ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

「倫理」が好きコミュの入門講義 社会契約の思想★ホッブズ・ロック・ルソー★

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
この入門講義は1990年ごろ大学の講義で使用したものです。

保井温著

入門講義 社会契約の思想★ホッブズ・ロック・ルソー★

目次

?ホッブズ『リヴァイアサン』の思想

一 ホッブズの人間観
ニ 自然法について
三 コモンウェルス(国家)について
四 国民の自由について

?ホッブズと民主主義ー田中浩のホッブズ評価
はじめに
一 コモン・パワーについて
二 ホッブズの「代表」概念
三 主権の絶対性と「制限」
四 自然法と市民法
五 自然法の解釈権
六 ホッブズの党派的立場
七 王権神授説とホッブズ
八 信教の自由と統制

?ロックの社会思想
一 ロックのフィルマー『家父長制論』批判
二 ロックの政教分離論
三 自然状態論と『人間悟性論』
四 自己労働に基づく所有
五 社会契約と多数決原理
六 立法権と政治体制

 

IV ルソーの思想
第一部 『人間不平等起源論』 について
一 ルソーの論壇デビュー
二 自然状態における人間の特性
三 孤立状態から未開社会へ
四 農耕と冶金 土地私有の発達
五 共通権力の樹立

第ニ部 『社会契約論』の読み方
一 あるべき国家および法律人民と国家の直接的一致
二 特殊意志と一般意志
三 一般意志のアポリア
四 政体の分類
五 立法権は代理できない
六 人民集会

コメント(46)

-------------------二、自然法について-------------------

□ホッブズは、自然権をこう定義しています。

□「自然権とは、各人が自分自身の自然すなわち生命を維持するために、自分の力を自分が欲するように用い得るように各人がもっている自由である。従ってそれは自分自身の判断と理性とにおいて、そのために最も適当な手段であると考えられるあらゆる事を行う自由である。」

□簡単に言えば、誰でも生きているのだから生きようとする権利がある。生きるためのあらゆる行為は生まれてきた以上当然の権利だ、ということでしょう。このようにホッブズは自然権を生存権あるいは自己保存権として捉えています。

□さてホッブズは自己保存権を自然権の定義だとして、その実現のためにはどんな事をしてもよいとしましたが、皆が自分勝手に自己保存のために活動しますと、限られた富の奪い合いになり、戦争状態に陥ります。

□この戦争状態にあってはまさしく自己保存が不可能になりますから、反って自然権が否定されてしまいます。そこで「理性の戒律あるいは一般法則」として次の「基本的自然法」が確認されるのです。

□「各人は平和を獲得する望みが彼にとって存在する限り、それに向かって努力するべきであり、そして彼がそれを獲得できないときには、戦争のあらゆる援助と利益を求めかつ用いてもよい。」

□平和への努力が実らなければ戦争してもよいというのでは、互いに相手の意図を警戒して戦争の準備を怠るわけにはいかず、それが余計に不信を募らせてうまくいきません。そこで第二の自然法はこうです。

□「平和のために、また自己防衛のために必要と考えられる限りにおいて、人は他の人々も同意するならば、万物に対するこの権利を進んで放棄すべきである。そして自分が他の人々に対して持つ自由は、他の人々が自分に対して持つことを自分が進んで認めることができる範囲で満足すべきである。」
□これはお互いに敵意のないことを確認しあい、自分がされたくないことを人にしないと約束しあう事です。これがいわゆる「万人の法」です。(同上、第十四章「第一、第二の自然法と契約について」)

□しかし互いに不可侵というのでは、孤立して暮すことになります。困ったとき、飢えているとき、危険に遭遇したときなど、見殺しにするようでは、自己保存のために他者のものを奪うことも仕方ありません。

□困ったときには助けあうところまで含めて、約束が必要です。ですから第二の自然法に基づいて社会契約が為され平和がもたらされるとは、ホッブズも考えてはいなかったのです。ホッブズが実際に平和をもたらすと考えていた契約は、強制的な契約にあたる支配・服従の契約です。

□支配・服従の契約でも、力による襲撃に対して抵抗する権利は放棄できません。支配・服従契約もあくまで自己保存の為に契約したのですから、この目的が反故にされれば戦争状態に逆戻りです。

□自発的にせよ、力関係から強制されたにせよいったん結ばれた契約が履行されることが平和の維持を保証します。ですから第三の自然法は「結ばれた契約は履行すべし。」ということです。

□ホッブズは、第三の自然法によってはじめて「正義」が成り立つとしています。契約がなければあらゆる権利は譲渡されていないので何をしても不正ではないからというのです。そこで不正とは契約の不履行であるとされます。ところでこの「契約の履行」は何によって保証されるでしょうか。

□ただの口約束や契約書ではいつ破棄されないとも限りません。契約の履行を強制するような共通の権力、つまりコモン・ウェルス(国家権力)が存在してはじめて、信頼に基づく契約が有効になるのです。

□正・不正や所有権が成立するのもそれからです。支配・服従契約のように不平等な契約でも、履行しないのは不正なのです。もし服従を誓わなければ、強者は弱者を敵として抹殺するか鎖に繋げておくしかありません。服従契約によって安全に生活をすることができているのですから、これはひとえに支配者の恩恵なのです。

□そこでホッブズは、第四の自然法を「報恩」とします。これに対して忘恩は自然法の侵害です。被支配者が支配者の隙を窺ってやっつけることも可能です。そんなことになればまた戦争状態に逆戻りですから、忘恩は最も不正な事に当たるのです。

□第五の自然怯は、「相互順応、従順」です。契約を守り、平和な社会を維持するためには互いに協調し合い、掟や支配者の命令に対して従順でなければならないのです。

□第六は「許容」です。過去の罪を悔い改めた者に対しては、平和を堅固にするためにはいたずらに敵視することを止め、許容してやるべきです。

□第七は「報復においては将来の善だけを尊重すること。」

□第八「傲慢であるな」、第九「自惚れるな」、第十「尊大であるな」、第十一「公平」、第十二「公共の物を平等に用いること」等が続きます。

□一つ一つの自然怯を暗記していなくてもいいのです。ある行いが自然法に叶っているかどうかは、

□「自分自身にして欲しくないことを、他人にもしてはいけない。」という「万人の法」によって判定されます。彼は、人格的対等の原理を基づく倫理を強調します。

□「他の人々の行為と自分自身の行為とを比較考量し、もしも前者が余りに重いように思えたならば、前者を秤の反対側に掛け直し、自分自身の行為を前者の代わりに掛ける。そして自分自身の情念や自己愛が、全く秤に掛からないようにする。こうしてみれば、これまで述べた自然法のうち、一つとして極めて当然でないものはないことが明らかになる。」

□互いに相手を尊重し合い、融和し合う事がなければ争いが絶えず、戦争状態に戻ってしまいます。ですからこれらの自然法は永遠なのです。しっかりしたコモンウェルスの下では、平和を求める気持ちさえあれば、その遵守は易しい筈だというのです。ホッブズが道徳哲学だとするのはこのような自然法についての学問なのです。(同上、第十六章「他の自然法について」)
-----------三、コモンウェルス(国家)について-----------

□コモンウェルスの目的は、ホッブズによれば戦争状態を脱して人間生活の安全を保障することにあります。

□人間は互いに自然法を尊重して助け合い、「己れの欲するところを人にも為せ」というバイブルの黄金律を実践していれば、平和に幸福に暮せるのです。

□実際には、他の人々が自分と同様に自然法を守るという保障があるときだけしか拘束力を持ちません。というのは他の人々が自分に敵意を持ち、攻撃しようと待ち構えているところに丸腰で出て行けば、自己破壊であって、自然法の目的に背きます。

□また反対に他の人々が自然法を遵守する十分な保障があるのに法を守らないのなら、その人は平和でなく戦争を求めていることになります。

□では少数者が結合することで安全が保障されるでしょうか。元々戦争状態にあるのですから、相対的に優位な集団ができれば侵略に乗り出す事になってしまいます。

□また多数の人々が結合する場合でも、同一判断によって、つまり一つの意思によって統御されていない限り、安全保障は得られません。

□同じ集団でもばらばらの判断や欲求によって動かされるならば、互いに内部対立を深刻化させることになり、全く無力になります。コモンウェルスの生成は、すべての人の意思を一個人あるいは合議体に結集することによって可能になります。

□その為にはすべての人はあらゆる力と強さを譲り渡してしまうことが必要です。多数の人々が一個の人格に結合し、統合されるのです。

□コモンウェルスにおいては、彼らは自分達が、自発的かどうかにはかかわらず、承認した主権者の行為・判断の総べてを承認し、自己の行為・判断と見なさなければならないのです。つまり主権者に対して絶対服従の義務があるのです。

□彼は、人格は代理され得ると考えています。主権者は人民の意思の代理人ですから、主権者の行為や意思の本人は人民自身です。(同上、第十六章「人格、本人および人格化されたもの」)

□ということは人民自身の意思に反した行為や意思決定を、主権者が行ってはならない事ではないのです。その反対に、一度主権者を自分達の代理人として承認した以上、主権者の行為・判断を作り出した本人としての義務や責任を、人民自身が負わなければならないということなのです。(同上、第二部「コモンウェルスについて。」、第十七章「コモン・ウェルスの目的、生成、定義について」)

□ホッブズは国民が主権者に、生命に関わること以外、一切反抗してはならないことを熱弁しています。

□たとえ主権者が異教徒であっても、カエサルに従えとバイブルにもあるのですから。ましてキリスト教国ならば、神は神の代理人契約を国民の代理人である主権者をさしおいて、主権者以外と結ぶわけがないのです。

□ですから主権者が、教義解釈権を持っており、教会に対する支配権も持つべきだというのです。(同上、第三部「キリスト教的コモンウェルスについて」、第四十二章「教会の権力について」)
□いったん譲り渡した自然権は戦争状態に戻る以外に取り戻すことは出来ません。ですから主権者がどんなに横暴な政治をしたり、犯罪的な行為をしても国民はそれを処罰することも、非難することすら正当ではないのです。

□だってその行為や判断の本人は自分達自身なのですから、あたかも他人に対するような態度は取れないのです。ではコモンウェルスの設立に同意していなかった人は、コモンウェルスの主権者に反抗してもよいのでしょうか。

□ホッブズによれば戦争状態が最悪なのですから、コモンウェルスの設立に反対することは不正です。ある人を主権者として認めないという態度もやはり不正です。誰かが主権者にならなければコモンウェルスを設立できないのですから、いったん主権者になった人を認めないのなら、また戦争状態に逆戻りだからです。

□また彼は、主権がばらばらに分解して統一性を失い弱くなることを警戒していますから、主権は分割できないというボーダンの主権論に立っています。

□主権者は軍事統帥権、イデオロギー統合・支配権、市民法制定権、裁判権、報償・処罰権を一手に握るべきだというのです。市民法とは主権者に第一次所有権があることを前提に、所有権および善・悪、合法・非合法に関する諸規則のことです。

□では無制限に近い主権者の強大な権力を認めることは、コモンウェルスの目的である平和の維持と国民の安寧を危うくするのではないでしょうか。

□古来様々な暴君の存在がそのことを示唆しているように思われます。ところがホッブズは如何なる暴君といえども、戦争状態よりはましだと考えています。

□といいますのは、専制君主の強大な権力は国民が悲惨で貧しい生活をすることによって維持されるのではないからです。国民が産業を発達させ、豊かな暮らしをしていればこそ、コモンウェルス全体の健康が保たれ、その上に強大な権力を築くことができるのです。

□苛政誅求によって国民を疲弊させますとコモンウェルスの体力が弱ってしまうので、専制君主にとっても都合が悪いのです。

□むしろ君主が強大な権力をもっていることは、国力の充実を示しており、国民の活力なのです。

□国民の福利と君主の強権を矛盾対立させて捉え、国民の間に不満や反抗が起こりますが、それは国民が自分自身を護るために力を貸そうとしない御し難さを示しています。

□国民は情念と利己心という二つの拡大鏡を持っていて、ほんの少しの支出でも大きな不満の種になり、将来の悲惨を見通すことができないのです。(同上、第二部、「設立された主権者の権利について」)

□ホッブズは主権の絶対性に関する議論や国民の権利に関する否定的態度から、一般に専制君主政治の代表的なイデオローグと見なされています。

□しかし彼は決して専制君主制が最良だと言ったわけではないのです。彼によるとコモンウェルスには三つの政体があります。

□代表者が一人の場合は君主政(モナキィ)、代表者が一部の者の合議体の場合は貴族政(アリストクラシィ)、代表者が総べての者の合議体の場合は民主政(デモクラシィ)です。(同上、第十九章「設立によるコモン・ウニルスの種類と主権の継承」)

□政体はホッブズに言わせれば、いまさら選び直せるものではないのでどれでもよいのです、主権が絶対性を持ち、国民を護るために充分な力を備えているのなら。

□ただよその国民や古代ギリシアの政体等に憧れて、政治体制を変更しようとすることが最もいけないことなのです。

□コモンウェルスの頭脳にあたり、唯一の意志決定機関である主権者は取り換え不能なのです。

□個体の場合頭脳の取り換えは確かに個体の死をもたらしますが、コモンウェルスの場合も同様だとホッブズは言いたいのでしょう。

□古来政治体制の変更は数多く為されてきましたか、その為にコモンウェルス全体が崩壊するとは限りません。

□主権者が打倒され、新しい体制に生まれ変わってかえってコモンウェルス全体が活性化することも大いに考えられます。コモンウェルスを人体に誓えるのは、発想は斬新ですが、ここまでやればこじつけです。(同上、第二十章「父権的および専制的支配について」)
------------------四、国民の自由について-----------------

□ホッブズの「自由人」の定義はこうです。

□「自らの強さと知力において、自分でやろうとすることを妨げられていない人間」です。ですから恐怖から行う行為も自由だと言います。

□コモンウェルスにおいて法に対する恐怖から為される行為も、すべてそれをしないで刑罰に服する自由をも含んだ行為ですから、自由なのです。

□必然性と自由も両立します。人間の行為はそれをしなければならない諸事情によって行われる必然的な行為ですが、そのような事情を理解した人間の自発的な自由な行為なのです。

□人間は契約によって自分達の行為を制約しますが、そのことによって平和に生きる事ができるのです。だから契約は理性的な自由な行為なのです。

□社会契約に基づいて作られる市民法は人工の鎖であり、これによって不問に付されたことについて自分の判断で行う自由を持っています。

□例示されているのは、売買、契約を結ぶ自由、住居・食事・生業の選択、子どもの教育などです。もちろん市民法の内容は主権者が制定しますので、いくらでも市民の自由を制約できます。

□その上、主権者は自分の制定した市民法によって拘束される義務はないのです。とはいえ余りに厳しく経済面での市民的自由を制約しすぎますと、萎縮して産業が発達しませんから、自ずから限界があります。

□思想信条の自由についても何を考えても、考えること自体は禁じようがありません。その意味では内心の自由は不可侵なのです。

□しかし宗教的な教義や守るべき道徳や賞揚すべき正義の内容は、主権者が決定することができるのです。ですからそれに反する意見の表明や行動を取り締まることができるのです。これは自然法思想の精神とは逆行しています。(同上、第二十一章「国民の自由について」)

□国民が団体を形成して行動することには、ホッブズはかなり神経質です。国民の団体には主権者の権力によって作られるポリティカルな団体と、民間で作られるプライべイトな団体があります。

□その内コモンウェルスの承認がある合法団体と、承認のない非合法団体に分かれます。もちろんホッブズは非合法団体は、悪い体液が不自然に合流した結果生じたのう膿瘍(のうよう)だとして認めません。

□政治団体の代表者の権力は、主権者の許可する範囲内に制限されています。秘密結社は主権のある合議体でイニシアチブを取るために仲間で協議する団体ですから、非合法な分派であり、陰謀の徒です。統治の為の諸党派をホッブズは不正だとします。

□「それらは人民の平和と安全に反し、主権者の手から剣を奪うものである。」というのです。これらに対して合法的な諸団体、諸集会はコモンウェルスの筋肉だとして重要視しているのです。(同上、第二十二章「公的および私的、従属団体について」)

 
ーーーーー?、ホッブズと民主主義―田中浩のホッブズ評価―ーーーーー

ーーーーーーーーーーーーはじめにーーーーーーーーーーーーー

□社会契約論の代表的思想家としてホッブズ・ロック・ルソーがあげられます。ただし同じ社会契約論と言いましても、かなり思想傾向は異なっています。

□ロックやルソーは、人民がお互いの契約によって社会を形成したのだから、主権は人民に属しており、多数決原理が貫徹されるべきだと主張していました。

□それに反してホッブズは、社会契約で自然権を譲渡したのだから、主権者には絶対的に服従すべきだと説いたのです。それで一般にはホッブズは絶対王政の擁護者であり、アンチ・デモクラシィーの代表者のごとく見なされていました。私も、実際に『リヴァイアサン』 を読んでみてそのような感想をもっています。

