ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュのオペラの演技

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
残された数少ない映像でペーター・ホフマンが演じるローエングリンもジークムントもまさに役そのものです。これは、身体的外見だけではなく、歌唱と演技を含めて、その存在そのものから発散される総合的な印象です。こういうのは、映画やテレビ・ドラマではもちろん、舞台上演の様々な種類のお芝居でも当たり前のことだと思います。役柄にふさわしい演技者を選ぶことはとても重要なことでしょう。オペラは例外で、外見のことを言うのはオペラの約束事を知らない無粋者と切り捨てられます。演技ももちろんオペラ歌手にとっては二の次で、演技者としては素人でも許されます。なにしろ、オペラを歌うのはもの凄く難しいことなのです。

ペーター・ホフマンもルネ・コロも同じようなことを言っていますが、歌う瞬間には身体が「静止した状態」にあることが必須なのです。だから、厳密な意味で動きながら歌うことはできないと言います。つまり、歌うということはとにかく緊張をはらんだ停止状態でこそ成り立つのであって、その状態でなければ、美しく歌うことはできないのです。だから、動きと静止に関する正しい認識を持つことが、歌手の為すべき仕事なのそうです。

ところで、ペーター・ホフマンの演技力は、最も初期の批評においてすでに再三再四指摘されており、その度重なる強調のされかたは特徴的だったということです。ホフマンにしても、演技をどこかで習ったわけではありません。1972年のタミーノ(モーツァルト 魔笛)としてのデビューは、いきなり水の中の放り込まれて、泳ぎを覚えるようなものだったと述懐しています。そのとき演出家から教えられたことは、立つ位置だけで、あとは何をしようが、何を考えていようが歌手の勝手だったとか。

オペラの中で演じることは、学校でも舞台でも、実際のところ、どこからも教えてはもらえないから、歌手には舞台で動くことができるという才能が必要で、それさえあれば、一連の決まりきった身振りを使って仕事をするよりも、むしろゼロから始めて、演出家と関わるほうがいい。歌手には演技の才能、つまり、ひとりの人物の身になって考える才能、さらに、ひとりの人物の身になるどころか、演出家が意図することまでも、自分の身に置いて考える才能が十分あるはずだと、歌手は言います。

オペラ歌手の本質とは、歌うことに加えて舞台で存在感を示すことだと歌手は考えます。そして、このために、青少年時代のスポーツ経験が役に立っている。そのころに自分の身体を扱うこと、つまり、人々が見ている前で、自然に身体を動かすことを覚え、こういう基礎の上に、舞台で役に生きる能力が開発され、自信や強い神経やコンディションを保つことなどもスポーツによって養われたからだと言うわけです。ホフマンのスポーツ経験は趣味的なものではなく、競技スポーツ選手として、陸上競技で、十種競技、棒高跳びを専門に、相当の成果をあげたものです。

ペーター・ホフマンのスポーツ歴を簡単に言うと、こういうことです。
.......スポーツには、今にいたるまでずっと夢中だ。......いつも好んで走ったり、競走したりしていた。ごく幼いころから、走るのがものすごく速かった。......ある日、私は、陸上競技選手で、リレー競技におけるドイツ・チャンピオンの高等学校教諭、ジークフリート・シュミットに『発見』された。ジークフリート・シュミットは、私を何度かよく観察して、声をかけたのだった。『や、坊や、走るのが好きなんだろ』この一言で、私のスポーツ歴が始まったのだった。............私にとって学校時代にはスポーツだけが重要だった。自由時間はいつも運動場で過ごしていた。十種競技では、17歳でヘッセン州の青少年記録保持者になった。

コメント(8)

>DVD見ながら突っ込みいれたり

これこそ、普通の人の、常識的感覚ですよね^^;

>>外見のことを言うのはオペラの約束事を知らない無粋者と切り捨てられます。演技ももちろんオペラ歌手にとっては二の次で、演技者としては素人でも許されます。>>

これは、「オペラ通」は多分このように考えているに違いないって意味です。だって、たとえば「絶世の美女」のはずのお姫様やもてもての「かっこいい」はずの若者が、え〜〜っ!????うっそ〜〜〜 なんてのがオペラでは普通なんですもの・・・ 歌がよっぽど巧いんだ〜〜とか納得しちゃったりしてる節も全否定はできないような・・・

たまに素敵な歌手を見て、お話の人物にぴったりでかっこいいわ〜〜とか言うと、通の人たちからは、即、声が、歌がだめならだめでしょって言い返されちゃいますもの。私だって、容姿だけの歌手じゃおもしろくないです。声や歌がいいのは大前提。いちいち、声も歌もすばらしいですって言うのめんどくさいわ。

ペーター・ホフマンだって、どれだけ、「外見だけの歌手」って評を目にしたことやら・・・ (うんざり)

それに、オペラって、演技的な努力や才能が過小評価されてる世界だと思います。
ホフマンがクプファーの演出でジークムントをやったとき、
上昇する舞台に(命がけで)飛びついたり、フリードリヒの演出で飛んで来る槍を素手でつかんだりしても、ほとんど評価されなかったらしいし、(トリックでひもつきの槍でさえ、おっことしてさがす羽目になるような歌手でも、微笑ましい〜〜てなものみたい)シェロー演出の「リング」も歌手が小粒だとかって片付けられてます。パリ・オペラ座のボリス・ゴドノフの映像だって、レーザーディスクはとうとう初出の高値のままで終わって、DVDも出ません.....................
最近の歌手達、特にアメリカ人歌手達は、
大学のオペラ科で演技も習いますから、
舞台での動きにもソツがないですね。
習っていないと死ぬシーンなどで倒れる時に
怪我をしたりするそうですから。
ヴァラリン様
>立ち姿の決まらない・・・
目から鱗です。
 あの方はそう、佇まいがカチッと極まっているから美しく見えるのだと・・・静があって初めて動が生きるということを体現している人なんです。
 ワーグナー自身も歌手に演技を要求していた素振りがあって、ある意味彼は楽匠が求めて止まなかった理想像だったかもしれません。
この辺、静と動について、あるいは、演じる才能については
「オペラの演技 歌手の考え」のほうに詳細がありますので、
ぜひお読みください。

ちょっと抜粋:
「才能があれば、無意識のうちに、正しく行動できる。」
「舞台で、ただ立っていて、自然で自由に見えることは、それだけで難しいことなのだ。観客の前で行動するとき、たいていの人は、常に身体を動かしていたいという欲求にかられるからだ。しかし、それは非常にくだらないことだ。」
おにぎりさん
>ある意味彼は楽匠が求めて止まなかった理想像だったかもしれません。

雑談スレのほう読んでくださいました??
こっちにもシツコク転載しちゃいます^^;

★リヒャルト・ワーグナーのオペラにおける全てのヒーロー役、
特に、ローエングリン、トリスタン、パルジファル、ジークムント、ジークフリートは、ペーター・ホフマンの「総体」を脳内イメージとして、つまりモデルとして創作されたに決まってます^^;

逆に言えば、ワーグナーの、その想念が百年の時を経て、現世に結実したのがペーター・ホフマンに違いありません。だからこそ、その人生そのものが、ある意味、悲劇的なのでしょう........
.........言っちゃった(@。@;;;;;;


「英雄たちを創造したとき、ワーグナーはペーター・ホフマンの姿を思い浮かべていたのだった」........ペーター・ホフマンに対する1980年代初め頃の批評

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ペーター・ホフマン[MIXI出張所] 更新情報

ペーター・ホフマン[MIXI出張所]のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。