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雑学会コミュの歴史

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日本史、世界史、政治史、経済史、企業史などなど
史のつくものは何でもどうぞ。

コメント(11)

・モーリス=ラヴェルのぴあの連弾曲
一般的では「ボレロ」を作曲したとして有名な人であるが、
彼が作る連弾曲は必ずと言っても良いほど音が密集するために弾きづらい所がある。
実は彼はスケベな人で、教え子である女性と演奏する際に少しでも密着(?)したいという思いから作曲しているからである。

…でも少しは弾くの気持ちも分かって欲しい…
魔の三角海域 バミューダトライアングル(アメリカ近海)
霧に包まれた生臭い海
抜けるような青空の下、紺碧の海が広がり、どこまでもヤシの木が立ち並ぶ白い砂浜が続く―。
フロリダ半島の東方88キロメートル沖にあるバハマ諸島は、まさに絵に描いたようなリゾート地である。文豪ヘミングウェイの名作『海流の中の島々』の舞台となったこの地は、かつてはイギリスの植民地で、その面影は今でもパステルカラーのヨーロッパ調の古い建物となって残されている。毎年、世界各地から300万人を超える観光客が訪れ、その誰もが「地上の楽園」という言葉を口にするほど人気のあるバハマ諸島だが、その一方でこの島々を含む海域は不可思議な出来事が起きる魔の海域としても恐れられている。
 フロリダ半島の先端を起点にしてバハマ諸島を横切る線をプエルトリコまで引き、これを大西洋上に浮かぶバミューダ諸島まで伸ばし、その線をもう一度フロリダ半島まで伸ばす。そこにできる三角の海域が、映画やミステリー小説などにたびたび取り上げられる「バミューダトライアングル」である。
 このエリアが人々を恐れさせているのは、中世から現代に至るまで、そこで消息を絶つ船が後を絶たないからだ。それも20世紀に入ると船だけでなく、上空を飛行する航空機までも忽然と姿を消してしまう事件まで起きているのだ。
 その原因は科学技術が発達した今でも確かなことはわかっていない。