□ところが、このたびNHK市民大学のテキスト『近代国家と個人―デモクラシー思想の変遷―』 で田中浩一橋大学教授は、なんとホッブズを民主主義思想家として位置付けています。

□専制政治の擁護者を民主主義思想家に入れますと、一体民主主義や基本的人権とは何か分からなくなります。田中はどんな理由でホッブズを民主主義思想家と認めているのでしょうか。またそのような理由で民主主義思想家と認める事は、果たして民主主義の正しい理解と言えるのでしょうか。

□たとえば六月四日の天安門事件の評価を巡って、社会主義者の見解が割れていますが、無防備の民衆に発砲する事を肯定しても、民主主義思想と言えるのかどうかは大いに疑問です。

□やはり基本的人権の尊重が謳われていなければ、現在では民主主義思想には入れられないでしょう。現代と同じ基準でイギリスの市民革命期の思想を評価するのは妥当ではありません。

□やはり市民革命の進展と関連して、ホッブズの果たした思想的役割を見直し、彼の民主的要素と言われている思想内容がどのような意図の下に、どのような文脈で語られているのかが具体的に検討されなければなりません。

□そのことを通して民主主義とは何かが問い直されることになるでしょう。田中は『近代国家と個人』では、NHK市民大学テキストということもあり、『リヴァイアサン』からきちんと論拠を示しているわけではありません。必要に応じて田中浩著『ホッブズ研究序説―近代国家論の生誕―』(御茶の水書房、1982年刊)を参照しながら、「ホッブズと民主主義」を探究することにしましょう。
-----------一、コモン・パワーについて------------------

□「政治学の研究書や教科書の中で、今日の権力主義的な巨大国家を指して、かの『リヴァイアサン』のような強大な国家といったような表現をよく見かけるが、かれの政治論を少しでも立ち入って読めば、こうした用語法が全くの誤解に基づくものであることはすぐさまわかるはずである。

□なぜならホッブズのいう国家最強論とは、人間が自分の生命や自由を守るために、自分たちの力を合わせて(同意契約)設立した共通権力(コモンパワー)をもつ政治共同体=国家(コモンウェルス)が国王・議会・教会・ギルト等の他の政治・社会権力よりも上位あるいは優越的地位にあることを意味していたからである。

□すなわち彼の政治原理に基づいて新しく作られた政治共同体(国家・政治権力)こそが、真に全構成員の利益を代表するものであり、したがってそれは最強・最高であるべきだ、というわけなのである。憲法や政治学において、国家には主権(最高権力)がある、という表現が用いられるが、それは、本来、いま述べたような意味に解さなければならない。」(『近代国家と個人』16〜17頁)

□この田中の解釈では、国家は人間が力を合わせて共同で作ったものだから、真に構成員全体の利益を代表している。それであらゆる権力に優っており、その意味で最強だと主張していることになります。

□ところでこの利益代表者である権力者は、かれの政治的な意志決定を、全構成員あるいは全構成員から民主的な手続きで選出された代表の意志によって拘束されると説いているのか、それとも拘束されてはならないと説いているのか、この点がホッブズの思想が民主的か、民主的でないかの判定基準になるはずです。

□全国民の利益代表を名乗っても、権力者の自由な裁量に国民的な利益の判断が委ねられている国家は、とても民主的とは言えないはずです。

□また果たしてホッブズは社会契約を全国民の自由で自発的な意志により、強制される事なく行ったと説いているのか、それとも戦争状態から逃れるために弱者が強者の支配を受け入れることによって成立したと説いているのかも、ホッブズの思想の民主性の度合を決める参考になるでしょう。

□「ところで、人びとが契約を結び、『共通権力』(主権)を設立したとしても、それだけでは政治社会=国家は運営されない。

□そこで契約を結ぶと同時に全員の『多数決』によって、『共通権力』設定の目的を遂行するための代表としての『主権者』が選ばれる。

□この手続きが完了したとぎ事実上、国家(コモンウェルス)が誕生したといえる。

□ホッブズによれば、主権者の数は一人でも少数の会議体でもよい。当時の状況からみて、そうした主権者としては新しい国王(当時チャールズ一世は処刑されていたから)、クロムウェル、議会にかわる新しい会議体などがホッブズの念頭にあったのかもしれない。

□しかし、ここで重要なことは、主権者の数が問題なのではなく、主権者たるものが、契約者全員が『力を合成』して作った統一体としての『共通権力』の一致した意志を真に『代表』しえるかどうかという点にある。

□すなわち主権者が全成員の『代表』であるという資格をもつということは、かれが、全成員の利益を守るために、すぐれた法を制定し、正しく法律を執行し、公正な裁判を行うように配慮することを義務づけられている、ということを意味する。

□この『代表概念』こそ、すべての近代国家における政治運営の基本概念であることはいまさら指摘するまでもあるまい。そこで、主権『共通権力』は、ルソーの『一般意志』と同じく最高・絶対・唯一不可分であるが、代表たる主権者(今日風にいえば政治の衝にあたるもの)の行為にはおのずから限界がある、ということになる。」(同上、36〜37頁)

□ここでキーワードは、「代表としての主権者」です。これを「多数決」によって選ぶとはどういう事なのでしょうか。『リヴァイアサン』に直接当たって確認してみましょう。

□「そして大衆(Multitude)は本来『ひとり』ではなく『多数(Many)』であるから、代表者が彼らの名においていったりしたりすることについては、すべてひとりではなく、多数の本人(many Authors)と解することができる。

□各人は彼らの共通の代表者に各自、個別的に権限を与える。彼らが代表者に無制限に権限を与える場合には代表者がなすすべての行為を自己のものとして認めている。」(第一部、人間について第十六章、人格、本人、人格化されたもの)

□各人が自己の人格の権限を代表者に与えてしまうと、代表者が代表してなす行為は、代表されている大衆自身の行為である、ということです。

□代表者の判断が代表されている者の判断とずれていても、いったん判断を任せたのですから、今更文句は言えないということになっています。これが下敷きになって、ホッブズ独特の社会契約が成立するのです。

□「人々が外敵の侵入から、あるいは相互の権利侵害から身を守り、そして自らの労働と大地から得る収穫によって、自分自身を養い、快適な生活を送っていくことを可能にするのは、この公共的な権力(Common Power)である。

□この権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって(by plurality of voice)一つの意志に結集できるよう、一個人あるいは合議体(Assembly of men)に、かれらの持つあらゆる力と強さを譲り渡してしまうことである。」(第二部、コモンウェルスについて、第十七章、コモンウェルスの目的、生成、定義について)

□この力と強さの譲渡によって、コモンパワーは強大な力を持つ、結集された意志になります。

□そしてこの意志の決めたことは人々の意志を代表しているのですから、人々は決して逆らってはならないことになります。自分たちで意志決定を任せておいて、後になってそれは我々の意志でないと言っても遅いのです。ですから続いてこう述べています。

□「ということは、自分たちすべての人格を担う一個人、あるいは合議体を任命し、この担い手が公共の平和と安全のために、何を行い、何を行わせようとも、各人がその行為をみずからのものとし、行為の本人は自分たち自身であることを、各人が責任をもって認めることである。そして、自分たちの数多くの判断を彼の一つの判断に委ねる。」

□大衆は自分たちが権限を譲り渡した一個人あるいは合議体に対して、本人は自分たちなのだからという理由で、その意志決定に介入することは出来ないのです。

□コモンパワーとして意志決定する力自体が主権者に委ねられているのです。こうしてすべての構成員が一個の同じ人格に結合されて合体するわけです。

□多数決でこの合体が行われるというのは、自然状態から脱してコモンウェルスを作ろうという声がその地域で強くなって一人格への合体が行われたという意味なのです。

□このコモンウェルスの形成は、ふた通りあります。

□一つは、有力な一個人あるいは合議体がある地域に覇権を確立し、その住民に服従を条件に生命を保障する場合です。ホッブズはこれを「獲得された」コモンウェルスと呼びます。

□もう一つは、人々が、他のすべての人々から自分を守ってくれることを信じて、一個人あるいは合議体に自発的に服従したことを同意した場合です。

□これは「設立された」コモンウユルスと呼ばれます。

□いずれにしてもコモンウェルスに合体してしまえば、個々の国民や人民全体には全く、コモンウェルスの意志決定権はないのです。そこに人民主権の原型を見出そうとする田中の次の解釈は全くの誤解なのです。

□「ホッブズは、契約によるこの全構成員の『力の合成』を『共通権力』と呼んでいるが、これこそが、最強の権力(リヴァイアサン)つまり最高権力=主権である。したがって、この『共通権力』=『力の合成』という考え方は、のちにルソーの『社会契約論』にもみられるように、今日の国民(人民)主権の原型をなすものといえよう。

□社会契約によって、一つの政治共同体に、全構成員の生命の安全を保障するための一つの権力(権威)が設立されたことをもってホッブズは、国家(コモンウェルス)誕生の指標としている。国家には主権がある、また、主権は最高・唯一・絶対であるという概念・定義はこの意味に解さなければならない」(35〜36頁)
-----------二、ホッブズの「代表」概念-------------------

□田中の誤解の原因は、社会契約における「合意」や「代表」の意味の取り違えにあります。

□ホッブズは、独立平等な人格の平和を求める意志の結集として、近代的にコモンウェルスの形成を説きますが、そのような装いのもとで実際に出来上がる国家は、絶対にして不可侵の主権を持つ者が支配するのです。

□ホッブズの狙いは、古い絶対主義的な専制支配を合理化する振りをして、近代的な民主主義の原理を説いたのではないのです。

□民主主義の動機となる要素までうまく取り込んで絶対専制を合理化するのが、彼自身の意図したところです。それが有産階級のみを代表する議会権力の長老派や、普通選挙に基づく民主政治を求めた平等派等との対決を通して、鍛えられた王党派の中の異端理論の立場なのです。

□田中によれば、主権者は「人々が自発的な同意によって選んだ」のだから、「代表人格(主権者)の定める命令っまり市民法」は、一主権者の意思であり、同時にそれは、主権者を選んだ契約当事者全員の意思でも」ある、としています。

□それで「ここに、治者と被治者の同一性という近代国家原理が定式化されているのであって、これは、ルソーの『一般意志』という考えにきわめて近い。」(『ホッブズ研究序説』33〜35頁)というのです。

□ルソーの「一般意志」の場合は、立法権は譲渡できないという立場に立っています。みんなの幸福を実現するためにどうするのが最善か、徹底的に話し合って、意志を統一し、そのもとに力を合わせようというのが「一般意志」の立場です。

□意志を一つにするという点で似ているように見えるかも知れませんが、ホッブズの場合は、意志を一つにするには一つの意志を持った主権者(個人あるいは合議体)に無条件にしたがえ、と説いているのです。もちろんホッブズはそのことをはっきりと疑問の余地なく説明しています。

□「第十八章、設立された主権者の権利について」では、まず主権者に賛成投票をした者も反対投票をした者も、等しく主権者の行為と判断をあたかも自分自身のそれであるかのごとくに「承認」するとあります。

□主権者への服従が契約によって義務づけられているので、他の何者かに服従する契約を結ぶことは出来ないし、政体を変更したり、主権者を取り換えたりできないとしています。

□主権者を設立した人々は、主権者の行為や判断をすべて承認することを相互に誓い合い契約し合ったのですから、主権者のいかなる行為も不正であると非難すべきではないというのです。

□これに対する違反は、自分自身に対する裏切りであり、自分自身で自分を罰することになるといいます。これはコモンウェルスが構成員にとっては自分自身であり、その主権者の支配は自己支配に当たると見なすからです。だからといって個々の人々が主権者の意志決定に介入できるということは全然ないのです。

□コモンウェルスが一つの巨大な人工機械人間としてリヴァイアサンであり、主権者はその司令中枢であって、構成員はその細胞のようなものと捉える事で、この論理がはっきりするのです。

□コモンウェルスをジャイアンツとして捉えることによって、主権者の意志の本人が各構成員であるとか、主権者の力や支配力は全構成員の力であるとか、主権者への服従は自己自身への服従であるとか、主権者の目的は平和と国民の福祉であるとかの意味が理解できるのです。

□またそれでいて、各細胞が前頭葉の意志決定の本人でありながら、実際の意志決定には全く介入できないのと同じで、各構成員は主権者の意志決定には全く参与できないということも「国家=巨人」論ではっきりします。

□リヴァイアサンを強大な怪獣というマイナスイメージだけで捉えてはいけません。政治的にみて、専制的か民主的かは主権者が人民の福祉のために政治を行っているかどうかによってではなく、意志決定過程で人民の意志がいかにまたどの程度反映しているかで計られるのです。

□いかに王党派の理論であっても、王は私利私益のために政治をするべきだと考えているわけではありません。王党派は、国家の重大事に関しては主権者が議会に諮らず決定すべきだという国王大権を強く擁護したのです。それは真に公の立場に立つことができるのは、国王のみだという考えからくるのです。
-----------------三、主権の絶対性と「制限」-------------

□国民は主権者のいかなる行動も非難したり、処罰したりできないというのですから、善良な人民本位の主権者だけを予想しているのではなく、主権者にはきわめてたちの悪い暴君や特権によって私腹を肥やす利権集団も予想されているのです。

□しかし主権者は苛政を行うあまり国内の平和を乱し、国民の活力を喪失させては、かえって自分の支配力を弱めることになってしまいます。ですから苛政には限界があるのです。

□主権者がいないと自然状態に逆戻りで、最も悲惨な「万人の万人に対する戦争状態」になりますから、どんなに悪い王でも王がいないよりはましだということです。

□現代人ですと王政→貴族政→民主政という展開は、歴史的な進歩と思われ、よりよい政治が行われるようになると、思い込みがちですが、それは近代民主政治の発展を体験した上で言えることです。

□それに現代の民主政治にしても、その実は官僚独裁であったり、一部の利権集団が多数党と癒着して金権政治が幅をきかしていると言われています。

□それぞれの政体には一長一短があってどれか最善かはいちがいに決定できません。

□ギリシアのポリスの政治体制はアテナイなどで王政→貴族政→民主政という発展が見られましたが、プラトンに典型的に見られますように、民主政治の衆愚政治への堕落が非難の的になっていました。

□ローマではこの三つの政体を混合し、調和させた政治体制として人民集会・元老院・皇帝が牽制し合っていたといわれています。

□ですからホッブズの生きたピューリタン革命期のイギリスにおいては、どの政体が最善かは未決の事項でした。そこでホッブズは政治体制の変更はコモンウェルスを作ったときの契約への裏切りと見なし、道徳的に否定したのです。

□いったん契約を破って主権者を取り換えますと、契約のやり直しになり、新しい主権者はまた裏切りに合う危険を抱えます。結局自然状態への逆戻りを意味するから、一切、正統な継承によらない主権者の変更は認められないとしたのです。

□ホッブズは、主権者への批判や反抗を一切認めなかったのですが、このことについて田中は次のように述べてホッブズの自然権の立場を強調します。

□「とはいえ、たとえ主権者の命令であっても、『自己保存の原理』からして、それに反抗できる例外があることをホッブズは認めている。たとえば、戦場におもむくことを命ずる主権者の命令にたいしては、理由はさまざまであれ、それに異議があるときは従わなくてもよいとか、あるいは死刑囚といえどもチャンスがあれば逃亡してもよい、とかの発言がそれである。

□この趣旨はあくまでも『人命の尊さ』を主張しようとしたものと思われるが、前者については現代の英米における良心的徴兵忌避の思想につながるものとして、また後者については死刑廃止論にもつながる思想として見逃しえない貴重な提言であったといえよう。」(38頁)

□「人命の尊さ」の立場にたって、平和主義を訴えたのではありません。あくまでも人間を科学的に考察して社会の原理を解明しようとしただけです。

□自然状態では互いに自己保存の為に自己のテリトリーの維持・拡大に努めなければなりません。

□コモンウェルスが成立していないと、互いにやられる前にやるしかないということで戦争状態に陥ります。これでは落ち着いて生産や流通および消費ができず、文明の発展も望めません。共倒れに終わってしまい、人類の衰退滅亡は避けられなくなってしまいます。

□そこで最有力者の覇権を承認し、服従を誓うことによって、コモンウェルスを形成し、生存を保障してもらう代わりに、その主権の絶対的支配に服することになるのです。

□この契約は命乞いの契約ですから、主権者が国民の命を取り上げたり、危険に陥れたりするのは契約の蹂躙だというわけです。あくまでも自己保存のために服従契約を結んだのですから、服従するのは自己保存のためでなくてはなりません。

□ですからこれではとても自己保存が覚束無いと考えたなら、出兵を拒否したり、命令に背いたり、逃亡してもよいのです。犯罪を犯して捕まえられている場合でも、坐して死を待つ事はなく、逃亡してもよいのです。

□最低限の自己保存の権利だけは、決して譲渡され得ないというのがホッブズの立場です。ぎりぎりに追い詰められれば契約は消滅し、自然状態に逆戻りするといっているだけですから、やられるれるまえにやるという「闘争の原理」であり、良心的徴兵忌避の思想や死刑廃止論と全く繋がりませんし、平和主義でもなんでもないのです。

