』(文春文庫)

著者のデビュー作にして2004年の芥川賞受賞作品。小説家のイメージを覆す奇抜な言動とラップのような呼びかけ一人称文体が繰り返される「YO、朋輩」スタイルで当時は一般の読者が思ったであろうと同様に私も積極的に読もうという気が起らなかったが、もっと早く読んでもよかったと思った。

この本は、介護とはこういうものだ、という押しつけがましい処がない。というより介護という題材はある意味全く問題ではない。少なくとも途中から文体のリズムと文章それ自体が湧こす一種の力というか感覚に乗っている自分に気付いた。その昔芥川龍之介と谷崎潤一郎との間でも論戦が交わされた「話のない話」に近いのではないか。題材内容について理解される事を拒んでいる閉塞感とそこからわずかに垣間見えるような一条の光。(僕はあえてその光をを希望とは言わない。)
「YO、朋輩、俺からは以上だ」この締めくくり、デジャブを感じたのでなんだろうなと考えていたら、「マイルス・デイビス自叙伝」(宝島文庫)でのマイルスの語り口とよく似ているな、と思い至った。

※読了直後に感想を書くのは思いの他難しい。時間とともに感覚も変わるはずだからだ。本当にこれは自分の感想なのか?筋違いの事を言っているかもしれない。が、しかし現時点の自分の感覚も多分、あとから思うといとおしく、記録を残すのも悪くないと思い、アップしました。
>52 JUNさん

以前にも少し書いたかもしれませんが、モブさんのサイン会にうかがってびっくりしたのは、モブさんは、マスコミから垣間見えたような一風変わった人ではなく、とにかく自分の作品を真摯に、誠実に語る、普通の人であったということです。

というか、その両面とも、モブさんなのであろう。

なので、「話のない話」というのも、実は、熟慮された上での、いろんな二面性のなれの果てとしての結果論であり、筆者としては、その「ない話」というのをどうしても書かなければ
ならなかったのであり、だからこそ、そのような話からは、われわれは「一条の光」(それは、ご指摘の通り、希望の光ではない、と思う)を感じざるをえないと思うのですが、いかがでしょうか。

あと、私としては、介護という題材は「ある意味全く問題ではない」のではなく、話全体の通低にあらざるをえないどうしてもはずせない題材だと、逆に思ったのですが、いかがでしょうか。(ただ、どちらで読んだとしても、どちらも間違いでないと思う。これは、そういう小説だ。)




最近サボっておりますが、近々、以下作品につきコメントしようと思いますので、よろしくお願いします。

高田瑞穂『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫)
奥田英朗『イン・ザ・プール』(文春文庫)
奥田英朗『空中ブランコ』(文春文庫)
奥田英朗『町長選挙』(文春文庫)
青山七恵『ひとり日和』(河出書房新社)
山崎ナオコーラ『あたしはビー玉』(幻冬舎)
辻仁成『アカシアの花のさきだすころーACASIA−』(新潮社)
かんべむさし『ミラクル三年、柿八年』(小学館文庫)
倉持隆夫『マイクは死んでも離さない 「全日本プロレス」実況、黄金期の18年』(新潮社)
森毅『ボクの京大物語』(福武書店)


超お久し振りです。最近読んだ本など。

H.メルヴィル『白鯨』
やたら長い小説であるが、作者の只ならぬ意欲と熱意にただ圧倒される思い。

山崎ナオコーラ『男と点と線』
短編集。相変わらず素敵な文章センス。

伊藤整『近代日本の文学史』
今話題の夏葉社からの復刊シリーズ。1958年時点での文学史だが、今読んでも価値は全く失われていない。明治から大正・昭和初期の文人の躍動が伝わってくる。

田中慎弥『図書準備室』
話題の芥川賞受賞作家のデビュー作品を収めたもの。ニート、いじめられっ子の思いを主題とした文学。内容はモノトーンだが、どこかユーモアを感じさせる。


又、最近読んでいる本は下記。
西村賢太『苦役列車』
坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』

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