 悪魔の正体はサクガッソー?
これまでさまざまな説が唱えられてきたが、そのひとつに「サルガッソー原因説」がある。サルガッソーとは日本では「ホンダワラ」と呼ばれている海藻でこれが大量に発生し、船にまとわりついて航行できなくなってしまうのではないか、というのである。
 大航海時代、帆船の多くがフロリダから大西洋を経由してヨーロッパに向かっていた。遭遇した船の乗組員らの証言によると、この海域を航行して遭難した船はいずれも港を出て数日後、突如として現れた深い霧に包まれ、むっとするような生臭さを感じている。
 つまり、この臭いの原因がこの藻だったのかもしれないのだ。海上で大量のサルガッソーが漂ううちに、その大半が枯れて腐り出したとも考えられる。
 そして、その臭いの元を探ろうと身を乗り出した船乗りは、海面を覗き込み「なんだ、これは!」と驚愕の声を発したという。なぜなら、船の周りがまるでじゅうたんを敷き詰めたように、びっしりと藻で覆われているからだ。
「隊長!」
 船乗りは操舵室へと駆け上がったが、しかし船長は青ざめた表情で黙ったまま帆を指さすだけである。その指の先にある船の帆はすべて力なく垂れ下がり、わずかばかりの風も吹いていないのだ。
 これは、サルガッソーから抜け出ることができず、もはや食料が尽きて死ぬのを待つしかないということを意味していた。
 バミューダトライアングルの南端に当たるバハマ諸島は、マリンスポーツに人気がある海域で、世界中からマリンブルーの海をひと目見ようとダイバーが集まってくる。だが、そこで目にするのは透明度の高い紺碧の海ではない。北方にはサルガッソーが流れることなく漂っているのだ。
 じつは、この海域の海流はメキシコ湾に向かう流れと、赤道からの流れによって形成される右回りの巨大な潮流のなかほどにあたる。このため、そこにはプールのようにほとんど潮流のない部分があるのだ。
 また、海水が対流しないことからその海流に風は吹きにくく、まったくの無風状態が数日間続くことも珍しくはない。そこで何らかの原因でサルガッソーが大量に発生すれば、船の航行に大きな支障が出ることは想像に難しくないのである。
 大量のメタンガスが悪魔の正体か
 しかし、海藻が遭難の原因だというのでは、飛行機が行方不明になることの理由にはならない。もう一つの原因として考えられている説が、「メタンハイドレート説」である。
 メタンハイドレートとは、深海の海底に含まれる、圧縮されて氷状になったメタンガスのことで、普段は凍っているために安定しているが、海水の温度が上昇したり、地殻変動でそこの氷塊が海中に露出したりすると爆発的に大量のメタンガスを発生させる。
 これが海水面まで上昇すれば巨大な泡となって立ち昇るため、そこに運悪く船が通りかかれば巻き込まれて転覆の可能性がある。さらにメタンガスは空気と混ざると燃焼しやすくなるため、上空に立ち昇って飛行中の航空機のエンジンに吸い込まれれば、その熱でガス爆発を起こす可能性もある。
 いずれの説も真意のほどは不明だが、幸いなことに21世紀に入ってから魔の海域で海難事故や航空事故は起きていない。穏やかな潮流は今も変わりなく、そこにはただのカリブ海の強い日差しが照りつけるばかりである。
船乗りの墓場として恐れられるホーン岬 (チリ)
鋼鉄の船さえも破壊する荒波
丸い地球のちょうど日本の反対側にあたるのが南米大陸のブラジルだ。そこからさらに大陸の南端まで移動すると、チリのホーン岬がある。
ただし、岬といってもここは大陸と大陸続きになっているわけではなく、海上に浮かんでいる孤島である。
世界地図を広げてみればわかるように、この岬を境に太平洋と大西洋が分けられており、さらにその眼前に広がるドレーク海峡を渡れば、そこにはもうペンギンのいる南極である。まさに地球の南の果てという言葉がぴったりとあてはまる場所といってもいいだろう。
このホーン岬は永久凍土が広がるツンドラ気候の極寒の地で、現在はチリの軍隊が駐留しているに過ぎず、岬を訪れる人はほとんどいない。
ただ、海上交通となると話は変わってくる。太平洋から大西洋に抜けるためにはパナマ運河を利用しない限り、この岬を通過しなければならず、また南極ツアーの観光船はここを経由してクルーズを行っている。このため年間を通じてホーン岬の沖は各国の船舶が航行しており、いわば海上交通の要なのだ。
しかし、その一方でこの岬のある海域は長年にわたり「船乗りの墓場」として恐れられてきた。
今でこそ設備の行き届いた豪華客船の船旅ならなんら心配いらないが、これまで何世紀にもわたり、数多くの船を海の藻屑としてきたのである。木造船の時代は言うに及ばず、近代的な鋼鉄製の船になったあとも、海難事故はあとを絶たなかった。
その原因となったのが高緯度ゆえの気候である。北上してきた南極から冷たい空気と、太平洋と大西洋から南下してきた暖かい空気が激しくぶつかり合い、1年中強い風が吹き荒れ、大気が非常に不安定なのである。
恐怖の「叫ぶ60度」
このホーン岬の沖合で遭難した船から奇跡的に助け出された船乗りたちは口数少なく決まってこう語る
「岬に近づくとそれまで穏やかな気候が一変した。突然嵐が始まり、高くうねる波は船を海底に引きずり込もうとし、吹きつける風は獣のように荒々しく、船を木の葉のように弄んだ。私たちはもはやなす術がなかった。」
それは、まるで魔物が待ち構えていて突然踊りかかってくるような天候の変化だったに違いない。操舵室では上下左右に大きく揺れる船を少しでも安定させようと、航海士が必死になって右に左に舵を切っていたはずだ。
そして、ふと揺れが止まったかのように感じた次の瞬間に船は大きく下に落ち、操舵室に激震が伝わった。すぐに「右舷浸水」という悲痛に満ちた声が伝達管から聞こえてくるのである。
波の高いうねりに持ち上げられ、容赦なく海面に叩きつけられるのは、遭難船の典型的なパターンだ。
この海域でこれほどの高波が起きるのは、強い風が吹き荒れているからだけではない。
じつは、もともと太平洋と大西洋では海面の高さが違うのだ。その高さは最大数メートルにも達するとされ、大荒れの海になりやすいのである。
海の男たちはこの岬が西径67度16分、何に55度59分にあることからここを「叫ぶ60度」と呼ぶ。これまで多くの海洋冒険小説の舞台ともなり、今でも海事関係者には恐れられている海域なのだ。
地球が作り出す壮大な力を前に、今日も緊張した面持ちの船員たちを乗せた船舶が航行しているのだ。
世界一有名なイギリスのお化け屋敷 (イギリス)
自分の首を抱えてうろつく幽霊伯爵
これまでイギリス王室関係者が代々にわたり住居としてきたのが、ロンドンの中心にあるケンジントン宮殿である。
この宮殿は故ダイアナ妃と王太子が暮らしていたことでも知られており、その庭園はケンジントン公園として一般に公開されている。ここにはダイアナ妃を記念した噴水やピーターパンの像などもあり、休日ともなれば日光浴や読書をする人たちでにぎわっている。
じつは、この公園の奥には現在ユースホステルとして利用されている古い屋敷がある。その一部は中世の頃に建てられ、いかにも伝統と文化を重んじるイギリスらしいクラッシックな佇まいとなっている。
しかし、この建物こそ地元ロンドンの人たちがいまだに「ホランド・ハウス」と恐れる幽霊屋敷なのである。
1965年のある日、旅行で訪れたホランド・ハウスに宿泊していたガーナ人の男子学生が、屋敷の前の公園で不思議なものを目撃した。それは白いサテンのコートを身にまとった男性の姿だった。
これを見た男子学生は、最初は映画のロケをしていると思ったらしい。なぜなら、その姿は映画に出てくる中世の貴族そっくりだったからだ。
「何の映画をしているのだろう?」と興味を持った彼は、その俳優とおぼしき人物に近づき、声をかけようとして「うわっ」と叫びあとずさった。その貴族がうやうやしく抱きかかえていたのは、その男の首だったのだ。しかも、その頭には白いサテンに銀色の刺繍を施した帽子を載せていた。
男子学生はそのまま再び声にならない声を発したかと思うと、腰が抜けてその場に力なく座り込んでしまった。彼がその正体を知ったのは自分が宿泊しているユースホステルに帰ってからだ。
正気に戻った彼が今起きたことの一部始終をユースホステルの主人に話すと、その主人の顔が見る間に青ざめ、
「ホランド伯爵の幽霊が出た!」
とつぶやいたのである。
男子学生が宿泊している建物はもともと1607年にホランド男爵が新居とするために大改造した屋敷で、以前から幽霊が出ると恐れられていたのである。
幽霊になってもおしゃれは忘れない
現代のケンジントン公園にあるケンジントン地域は、王室御用達として有名なハロッズ・デパートをはじめとした高級ブティックが軒を連ねるショッピング街として知られている。
この華やかさは17世紀初頭から変わっていない。ことにホランド伯爵は常にファッションに気を配るほどおしゃれで、この街を愛していたという。
彼は1622年に結婚すると、妻が所有していた屋敷を改造してきらびやかな装飾で飾りつけた。しかし、イギリスでは折しも国王の独裁に反対する清教徒が革命を起こそうとしていた。そしてロンドンでは、清教徒を弾圧する国王派と、革命を起こそうとする議会派に真二つに分かれ、内戦が始まった。
戦いは次第にエスカレートし、議会派が権力を拳握すると、国王派のホランド伯爵は捕らえられ、弁明の機会も与えられぬまま断頭台に送られてしまうのだ。しかし、最後まで毅然としてふるまった彼は、処刑される前に最後の望みとして、執行人にこう伝えた。
「頼むから処刑後も私の服を脱がさないでくれ、帽子も頭に載せてほしい」
その願いは執行人に聞き入れられ、処刑後はその言葉どおりに帽子を切り落とした頭に載せた。このとき伯爵が着ていたのが白いサテンのコートで、帽子には銀の刺繍が施されていたのである。
彼の屋敷は議会派に没収され、一時は軍隊によって使用されたが、内戦が終結すると再び夫人の手に戻された。首を両手で抱えたホランド伯爵の幽霊が出るようになったのはこの頃からである。
屋敷ではきまって誰もが寝静まった深夜、2階の部屋に現れては床の上を歩き回ったという。そのおぞましい姿は使用人から夫人まで何人もの人たちに目撃され、そのたびに屋敷中に甲高い悲鳴が聞こえたと伝えられる。
屋敷は第二次世界大戦のロンドン大空襲の際に1階部分を除いて焼け落ちてしまったが戦後になって修復され、その後はロンドン市に買い取られ、ユースホステルとして利用されるようになったのである。
幽霊の正体は人間の好奇心か
しかし、ホランド伯爵は本当に幽霊として現れるのか。多数の目撃談はあるものの、いまひとつ信憑性は乏しい。もともと幽霊が出るという話を耳にしているのであれば、真っ暗闇のなか、ちょっとした物音や鏡に映った自分の姿を見て「出た!」と思い込んでしまっても不思議はない。また、せっかくいわくつきの家に泊まっても何も見ないのではさびしい、という心理も人間にはある。人間の期待が作り出した伯爵の姿も、じつは多いはずだ。霊の存在の有無はともかく、ある意味彼は、今も我が家の繁栄に貢献しているといえる。

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