□「この根拠によって、人がたとえ一兵士として敵と戦うことを命じられ、また、彼が拒否すれば主権者が死刑をもって処罰する権利を持っているとしても、多くの場合、彼はなお拒否することを許されており、しかもそれは不正ではない。… 中略… 戦いが始まると、一方または双方に逃亡者が現われる。しかし、彼らが裏切りではなく恐怖から逃げるのであれば、それは不正ではなく不名誉な行為と見なされるべきである。

□同じ理由によって、戦闘を回避することも、不正ではなく臆病である。もっとも、兵士として登録している者、前払いの徴兵金を受取っている者には生来臆病であるという口実は許されない。彼らは戦場へ行くだけではなく、隊長の許可なしには逃亡しないという義務を負っている。また、コモンウェルスの防衛のために、武器をとりうる者すべての協力が必要なときには、すべての人に義務がある。」(第二十一章、国民の自由について)

□このようにホッブズは、自己保存のためのぎりぎりの選択は道徳的に不正ではないと説いているのです。

□これにたいしては主権者が死刑を含む罰則を定めることも、主権者の当然の権利だとしています。ですから死刑囚や兵士の逃亡は道徳的に承認されているだけで、これを阻止することも主権者の権利に入っているのです。

□ただし、職業兵士については、逃亡は職務契約の違反として不正だとしているのです。

□またコモンウェルスはすべての構成員が自己保存のために造ったものだから、根本的には全員に防衛義務があるのです。ですからホッブズの考えたことは、主権の制限ではありません。

□実際、人民は自分たちの生存が脅かされるぎりぎりの状態では契約は消滅したのですから、主権者に抵抗してもよいのですが、この抵抗に対して主権者は、契約が消滅し、自然状態に戻ってこの敵と戦争状態に入るのです。

□その場合、強大なリヴァイァサンに人民が互角に戦うのは無理があります。それでもホッブズは主権者に絶対権を与えよといいます。強大な主権なしではコモンウェルスの平和は成り立たないからです。それでは自然状態に逆戻りし、人間が絶滅するからです。

□それよりはいかに暴君といえども人民の力なしでは強大な権力は成り立たないのだから、人民の福祉を目的にせざるを得ないという、主権者の公的性格に信頼していたのです。

□それでホッブズに言わせれば、君主のやり方に一々反撥する連中は、コモンウェルスによっていかに恩恵をこうむっているか見ることができない狭量に陥っている、主権者の権力を妬んで契約を忘れた忘恩・亡国の輩だ、野心の虜だ、ということになります。
------------------四、自然法と市民法--------------------

□ところで田中は、ホッブズが主権者の制定する市民法は自然法に反する場合は無効だとしていることを取り上げ、彼を民主的思想家に仕立あげようとしています。

□「ホッブズは主権者の行為の限界を指摘した例をいくつかあげているが、たとえば重要なものとしては、自然法(自然権)の内容に反する市民法(各国ごとの法律)を制定することは無効である、という言葉がある。

□ここには、『実定法』の背後に、生命を尊重し、自由を保障せよ、というイギリスの伝統の『法の支配』観念が鋭く眼を光らせ、『悪法』の出現を監視する精神が働いている。

□この点、ホッブズの法思想は、法律という形式さえとっていればいかなる法律も合法的であり服従しなければならない、としてきた戦前のドイツや日本に色濃くみられた悪しき法万能主義とはまったく無縁である。

□だからこそホッブズは主権者の定めた法律や命令には国民は反抗してはならない、と言い切ることができた。

□この文言を指して、ホッブズの思想は絶対主義的であるとの批判がしばしばなされてきたが、主権者は全国民の意志を代表すべき存在であるとホッブズが考えている以上、代表の意志はすなわち全構成員の意志であるから、それに積極的に従うことこそ『社会契約』の精神に沿うものであろう。」(『近代国家と個人』37〜38頁)

□「では、ホッブズの考えるより高次な規範とは何か。それは、理性の声=自然法である。より具体的にいえば、自然権=自己保存権である。

□ホッブズは『自然の法と市民法は相互に他を含む』と、述べているから、このことは、つまり、人々の生命を危うくするような命令や法律はいくら制定しても無効である、というわけである。ここに主権者による法律制定の限界があるのである。」(『ホッブズ研究序説』36〜37頁)

□では『リヴァイアサン』「第二十六章、市民法について」にあたって、ホッブズの真意を探ってみましょう。

□「《市民法》とは、すべての国民にとってコモンウェルスが善悪の区別、すなわち何が規則違反で何がそうでないかを区別するのに用いるよう、ことば、文書、その他意志を示すのに十分なしるしによって彼らに命じた諸規則である。」と定義されます。

□ホッブズによりますと、コモンウェルスの命令である法を制定する権利を持っているのは主権者のみです。

□なぜならコモンウェルスを人格的に代表するのが主権者だからです。主権者は従って法を自由に改廃できるので、法に従う必要はないのです。

□慣習は長く続くと法になりますが、これは主権者が沈黙によって同意を与えてきたからです。もちろん慣習を法によって禁止する権限も主権者は持っているのです。

□「自然法と市民法は互いに相手を含み、その範囲は等しい。自然法とは、公平、正義、感謝およびそれらにもとづく道徳的善であるが、それはまったく自然の状態では、もともと法ではなく、人々を平和と服従に向かわしめる本来の性質なのである。

□ひとたびコモンウェルスが設立されるや、それらは現実に法となるが、それまでは法ではない。というのはそのとき自然法はコモンウェルスの命令となるから、その結果市民法ともなる。すなわち人々をしてこれらの法に服従させるのは、主権者に他ならない。

□なぜかといえば、私的な人間に種々意見の相違があるときに、公平、正義また道徳的善とはなんであるかを宣言し、それに拘束力を持たせるには、主権者による命令と、その違反者にたいする罰則を定める必要があるからである。したがってこれらの命令は市民法の一部である。

□このようにみれば、自然法は世界のすべてのコモンウェルスにおいて市民法の一部であり、また、これに対応して市民法も自然の諸命令の一部である。

□なぜなら、正義、即ち、契約の履行および各人に各人のものを与えることは、自然法の命令の一つである。ところで、コモンウェルスの国民はすべて市民法に服従することを契約した。

□〔その契約が共通の代表を得るために集まったとき相互に結ぶものであろうとも、あるいは剣によって屈服させられ生命と交換に服従を誓う場合のように、ひとりずつ代表自身と結ぶものであろうとも変わりはない。)

□したがって市民法への服従は、同時に自然法の一部でもある。市民法と自然法は異なる種類の法ではなく、法の異なる部分である。すなわち一方は成文法で「市民的」、他方は不文法で「自然的」と呼ばれる。

□しかし自然的権利、即ち人間の自然的自由は、市民法によって縮小され、また抑制されるであろう。否、法制定の目的はそもそもそうした抑制にほかならない。そして、それなしには、いかなる平和もありえない。

□法が地上に持ち込まれたそもそもの理由は、個々人の自然の自由を制限し、互いをそこなわず、むしろ助けあい、共同の敵に対しては結束し得るような方法をとることにほかならなかったのである。」(第二十六章、市民法について)
---------------------五、自然法の解釈権-------------------

□物事には従うべき道理があります。これが自然法です。しかし人によってその解釈は様々です。何が善で何が悪が統一しておきませんと社会の秩序は保てません。

□そこでコモンウェルスができますと、主権者によってこれらが解釈され、コモンウェルスの命令として成文化されて市民法になるのです。

□コモンウェルスの命令はこの他にもあるとしますと、自然法に関して主権者が行った解釈は、市民法の一部分だということになります。つまり、市民法は自然法を含んでいるのです。

□他方、「結ばれた契約は履行すべし」というのはホッブズによれば、第三の自然法です。

□国民はすべて主権者の命令である市民法には服従することを契約しているのですから、市民法に従うことも自然法に従うことに入るのです。その意味で自然法は市民法を含みます。

□さて、市民法と自然法は互いに他を含むのですが、そこから悪法は法でないという結論が導けるでしょうか。

□たしかに主権者にとっては、これこそ自然法に基づいているのだという確信のもとに法を制定するわけです。しかし、主権者がよかれと思って制定した法が悪法でないという保証はどこにあるのでしょう。

□国民は自然法の解釈権を主権者に委ねる契約をしてしまったのですから、主権者が国民を代表していかなる解釈をして市民法を定めても、主権者の意志の本人は国民自身なのですから、従う義務があるのです。

□「代表」「本人」というタームの用法はホッブズ独特なのであり、田中は自分流にごく常識的に受け止めているので、とんでもない誤解を生じているのです。

□主権者は自然法を正しく解釈して、悪法を制定しないようにする義務があるのです。しかし何が正しい解釈か国民自身が議論し、決定してはならないというのがホッブズの立場です。

□もし国民に解釈権を認め、その討論の結果を国民の多数決でとってもよいのなら、国論は分裂し、主権者はどちらかの側につくことになり、公正ではなくなります。

□主権者は常にいずれかの側から非難され、攻撃されることになるでしょう。それではとても主権者の威信と地位は保てない、自然法に関する解釈権を一手に握っているからこそ主権者なのだと言うのです。

□一般国民から見て悪法は無効ですが、それでももし主権者が同じ内容を自然法に叶っていると解釈すれば、社会契約を
廃棄しない限り(生命に関わる以外は破棄するのは不正です)反抗できないのです。

□そしてたとえ主権者が自己の良心に反して、情念の赴くままに、意図的に自然法に反して命令したとしても、反抗してはならないのです。このことは「第二十四章、コモンウェルスの栄養摂取と生殖作用について」で次のように述べられています。

□「国民の一人が彼の土地内に持つ所有権(propriety)は、他のすべての国民がそれを使用することを排除するが、合議体と君主とを問わず、主権者を排除するものではない。なぜならば主権者つまり〔彼がその人格を代表する〕コモンウェルスは、共同の平和と安全のためだけに行動するものであり、土地の配分もまた同じ目的のために行われるものと解すべきだからである。

□したがって、この目的をそこなうような配分はすべて国民の意志に反する。国民は自分の平和と安全を、主権者の裁量と良心に託しているのだからである。

□それゆえ、国民それぞれの意志によって、それは無効と見なされるべきである。主権を持つ君主、あるいは合議体の多数派が、自己の良心に反し、情念のおもむくままに、多くのことを国民に命じることは確かである。

□しかし、それは背信行為であり、また自然法に反している。しかし、それだけでは主権者に戦争をしかけたり、彼を不正行為のかどで訴えたり、あるいは非難するのに十分な権限が国民に与えられはしない。

□国民は主権者のすべての行為を承認したのであり、彼に主権を与えるとき、その行為を自分たちのものとしたのである。」

□これらのホッブズの叙述は、主権の絶対性を前提にしています。

□田中は主権が人民の合意に基づく契約によっており、主権者の意志は人民を代表しているので人民自身の意志だとして人民主権論の先駆とみなしているのです。

□田中の解釈はまったくべーコンのいうエセ帰納法の典型です。自分の立てた解釈に都合のよい片言隻語だけ取り出して、いかにもホッブズを民主主義的に解釈可能なように言うのですから。
ーーーーーーーーーー六、ホッブズの党派的立場ーーーーーーーーーーー

□主権の絶対性自体は政治体制の選択に当たっては中立的だと仮にします。

□ホッブズは主権を持つ者の数によって、単数の場合は君主政、少数の合議体の場合は貴族政、人民全体から公正に選出された合議体の場合は民主政だとしています。

□ホッブズはしかし、ほとんど主権者を君主あるいは合議体として展開しており、それらの権力が絶対的であるべきで、国民はコモンウェルスの意志決定過程に、発言権や決定権を完全に排除されているのです。

□ですからこのような論理は、先ず民主政とは両立しません。そして主権の絶対性を否定する議論に反駁するために『リヴァイアサン』を書いているのです。

□この議論をイギリスの市民革命の中で位置付けますと、明らかに平等派の急進的民主主義、独立派の人民主権論、長老派の特権階級中心の議会主権論、イギリスの伝統的な「制限・混合王政」論などをすべて退け、当時王が元来は保持していると考えられた主権の絶対性と不可侵性(不可変更性)を主張したのですから、明らかに王党派の立場だったと言えます。

□ただし元々が民主主義派の用いていた契約論を用いたり、平等な人間観を前提に自然法を説いたりして、主権の絶対性の主張に近代的・合理的そして科学的な説得力を持たせようとしたので、部分的には後の人民主権論と共通するような表現が散見されるのです。

□「多数決による合意」で「コモンウェルス」を形成したので「共同権力」であるという外見も、実は独特の「代表」概念で専制権力の合理化に過ぎなかったのです。

□自然権の強調も人権尊重の立場を打ち出しているように見えて、少しも専制権力を実質的に制約しようとはしていません。だから基本的人権を憲法によって保障し、それを蹂躙しようとする専制権力から護ろうとする「法の支配」の立場ともまるで違っているのです。

□ホッブズは、その唯物論的な発想から危険視され、英国国教会と対立しました。それで王党派の中でも孤立しました。

□そしてロンドンで『リヴァイアサン』を出版するためにクロムウェルから帰国許可を得たのです。それが『リヴァイアサン』解釈にクロムウェル独裁を正当化する論理や、王党派の帰順を正当化する論理を読み取る解釈を生んだのです。

□クロムウェルは、ホッブズから見れば主権の纂奪者ですから、主権者は取り換えてはならないという立場からは認められません。

□ピューリタン革命で新しいコモンウェルスが設立されたとしますと、王党派の帰順は正当です。ホッブズ自身の行動もイギリス本土で生きていくために、クロムウェルの支配を認めたことになります。しかし政体は変更すべきでないという著作全体のテーマから考えて、やはり王党派の絶対主権論の一典型だと言えるでしょう。
-----------------七、王権神授説とホッブズ-----------------

□田中は、フィルマーの『パトリアーカ(家父長制論)』の王権神授説と、ホッブズの社会契約論を対極的にだけ捉えています。

□フィルマーは、各国の王をアダムの直系と認め、家父長が家族に対して絶対的な支配権を持つべきだという封建的な家族意識に立脚して、民族の家父長である王の支配権は、絶対的であるべきだと主張したのです。

□その合理化のために、神はアダムやアブラハムなどの族長にのみ部族の支配権を与えた事を『バイブル』に即して証明したのです。

□フィルマーの論理でいきますと、王権は直接神から授けられていることになりますから、人民の合意や人民の福祉などによって王権の意義を説く必要がなくなります。神を信仰している以上王権には逆らえないことになるのです。

□これに対してホッブズは、田中の解釈では、主権は人民の多数意志に基づく共同権力だから、あくまで人民の合意を実行するものであり、人民の福祉に意義があることになります。

□全くフィルマーとホッブズは正反対だと見なしているのです。

□フィルマーはホッブズを評して、

「自分は、ホッブズの言う政府の権限については満足だが、それを獲得する手段については満足できない。」「彼の建築物は称賛するが、その土台には反対である。」(『ホッブズ研究序説』352頁)

と述べていたそうです。

□つまり主権の絶対性の強調には満足でしたが、社会契約説には納得できなかったのです。

□しかしホッブズは、いわゆる王権神授説に全く無縁だったわけではないのです。たしかにフィルマーのように王がアダムの直系だという論理は使いません。彼は地上における支配権は主権者のものであることは神も認めていると考えています。

□『バイブル』には「カエサル(皇帝)のものはカエサルへ、神のものは神へ」とあります。

□たとえ異教徒が主権者であっても、その支配に逆らってはならないのです。ましてキリスト教国であれば、主権者が神の意志を解釈する教義解釈権を持つべきであるとしたのです。彼はキリスト教国における新たな預言や啓示の可能性を否定した上で、次のことを確認します。

□「国家についても宗教についても、この世においては現世的な統治以外はなく、国家および宗教の統治者が教えることを禁じている教義を教えることは、国民のだれにとっても合法的ではない。

□そしてその統治者は一人でなければならない。さもなければコモンウェルスのなかで、『教会』と『国家』、『霊主義者』と『現世主義者』、『正義の剣』と『信仰の楯』、そのうえ各キリスト教徒の胸の中では『キリスト教徒』と『人間』の、分裂と内乱が起こることは必然だからである。

□教会の博士たちがバースター(牧者)と呼ばれているように、政治的主権者たちもバースター(指導者)の名で呼ばれる。しかしもしも、一方のバースターたちが他方に従属し、ひとりの主導者ができるのでなければ、人々は相反する教義を教えられることになる。

□そしてその場合、教義はいずれも間違いであるか、少なくとも一方は間違っているはずである。自然法にしたがって、だれがそのひとりの主導者であるかについてはすでに示した。すなわち、それは政治的主権者である。では『バイブル』は、その政治的主権者の職務を誰に割り当てるのか。」(第三十九章)
------------------八、信教の自由と統制-------------------

