ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

戦国時代ゆかりのお城や古戦場コミュの上泉城

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
場所は、前橋城からほぼ一本道、車で15分程度であろうか。お城自体は、東と南を川に囲まれた平城である。西側には出丸があり、北側から攻めることを想定した縄張りになっているようだ。
現在は上泉自治会館があり、そこの駐車場に車を止め城跡見学ができる。また、「上泉郷蔵」があり、天災などによる飢饉に備え地域で食料を備蓄していた蔵が残っている。
時間をかけて回ればもっと史跡があると思われるが、お城自体の魅力はほとんどないので、お城自体の説明はこの程度で終わってしまう。
ただ、この城で生まれた上泉 信綱(かみいずみ のぶつな)について説明したい。
写真のように生誕500年の旗があった。
大胡氏の末流が上泉の地に住み暮らすようになり、上泉を名乗るようになったと言われる。その後、本家の大胡氏は武蔵国に移住したため、大胡城も支配するようになったらしい。
信綱は長野業正、その子長野業盛に仕える。武田信玄、北条氏康の大軍を相手に奮戦し、上州の一本槍と称えられた。長野家滅亡後は武田信玄の仕官要請を断るが、それを惜しんだ信玄の名を一字貰い、名を信綱と改めた。

コメント(4)

信綱は、塚原高幹(塚原ト伝)から兵法の教えを受け、新陰流を創出する。
主家滅亡後、諸国流浪の旅に出る。その途中、小田原に立ち寄り北条氏康に新陰流の妙技を披露、感じ入った氏康や北条綱成が入門したのみならず、信綱は綱成の娘を後妻として娶ることになる。
また、13代将軍足利義輝に兵法を伝授する。この将軍は唯一戦死した将軍で、有能な将軍であったと思う。三好長慶が病死すると、義輝は幕府権力の復活を行なおうとする。しかし、松永久秀と三好三人衆にとっては、義輝は邪魔な存在である。謀叛を起こし義輝の居城である二条御所に軍勢を率いて襲撃する。義輝は上泉信綱、塚原卜伝に教えを受けた剣豪である(ほんとに将軍か?)、家宝の太刀を畳に突き刺し、切りまくって、刃こぼれしたら取り替えるを繰り返し戦ったらしい。しか
し衆寡敵せず、最後は三好勢によって殺害された。
また柳生宗厳にも伝授している。新陰流は柳生家によって受け継がれることになったといっても過言ではないと思う。
その他、言い伝えとして、強盗が幼児を人質に立て籠もり、信綱は、近くの僧侶に袈裟を借り、頭を剃って出家を装って近づき、握り飯を差し出してなだめつつ、握り飯を2つ投げ、受け取った隙に取り押さえ、幼児を無事救出した。といった言い伝えがある。
その他に袋竹刀を作り町民などに剣道を普及させた。と言われている。
また、関ヶ原の戦いで上杉家の家臣として、孫である上泉泰綱が参戦し戦死している。
この城跡はそんな上泉信綱を偲ぶことのできるお城です。
上泉(こういずみ)伊勢守信綱ですね。

柳生の里へ行った時に書いてました。
「かみいずみ」とも「こういずみ」とも言うみたいです。柳生はよく知らないんです。伊賀だったような・・・
柳生の里は伊賀と奈良の間にあって、上泉信綱が旅の途中に寄って、柳生宗厳と法蔵院を弟子にしたと思います。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

戦国時代ゆかりのお城や古戦場 更新情報

戦国時代ゆかりのお城や古戦場のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング