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ペーター・ホフマン[MIXI出張所]コミュのオペラ歌手への道

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日本で、男の子が音楽大学に行きたいなんて言い出せば、大抵の親は反対するのではないでしょうか。音楽なんかで生活できるはずがないと言われるのが相場。それでもと頑張る場合、せめて教職を取っておくように勧めるでしょう。

そういうわけで、音楽大学はどこも恵まれた家庭のお嬢さんが大半という状況。某芸術大学の内部誌を見たことがありますが、入学試験前になると、今年こそ男子学生を確保しよう!というスローガンがあったのが印象的でした。特に声楽は深刻。女ばかりじゃ女声合唱しかできませんもの。

こういう事情は、職場は日本に比べればはるかに多いにもかかわらず、ドイツも大差なかったようです。特に、声楽となると必ず「歌でうまくいかなかった場合に備えて、とにかく音楽の教職試験を受けておけ」と言われるそうですが、ホフマンはこういう「安全策をとる」気は全然なかったということです。


ホフマンの場合も、妻以外に、文句無しに賛成した人は少なかったということですが、それでもオペラ歌手だった、妻の両親は彼の「声」に気がついており、声楽教師をさがし紹介状を書いてくれたわけだし、父親の主宰する移動劇団で育った母も息子たちが「家の伝統を受け継いで、舞台に立つことを喜んだ」のでした。

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オペラ歌手になる道筋は人それぞれのようですが、声楽を個人教授で学びはじめ、音楽大学で専門的に勉強したペーター・ホフマンの場合は、開始年齢は遅いかもしれませんが、ごく一般的な道筋を経たと言えるでしょう。ホフマンは、声楽の勉強を趣味としてするつもりは、さらさらなく、エミー・ザイバーリッヒとの初対面で、専門教育を受ける意味があるかどうか、確認しています。21歳でした。

『今、私の歌をきいて、専門教育を受ける意味があると思われますか。歌でやっていけるでしょうか。私には家族があって、稼がなければならないのです』 

勉強を終えた若い歌手が通る一般的なコースは、長い、短いはあるにせよ、様々のコンクールやワークショップをあちこちといくつも回り道して、若い才能を『発見する』エージェントにたどりつき、キャリアがはじまるというものだそうです。ペーター・ホフマンは、こういうハードルを学業修了の少し前に飛び越えます。エミー・ザイバーリッヒによるしっかりした専門教育と限りない支援によるところが大きいことは間違いないところで、歌手自身も繰り返し、そのことを強調しています。

まず、音楽学校の試験に合格し、学内コンサートで良い評価を得ます。そして、学校外での初舞台は、ブリテン作曲「ノアの方舟」で、ノアの三男セムの役でした。これは教会共催の行事で、カールスルーエ歌劇場内の教会で行われました。歌劇場のセム役の歌手が病気になり、オペラ・クラスの指導者が劇場の指揮者だったので、代役が回ってきたのでした。大編成のオーケストラ、「神聖な」題材、少々のソロ部分、そして、学校とは全く違う雰囲気の中で、舞台に立つというチャンスでした。

歌手によれば、「私は数回、口を開け、ミュンヘンのエージェントがオーディションに招いてくれた」というわけで、まだ学生のうちに一足飛びに「若い才能を『発見する』エージェントにたどりついた」のでした。

エージェントのところでオーディションを受け、エージェントに気に入られれば、劇場のオーディションに紹介してもらえて、もしかして、望まれれば、契約してもらえるかもしれない。しかし、そうなると、最初の初日が目の前にぶらさがっているということになる、というのがオペラ歌手のデビューというわけです。

エージェントでのオーディションのあと、仕事の話が来るのを待っている間に、ウィーンでコンクールに参加します。このコンクール出場資格には、「舞台経験を要する」という項目があったのですが、かわまわず応募した結果、旅費が支払われた、つまり参加を許されたのでした。歌手はこの項目について「なんというくだらないチューインガム的思考か。舞台資格とは、膝ががくがくすることなく、舞台に立てるということだろうか」と評しています。そして、六つの歌曲並びに六つのアリアを選んで提出することになっていて、「勝算はない」と思いつつ申し込んだのでした。そして、何も期待せずにはじめて訪れた美しいウィーンに感激します。

旅回りの劇団を主宰していた母方の祖父母の故郷についてはわかりませんが、ウィーンは母方の祖父が演劇を学んだところですから、歌手にとって全く縁のない土地ではありません。

「......今をときめく有名歌手で構成された審査委員会が私たちを待ち構えていた。エリザベス・シュヴァルツコップ、アントン・デルモータ、マックス・ローレンツ、ルートヴィッヒ・ウェーバー、ジェス・トーマスという面々だ。(ジェス・トーマスは、私が舞台に現れるまで、私がこのコンクールに参加していることを知らなかった)私の前にまだ二人いる、まだ一人いる、私の番だ、最初の音、それから、突然すべてが実に軽々と進み、だれかが私の隣も隣、すぐそばに立って、そこでまさに私のために歌ってくれていると思ったほどだった。相当うまくいったのは間違いなかった。あとで、ジェス・トーマスが話してくれたことだが、マックス・ローレンツが彼にこう言ったそうだ。「だれかが『魔弾の射手』のマックスのアリアを歌ったが、それを聞いて、デビューしたころの自分が思い出されて・・・涙がこぼれた」(ペーター・ホフマン)

このコンクールは、優勝こそしなかったけれど、歌手としては、大成功だと思っているそうです。このコンクールで将来の展望がつかめたし、エージェントからは、次々と仕事の話が来たのでした。エージェントが持ってきたのは、スイスのベルンでのオペレッタ、ウルムのオテロ、レーゲンスブルクのマンリーコ(トロヴァトーレ)などがありました。そして、さんざん断ってエージェントの気分を害した末、リューベック歌劇場のタミーノ(魔笛)のオーディションを受けることにしたのでした。

コメント(3)

このコンクールの詳細や優勝者については全然わかりません。当時、音楽評論家のカール・レーベルは、優勝しなかった三人の名前、すなわち、ペーター・ホフマン、ソーナ・ガザリアン、シルビア・シャシュを記憶しておくべきだと書いたそうです。
>嫌なこととかもいっぱいあるんでしょうね。
でしょうね......

そういえば、ホフマンの伝記にこんな文章があります。1972年、リューベック歌劇場でデビューした直後に知ったことだそうです。

『舞台での仕事に対する感性を失わずに、劇場での生活に持ち込まれるあらゆる卑劣なことに対しては鈍感にならなくてはいけないということがわかった。』(ペーター・ホフマン)

具体的なことは書いてないですけど、つまり...そういうこと...でしょうね。(それこそ、具体的に言わなくても想像はつきますよねぇ..........)


>>『魔弾の射手』のマックスのアリア
>是非、彼の声で聴いてみたいアリアの一つですよね(^。^!

ほんとに!!

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