□もちろんホッブズによれば政治的主権者は社会契約によって権力を獲得したわけです。キリストは彼の使徒たちやキリスト教会に対して地上の支配権を与えたのではないのです。

□信仰は強制や命令によって広められるものではありません。キリストは彼らにはただ教える力を与えただけなのです。キリストは地上の主権者の支配権についてはその支配が神によって建てられたことを認め、良心のためにも服従が必要だと説いています。

□ホッブズは政治的主権者がキリスト教信仰を禁圧した場合も従うべきかどうかという問には、強制や命令によっては信仰は妨げることは出来ないとして、信教の自由の不可侵性を主張します。

□その際も、信教の自由を侵害から護ろうとする立場ではないのです。むしろ信教の自由などいくら禁じられても、表面的に主権者の信仰に合わせておいて、心の中で真実の神を信じていればいいじゃないかという論理なのです。

□この立場は、ストア派の「魂の自由」、魂の不可侵性の立場です。奴隷哲学者エピクテートスやマルクス・アウレリウスなどが強調していた思想です。

□もちろん近代自然権における信教の自由をこの程度に解釈するのは、とんでもない誤解です。国家や国民相互の間で信仰の自由を認め、信仰が異なることを理由に一切の迫害や政治的、社会的、経済的差別を加えないのが近代社会における信教の自由です。

□ホッブズは、信教は命令や強制の対象ではないと、一見『バイブル』の個人解釈権を認めた独立派とまぎらわしい主張をしながら、国王の『バイブル』独占解釈権を認めており、それに基づく宗教統制の権限を全く否定していません。

□これはもちろん英国国王ならびに英国国教会の立場を代弁しています。異教徒の王といえども反抗してはならないし、まして同じキリスト教徒ならば王の解釈に従うべきだというのは、法王に忠誠を尽すジェスイット派のみならず、ピューリタン諸派にも対抗する主張です。信教の自由に関してもピュ―リタンの独立派等の主張に比べれば極めて反動的です。

□信教の自由は、自分が信じていることを口に出し、表現する自由と切り離せません。江戸時代、日本のキリスタンは密かにキリスト教を信仰していましたが、そのことを口に出せませんでした。一切の表現の自由、それに基づく結社や集会の自由がなかったのです。

□ホッブズは恐怖から法に従うのも、自分の判断に基づいた行為なので自由であるとします。そして主権者が法律によって禁じていない事柄に市民の自由を認めているのです。こうして専制と自由を両立させたホッブズを、田中は人民主権の立場にたった民主的な思想家と見なすのです。

□自由や民主主義をいくらでも制限できるとするのが民主的な思想だとはとても思えません。民主的な思想とは主権の意思決定に国民が平等な資格で参加できること、その際、自由な発言が認められ、信教・表現・結社の自由が尊重されていなければなりません。

□その意味ではホッブズは代表的なアンチ・デモクラートなのです。民主的な思想と反民主的な思想を混同する思想研究家も、やはり民主的な思想をもっているかどうか疑われることになりかねません。

□特にホッブズの場合は、当時のイギリスの民主主義派に対して、それに対抗する党派的な立場から立論していることは、田中自身の研究『ホッブズ研究序説』から明らかです。ですから既成の理論に対してより科学的な面は認められるとしても、民主的だとはいえないのです。

□よくそれまではフィルマーのような王権神授説が有力だったので、それに比べれば画期的だと誤解されますが、フィルマーの理論は議会主権論や制限・混合主権論等に対する極端な反動として生まれた理論です。
------------------?.ロックの社会思想------------------

---------一、ロックのフィルマー『家父長制論』批判---------

□ロックの『統治論(TWO TREATISES OF GOVERNMENT)』程、市民革命の世界史的な展開に大きな影響を与えた著作はないでしょう。この著作は市民革命のなかから生まれました。名誉革命の翌々年1690年に名誉革命を擁護するために書かれたものです。

□前編は、フィルマーの『パトリアーカ(家父長制論)』を論駁したものです。フィルマーは『パトリアーカ』をピューリ夕ン革命の武力闘争が起こる1642年以前に仕上げていました。

□この著作は王党派の間で回覧され、好評を博しました。それでフィルマーは、議会派から一時投獄されるなど弾圧を受けたのです。

□彼は、神はアダムに妻子を支配する権利を与え、アダムの直系の子孫をそれぞれ各部族や民族の長にし、専制的な支配権を与えたというのです。

□各民族の王はアダムの直系の子孫だから王権は神から与えられたものであると断言しました。これがかの有名な「フィルマーの王権神授説」です。王権は神聖不可侵とされ、王権に対する反抗は、神に対する反抗を意味するとされたのです。

□『パトリアーカ』は、王政復古から20年後、チャールズ?世と議会の対立が頂点に達した1680年に再刊されたのです。

□ところで、イギリスは伝統的には、専制君主政ではなかったのです。国王が国民の福利に反する政治を強行しますと、『マグナ・カルタ』の制定の場合には武力行使を含む議会からの強い反撥に遭いました。

□なかなか思うようには、権力を行使できなかったのです。そこで議会の了解を取り付けておくのがうまい国王が、名君と呼ばれたのです。

□ですから国王の主権は完全ではなく、制限王政・混合王政等と呼ばれていました。このように制限された主権の下では、国王と議会の利害が衝突するとたちまち国政が混乱し、内乱まで招来しかねなかったのです。

□そこで主権は絶対で分離できないとするフランスのボダン『国家論』(1576年)に倣って、専制主義的な主権国家論が王党派の中で摸索されたのです。

□その代表格がフィルマーの『パトリアーカ』とホッブズの『リヴァイアサン』だったのです。

□ロックは、表面的には『パトリアーカ』の王権神授説に基づく絶対王政の理論を専ら論駁しています。でも『リヴァイアサン』をも常に念頭に置いているのです。

□ホッブズによって反動的に解釈された社会契約論を本来の進歩的な姿に蘇らせるべく苦闘しています。
□『統治論』の「前編」は『パトリアーカ』に対する批判に集中しています。これは「後編」の冒頭で次のように要約されています。

□「一、私は前編で次のことを明らかにした。

□第一に、アダムには彼の子ども達を支配する権威や世界を治める支配権があったようにいわれているが、彼にはそんなものは父親であることによる自然の権利によっても認められていなかったし、また神から明らかに贈与されたという形跡もない。

□第二に、かりにアダムにあったとしても、彼の後継者達にはその権利はなかった。

□第三に、かりにアダムの後継者たちにその権利があったとしても、だれが正当な後継者であるかについて疑いが生じたいちいちの場合、それを決定する自然の法も神の定めたもうた明文の法もない。それゆえ相続権、したがってまた支配権を確定することはできなかっただろう。

□第四に、かりにそれが決定されたとしても、アダムの子孫のうちだれが直系の子孫であるか、はるか以前から全く分からなくなっているので、人類の諸種族と世界の諸家族のうちでだれも他に抜きん出て自分こそが直系であるとか、相続権を持つとか主張できる根拠は少しも残っていないのである。」

□フィルマーは、家父長の絶対的支配を前提した古代家族や中世の大家族の古い家族観に立って論じています。

□古い家族観は、家族中心の考え方でして、家族構成員は家族の存続と繁栄の為に生きたのでした。一個の独立した人格としての権利が認められていなかったのです。

□家族の利害を対外的に代表し、家族を統率する家父長の下に常に共同で行動する必要があったのです。

□ところが近代市民の近代家族では、家族は独立した人格の共同体です。子に対する親の権利は夫婦が共同して行使すべきで、父権として男が独占するのは不当です。

□古い家族では家族の存続の為に、家父長に従わない構成員を勘当したり、家計が破綻しますと、構成員のだれかを家族の為の犠牲として借金のかたに取られることもあったのです。

□それを決定する家父長の権威は絶大で、生殺与奪権さえ持つと考えられていたのです。

□これに対して近代家族は、あくまで構成員が共同生活を営むことによって、助け合い、互いに幸福にしあう為にあります。家族の存続自体はその為の手段に過ぎないのです。家族は皆個人としては平等に尊い存在です。子どもは決して親や家の道具や所有物ではないのです。

□たしかに親は子どもを養育する義務があります。その為には子どもを躾け、教育しなければなりまぜん。その限りで子どもに命令し、服従させる権利が親に帰属しているのです。

□また子どもがやがて成長して独立して生計を営むようになるまでは、親は子どもの財産を管理し、子どもの行動を監督する権利があります。

□しかしこれらの親の権利は、あくまで親としての義務を果たすためであり、子に対する愛情からきています。決して政治権力のように暴力装置を背景にして、子どもに家族に対する義務を果たさせようとするものではないのです。

□成人すれば父と子は平等であり、互いに自由になります。子は成人すれば、養育してくれた親に感謝し、常に親を援助し、老後の世話をする義務がありますが、それは決して権力に対して服従することを意味しないのです。
□ロックはこのように、フィルマーの家父長的な家族観に近代的な家族観を対置することによって、家族における父権と国家権力の根本的な相違を鮮明にしたのです。

□そして家父長的な専制をモデルにして、国家権力の専制を合理化する論理を斥けています。つまりアダムに与えられた権力をその直系の子孫である民族の王が受け継いでいるというのは、なんの根拠もないことだとしています。

□家系の連続性で言えば、どの家族も皆、アダムの直系家族です。ですから、だれが王になっても差し支えないはずです。

□王の家系がアダム以来ずっと家督相続してきた特別の家族だとする証拠があれば、あるいは王権神授説も説得力を持つかも知れません。けれども、歴史的にみて、古代専制王権の成立や王朝交替に当たって、王位についたのは、権力闘争を勝ち抜いてきた策謀家たちです。決して家系がその才能を保証したわけではありません。

□神から続く家系を強調して、王家の神聖さを焼き付けようとした好例に、マックス・ウェーバーは『支配の社会学』で日本の天皇制を挙げています。

□日本の場合は、天皇の支配権自体は永く喪失していて、血統だけが保存されてきたことになっています。この血統にカリスマとしての神に与えられた権威が物件化して付着し、継承されてきた事になります。

□このカリスマの物件化を象徴するのがいわゆる「三種の神器」です。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は兵権を、八咫鏡(やたのかがみ)は祭司権つまり統治権を、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)は自然統御能力をひいては治水治山の統率権を象徴します。これら三つの能力(能力は権力でもあります。)が天皇の血統には神から授かったものとして受け継がれるという信仰に基づいて、天皇による支配の合理化がなされたのです。

□フィルマーの場合は、各民族の王がアダムの直系の子孫であるという証拠は示せないままですから、説得力に欠けます。とはいえ神はアダムの直系の子孫を各民族の王にしたに違いないと信仰すれば、別段証拠は要らないことになります。

□ロックにすれば、フィルマーの論理で支配を合理化するのなら、だれでも自分がアダムの直系の子孫だと名乗ることによって、為政者になってよいことになるし、為政者の権威を否定するためには、為政者がアダムの直系の子孫ではないと主張すればよいことになります。それこそ内乱のもとです。

□フィルマーの論法では、結局、神はいつもアダムの直系の子孫だけを為政者にしていると人民は信じて、為政者にはいつも従順であるべきだということになります。事実の吟味は必要ないのですから、人民に従順を説くための便法とも受け取れます。
--------------二、ロックの政教分離論--------------------

□フィルマーの論理は、議会主権論や制限・混合王政論に対する高飛車な反論であるとともに、神から地上の権力を合理化するもう一つの論法である「教会からの授権」に対抗するものでもありました。

□教会からの授権を認めますと、教権が王権の上に立ち、民族主権が制約されることになります。教会からの破門は直ぐさま王位の剥奪に結び付くのです。

□イギリスの宗教改革は、へンリー八世の離婚をローマ教会が認めなかったことから起こりました。彼はイギリス国内の教会をローマ教会から切り離し、国王が教義解釈権を握ったのです。

□国王の権威があくまで教会から来るとしますと、上位の教会を差し置いて教義解釈権を国王が握るのは不当ですから、王権の基礎を家父長に対する神の授権に置いたのです。

□『リヴァイアサン』では更にキリスト教国では神が教義解釈権を教会に授けたのではなく、政治的主権者に授けたのだと強弁しています。そうでないと、国王を背教者として教会がいつでも破門でき、それを理由に追放できることになります。

□ロックは明確に政治と宗教の分離を打ち出すことによって、この問題切解決を計ろうとしました。

□政治は国民の所有を守り、公共の福祉を計ることが使命です。宗教上の教義に口を出すべきではないのです。また教会は国王が政治的に責務を果たしていれば、私的にどんな宗教上の見解をもっていても、そのことを理由に政治的に追い詰めるべきではありません。

□正しい教えに導くのは魂に触れる説教を行い、信仰心に訴える以外に教会の採るべき方怯はないのです。狂信者を扇動して国王を政治的に排撃しようとするのはもっての外なのです。

□ロックは『寛容についての書簡』で、宗教活動の自由を認めるよう強く主張しました。宗教的な騒乱が起こるのは、宗教活動を野放しにするからではなく、宗教活動を制限し、宗教的集会を取り締まろうとするからなのです。

□国教会に認めていることを他の宗派にも認めてやれば、その政権は今まで攻撃されてきた宗派からも擁護されるようになり、安定するはずです。

□ただし、ロックの寛容論にも重大な限界がありました。彼は、カトリックと無神論に対しては寛容出来ないと考えていたのです。

□カトリックは法王によって授権されていない君主は、君主たる資格がないと考えていましたから、カトリックの勢力が強くなりますと国王は当然退位を迫られることになります。カトリック自体が主権に対抗して政治的な存在である以上、主権者はカトリックを容認できないことになります。

□ところでこの論理には身勝手なところがあります。ロックはユダヤ教やイスラム教に対する寛容を説いているのです。

□これらの宗教もイギリスでの勢力は小さいにせよ、政教一致原則を持っています。イギリスにとっては、ジュスイット教団のように現実の脅威ではありませんが、同じように政教一致の宗教なのに、政治的に差別してカトリックだけ排斥するとすれば、寛容も本物とは言えません。

□政教一致を唱え、宗教上の支配者が政治も支配すべきだと説く宗派にも寛容を示してこそ、はじめて本物の信教の自由を認めたと言えるでしょう。

□もちろんその場合、布教が平和的に行われ、論争の自由が保障され、政権の交替は正規の法定の手続きが守られるという前提のもとにおいてのみです。

□ロックは無神論には大変な偏見を抱いていたようです。

□「最後に、神の存在を否定する人々は、決して寛容に扱われるべきではありません。

□人間社会の絆である約束とか契約、誓約とかは、無神論者を縛ることはないのです。たとえ思想の中だけのことにしても、神を否定することは、すべてを解体してしまいます。

□その上にまた、無神論によってあらゆる宗教を掘り崩し、破壊する者は、寛容の特権を要求する基礎となる宗教というものを引き合いに出してくることが出来ないわけです。」

□神の存在を否定することが人間相互の信頼を否定することに繋がるという議論は、神が見ていなければ人間は悪いことをする者だという性悪論に立っています。

□愛し合い助けあう喜び、信頼しあう喜び、約束を果たし、責任を全うすることの充実感は神を信じるか信じないかにかかわらず感じるものです。

□その反対に約束を果たせなかったときの罪悪感、信頼を裏切ったときの後ろめたさ、いわゆる罪の意識も、神に対してではなく、人間に対して抱く感情です。

□神に頼らないと善を行えないという独断こそ、その善行の偽善性を示していると言えるでしょう。

□しかし、この無神論非難の念頭にロックは、ホッブズの『リヴァイアサン』を思い浮かべていたのかも知れません。ホッブズは神への信仰を預言者への信仰に還元してしまう傾向がありましたから。
ーーーーーー三、自然状態論と『人間悟性論』ーーーーーーー

□ではいよいよ社会契約論の本論に入っていきましょう。ホッブズは「自然状態は、万人の万人に対する戦争状態」と規定しました。この戦争状態のままでは生産活動もままならず、文明も発展せず、共倒れになって人類は滅亡するしかありません。

□そこで自然法という理性が働いて、社会契約が結ばれ、国家すなわちリヴァイアサンの強権の下で平和な生活が確保されるわけです。ホッブズの狙いは国家主権の絶対性を強調するところにありました。

□これでは始めに結論ありきです。ホッブズは、戦争で滅びるかそれとも絶対的主権の下に、生命の安全と引き換えに服従を誓うか、二つに一つだとしたのです。

□そのために自然状態の人間は欲望機械でしかなく、理性は欲望機械の自己統御機能に過ぎないことを強調したのです。

□自己保存のためには欲望を充足させなければならず、その為に自然や人間を支配しなければなりません。ところが人間同志は肉体的にも知的にも持てる力は平等ですから、限られた富を巡って織烈な闘争に陥りがちなのです。

□強権による支配に服従して始めて、それぞれの個性と能力に応じた仕事で生きていくことが出来るようになるというわけです。

□これに対してロックは、自然状態でも理性的に争いよりも協力によって生きていたと考えました。

□だから社会契約は文明の発達によって利害関係が複雑になったので、私有財産の保全と公共の福祉の必要上、公共機関に立法権、執行権、同盟権を信託し、国家社会を形成したものだと解釈できたのです。

□あくまで自然権の保全の為に信託したのですから、権力機関がその信託に背いて、自然権を侵害し、人民を圧政で苦しめるようなことになれば、人民は契約が破棄されていると見なして、そのような政府を解体して、新たな人民の為の政府を樹立する当然の権利があるのです。

□その場合、人間の理性の欲望に対する自立性、能動性が強調される必要があります。ロックの人間論は、そこで知覚に対する悟性の能動性の強調に特徴がみられるのです。
□ロックの『人間悟性論』の特徴に生得観念の否定があげられます。ロックは、プラトンのイデア論のように生まれる前から正しい観念が魂に備わっていて、その観念を基準にして物事を認識することが出来るという考え方を否定しているのです。

□それで「すべての観念は経験から」という有名な命題が確認されています。たとえば「AはAである」という同一律や「AはAであって非Aではない」という矛盾律も、子供や白痴では自明ではありません。やはり経験によって知られたことなのです。

□デカルトは神の存在証明に生得観念を使いました。不完全な存在でしかない人間は自分だけの能力で完全な存在を思い浮かべることは出来ないというのです。

□ところが誰でも神の観念を生まれつき持っているのは何故かと問います。それは生まれる前に完全な存在である神が、人間の魂の中に神の観念を置き入れたからであると断定しました。それで神は存在することは確かだというのです。

□他方、ロックは、未開人や幼児の中に神の観念が明らかに認められない者の存在を指摘して、「神」も経験的な観念だとしたのです。更に正義や約束遵守といった実践原理にしても、決して生得的な原理などないと言います。

□盗賊の巣窟でもお互いに信義を守り、正義の規則を守りますが、それは決して、それらの規則を生得の自然法として受け容れてのことではありません。ロックはこう言います。

□「この徒輩は、自分たち自身の共同体内部の便宜の法則として実践するのである。が、詐欺と強奪で日を送る者が誠実や正義の生得原理を持ち、これを容認し、これに同意すると言う者があるだろうか。」

□ただしロックも生得のものとして認めている実践原理があります。それは

□「人間には幸福の欲望と不幸の嫌悪とが自然にそなわっている。」

ということです。しかし

□「この原理はグッド(善福)を嗜欲する心的傾性であって、悟性に真理が印銘されたのではない」

のです。

□つまり快・不快原理は生理的なものであって、観念ではないということです。よく人間だれしも生まれつき良心があると言われます。でもロックは良心も生まれつきではないと考えています。

□「かりにもし道徳原理が生得で、人々の心に捺印されていたとしたら、どうして人々が自信を以て平然とそうした道徳規則にそむくか、私には分からない。町を略奪する軍隊を眺めて、その行うあらゆる悪逆に対してどんな道徳原理が守られ、感じられているか、一片の良心だに動いているか」

と問い掛けています。

□全く白紙の心に理知的推理と知識のすべての材料を提供するのは、ロックによれば「経験」に尽きます。

□可感的事物は感官に感覚という刺激を与え、物事の様々な知覚を心に伝えます。色・味・硬さ等です。これらの外からの情報と、考えたり疑ったり信じたり推理したり知ったり意志したりする心の作用が働きあって観念が生じると言うわけです。
□可感的事物の性質は先ず、第一次性質と第二次性質に分けられます。
第一次性質は「固性、延長、形状、運動あるいは静止、数等」です。つまり物自体の固有の属性と言えます。
第二次性質は、第一次性質に基づいて、それらが感官に働き掛けて知覚される性質つまり「色・音・味・匂い・硬さ等」などのです。

□更に、他の事物に働き掛けてその第一次性質を変化させ、別の観念を産み出す第三次性質があります。これは間接に知覚できる第二次性質とも呼ばれます。ロックによりますと、第一次性質はその事物の実在性質だが、第二次は人間の感官に働き掛ける力能、第三次は他の事物を変化させる力能に過ぎないのです。

□このように事物の性質でも、ただ第一性質のように事物それ自体に固有の性質とそれが知覚に現われる場合の性質を区別して、主観の働きを強調します。

□そこから悟性が、知覚に様々な反省を加えるという内感を働かせて観念を構成するのです。物体の運動に関する観念を得るのは、次々と生じる物体の知覚を反省によって比較する心の働きによるのだとしています。

□このように感性と理性では理性の比重を大きく考えようとしていると言えましょう。ロックも経験論に立つ以上、快楽を求め、不快を嫌悪する快楽説を採ります。生得的な善は否定されていますから、経験的には快・不快原理が人間の行動原理になります。この原理がなければ人間の行動自体が成り立ちませんから、快の対象は善で、不快の対象は悪だというホッブズの主張は一応認めているのです。

□しかし、ロックの場合、様々な快楽を比較吟味する心の働きを重視しますから、物質的快楽よりも精神的快楽を強調します。五つの永続的快楽、すなわち「健康・名声・知識・善行・至福」を重視します。

□自由を論じる際も、ロックは心の力能を強調しています。

□「人間が自分自身の心の選択ないし指図にしたがって、考えたり考えなかったり、動かしたり動かさなかったりする力能を持つかぎり、人間は自由である。」(『人間悟性論』第二十一章)

□人間は様々な欲望を抱き性急に行動しようとします。その時にもっと他に優先すべきことはないか、もっと別のより良い方法はないか、その行動の結果引き起こされる事態について考え及んでいない点はないか等、反省し熟慮してから行動するのが自由なのです。このように悟性の働きで欲求や衝動を制御し、理性によって感性を統御するのがあるべき人間の姿なのです。

□人間の本性を理性だと捉えたロックは、自然状態においても人間同志の関係は互恵的で友好的であったとしています。人間は自然の恵みを等しく享受し、同じ能力を行使するのですから平等です。それでお互いの気持ちがよく分かりあえるので良い人間関係ができるのです。

□自然状態を戦争状態として描き出したホッブズに対抗してロックは、十六世紀後半に活躍したフッカーの『教会組織論』から社会契約論を学んでいます。平等互恵の立場から同意によって政治組織と政治権力が成立するという論理はホッブズからでなくフッカーによるのです。

□「あの賢明なフッカーは、このような人間の自然の平等な姿を全く明白で疑いもないここと見なし、このことを人々が交す愛情の義務の基礎とし、その上に人々が互いに負うている義務を築き上げ、そしてそこから正義と慈愛という偉大な原理を導きだしたのである。」(『統治論、第二編』第二章、五)

□自然状態において人間は自由だったのですが、決して放縦だったわけではありません。自然法という理性の法に支配されていたのです。

□自分自身や自分の所有物を処分する権利をもっていたと言いましても、それはあくまでもっと立派な用途に役立てる限りにおいてなのです。

□お互いの身体を傷つけ合ったり、財産を奪い合ったりすべきではないのです。この自然法の違反者に対して自然状態ではだれが法の執行者になるべきでしょうか。自然法を執行する権利はだれにも委任していませんから、当然すべての人が自らの判断で自然法を解釈し、執行してよいことになります。

□その場合の自然法適用の原則は「償いと制止」です。過少な処分は再発を招きますし、過剰な処分は報復を招きます。

□ところで人は、他人の自然法違反には厳しすぎる態度をとりながら、自分自身が自然法に違反していることはなかなか認めようとはしません。他人の処罰を納得しないものです。

□個人の自然法に基づく処罰権が非現実的だとしますと、自然状態はホッブズの説くように戦争状態だったのでしょうか。それともフィルマーの説くように自然状態という仮定自体が間違いで、人類ははじめから主権の統治下にあったのでしょうか。

□ロックは理性や平等そして愛を説くことによって、自然法に基づく各人による処罰の混乱が甚だしくならない段階、つまり統治なき平和を仮定したのです。

□自然状態では弱者が報復を懼れるので、強者は自然法違反の処罰を免れるのではないかという批判があります。これに対して、ロックは、そのように論じる者が専制君主を擁護する矛盾を衝きます。

□「一人の人間が多数の者を支配し、自分自身に関する事件の裁判官になる自由をもち、何なりと勝手なことを全国民に押しつけておきながら、彼の勝手な意向を執行する人々に異議を申し立てたり、それを制御したりする自由を全く認めないような場合、そして彼のやることならそれが理性によるものであろうと、間違いや激情によるものであろうと、どんなことでも服従しなければならないような場合、果たしてそれは自然の状態に比べてどれほど優っているというのであろうか。それよりは人々が不正な意志に服従しなくてもよい自然の状態の方がはるかに優っている。」(『統治論』第一章、三)

この箇所などは自然状態が戦争状態でないことを前提としており、明らかにホッブズの『リヴァイアサン』を標的にしています。
------------\\四、自己労働に基づく所有---------------------

□ロックは自然状態において既に所有権が存在したとして、それを論証しています。神は世界を共有物として人類に与えました。ところが別段人々の間でなんらかの契約がなされた節もないのに、どうして個人に所有権が帰属したのでしょうか。

□ロックは「自己労働による所有」と呼ばれる論理でこれを説明しています。自然法により、他人は自分の身体を自由に処分できません。

□まず自分の身体は自分自身の所有なのです。そこで次に身体の働きも自分に帰属します。だからたとえ人類の共有物であっても、労働によって個人が手に入れたものは当人の所有物になるのです。

□「泉の中を流れる水は万人のものであるが、しかし水差しの中の水が、それを汲み出した人のものであることをだれが疑うことができようか。」(同上、第五章、29)

□もちろん神は全人類の共有物として自然の資源を与えたのですから、労働によって有限な資源をいくらでも採って自分だけの所有にしてもよいわけではありません。

□自然状態では自然は有り余っていましたから、労働によっていくらでも獲得できたわけです。それに自然法という理性の法に支配されていましたから、きままな所有は許されません。

□所有物はそれが痛んでしまわないうちに生活に有効に利用しなければなりません。腐らせたりするのはせっかくの神の恵みを無駄にしますし、他の人の所有に任せば無駄な労力を省けたことになります。

□無駄な所有は自然法に違反するというわけです。こうして人々は自然状態においても互いに所有を侵し合うことなく平和に共存できたのです。

□ところが腐らないでしかも人々に愛好されるような物は、いくら手にいれて貯蔵してもだれにも迷惑をかけることもないので、自然法からもその所有は制限を受けないとロックは説明します。

□そこで人々は腐り易くて余ったものはこれと取り換えようとし、貨幣が発生したのだというのです。

□貨幣の発生により、人々の間で私有財産の蓄積に不平等が生じるようになります。そこで他人の所有権を侵害する者も多くなってきます。

□自然状態ではそれを処罰する共通の権力がありませんので、所有権の保全のためにそのような政治権力を作って、法を執行し、処罰を行う権利をそこに委任しようということになったと言うことです。
---------------五、社会契約と多数決原理----------------

□ところで、独立した平等な人々が社会契約を結んでコモンウェルスを形成したということは、歴史的事実としてあったでしょうか。

□社会契約論を単なる理念的な議論に過ぎない、非科学的な国家論だと非難する人々は、社会契約を歴史的事実ではなく、非現実で、空想的な仮説だと指摘します。

□確かにロックも歴史的文書に社会契約の記事が余り無いことを認めています。しかしそれは市民社会が永く続いてから文字が発明されたからだと弁明しています。歴史的伝説によれば

□「ローマとヴェニスの起原は、互いの間に生まれながらの優越とか服従の関係を持たない、相互に自由で独立した人々幾人かの結合によるものだった。」(同上、第八章、102)

としています。また当時のアメリカで全く統治が存在していない集団がいることを指摘し、人間は元々自由で平等であり、合意に基づいて国家を創設したことの論拠にしています。

□社会科学からは未開の部族社会から国家への成長転化にあたって、「人格的に独立した平等な個人」が存在し、その合意が形成されたとするのは、近代的な「個人」の観念を過去に投影するものとして批判されています。

□しかし部族社会の解体、古代商業の発達、地縁的結合による地方国家の成立、集住によるポリスの形成などを考えますと、あながち「合意による社会形成」という捉え方も的外れとばかりは言えません。

□もちろん地縁的な覇権の確立による「獲得されたコモンウェルス」も多かったでしょうが。いずれにしても、コモンウェルスは合意によって設立されたかどうかにかかわらず、その運営が多数決原理で行われた民主国家はむしろ例外的な存在だったとは言えるでしょう。

□ホッブズによれば、「設立されたコモンウェルス」の場合、多数の合意で主権者が選ばれます。

□「獲得されたコモンウェルス」の場合は、強者が地域的に覇権を樹立して主権者になります。

□いずれにしてもいったん成立した主権は絶対的でなければならないというのがホッブズの考えでした。ですから多数決原理というのは、だれが主権者かが決定するまでのことだったのです。

□もっとも主権者が少数あるいは多数の場合は多数決原理が採用される場合もありますが。これに対してロックの場合には、多数決原理はコモンウェルス運営の基本原則ということになります。

□各人は社会契約によって構成員になった以上多数決に従う義務を負います。どんな集まりにも利害の対立、意見の不一致は避けられません。自分の意見が容れられなければ承知できないとしますと、せっかく団体を作っても直ぐに解体してしまいます。

□ですから多数決の決定に従って、その団体に加入している方が脱退するよりはメリットが大きい限り、進んで脱退する人は余りいないでしょう。とくにコモンウェルスのようにそこから抜けることが相当困難な場合には、多数決原理にしておけば解体することは、よほどのことのない限りまず有り得ないのです。

□ホッブズは、多数決原理では多様な意見に分裂し、国家意志の統一が取れなくなることを懸念します。

□政党が生まれ各勢力が競い合うことになります。互いに譲れない重大問題では、内乱に発展する可能性があるのではと心配なのです。しかしそれはコモンウェルスを解体させるよりも多数決に従う方がはるかにメリットが大きいことを理解していないから起きる心配なのです。

□無理やり国家意志の一体性を守るためと称して、国政に関する自由な討論を禁止し、主権者の専決に委任する体制を採れば、反って不満分子が専制体制を覆そうとし、内乱が避けられないのです。

□ただしロックの場合の多数決原理も、議会制民主主義を国政の機構として採用するように迫ったものではないのです。国民の多数の支持の下に運営されなければ、安定した政治は行えないという意味なのです。

□ロックの場合、国民は統治権を権力者に信託しているわけですから、権力者は自分の判断で、公共の福祉にとって最善と信じる統治を行えば良いわけで、個々の政策決定にいちいち多数決原理を使う必要はないのです。

□ただし彼の統治が全体として国民の信託を裏切っていると多数の国民に判断された場合には、立法権者であろうと執行権者であろうとその地位に留まるのは難しいことになります。

□なぜなら国民は天に訴えて、信託を裏切った為政者を強制的に罷めさせる権利があるというわけですから。

□多数決原理の普遍性を強調しながら、実際の国家には政治体制の中に多数決原理を要求しないことによって、ロックの政治理論は国家理論としての普遍性を確保しようとしたのでしょう。

□それはホッブズが「主権の絶対性」を普遍原理に掲げながら、国家体制としては君主制、貴族制、民主制のいずれをとっても、この原理が貫かれると主張したようなものです。

□ロックの場合も、君主制、貴族制、民主制のいずれをとっても実際の運営に用いられるかどうかにかかわらず、究極において国家は多数決原理で成り立っているというわけです。

□またどの政治体制を選択するかも、究極的な意味での国民の多数決に依存していると言えましょう。国民が政治体制の選択権を持っているというロックの議論に対して、「人はみな生まれながらにして何等かの統治に服している。したがっていかなる人も自由ではありえず、また結合して新しい統治を始めたり、合法的な統治をうち立てることができるなどということは決してありえない。」という反論が予想されます。

□フィルマーならさらに「人はだれでも生まれながらにして、その父あるいは国王の臣下であり、したがって服従と忠誠という永遠の絆のもとにある」と続くでしょう。

□しかし歴史的にみて人々は、自分の家族や国を捨てて見知らぬ他国へ移住したり、国の体制を様々に変革してきました。同じ体制がいつまでも続くなら、フィルマーの論法で行けば、アダム以来一つの君主制しか地上に存在しないことになってしまいます。

□ホッブズはコモンウェルスを一種のジャイアンツに譬えることによって、その司令中枢である主権者の取り換えは、人間の頭脳を取り換えるのと同じで、コモンウェルスの死即ち解体を意味すると強弁しました。でも、暴君の放伐、王朝の交替、体制の変革などが爛熟し、衰退しつつあるコモンウェルスに活力を与えて、新鮮に蘇らせた例も多いのです。
-------------------六、立法権と政治体制-------------------

□ホッブズは、本音は専制王政の擁護者でありながら、主権が絶対性を持てば、君主制でも貴族制でも民主制でもよいとしました。ただしいったん成立した政体は決して変更してはならないとしました。

□ロックは、本音は多数決原理の政治機構内での貫徹である議会制民主主義を将来的には展望しながら、やはりどの政治体制をとっても、究極的には自然法即ち理性の法が支配し、多数決原理が貫徹するとしましたのです。

□ロックは、最高権力は立法権だとしました。この立法権にはすべての国民は服従の義務があります。

□法律を制定してもだれも遵守しなければ法律はないのと同じです。法律に基づいて刑罰が行われてこそ治安が維持されます。執行権はあくまで法律の定めた枠内での政治を行うべきなのです。

□ですから立法権がだれに属するかによって政治体制が決まるとロックは考えたのです。でも立法権が最高権力であるということは必ずしも議会が国権の最高機関であることを意味しないのです。

□議会が立法権を独占している場合に議会主権だと言えるのです。立法権が君主に属していて、議会はその協賛機関でしかなければ、君主制だと言えます。

□少数の特権階級の合議体に立法権が帰属すれば貴族制です。議会主権体制でもそれが平等派が要求していたように、普通選挙によって選出された議会ならば議会制民主主義だと言えますが、制限選挙で特権階級だけが選出された場合は、パーラメンタリアリストクラシィ(議会貴族制)と呼ばれます。

□君主に立法権が帰属している場合でも、法律の制定には議会の協賛が不可欠であったり、君主の制定した法律や命令に対して議会が無効にできるシステムがあれば、君主だけに立法権があるとは言えません。

□また議会に立法権が帰属している場合でも、君主が議会に対して法案提出権や拒否権を持ち、解散権をもっているのなら、立法権は議会だけにあるとは言えません。これらを制限・混合王政といいます。議会と君主の力関係や議会の構成次第で様々な政治体制が考えられるわけです。

□国民は立法権がだれに帰属していようと、立法部によって制定された法には忠誠の義務があるのです。

□ただし立法部はあくまで自然法に従ってのみ法を作るのであり、気ままに法を制定してはならないのです。ホッブズの場合も、自然法に基づいて主権者が法を制定します。市民法は自然法を、主権者が主権者の命令の形で明文化したものだというのです。

□その場合自然法の解釈権は主権者のみが持っており、臣民は自分の判断で自然法を勝手に解釈し、主権者の解釈が正しいのかどうか議論してはならないのです。

□これに対してロックの場合は、立法権者は自分の自然法解釈に基づいて法を制定しますが、この法の遵守にあたって臣民も自然法を解釈します。

□立法部と異なる自然法解釈がなされる事もあり得ます。そして立法部の自然法解釈が余りにも臣民の自然権を蹂躙する内容であり、信託を裏切り、立法部の存在が人民に敵対的だと感じられるようになりますと、人民は立法部を解体する権利をもっているのです。

□自然状態においては、人はだれも自分自身や他人を傷つけたり、生命・財産・自由を奪ったりする権限を持っていません。ですから各成員の権力を集めて、個人や集会に委ねて成立した立法部も同じように、そのような気ままな権限を持っていないのです。

□「立法部の権力は、どんなに大きくても、社会の公共の福祉に限定される。それはただ保全以外どんな目的も持たない権力であり、したがってそれは、臣民を殺したり、奴隷にしたり、あるいは故意に貧困にさせたりする権利を決して持つことができない」のですから(135)、

□立法部は国民の所有権を気ままに侵害することは出来ないのです。代議政治ではその心配は余りありませんが、貴族制や絶対君主制ではその危険はあるとロックは指摘しています。

□「もし臣民を支配する者がいかなる個人からでも、勝手にその所有物の一部を取り上げ、自分で適当と思うままにそれを利用し、処分する権力を持っているとすれば、臣民相互の間に所有の限界を定める適切で公正な法があっても、人々の所有は少しも安全でないからである。」(138)

□そこでロックは課税に関してはとくに慎重です。立法部といえども国民の代表者の合意なしでは、国民の所有物の上に税を課してはいけないとしています。
-----------------IVルソーの思想-------------------------

----------第一部、『人間不平等起原論』について----------

----------------一、ルソーの論壇デビュー----------------

□ルソーは、38歳の年に、つまり1750年に、ディジョンのアカデミーの懸賞論文に『学問・芸術論』で当選しました。

□彼はこれまでの学問・芸術の進歩を無条件に賛美してきた啓蒙思想を厳しく批判しました。

□学問・芸術の進歩は道徳的退廃と政治的隷属をもたらすと告発したのです。

□学問・芸術は人間の知的欲求を解放します。そのことによって学問的・芸術的才能が重んじられ、人間の差別を生みます。人々は虚栄心の虜になり、良心を麻庫させられるのです。自分の知や才能に驕って、同胞との連帯感情を喪失してしまうというのです。

□元々、学問・芸術の進歩というものは、勤労から解放された人々によって担われました。そこでルソーは、学問・芸術の進歩は無為の産物であり、無為を育てるものである、そのために魂は柔弱となり、祖国愛は減退したと論じました。

□こうして人々は徳を失っていったので、政治権力も少数の支配者に牛耳られてしまいました。政治的自由は奪われ、祖国は弱体化して外国に隷属するようになってしまったというのです。

□さらに学問・芸術のイデオロギー機能の面も見逃せません。学問・芸術はルソーによれば、政治的自由の喪失を観念の世界であがなおうとするものなのです。政治的な鉄鎖を粉飾する役割を担っているのです。

□ルソーは学問・芸術の進歩が奢侈によって可能となったものであることを鋭く見抜いていました。奢侈は当然経済的な不平等つまり貧富の差を前提にしているのです。

□富者や富者のために学問・芸術に携わる者は、彼らのために彼らの分も生活資料を生産する貧者の労働に依存しているのです。

□ルソーは学問・芸術に対する批判から経済的な不平等に対する批判へと向かったのです。1753年ディジョンのアカデミーは、今度は「人々の間における不平等の起原は何であるか、それは自然法によって是認されるか」という論題で懸賞論文を募集しました。それで『人間不平等起原論』が書かれたのです。
ーーーーーー二、自然状態における人間の特性ーーーーーーーー

□ルソーは、自然状態の人間を歴史的な資料や史実に基づいて述べるのではないのです。自然が人間の種族に与えただろう性格を森の中でじっくり冥想し、推理した結果を展開したのです。先ず、人間の特性として「模倣能力」を挙げています。

□「人間は、それらの動物の間に分散して彼らの生きる巧智を観察し模倣し、かくして禽獣の本能の域までのぼる。しかも、動物はどの種も自分固有の本能しかもっていないのに、人間は恐らく自分に特有の本能は何も持たないで、すべての本能を自分のものにし、他の動物がそれぞれ分かち合っている様々な食物の大部分を同じように自分の食物にし、その結果、他のどの動物よりも容易に生活の資を見出すという有利な点をももっている。」(『人間不平等起原論』本論、第一部、岩波文庫42頁)

□ルソーは、自然状態の人間は動物たちから様々な生活様式を学びとっていたと考えました。

□身体の運動能力はですから大変発達していたのです。当時医者はいませんでしたが、人間にももともと自然治癒力が発達していて、医者など不要だったのです。

□彼らは文明によってもたらされた各種の伝染病や、運動不足、栄養失調、精神的ストレス、睡眠不足、不節制等による虚弱体質や慢性病にはほとんど縁がありませんでした。そして未開生活では触覚と味覚は極端に粗野になり、視覚と聴覚と臭覚は、はなはだ鋭敏になるのです。

□ホッブズは自然状態を戦争状態と考えました。ロックは自然状態でも人間は理性的な存在であり、自然法に従って互いの人権と所有を尊重し合い、必要以上に取ろうとしないから平和に友好的に暮せたと考えました。

□ルソーの考えでは、自然状態では普段は、互いに孤立して独立して暮しており、他人に依存していませんでした。しかし他人に対して全く無関心というのではなく、同じように人間として自己保存のために生活していることから、他人の苦しみや悲しみに対して共感による憐憫の情を抱きました。それで自然状態を戦争状態とは捉えなかったのです。

□ルソーは模倣能力に加えて、未開人の動物に対する優位性として「自由な行為」をあげています。

□「動物の間で特別に人間を区別するものは知性ではなくて、むしろ彼の自由な能因という特質である。

□自然は総べての動物に命令し、禽獣は従う。人間も同じ印象を経験する。しかし彼は自分が承諾するも抵抗するも自由であることを認める。

□そして特にこの自由の意識において彼の魂の霊性が現われるのである。なぜなら自然学はある意味で感覚の構造と観念の形成を説明するけれども、意志する力、というより選択する力に、またこの力の自覚に見出されるものは、力学の法則によっては何も説明されない純粋に霊的な行為にほかならないからだ。」(同上、52頁)

□この立場にはロックの影響が見受けられます。ロックはこう言いました。

□「人間が自分自身の心の選択ないし指図に従って、考えたり考えなかったり、動かしたり動かさなかったりする力能を持つかぎり、人間は自由である。」

□原始未開の状態にあって人間が他の動物とはっきり区別できるほど自由であったかどうかは、論議の余地があります。未開・原始に遡るに従って、人間も動物的な自然との融合の論理に従わざるを得なかったからです。

□ルソーもこの議論の余地を認めていますが、これだけは動物から人間を区別する何等異議のあり得ない特質だとしたのが「自己改善能力」です。

□動物達は相当高等な動物でも数カ月後には一生涯変わらないような姿に成長し、それ以降は向上しようとする能力を喪ってしまうとします。

□また動物の種は千年たっても変わらないというのです。人間だけは一生を通じて常に向上しようとし、人類全体としても永い年月の間にどんどん能力を発展させ文化を築くのです。

□「この特異なほとんど無制限な能力が人間のあらゆる不幸の源泉であり、平穏で無事な日々が過ぎて行くはずのあの原初的な状態から、時の経過とともに人間を引き出すものがこの能力であり、また、人間の知識と誤謬、悪徳と美徳を、幾世紀の流れのうちに瞬化させて、ついには人間を彼自身と自然とに対する暴君にしているものこそ、この能力であることは、われわれにとって悲しいことながら認めないわけにはいかないだろう。」(同上、53頁)
-------------三、孤立状態から未開社会へ-----------------

□ルソーは、人間の最初の状態を孤立状態として描き出しています。みんな一人で暮していたというのです。子供でさえ母親がなくても済ませるようになれば、母親にとってもう何者でもなかったというのです。

□最初は他の動物の模倣による生活だったのが、やがて自然の事物を武器として利用するようになり、やがて道具を製作して狩猟や漁猟を始め、寒さや怪我を防ぐために衣服を造ったり、火を利用するようになりました。

□このような知識の発展によって人間同志がお互いに同じような行動と意識をもっているものと認め合い、協力しあえる相手としても、また警戒すべき競争相手としても認知し合ったのです。

□こうして人間間の交渉が始まるわけですが、それには言語の形成が必要です。叫び声や模倣音に加えていくつかの慣例的な音節のある音声が設定され、未開言語が造られたとルソーは推理しています。

 次の段階が家屋の建築であり、それに伴う家族の設立です。そしてルソーはこの段階で一種の私有財産の導入を認めます。家族の協同生活は家族内の愛情を育て、家族内および近隣家族間のコミュニケーションとしての言語使用を盛んにし方言を形成したというのです。

□人々が交流を盛んにし、共通の観念を言語によって確かめ合い、共通の評価基準を形成することによって、互いに評価しあうようになり、他人の評価を気にして、虚栄心や軽蔑心を抱くようになりました。

□ここに「不平等への同時に悪徳への第一歩」が踏み出されたのです。その結果だれもが尊敬を受けることを求め、礼儀作法が生まれたということです。

 こうして純粋の自然状態である孤立状態から未開社会が形成されました。人間どうしの協同により、人間能力は発達していったのです。この段階では法律はまだ形成されていませんので、ルソーによると道徳が侮辱に対する審判者でした。そして復讐の恐怖が後の法律の役目を果たしていたのです。ルソーはこの時期をこう表現しています。

「最も幸福で最も永続的な時期だったに違いない。これについてよく考えれば考えるほど、この状態が最も革命の起こりにくい、人間にとって最良の状態であった」(同上、95頁)

としています。そして未開人のほとんどすべてがこの段階にあることから、人類は永久にこの人類の青年期の地点に停まるように造られていた、だから「それ以後の一切の進歩は… … 種の老衰への歩みであった」と類推し、嘆いているのです。
ーーーーーーー四、農耕と冶金、土地私有の発達ーーーーーーー

人類を堕落させた忌まわしい偶然は、

「詩人から見れば金と銀とであるが、哲学者から見れば鉄と小麦である。」(同上、97頁)

□「一口で言えば、彼らがただ一人でできる仕事や、数人の手の協力を必要としない技術にだけ専心していた限り彼らはその本性によって可能だった程度には、自由に、健康に、善良に、幸福に生き、そして互いに、独立の状態での交流の楽しさを享受し続けたのであった。

□ところが、一人の人間が他の人間の援助を必要とするやいなや、またただ一人のために二人分の貯えをもつことが有効であると気付くやいなや、平等は消え失せ、私有が導入され、労働が必要になった。

□そして広大な森林は美しい原野と変わって、その原野を人々の汗でうるおさなければならなかったし、やがてそこには収穫とともに奴隷制と貧困が芽生え、成長するのがみられるようになった。冶金と農業とは、その発明によってこの大きな革命を生み出した二つの技術であった。」(同上、96頁)

□「土地の耕作から必然的に土地の分配が起こり、そして、私有がひとたび認められると、そこから最初の正義の規則が生じた。」(同上、99頁)

□土地を耕作して得た収穫物は耕作者の物だと認められます。これはロックの労働による所有の原理と同じです。そしてこれが繰返されると土地の継続的な占有権が認められ、やがて自然法から生まれる権利とは違った私有権が認められるのです。

□そうするとこれが人々の才能の不釣合や状況の相違から、やがては極端な富の不平等を生むのです。富の不平等がさらに対抗意識を刺激し、利害対立を厳しくしました。

□可耕地がすべてだれかの私有となりますと、奪わなければ土地の所有者になれません。奪う力がなければ支配の下に屈従するしかありません。こうして暴力と掠奪や支配が始まりますと、余計に人々 は財産に固執し、強欲に、野心家に、邪悪になります。

□「強者の権利と最初の占有者の権利との間に、果てしのない紛争が起こり、それは闘争と殺害によって終息するほかなかった。

□生まれたばかりの社会はこの上もなく恐ろしい戦争状態に席を譲った。堕落し、悲嘆にくれる人類は、もはやもと来た道へ引き返すこともできず、不幸にして自ら獲得したものを捨てることもできず、自分の名誉になる諸能力を濫用することによって、ただ恥をかくことに努めるばかりで、みずから滅亡の前夜に臨んだ。」(同上、103頁)
-----------------五、共通権力の樹立---------------------

□冶金と農業の段階になって、土地の私有が発達しました。冶金で製造した武器を用いるようになり、戦争状態に陥ったのです。それで未開社会が解体していったということになります。

□私有財産を求める自己利害のあくなき追求が、善き未開の共同社会を悪しき戦争状態に導き、結局富者の財産の維持すら困難にしたわけです。

□そこでいよいよ社会契約によって共通権力を樹立し、それが制定する法律の強制力で戦争状態を終わらせるのです。ルソーは富者が隣人達を次のように説得したと言います。

□「弱い者たちを抑圧から護り、野心家を抑え、そして各人に属するものの所有を各人に保証するために団結しよう。正義と平和の規則を設定しよう。それは、すべての者が従わなければならず、だれにもえこひいきをせず、そして強い者も弱い者も平等にお互いの義務に従わせることによって、いわば運命の気紛れを償う規則なのだ。

□要するに、われわれの力をわれわれの不利な方に向けないで、それを一つの最高の権力に集中しよう、賢明な法に則ってわれわれを支配し、その結合体の全員を保護防衛し、共通の敵を斥け、われわれを永遠の和合のなかに維持する権力に。」(同上、105〜106頁)

 社会的不平等をそのままにして、人々を私有財産の下で労働と隷属と貧困の下に縛り付ける政治制度が共通の権力の名の下に生まれたのです。新たに政治的な権力の鉄鎖が人々を以後苦しめることになったのです。

□「この社会と法律が弱い者には新たなくびきを、富める者には新たな力を与え、自然の自由を永久に破壊してしまい、私有と不平等の法律を永久に固定し、巧妙な簒奪をもって取り消すことのできない権利としてしまい、若干の野心家の利益のために、以後全人類を労働と隷属と貧困に屈服させたのである。」(同上、106頁)

□一つでも強力な共通権力が設立されますと、それに対抗し、その侵略から身を護る為にも共通権力を造る必要があります。こうして国家が全世界を支配するようになりました。

□出来たばかりの公権力は、若干の一般的な協約から成り立っていて、それを守らせるのは協同体の役目でした。つまり公衆だけがその証人であり、裁判官だったのです。

□これでは違反者はうまく言い逃れて法の網を潜ろうとします。そこで公権力を保管し、人民の議決を守らせる仕事を為政者に委任することになったのです。決して始めから絶対君主の腕のなかに権力を授け、屈服したわけではなかったとルソーは強調します。

□「人民たちが首長を自分たちのために設けたのは、自分たちを奴隷とするためではなく、自分たちの自由を守るためであったということは異論のないところであり、またそれは、一切の国法の根本的な格率である。

□プリニウスはトラヤヌスに言った、『われわれが君主をもつとすれば、それはわれわれが主人をもたないように彼に予防してもらうためである。』」(同上、111頁)

□ですからルソーは、一方で国家が社会的な矛盾を温存し、新たに政治的なくびきを付け加えるものだと批判しながら、他方では国家の公的性格を評価していることになります。ホッブズやフィルマーのように専制君主制を国家の本来の姿として擁護することには強く反撥しているのです。
 
□「どこまでも権利=法によって事実を検討してゆけば、専制政治の自発的設立という説には確実性も真実性も見出されないだろう。

□そして当事者のなかの一方だけしか拘束せず、一方にはすべてがあり、他方には何もなく、それに拘束されるものだけが損になるような、そんな契約の有効性を示すことは難しいだろう。

□この呪わしい制度は、今日でも、賢明で善良な君主たち、とりわけフランスの国王たちの制度とは極めて縁遠いのであって、そのことは彼ら国王たちの勅令の随所に、そして特にルイ十四世の名の下にまたその命によって1667年に発表された有名な勅令の次の文章のなかに見ることができる。すなわち

□『それゆえ主権者は、その国家の法律に従わないなどと言ってはならぬ。その反対の命題が国際法の真理なのであり、阿諛追従の輩が時としてこの真理を攻撃したけれども、善良な君主たちはいつもこれを国家の守護神として擁護したからである。賢者プラトンとともに次のように言うほうが、いかにより正当であろうか。

□「王国の完全な福祉は、君主がその臣民に心服され、その君主は法律に服従し、そして法律は正しく、常に公共の福祉を目指している、ということである。」と。』」(同上、114頁)

□ルソーは検閲をおそれてフランスの専制政治を美化しているのですが、これはイロニーとしての効果を持ったと言われています。

□それはともかくルソーは君主国でも国家の法律は人民の意志に基づいて公共の福祉に合致しなければ正当とは言えないと主張しているのです。

□逆に言えば、ルソーは君主制それ自体を問題視しているわけではないのです。そもそも政府は公共の意志を執行するための存在ですから、専制的な権力というのは本来正当性を持たず、非合法なのです。

□政府は、為政者が一人だけ選ばれれば君主制、少数者が為政者になれば貴族制、人民が共同で行政権を保持すれば民主制なのです。

□いずれにしてもあくまで人民の総意としての法律に従い、法律を執行するのが政府の役割なのです。その意味ではだれに政府を任せるかは人民の総意で決定されるべきです。だからルソーはつぎのように指摘しています。

□「これらのさまざまな政府において、一切の為政者の職はまず選挙によるものであった。」
ーーーーーーーーーー六、権力の専制化ーーーーーーーーーーー

□ところが元々《社会契約》は、未開社会が私有財産の発展に伴って戦争状態に陥り、解体させられてきたことから起ったものです。

□社会的な矛盾は温存され、権力闘争や階級対立は解決されていないのです。

□そこで国家のなかでは策謀が渦巻き徒党が作られ、党派の軋轢が激しくなり、内乱が勃発する有様でした。

□このような混乱を利用して選挙が平穏に行われなくなり、首長の地位がいつしか世襲されるようになったのです。

□「世襲となった首長たちは、その為政者の職を家の財産の一つと見なし、最初は国家の役人にすぎなかったのに、自分を国家の所有者と見なすことに慣れ、同胞の市民たちを奴隷と呼び、彼らをあたかも家畜のように、自分の所有物のなかに数え入れ、さらに自分を神に等しきものとか王の中の王などとみずから称するのに慣れてしまったのである。」(同上、120〜121頁)

□ルソーは不平等の進展を三つの時期に区分します。第一期は法律と所有権との設立、富者と貧者との状態が容認されます。

□第二期は為政者の職の設定、強者と弱者との状態が容認されます。

□第三期は合法的な権力から専制的権力への変化、主人と奴隷との状態が容認されるのです。

□「これがすなわち不平等の到達点であり、円環を閉じ、われわれが出発した起点に触れる終極の点である。ここではすべての個人が再び平等となる。

□というのは、今や彼らは無であり、家来はもはや主人の意志の他になんらの法律ももたず、主人は自分の欲情の他なんらの規則をもたないので、善の観念や正義の原理が再び消滅してしまうからである。

□すなわち、ここでは万事がただ最強者の法だけに、従って一つの新しい自然状態に帰結しているのだが、この自然状態がわれわれの出発点とした自然状態と異なるのは後者が純粋な形で自然状態であったのに対して前者が過度の腐敗の結果だ、いうことである。

□とはいえ、この二つの状態の凹はほとんど相違がなく、政府の契約は専制主義によって甚だしく破棄されているので、専制君主は最強者である間だけしか支配者でないし、人々が彼を追放することができるようになればたちまち、彼はその暴力に対して異議を申し立てる理由がなくなってしまうのである。

□ついには、サルタンを殺したり、退位させたりするような暴動も彼がその前日臣民たちの生活や財産を処理した行為と同じように法律的な行為なのである。

□ただ力だけが彼を支えていたのだからただ力だけが彼を倒させる。万事はこのように自然の秩序に従って行われる。

□そしてこうした短い、頻繁な革命の結果がどうであろうと、何人も他人の不正を嘆くわけにはいかない。ただ自分の油断か、不運をかこつべきである。」(同上、126〜127頁)

□公的権力と法の設定によって社会状態は決定的になりますが、結果になります。社会状態が自然状態から離れれば離れるほど、それは私有財産に基づく不平等をより大きく展開させる人々の不平等は拡大し、公的権力は人民自身のものではなくなり、法は専制的な恣意のもとで疎外され支配の道具にされてしまいます。

□そうなれば自然状態への回帰であり、人民は専制君主の暴力に対して、公的権力を取り戻すための革命的暴力を行使せざるを得なくなります。これは正当な法律的行為だというわけです。

 
-----------第二部、『社会契約論』の読み方---------------

------------一、あるべき国家および法律------------------

□『人間不平等起原論』では社会契約による国家形成は私有財産の発展により生じた不平等が、戦争状態に陥った事態を収拾するための妥協として捉えられていました。

□公的権力は各人の財産を保全するとともに、人民全体が安寧に生活できるように社会の矛盾を調整する役割を担っていたのです。

□それは私有財産制を温存し、国家的規模で発展させ、更には世界中に国家形成を促して、世界的規模で文明の矛盾を展開するという意味では、否定的な性格をもっていましたが、同時に人民自身が理性的な合意によって公共の福祉をもたらすための権力機構を造りあげたという意味では、大いに祝賀すべき画期的な出来事だったのです。

□ルソーは、国家を公的権力として本来公共の福祉を実現すべきものとして前提しています。そして法律は公共の福祉を計るための公の意思として捉えられているのです。

□この公共の福祉とは、国家を形成している人民全体の福祉に他なりませんから、法律はだれの意思かと言えば当然人民全体の意思だということになります。

□もし公共の福祉が人民全体の福祉ではなく、一部の特権階級やひとりの君主あるいは人民とは無縁の国家自体の福祉だとしますと、そのような福祉は普遍性をもつことができません。

□そのようなものを公共的とは言えないでしょう。それに法は元々正しさや権利という意味も含んでいます。正しさは普遍性と切り離せないでしょうし、権利は人民の立場と結び付きます。

□ですからたとえ国家が歴史的事実として特権階級の支配の道具として生まれ、法律も元来専制権力の意思であったとしましても、ルソーの立場からはそれは間違った国家あるいは法律の姿だということになります。

 ルソーは次のような書き出しで始めています。

□「人間をあるがままのものとして、また、法律をありうべきものとして取り上げた場合、市民の世界に、正当で確実な何らかの政治上の法則があり得るかどうか、調べてみたい。」(『社会契約論』、岩波文庫、14頁)

□自由な市民のための人民の総意としての法律を前提として国家理論を構築しようとしたのだと言えるでしょう。

□ですからそれはあるべき国家および法律の姿を論じているで、現実の国家や法律とは乖離します。

□そのために、ルソーの議論は観念的で、現実の国家や法律を理解するのには役に立たないという批判もあります。

□しかし普遍的な意味での国家ならびに法律を識ることが、現実の国家ならびに法律を理解し、評価するために正しい基準を与えることになるのです。その意味ではルソーの方法はプラトン的なのです。(原田鋼『西洋政治思想史』、有斐閣、参照)
ーーーーーーーーー二、人民と国家の直接的一致ーーーーーーーー

□『人間不平等起原論』では、完全な孤立状態から出発し、狩猟など労働において力を合わせる状態、住居を造って家族を形成する状態を経て、地縁的な未開社会を形成し、更に冶金と農業によって私有財産を発展させ、更には戦争状態に陥ることになり、その結果、社会契約によって公的権力を造り国家を形成しました。

□国家社会の以前に未開社会があったので、社会契約によって自然状態から社会状態に移行したという論理にはなっていません。

□しかし国家形成以前は自然的要素が強かったし、漸次的に移行していましたから、自然状態が次第に気の遠くなるような時間をへて解体していった過程だと見なせるでしょう。

□そこで社会契約の意義を論じる『社会契約論』では、社会契約を自然状態から社会状態への画期として捉え返したのです。

 社会契約による国家形成は歴史的事実ですが、すべての古代国家が社会契約によって人民の総意に基づいて形成されたという事実を主張しているのではないのです。

□地域的な覇権の確立や侵略による帝国の形成等、ホッブズの指摘した「獲得されたコモンウェルス」の形成を歴史的事実として否定しているわけではありません。

□それは人民の総意に基づく法律による支配が国家の普遍的な在り方であると規定したからといって、現実の歴史的な諸国家が専制的であり得ないことにはならないのと同様です。

 自然状態の破綻に直面して、人々は皆の力を結合して皆の身体と財産を護り保護しようとしました。しかも

□「それによって各人が、すべての人々と結び付きながらしかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。」(同上、29頁)

が条件です。そのためにはルソーによれば

□「各構成員を戸の総べての権利とともに、共同体の全体に対して全面的に譲渡す」

べきだということになるのです。ルソーは社会契約の本質を次の言葉に帰着させました。

□「われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとして受け取るのだ。」(同上、31頁)

□それまでの孤立したばらばらの個人から、社会契約によって新しい全体としての国家の不可分の一部としての社会的人間に生まれ変わるのです。

□この発想はホッブズの『リヴァイアサン』近いのです。『リヴァイアサン』では、戦争状態でばらばらだった孤立した個人が、コモンウェルスを設立することによって、生きた人工機械人間であるコモンウェルスつまり「リヴァイアサン」の生きた一小部品になってしまうのです。

□ただしリヴァイアサンの意志は絶対的な主権者の意志だったのですが、ルソーのいう生命体としての国家の意志は人民全体の総意としての一般意志なのです。

□「この結合行為は、直ちに、各契約者の特殊な自己に代わって、一つの精神的で集合的な団体を作り出す。その団体は集会における投票者と同数の構成員からなる。それはこの同じ行為から、その統一、その共同の自我、その生命および意志を受け取る。

□このように、すべての人々の結合によって形成されるこの公的な人格は、かつてはシテ(都市国家)という名前をもっていたが、今では共和国または政治体という名前をもっている。

□それは受動的には、構成員から国家とよばれ、能動的には主権者、同種のものと比べるときは国とよばれる。

□構成員についていえば、集合的には人民という名をもつが、個々には、主権に参加する者としては〈市民〉、国家の法律に服従するものとしては〈臣民〉とよばれる。」(同上、31頁)

 人民は政治体の有機的な一部なのですから、全体のために貢献してこそ自分の利益に叶うことになります。

□政治体全体つまり主権者は、各構成員を自己の内部に含んでおり、その意味では自己の利益を計ることが各構成員の利益にもなるのです。ですから主権者は人民の利益に反するように行動することは出来ないことになります。

□ルソーの立場は人民主権だからそんな事は当然だ、で済まさないで下さい。ルソーの議論は、国家には主権があって、その主権を握っている者がだれかで国家形態が決まると説いているのではないのです。

□ホッブズは国家には三形態しかないといいました。主権がただ一人に握られていれば君主制、少数者の掌中にあれば貴族制、多数者が押さえていれば民主制です。

□ロックは立法権の所在で国家の諸形態を分類したのです。

□ルソーでは、主権者は国家自体の能動的な性格なのです。ですから国家を構成している人民の総体が主権者だというわけです。

□主権があって、それが人民に帰属するから人民主権なのではないのです。

□国家と主権者と主権は切り離せません。

□直接的に国家と人民の総体と主権者は一致しているのです。

□そこから国家の意思である法律は人民の総体の普遍的な意思、つまり一般意志であることになるのです。
---------------三、特殊意志と一般意志-----------------

□主権者の意志は人民全体の利益になるしかない一般意志ですが、

「各個人は、人間としては、一つの特殊意志を持ち、それは彼が市民としてもっている一般意志に反する。あるいは、それと異なるものである。彼の特殊な利益は、公共の利益とは全く違ったふうに彼に話しかけることもある。」(同上、35頁)

□元々、社会契約自体が人間相互の厳しい利害対立、戦争状態を収拾したものでした。

□出来上がった国家は公共の利益を計るためのものですが、国家の内部には私有財産制に基づいて、様々な階級的あるいは私的な利害対立が繰り広げられています。

□各個人は、市民として公共の福祉の立場に立とうと努力しますが、私人としては自己の特殊な利害の貫徹を計ろうとします。

□それが同時に公共の福祉に叶うのなら何等問題ではありませんが、往々にして公共の福祉を損なうことになりがちです。そうであるからこそ一般意志への服従が社会契約を結ぶに際しての約束として重要なのです。

 個人の特殊意志からは一般意志に服従することは、大変な損失であるように思えるかも知れません。

□しかし既に政治体なしでは生きていけない立場であることは市民である以上確かなのです。

□国家の法律に服従する臣民としての義務を果たしてこそ、主権者として合法的に正しく生きることができるのです。

□ルソーは一般意志への服従こそが市民としての自由であると捉えています。市民は、ですから自由であるべく強制されているのです。

□ルソーの言葉として「自然に帰れ」がいわれ、ルソーは社会契約による社会状態よりも自然状態の方が人間本来の姿としてよいものだと考えているかのような解釈も見受けられます。

□カッシーラーの『人間―シンボルを操る動物―』でもそのような誤解が認められます。たしかにルソーは自然状態に対するロマンティークな憧景を抱いています。文明によって人間性がいかに堕落したかについて常に情熱的に語っています。

□しかし『社会契約論』は社会契約によって、人間が孤立した欲望の衝動に従うだけの奴隷的状態から抜け出して、理性に従って正義と道徳的自由に生きる事ができるようになったこと、自然的自由とそれに基づく自己保存のための無制限の自然権は失ったけれど、市民的自由と合法的な所有権を得たことで、馬鹿で劣等な動物から、自己を知性あるものつまり人間たらしめたことを強調しているのです。

□ルソーは、主権は譲り渡せないことを強調しています。というのは、社会を形成するきずなは様々な利害のなかにある共通な一致する利害です。

□皆の利益が一致する共通の利害つまり公共の福祉を目指す一般意志に基づいて、社会は治められなければなりません。

□ですから常に人民全体の集合的な意志が主権を担います。特殊意志によっては主権は担われ得ないのです。ある個人が支配者となって彼の意志によって支配すれば、個人の意志は一般意志ではないのですから、もはや主権者は存在せず、国家は破壊されていることになります。

□このルソーの論理を素直に展開すると、専制国家はもはや国家ではないということです。人民はその場合、国家を回復するためにみずから総体として結合して、主権者にならなければなりません。

□専制権力に対する革命は国家を再構築する法律的行為なのです。
ーーーーーーーーー四、一般意志のアポリアーーーーーーーーー

□次にルソーは、一般意志は誤ることは出来ないと結論します。

□皆の利益になることが一般意志の正しさですから、人民全体が皆の利益になるのは何かについて入手可能なあらゆる情報を寄せ合い、皆の利益を目指す立場で検討し合えば、正しい方向でまとまらないわけはないということです。

□ですから会議では特殊意志に基づく特殊利益になることを尋ねられているのではなく、一般意志に基づく公共の福祉になることを尋ねられているのです。そこでルソーは会議の秩序を守るための法として次のことを要求します。

□「その会議において、一般意志を維持するためのものであるよりは、むしろ一般意志が常に意見を求められ、常に答えるようにすべきものである。」(同上、146頁)

 ところがこの法には大変重大な欠陥があります。だれしも会議において市民の自覚があれば、自分は公共の福祉のためにのみ発言しているつもりになっています。

□ところが他人の意見を聞いていると、何か大変本人の私的利益には叶っているけれど、どうも公共の福祉とはかけ離れているように思われるものです。

□お互いにそう思っていますから、相手は会議のルールにはずれた不法な発言を行っていると非難し合い、発言を互いに禁止しようとしあって混乱に陥ったり、多数が少数の発言を止めさせる結果になりかねません。これではかえって一般意志を形成できないことになります。

□この会議のルールが、フランス大革命を恐怖政治に変質させていく役割を果たしたように思われます。

□ルソー自身は、会議で主観的には一般意志に基づいて発言しているつもりでも、実際は特殊意志の主張でしかないことを見抜いています。そして特殊意志の主張であるからこそ、共通の意見以外は相殺されて、一般意志のみが残る事が可能だと考えたのです。

□「全体意志と一般意志の間には、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけを心がける。前者は、私の利益を心がける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。しかし、これらの特殊意志から、相殺しあう過不足を除くと、相違の総和として、一般意志が残ることになる。」(同上、47頁)

□議論から特殊意志の総和により一般意志が残るためには、議論にすべての特殊意志が参加しなければ相殺が不完全になり、一般意志が残らないことになりますので、立法権は譲渡され得ないということになります。

□政治体の意志を決定する権利は立法権とよばれ、実行する権利は執行権と呼ばれます。

□立法権は人民に属しますが、執行権は一般的な法律を特殊な事例に適応する特殊的な行為ですから、事例の特殊性を相殺して一般原則を見出す立法行為とは正反対です。

□ですからこれは主権者である人民に属すべきではないのです。両方担当しますと、立法に際しても特殊的な利害にこだわりをもってしまうからでしょう。そこで一般意志の指導によって公的な力を動かす、主権者の代理人、公僕である政府が必要になります。

□「代理人」という言葉はホッブズでは人民全体の意志を主権者が白紙委任される形を取りました。それで主権者の意志の本人は人民であるが、人民は主権者の意志決定には一切干渉する権利がないことになっていたのです。

□ルソーでは個人や少数者の意志は個別性、特殊性を持たざるをえないから特殊意志にならざるを得ないとし、一般意志を決定することはできないと考えたのです。そのかわり、個人や少数者が主権者の意志の実行を請負うことはできるのです。
ーーーーーーーーーー五、政体の分類ーーーーーーーーーーーー

□ルソーは、執行権をだれが担当するかによって、政体を分類します。一人に任されれば王制、少数者に任されれば貴族制、多数の人民が執行権も保持すれば民主制です。

□ルソーは直接民主主義者だとよく言われていますが、それは立法権は譲渡できないという意味においてです。決して王制や貴族制より民主制の方がよいことを主張したわけではないのです。

 彼は行政官の数は人民の数に逆比例するのがよいとしました。なぜなら国土が広く、人口が大きければ主権者の意志が政府を通じて行き渡るためには行政権はそれだけ強大でなければなりません。

□そのためには一人に行政権が集中し、強力に実行される必要があるのです。法律を具体的な事例にいかに適用すべきか議論していたり、複数の異なった適用が行われたりして、政府の団体意志が分散していますと行政が行き届かなくなってしまうということです。

□もちろん一人に権力が集中しますと、杓子定規に官僚的に行政が行われるため、事例の特殊性を充分配慮した心配りに欠けますから、小さな少人数の都市国家では民主制が適していることになります。民主制が適しているのは次の条件を満たしていなければなりません。

□「第一に非常に小さい国家で、そこでは人民をたやすく集めることができ、また各市民は容易に他のすべての市民を知ることができるということ。

□第二に、習俗が極めて単純で、多くの事務や面倒な議論をはぶきうること。次に、人民の地位と財産が大体平等であること。」

 実は、ルソーはこの行政の民主制には余り賛成ではないのです。統治者と主権者が同一だということは、いわば政府のない政府を作っているようなものだとします。

□立法者は本来一般的なことがらに注意すべきなのに、特殊なことがらに注意が向き、公務に私的利害が悪影響を及ぼす危険を指摘しています。

□また多数者が統治して少数者が統治されるのは自然の秩序に反するとも言います。

□公務を処理するために人民が常に集まるのも非現実的です。公務処理の委員会を設けるとしますと、それは少数者による行政ですから貴族制になるというのです。ですから現在の民主制はルソーの分類では貴族制だということになります。

□そして民主制もしくは人民政治ほど、内乱・内紛の起こりやすい政治はないのです。ルソー日く

□「もし神々からなる人民があれば、その人民は民主制をとるであろう。これ程に完全な政府は人間には適しない。」(同上、97〜98頁)

 貴族制には、三つの種類があります。自然的な貴族制は長老たちが行政を担当します。選挙による貴族制は最もよい本来の貴族制だとされています。

□「誠実、知識、経験、またその他、その人を選び、その人に公の尊敬を捧げる様々の理由が、この選挙という方法によって、将来の善政の新たな保障となるのである。」(同上、99頁)

□「なお、この政体がある程度の財産の不平等を許すとしても、それはまさに、一般に公共の仕事の処理が自分の時間の総べてをもっともよくそれに捧げることのできる人々に委ねられるためであって、アリストテレスがいうように、金持ちが常に選ばれることのためではない。

□逆に貧しい人々が選ばれることによって人間の値打には、選ばれる理由として富よりもっと重要なものがあることを、人民はしばしば教えられる、ということが大切だ。」(同上、101頁)

 君主制は、「人民の意志と統治者の意志、国家の公共の力と政府の特殊な力とが、すべて同一の原動力に動かされ、国家機関のあらゆるバネが同一人の手に握られ、すべてが同じ目的に向かって動いてゆくのである。そこには、お互いに傷つけあうような相反する運動は全くない。そこで、われわれは、君主制ほど少ない努力を以て大きな働きを起こさせる、いかなる種類の制度も想像し得ないのだ。」(同上、101〜102頁)

□もちろんよき君主が公共の福祉のためにのみ、統治すればこれにこしたことはないのですが、実際には君主の個別意志が他の意志に対して支配的になり、一般意志を踏み躙ることが多いのです。

□ホッブズは君主がいかに悪人でも、彼が強大な権力を望めば望ほど、国の富が豊でなければならない。国民が貧しければ国も貧しく弱小だから、君主は国民の福祉を目的にした政治を行わざるをえないと楽観的に捉えました。

□ルソーはそれはウソだと言います。君主は人民が貧しいほど抑えつけ易いと考えているのです。人民が豊になりますと国の富も豊になりますが、その場合は人民が強力になって君権が脅かされます。

 君主制の下で立身出世するのは、君主の個別意志に取り入る「小乱暴者、小悪党、小陰謀家」だけです。そこが共和政治では偉大な政治家が輩出したのと比べ見劣りするということです。

□また君主制も君主を選挙で選んでいるうちはまだいいのですが、世襲制になってしまえば、支配された経験のない者が、支配者になるための教育のみを受けるのですから、人民の立場、公共の福祉にはますます関心がなくなり腐敗します。

□どの政府がよいかはそれぞれ一長一短がありますので、その国の人口、産業、文化等の状態によって決まるのです。ルソーは次のような判断基準を提出しています。

□「政治的結合の目的は何か?それは、その構成員の保護と繁栄である。では、彼らが保護され繁栄していることを示す、最も確実な特長は何か?それは、彼らの数であり、人口である。

□だから、論争の的になっているこの特長を、よそへ探しに行く必要はない。他のすべての条件が等しいとすれば、外からの方策、帰化、植民などによらずに、市民が一段と繁殖し増加してゆくような政府こそ、紛れもなく、もっともよい政府である。

□人民が減少し、衰微してゆくような政府は、もっとも悪い政府である。統計家諸君、これからは諸君の仕事だ。計算し、測定し、比較されよ。」(同上、118頁)

□善政を行えば、人民に活力がついて繁殖するだけでなく、燐国の人民も慕って、人口が増大するという考えは『孟子』などにもよく見られます。

□当時は生活水準を測定する経済統計が整備されていなかったので、人口しか判断材料がなかったのかも知れません。それにしても一般に通用しているルソーのイメージなら、人権がどれだけ保障されているかなどをもっと重視する筈なのですが。
ーーーーーーー六、立法権は代理できないーーーーーーーーー

□ルソーは、立法権は国家の心臓であり、執行権は国家の脳髄であるとしています。

□脳髄が麻痺してしまっても、個人はなお生き得る。馬鹿になっても生命は続くが、心臓が停まればすぐに死んでしまうといいます。

□立法権は、絶対に譲渡できない人民の権利ですから、立法権を行使するために、人民は集会を開かなくてはなりません。立法権は代理できませんから、議会制民主主義のように選挙で代議士を選んで、立法権を任すわけにもいかないのです。

□「主権は譲り渡され得ない。これと同じ理由によって主権は代表されない。主権は本質上、一般意志の中に存する。しかも、一般意志は決して代表されるものではない。一般意志はそれ自体であるか、それとも、別のものであるからであって、決してそこには中間はない。

□人民の代議士は、だから一般意志の代表者ではないし、代表者たり得ない。彼らは、人民の使用人でしかない。

□彼らは、何ひとつとして決定的な取り決めを為し得ない。人民みずから承認したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない。

□イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかをみれば、自由を失うのも当然である。」(同上、133頁)

□公共の福祉のためにあらゆる情報を寄せあい、すべての特殊意志が表明されて始めて、しかも建設的な徹底討論を通して、人民全体の一般意志が明らかになるというルソーの立場から、代表者への委任は立法権の否定であり、議会で作られる法律は真の法律ではないということになります。

□直接人民全体が集会に集まらなくては主権者の集会とは言えず、一般意志は形成されないのです。

 それでは真の国家は、古代ギリシアやローマのアゴラで集会が開かれていた頃しかなかったことになります。人民が直接集会を開いて、徹底的に話し合うとしても、本当に一般意志は明らかになるでしょうか?

□まず人民は全員極めて政治的自覚が強く、しかも長時間討論に堪える精神力と体力を持たなければなりません。

□階級対立や部族対立、宗教対立などを内部に抱えていますと、冷静な討議が可能かどうか危ぶまれます。

□特に党派対立が生じますと、特殊意志同志のぶつかり合いになってしまい、いつまでも結論が出ないか、妥協によって一般意志が歪められることになるでしょう。

□大衆が集まれば集まるほど扇動政治家が幅をきかし、背後で特権階級が民衆を操作する結果になりがちです。

□このような問題のある人民集会で立法を行わなければ真の国家ではないと考えたルソーの発想は、かなり短絡的です。しかし人民の総意に基づく政治を基本に据えたという点においては不滅の意義を認めなければなりません。
-------------------七、人民集会-----------------------

□ルソーも、国中の人民全員の集会を想定したわけではありません。

□ルソーの一番のモデルはローマの民会です。

□各地区毎に集会を開き法律を制定し、首長たちを選出していたのです。現在の日本に置き換えてみますと、町内会で法律を制定し、総理大臣を指名するようなものです。そのようなシステムは不可能とは言えないでしょう。しかし果たして町内の議論で出された結論が一般意志と言えるでしょうか?

 それぞれの町内会の決議を全国的に加算して、法律案の採択の可否を決定することになります。その場合、余り細かい内容にわたる議論は、各町内会ではとても無理です。憲法・軍事条約・兵制・税制・教育ならびに社会保障制度の骨子程度に限定されるでしょう。

□問題は全国的に同じ議案が提出されなければならないことです。ルソーは、客観的にその国家の課題を捉えることができるように、立法者は主権者すなわち立法権者とは別の方がよいとしています。

□一般意志の草案を作成する以上、特殊な事例への適用に取り組む行政官に作成させるわけにもいかないのです。立法者は主権者がだれかに委任すべき筋合のものです。当然立法委員の選挙が必要でしょう。
 
 ローマの民会では各地区の民会の期日をずらして、先に開かれた民会の結論を参考にしたとされています。一般意志はルソーの考えでは、元々存在していて、それが討議の末に明らかになるとされています。

□しかし、他の地区の討議や結論を参考にして審議をやり直そうとする地区が出てくると収拾がつきません。

□しかしそれを認めないと一般意志との一致は望めないでしょう。現実には全国一斉にして集計するほかありません。町内での討議など各地区の有力者や能弁家に丸め込まれたりして、建設的で積極的な討論が期待できるかどうか疑問の地区も多いでしょう。

□それでは、今日ではマス・メディアが発達しているので、新聞やテレビで放映される討論を参考にして、可否を問う国民投票をおこなった方が、よほど有益だということになりかねません。

□もちろんその場合には、マス・メディアを通した世論操作をどう防ぐのかという厄介な問題を抱え込むことになります。ルソーの人民集会による立法の理念は一般意志の形成がいかにすれば可能かという問題提起として受け止めるべきでしょう。

□その一つの試みが、ロシア革命で実践されたソビエト制度です。直接民主主義の精神を活かすために地域的な人民会議を基礎にした、ピラミッド的会議システムを造ったのです。つまり各地域に人民会議(ソビエト)を形成し、全員参加の討論で国の政策や法律が審議され、その結論を地方の上級ソビエトに、代議員が持ち寄って討議し、全国の最高ソビエトが最終決定を下すというものです。

□この方法も代議員に立法権を代理させますから、ルソーの考えた人民集会での立法とは違います。それに立法権と執行権の分離がなされていない点も異なります。

□それに現実のソビエトは、地域や職場のソビエトは消滅しました。各共和国のソビエトも共産党の独裁を認めてしまったので、人民の権力機関ではなくなっていたのです。

□ソビエトが人民の権力であるためには、共産党を含め政党一般を廃止する必要があります。とはいえ、考えを同じくする者たちが会議をリードするために協力しあうことを規制するのは困難です。やがて密かに党派が形成されることになります。

□それを弾圧することは、様々な政治的活動の自由を否定することに繋がるでしょう。次善の策として自由で対等な複数政党制の導入が必要です。ですからわれわれは、現実的には、ルソーの国家理念を民主政治の一つの評価軸として受け止める以外にありません。

 ルソーの精神に則って、現実政治を評価する場合、人民集会のない代議政治、人民集会のない君主政治などいずれもそこで通用している法律は、主権者の意志としての一般意志とは言えません。真の立法権に基づいていない以上、真の法律ではないのです。そんな自分たちが決定したものではない法律に従っているのは、ルソーの表現では奴隷状態なのです。

 ですから人民は人民集会を開いて、まず自分たちが社会契約を結び国家を形成した主権者であることを再確認し、現行の憲法や法律を承認するかどうか検討すべきだということになります。

□人民集会を定期的に開催し、その際、常に次の二議案を優先的に討議すべきだとだとルソーは強調しています。

「第1議案―主権者は、政府の現在の形態を保持したいと思うか、
 第2議案―人民は、現に行政を任されている人々に、今後もそれを任せたいと思うか」

 たとえ人民集会で決定されなくても、現行の法律には強制力がともないます。その法律は成立過程からみればルソー流には無効ですが、必ずしも公共の福祉から掛け離れた悪法ばかりとは限りません。

□なかには公共の福祉を推進する内容のものもあります。それはまだ表明されていない一般意志と同じ内容をもっているのです。ですから現行法に対する人民の受け止め方により、現行法を通して一般意志の内容を探ることも可能なのです。

□その意味ではロックの論理は、現実的で鋭いものがあります。ロックは、立法権を全国民から正当に選挙された代表者の議会にのみ認めるべきだとは言いませんでした。

□君主や少数者の代表から成る議会に立法権が属していてもいいのです。もし最大多数の国民の福祉を無視した立法を行い、その結果国民から猛烈な反発をくらい、それでも世論を無視すれば、多数決原理は天に訴える形で貫かれるとしたのです。
『哲学書簡』を著したヴォルテールによって啓蒙専制君主が生まれたそうですが、
啓蒙専制君主って何ですか??
教えて下さい(>_<)
 プロイセンのフリードリヒ2世(在位1740〜86)は即位以前からヴォルテールらフランスの啓蒙思想家と親密な関係をもっていました。それでいろんな貴族や大地主の特権を弱めるような、進歩的な政策を実行したわけです。即位の年に出版された著書『反マキァヴェリ論』において“君主は国家第一の下僕”という有名なことばを残していますが、要するに絶対専制君主として強大な王権を振るって国家を富強にしようとしたわけです。
 フリードリヒ2世の啓蒙的政策としては、宗教的寛容や言論の自由,司法制度の改善や『プロイセン一般国法典(原題)』(1794年発布)の編さん事業などがあげられます。オーストリアのヨーゼフ2世(在位1765〜90)は1780年以降の専制統治期約10年間に,宗教的寛容,ユダヤ人の解放,イエズス会の解散,修道院領の没収,農奴制の廃止,貴族の特権の廃止など,数多くの急進的改革を一挙に行おうとしたようです。
 要するに啓蒙専制君主とは、フランス啓蒙思想の影響を受けて、封建的な諸制度を解体しようとした、絶対主義の枠内での専制君主だということでしょう。
丁寧な解説
ありがとうございます。
理解できました!
また分からないことがあったら
質問しにきます!

ログインすると、残り6件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

「倫理」が好き 更新情報

「倫理」が好きのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング