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SFファンダムの男女平等を考えるコミュののむのむさんの日記コメント→みらい子さんの日記へ

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のむのむさんの日記コメントから炎上した件です
---------
もとはのむのむさんhttp://mixi.jp/show_friend.pl?id=36939ところの日記のコメント欄から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=144012202&owner_id=36939

以下、コピペ

2006年05月30日
00:25
タカアキラ
それはそれ、これはこれ!でいうと。ワールドコン行った先でいまだに男性が女性の下で働いてるのを見ただけで大喜びってカッコワルクナイですか?ワールドコンも有志のファンがボランティアで運営してるんでしょう。そこって舞い上がるポイントなの?信号が青と赤だった!夜は暗かった!とか取り立てて変わった事のないものをなんかすごいもののように報告してるように見えますが。自称フェミニストの人って21世紀に入って5年半経つのに立ち位置はそこで良いの?良いっていうなら部外者がどうこう言う事じゃないんですが。

2006年05月30日
00:43
のむのむ/いで
ウィスコンはワールドコンじゃなくて、世界で唯一(?)のフェミニストのSF大会なのですよ。男女スタッフのシステムはよくわからないや。>タッキー

2006年05月30日
01:38
タカアキラ
有志のファンのボランティアが運営する方式であるならば、ぼくの論点はずれないとは思うのですが、事実と違う事を書いた事についてはお詫びいたします。ウィスコンはワールドコンではありませんでした。

2006年05月30日
10:20
みん
ウィスコンとワールドコンの違いについては、のむのむさんが書いてくれたのでもうかきません。

のむのむさんのコメント欄で展開するには不本意ですが一言。
スタッフシステムについて
平等であるはずなのに、SF大会関係、イベントスタッフに男性が多く、さらにトップ付近に男性が多い理由を、まともに考えたことありますか?
アファーマティブ・アクション(積極的是正)ってしってます?

ちょうどこの前表プログに妙なコメントが来たので、それに答える形で逆差別について説明しています。
問題が似ていますので一読下さい。
http://arthur-min.jugem.jp/?eid=190

人のことを自称フェミニストと呼ぶのは勝手ですが、議論したいのならもう少し、ものを調べてまともに理論が出来るレベルでお願いします。
聞く気があるのなら、フェミとその現状の説明をするのはOKですから。

2006年05月30日
11:08
タカアキラ
>>
スタッフシステムについて
平等であるはずなのに、SF大会関係、イベントスタッフに男性が多く、さらにトップ付近に男性が多い理由を、まともに考えたことありますか?
<<
まともに考えたことはありませんでしたが、参加者総数における男女比の差にあると漠然と思っていました。総数から言ったら立派なものじゃないでしょうか。
アファーマティブ・アクションについては、いまぐぐってみた程度の知見しかありませんが、就職などならともかく、ボランティアベースのイベントのスタッフの役職にも当てはめて考えるべきことなのでしょうか。過去の不平等を解決するために、そこで必要とされているのをこなすにふさわしい実力以上の役職を請け負わせるべきだ!とか。


本当に嬉しかった出来事なら良いんですよ。


2006年05月30日
22:42
みん
>そこで必要とされているのをこなすにふさわしい実力以上の役職を請け負わせるべきだ!とか。

どういう意味でしょう?
女性にはそれをこなすだけの実力はない、という意味にも取れかねません。
毎回思うのですが、書く前にどう書いたら、だれがどう考えるか、もうすこし考えてからお願いします。とくにここはのむのむさんのコメント欄ですから。

>まともに考えたことはありませんでしたが、参加者総数における男女比の差にあると漠然と思っていました。総数から言ったら立派なものじゃないでしょうか。

そもそも参加者総数の男女比の理由を考えて下さい。
特に既婚で子供もいるような場合、だんなも一緒に参加するならともかく、奥さん1人でそれなりにお金もかかるイベントに参加することは、むずかしい人がたくさんいるのです。彼氏がいる場合も同様。
独り者であっても、男性主体の場所に女性が参加すること事態にストレスがあるのです。女性客ばかりの甘味屋に男性1人で入るのに、勇気がいるのと同じようなかんじかな。
現在はまだまだ意識の中では、男性の中(ホモソーシャル社会)にはいって、女性が意見を言ったり活動したりすることに、本人の中にも周りからも無言の圧力があるのです。しかもホモソーシャル社会で活動する女性は、男達からは名誉男性と扱われ、女性としてみとめられることが以下に少ないか…。

男性がわの問題だけでなく、女性のの中にも綿々と刷り込まれたこのドロドロとしたうっとうしい、女性は下がってろ的な感覚がある。男性はそこいるだけで、意識せずとも女性に圧力をかけているのです。
まずそれを認識して下さい。
そうすれば、あなたが思っている区別が実は差別であると気が付くことができるようになるでしょう。

ウィスコンが「女性のためのイベント!」なのは女性が仕切っているからだけなのではありません。スタッフも参加者もそういったことに意識的で、女性が気持ちよく過ごせる場を、男女両方が作り上げているからなのです。
女性だけでなく、セクシャルマイノリティや人種、トランスやクィアの人にとっても同様です。


2006年05月30日
23:13
みらい子 | 削除
>ほそいくん
ゴメンよー。
いやでも、うちの旦那のくちぐせだから>「チェックのシャツは主義主張」。
SF研の先輩(男)に「シャツにアイロンぐらいかけろ」と叱られたことのあるおれにはなにも言う権利はありませんですのだ。

>みんさん、タカアキラくん
もしよければ、うちのとことか、場所移しませんか? もうご迷惑になっているような気がするし。

----------
ここまでみらい子さんが作ってくれた日記トピック。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=145010752&owner_id=37328
みらい子さんの日記は友人まで公開のため、以下にみらい子さんのコメント欄の流れを転載します。
※一部オープンな場所での転載不可の方のコメントは削ってあります。

コメント(119)

ようやく仕事が終わりました(また次の仕事にとりかからなきゃいけない気がしますが)。ずいぶんと遅くなってしまって上に、まだここかって感じですみません。

>36:春風さま

>もし、G研が女性SFファンの親睦団体であるのなら、それでもいいでしょう。

ジェンダーSF研究会はSOG賞の主催団体ですが、女性(男性)SFファンの親睦団体でもあります。ホームページのジェンダーSF研究会についての説明に

>会員相互の親睦を深めようという趣旨のもとに
http://gender-sf.org/about/index.html

ときちんとうたってあります。


>だいたいなぜ受賞式でパフォーマンスをしなきゃならないのかがよくわかりません。

についてですが、今回のパフォーマンスを行うにきっかけとして、SOG賞のもととなりました、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞の方でのパフォーマンスがあります。ティプトリー賞では、授賞式にティアラで戴冠式をする他に、本や著者に関する替え歌を歌いながら受賞者を取り囲んで踊るというパフォーマンスが存在するという話を聞き、こちらのSOG賞でもなにかできないかとつねづね考えていたのです。

また、十二支さんからは、賞の持つ暴力性に含まれる「祭り」としての機能をもってパフォーマンスもありだという肯定の意見をいただいています。

春風さんは特に芸のレベルを問題視されていらっしゃるようですので、これからも私たちは大いにコスプレ・パフォーマンスを行い、ご要望にお応えできるように、精進させていただきます。
ひとつだけ、横やりすみません。
それがフェミニズム理論のことなのか、男性中心主義社会のことなのか、いまいちよくわかっていませんが、「妖精」にたとえてしまうと、見える人の方がおかしいという印象を与えかねませんので、もう少し別のものに例えていただけませんか?(宇宙人とか?) または角度を変えてみると違うものに見えるものとか。(だまし絵とか?)
>みらい子さま、みなさま
私の「妖精」のたとえは、神林長平『戦闘妖精・雪風』が扱うテーマのひとつ、「妖精を見るには 妖精の目がいる」を念頭において使ったものです。つまり、人間の認知・認識能力のかたちや限界を同時に示そうとしました。
その読者だけに向けた比喩だったかもしれません。すみません。
一見、見える人のほうがおかしいというふうに思われがちだろうがそれはどうか、ということを言いたかったということで。

その「妖精」の内容とは、自分の文脈では、男女における「不均衡な権力関係」のつもりです。
それが、もともと男-女という対概念と一体のものである、それは個々の人間を強引にラベル分けする(個の多様な内実を無視する)働きを持ち、誰もが(言葉や概念を使う以上は)既にその中に投げ込まれて逃れられない構造にある。
ということにご注意を促しておきたいところなのですが……。

さまざまに説明や表明の必要を感じていますが、いまは時間が取れず申し訳ありません。来週末を越えれば、少し何とかなるかと思います。
昨年夏も激しく忙殺されているうちに、議論の時期を逸してしまいました。今回は少々流れに遅れても、話題に加わっていくつもりです。よろしくお願いいたします。
>のるまさま
「妖精」の説明、了解しました。ありがとうございました。
おお、「妖精」の示すところが、のるまさんと私では微妙にズレていますね。発言77の繰り返しになるかもしれませんが、念の為に補足しておきますと、

>男女における「不均衡な権力関係」

そのものが「ない」とは言っておりません。それは間違いなく「ある」と、私も思っています。

しかし、世の中のすべての事象が、「男女における「不均衡な権力関係」」に由来するとまでは思っていません。

ジェンダー研(の一部の方)の発言を拝見すると、世の中のすべての事象は「男女における「不均衡な権力関係」」で説明が付く、と考えておられるのではないかと思えるほどに、この側面が強調されているように見えるわけです。

■「男女における「不均衡な権力関係」」を持ち出すのが不適切と思われる事例にまで、「男女における「不均衡な権力関係」」を援用して論を進めている。
    ↓
■適切と思われる事例よりも過剰に「男女における「不均衡な権力関係」」を見出している。

私の感覚に照らして、この「過剰」と思える部分について、「妖精」と表現しています。
>みらい子さま、十二支さま
説明不足から起こる混乱のまずさをいま痛感してます。ご指摘&ご説明ありがとうございました。

他の方のやりとりを見ているときは、互いの勝手な解釈に解釈が重なって収拾のつかない混乱状態になるのを、うんざり眺めてますが。
いま目の当たりにし、共通了解事項が確認されていない場での説明不足を、非常に反省するところです。(共通理解があると信じてたのが、まずいけません。)
再来週からになりますが、適切な説明によって避けられる混乱はまず避けてから、話を始めるよう努力したいと思います。

上の十二支さんのご説明については、では事例の「適切さ」の判断基準は何でしょう、とこちらから伺うことになるかと思いますが、それも改めてといたします。すみません。

ちなみに、世代論にもなりそうな雲行きなので表明しておきますと、私はさ来月で四一歳です。ご存知ない方のため(^^)よろしくお願いします。

>私の知り合いでは、四十代ぐらいまでの人から、この手の意見を聞くことは滅多にありません。

ひとつだけ、とりいそぎ。
道徳とか常識の問題を、事例の多数決で決めると言うのは馴染まないと思うのですが(そもそも私が質問したのはご自分「自身」に実感があるかに限りでしたが)、一応コメント致します。
意見を抱くことと、発言することはまた別なのでは。また、この世には四十代以上の人もいますが、その彼らの、数の上での扱いはどうなるのでしょう。
#話がそれますが、あなたがた個人個人がどんな道徳を持とうと、21世紀でも(あなたがた以外の人々のせいで?)私も時には夜道で知らない男性に追われたり卑猥な物事を言われたり見せられたりと、普通にやな感じに危険ですが……。(見かけ)女性というだけなのに、なぜこんな目に? 男性も同頻度でこんな目に遭うのでしょうか。あ、これも男女の権力関係とは関係ないというご意見でしょうか。
って、すみません、これも次の機会の話題で。


さて、先週の投稿にも書きましたが、私はタカアキラさんの記述の筋が、当初からうまく追いかけられず、非常に困惑してきました。
それはこれまで様々な局面で、互いの認識・知識のズレを意識しないまま言葉を投げあった結果なのでは、思うところです。なので、まずはそのズレを確認するため、こちらからいくつか質問させていただけると助かるな、と思っています。
どんな言葉が相手にどう受け取られるのか判らない状態で、闇雲に話し始めて誤解を受けるのは、私もここでは避けたい気持ちです。

質問はいくつかありますが、その一部は先週のセミナー会議でタカアキラさんにみらい子さんがお話くださったと思います。それ以外については、これも改めてということで。

どうぞ宜しくお願いします。
◆十二支さま

 お返事が思ったより遅れました。申し訳ありません。

>とりこさま

>>そういう意見の人が「いる」のは確かですが、「圧倒的多数派である」と言えなくては、論拠としては弱くないですか? といってるわけです。
> このご意見は「そういう意見の人もたしかにいるが、自分(あるいは自分の周囲)は違う」という論拠に基づくものでしょうか?

>そうです。私の知り合いでは、四十代ぐらいまでの人から、この手の意見を聞くことは滅多にありません。
 

 すれ違う部分がひとつ見えた気がいたします。
 「四十代ぐらいまでの人から、この手の意見」、これがどのような根拠/意図に基づくお言葉か、わたしにはよくわからないのです。
 
 「四十代ぐらいまで」以外の世代の方は、女性の行動に対し、十二支さまとは異なる(古い?)価値観をもつ方が多い、ということでしょうか。
 それとも、わたしという個人に対し「四十代ぐらいまで」の世代が強い影響力をもちうるということでしょうか。
 あるいは「四十代ぐらいまで」の世代は「圧倒的多数派」(常識の主流を作っている?)であり、それ以外の世代はわたしへの影響力を持たない(または弱い)ということでしょうか。
 
 いずれにしても、十二支さまの
>私の知り合いでは、四十代ぐらいまでの人から、この手の意見を聞くことは滅多にありません。

 十二支さまとわたしとで、日常の認識にズレがある点は仕方ないとしても、「この手の意見」が「圧倒的多数派ではない」という根拠について、もう少しお聞かせいただければと思います。
 
 日ごろ、わたしが積極的/主体的に相談相手として求めるのは、同世代(20〜30代)の友人が多いですが、同時に、日常/社会生活の多くの場面で、わたしは周囲の価値観に対し、受動的に(ようは、周囲にあわせて)行動することを求められます。
 社会生活上、格別、わたしに限ったことではないと思いますが、周囲の価値観は、わたしの行動に対し、直接的/間接的に影響力を持っているということです。
 
 わたしはちょうど1年前に実家を出て、現在、親とはなれて暮らしていますが、それまでは両親と生活していました。わたしの親は50代、60代で、同居していたころ、わたしの行動に両親の規範が多少なりとも及んでいたのは、生活を共にする以上、ごく普通のことではないかと思います。
 もちろん両親は、現在も私に多少の影響力をもっています。
 前述の例をとれば「女性が夜道をふらふら歩くのは危ない、控えなさい」という台詞(行動規範)は、まず、とても身近な存在(ここでは母)から発せられるでしょう、ということです。

 こう書くと、母親の行動の是非(娘の心配をすることが悪いのか? という論旨)へと話がスライドしがちですが、それは別の問題です。自分の周囲の価値観を「四十代ぐらいまで」と限定することは、すでにわたしの「日常」への影響力についてとは、前提、視点が異なっている、と申し上げたいのです。

 男性の行動が両親からどれほど影響を受けるのか、女性であるわたしにはわからない部分もありますが、親戚や周囲の友人、自分の兄弟などを見る限りでは、女性に対してなされるほどの関与はないように思います。
 もし、男性が女性に比べ、親や周囲の意見をあまり引き受けず生活していくことが出来るのであれば、すなわち、男女の置かれる日常状況は異なっているということではないでしょうか。
 
 わたしは、男女の差異をなにもかも均衡にすることが「正しい」などと申し上げたいわけではありません。ただ、「日常」は、いまなお、女性にとってさまざまな縛りをともなう不均衡な状態であること、それがごく普通の状態であることを申し上げたいだけです。
 
 わたしは、できる限り穏やかに書いているつもりですが、常にどこかで「このことでうるさい女だと思われたらいやだなあ」と思いながら書いています。(もう遅いと思いますが。。)
 「うるさい女だと思われる」ことの不利益をよく知っているからです。

 「うるさくない女」であるほうが男性に好かれやすい、そのため、男性社会のなかで賢く立ち回ろうとする女性はそちらを選択し、そのような女性が存在すれば、男性側はそちらを優遇する……そのようなループ構造があるとわたしは思います。
 好ましい女性のイメージとして「従順でおとなしくしとやかである」こと、「うるさくない女であること」の刷り込みがあることも、多少影響するのではないでしょうか。
 そしてさらに、「男性の望むよう」に上手く擬態できない女性、「賢く」振舞えない女性を、同性である女性が「アタマ悪い、カッコワルイ」と見下してしまう構造すらうまれてきます。
 
 「従順でおとなしくしとやかである」女性を分別があるとし、好もしく思う価値観そのものは、個人の自由、趣味でしょう。
 「従順、おとなしさ、しとやかさ」に女性らしさ、女性の美点や特質をみいだすことの是非は、ここでは問題からはずします。そもそも、わたし自身が、そのような女性の魅力について、肯定的に、素敵だと捉えています。
 ただこの「女性らしさ」のイメージは、ひとつの価値観にすぎません。
 そうではない女性は世の中にたくさん存在しており、そのことを肯定する、「活発でにぎやかで、はねっかえりである」ことを女性の魅力、美点とする価値観も多くあります。
 端的に言えば「活発、にぎやか、行動的である」と、肯定的に好ましく思ってもいいであろう女性の特質を、「うるさい女」と片付けてしまう価値観はどこから来るのか。
 「うるさい女」と周囲に認識されることへの否定的イメージ、そして、そこから生まれる抑圧が、生産されつづけ、影響力を持ちつづけていることに意識を向けていただきたい、ということです。

 もっと言えば、わたしがこれを書きながら「うるさい女だと思われる」ことの不利益について、考えずにいられないこと、わたしの周囲は、きっと「ああ、とりこさん、うるさい女だと思われちゃうよ、いいのかなあ〜」と心配してくれているだろうこと(ご心配くださっている方には、本当に申し訳なく思います、スミマセン。。)、まあ、そういうことです。

 このことを、のるまさまの仰る「男女における「不均衡な権力関係」」に広げて考えることは、論が飛んでいるのでしょうか。
 もしG研が男性だけの団体であれば、そもそも、このような騒ぎは起こったのだろうか、という部分に始まり、わたしやのるまさまなど、メンバーがすべて男性で、コスプレも男性によってなされた場合はどうだったのだろうか? と考えてしまいます。

 さらに、わたしの周囲の価値観は決して一枚岩ではなく、多様な世代、また、同性からの圧力すら含み、複雑に影響しあっていることも申し上げたく思いました。

 以上、たいへん長く、またねちねちとした文章で申し訳ありません。誤解を避けたいので、出来る限り細かく書いてみました。
>のるまさま
>では事例の「適切さ」の判断基準は何でしょう、とこちらから伺うことになるかと思いますが

「常識」としかいいようがありません、とお答えすることになるかと思います。では「常識」とは何でしょう? と訊ねられるかもしれませんが、この場合は、「多くの人が納得できる感覚」という答えになり、後の方の「多数決」の問題につながっていくと思われます。

>意見を抱くことと、発言することはまた別なのでは。

それは当たり前ですが、発言によって示されないその人の意見は、他人には窺い知ることが出来ないので、考えに入れるだけ無駄だと思います。

>また、この世には四十代以上の人もいますが、その彼らの、数の上での扱いはどうなるのでしょう。

世代の区別をせずに、誰が見ても、常識といえるほどに「圧倒的多数派である」と言えなくては、論拠としては弱い、と指摘しています。

ちなみに「四十代まで」には四十代の人も含まれますから、ここは「五十代以上」としてほしかったところですが、その年代の人を除いたのは、私が個人的に女性に対する意識を聞く機会が少ないからであって、「五十台以上の人は女性に対して古い、差別的な意識をもっている」と主張する意図はありません。

>とりこさま
>「この手の意見」が「圧倒的多数派ではない」という根拠について、もう少しお聞かせいただければと思います。

結局のところ、自分と自分が直接知っている人の意見から得た実感としか言いようがありません。その実感が明らかに間違っていて、世間一般からみて「非常識」な意見である、ということでしょうか?

親御さんの例が出ているので、私も同居している自分の両親のことを書きますと、父も母も六十代ですが、「女性が夜道を〜」のような際に、女性の方が悪い、という意見は絶対に言いません。そういう意見を述べる人に対して「古いね」とコメントするタイプであります。

>もし、男性が女性に比べ、親や周囲の意見をあまり引き受けず生活していくことが出来るのであれば、

私の感覚では、「親や周囲の意見にどの程度影響されるか」は、「個人の資質」によるところがもっとも大きいと思います。要は男とか女の区別にあまり関係なく、人それぞれだ、ということです。こういった事例に「男女における「不均衡な権力関係」」を最も重要なファクターとして援用することは、私にいわせれば「妖精」です。

>「うるさい女だと思われる」ことの不利益をよく知っているからです。

このあたりも、そうですね。「うるさい男だと思われる」ことには不利益がないにもかかわらず――と言えなければ、「男女における「不均衡な権力関係」」の一例として挙げるには不適当ではないでしょうか?(そして、「うるさい男だと思われる」ことには、充分な不利益があると思います)
デリケートな問題に踏み込んでいるようなので、しつこく補足しておきますが、

>ただ、「日常」は、いまなお、女性にとってさまざまな縛りをともなう不均衡な状態であること、それがごく普通の状態であることを申し上げたいだけです。
 
日常が女性からみて「不均衡な状態」にあること、そのものについて否定する意図はありません。男性である私から見ても「不均衡だな」と思える事例は多々あります。

しかし、ありとあらゆる事例について、「女性は奴隷として抑圧された被害者」「男性は女性を抑圧する加害者」という図式を援用するのは行き過ぎであろう、といっています。
◆十二支さま

 さっそくのお返事を有難うございます。

 >「うるさい男だと思われる」こと
これはおそらく「男のくせにうるさい」という意味合いを含んでいると思われます。

 >「うるさい女だと思われる」こと
こちらは「女のくせにうるさい」という意味合いを含んでいるとは思われません。
 
 この相違についてもお考えいただければ幸いです。
>のるまさんの85のコメントへ

> 道徳とか常識の問題を、事例の多数決で決めると言うのは馴染まないと思うのですが
> (そもそも私が質問したのはご自分「自身」に実感があるかに限りでしたが)、
> 一応コメント致します。

と、ありますが、のるまさんの76の発言では
----
>十二支さま
>私は「女性の方が「より」品を求められる」とは思っていません。

あ、驚きました(^^)
が、後のコメントを拝見すると、ローカルでその事態も存在すると推測するが、グローバルであるという実感はない、ということでよろしいですか?
----

と書かれています。

 ここで、「グローバルであるという実感」というのは私にとって疑問です。
 ひとりの人間が直接知覚するところの「実感」は、メディアに頼ってもバイアスが存在し、充分にグローバル足りえず、価値の認められるグローバルデータというのはローカルデータの統計的集積によってのみ表現されると、私は考えます。
(しかし、今までののるまさんの議論を読ませていただいた感触としては、そのあたりのスタンスがのるまさんと私では異なるように思われるので、この議論には意味がないかもしれませんね。)

 また、とりこさんの75の発言では
----
 このご意見は「そういう意見の人もたしかにいるが、自分(あるいは自分の周囲)は違う」という論拠に基づくものでしょうか? 
 そしてまた、「それはすでに圧倒的多数派ではない」と仰ってくださる、ということでしょうか。

 もしそうだとすると、とても心強いです。世の中が本当にそうであって欲しいと願います。
 (わたしには、まだとてもそのようには感じられませんが、たまたま、わたしの運が悪いのかもしれませんし)
----

と書かれていますので、のるまさんやとりこさんは、ローカルデータの集積としてのグローバルを知りたいのかと私は思い、そのため私個人の「実感」もローカルデータのひとつとして書かせていただいたのですが、そうではないのでしょうか。

 そして、今までの議論を概観すると、男女差別を表す経験的な具体的事例を複数人でとりあげてそれが「一般に起こること」であると議論の場で決めたがっているのはG研の方々のように私には見えたのですが、これもまたそうではないのでしょうか。

 いったい、のるまさんやとりこさんは何がしたいのでしょう。
 私にはそのあたりがよく見えません。

 目的を持たない議論は迷走すると思います。

 とりあえず、議論の発端となり、そしてそこに付随している去年の事例をも含むタカアキラさんの件について決着をつけて、すでにその議題を離れ(?)迷走している議論の当事者的責任からタカアキラさんを解放してあげるべきではないかと、私は思います。

> 質問はいくつかありますが、その一部は先週のセミナー会議でタカアキラさんに
> みらい子さんがお話くださったと思います。それ以外については、これも改めて
> ということで。

 ここまでこれだけオープンに話し合いをしていて、最終的決着(に至る道筋の一部)はオフラインでのみ語られるというのも少々収まりが悪いところに思えますが、それで収拾がついたという報告だけこちらに書いていただくのもベターな選択かもしれません。そのほうが早く収拾がつくのであれば。
>とりこさま

>この相違についてもお考えいただければ幸いです。

相違がある場合もあれば、ない場合もある。
ケース・バイ・ケースである、としか、言いようがありません。

あちゃぞうさんの発言72を、よく読んでみてください。

差別構造があるとは限らないところに、あえて差別構造を見出して
いるのは、他ならぬとりこさんご自身であると思います。
>あちゃぞうさま

>「グローバルであるという実感」
あ、ご指摘のとおりです。ここに「実感」と使ったのは、後で見直して間違ったな、と思っておりました。でも、十二さんにはスルーされてしまって、どうしたものかと思いつつ。不用意な書き手ですみません。ご指摘感謝、改めて質問からやり直すことにしましょう。

さて、

> ここまでこれだけオープンに話し合いをしていて、最終的決着(に至る道筋の一部)はオフラインでのみ語られるというのも少々収まりが悪いところに思えますが

正確を期しますと、話し合いのオープンを意図したのはみんさん、それも直接はみんさんとタカアキラさんとの今回のやりとりについて、といういきさつだったかと思います。
といっても、私自身も今回の話し合いはオープンがいい、という考えに組する側なので、いま話題の昨年からのこの件に関しても、もし質問に答えていただけるなら、オンラインでがいいとは思ってます。ので、以下にその内容を示します。

#もっとも基本的には私は、ひとの共通理解はオンラインのみのやりとりだけでは醸成されない、特にこうした話題では誤解や感情的な行き違いを生みがち、顔をあわせてのやりとりも必要だと思っています。つまり、人間の共通理解は言語のみよって醸成されるのみではないと考えますが、ネット中心のコミュニケーションに適応されてる方々には、それはもう理解できない考え方でしょうか……。


さて、オフラインでのタカアキラさんとのやりとりとは、先週末SFセミナーの会合があった際、私は所属労組の合宿で行けず、みらい子さんがG研&セミナー共に関係者であるメンバーに、「彼に何か伝えておきたいことある?」と気をきかせて下さったので、託したものです。内容は以下です。(原文はみらい子さんあてだったので、表現は変えています。)

・コミュなど公式の場でなく、タカアキラさんの日記のコメントスペースに、タカアキラさんが不愉快になるようなコメントを私がつけたのは、場をわきまえない行為だったと今にして思う。それは反省している。非礼をわびたい。友達ならあのくらいは許される、という甘えがあったと思う。
・ただ、一年たっても蒸し返すほど、不愉快だったとは想定外だった。
・昨年早いうちに会って話せる機会があればよかった。

さらに、以下が質問です。これまでのコミュでのやりとりで、私たちの批判の筋違いと指摘する方もあり、もしそれが正しいなら、そも最初のタカアキラさんのあの苛烈な批判の言葉は、何によって引き起こされたのかを、知りたい、ということからです。

・なぜ、夏さんのコスプレ姿(授賞式パフォーマンスは見てませんよね?)が不愉快だったのか?
・なぜ、わたしの発言でさらに不愉快になったのか?

これについてその後タカアキラさんが思考された結果は、タカアキラさんの投稿70番にも反映されていると思いますが、改めてこの質問それぞれに対する解答の形で、明快にお書きいただければ、理解の助けになるなぁ、と思っているところです。

さらに、以下提案もしています。

・読書会を行ってみるのはどうか。こちらから一冊私たちの主張に則した(多分フェミニズム・ジェンダー理論についての)参考書を挙げるし、そちらも同様に挙げてもらっていい。なごやかにやるつもりだが、もし叩かれるのではと心配なら、G研メンバーとタカアキラさんのお友達とを同数にする方法もある。

この提案は、ぜひこれをご覧になっている皆様にも、ご参加を呼びかけたいところです。いかがでしょうか。

以上です。
ごめんなさい、これでしばらく投稿はお休みします。また改めて。
>>のるまさま

>でも、十二さんにはスルーされてしまって、

ん? 発言77で、私個人は「女性の方が「より」品を求められる」とは思っていない、と明言したはずですが、これがのるまさんの求められていたローカルデータではないのでしょうか?

話の流れを読み返してみても、何を要求されているのかよく分らないので、申し訳ありませんが改めてお聞かせください。


>あちゃぞうさま

>目的を持たない議論は迷走すると思います。

まったく同意です。念の為に、私の意図を整理しておきますと

1 ジェンダー研(の一部の方)の議論の進め方・手順・発言態度が、著しくアンフェアかつ無作法である点について疑念を呈している。
2 出来得れば、この点を自覚し、以後は改めていただきたい。

この「2」が目的ということになるかと思います。
週末にでもまとめてと思っていたのですが、耐え切れずに一言。

>十二支さん
>「常識」としかいいようがありません、とお答えすることになるかと思います。では「常識」とは何でしょう? と訊ねられるかもしれませんが、この場合は、「多くの人が納得できる感覚」という答えになり、後の方の「多数決」の問題につながっていくと思われます。

あのーー、まず十二支さんの感覚が「常識」と言い切る根拠はなんでしょう??
SFファンともあろう人が、自分の意見は「常識」っと言い切ってしまうことに、まずびっくりしました。
人は「常識」という時代・場所によってゆれうごく、不定形なものに影響されます。その場所に生きてる以上当然ですが、それを疑うことが、新たな知であり、SFの醍醐味じゃないんですか? 
しかも「常識」とされることが元は政治的な力学で決定された、なんてネタには事欠かないです。その辺りをスリリングに暴くSFやファンタジーもありますね。

そして「常識」が「多数決」っというのも、まったく納得いきません。少数意見は「非常識」ってことでしょうか?? 
それでは数でマイノリティの主張を覆い隠し、見えなくし、まさに支配することではないですか?

「多数決」という点にしても、十二支さんの周りの人の反応と十二支さんの感覚は、当然ながら十二支さんの体験した事例です。十二支さんの体験事例では多数が、十二支さんと同じ感覚を共有していても、他の人の体験事例では違うかもしれません。ローカルな話ですよね。「多数と感じたもの」が本当に「多数」なのか、検証するのは大変むずかしいです。
「多数と感じたもの」は実際には声の大きさだった、ということも往々にありがちです。

当然そのことはお解かりだと思いますが、上記を踏まえてローカル系をそのままグローバルな話へはいいですけど、そこからさらに「常識」に持っていくのは、いかがなものかと。

こう書くと、おまえもやってるやんと!といわれると思うので、さらに。
わたしもローカル系の話(わたしの体験)から初めて、グローバルな話(男女全体の話とか)に発展させてます。どうしたって自分からは逃れられないし、ローカル系な話から発展させるしかないです。(わたしが自分と身の回りのネタを書いたのは、もちろんわかりやすさという意味もあります)しかしわたしは自分の言ったことが「常識」といったことはありません。自分の意見を「常識」と言い切るのは、そこで議論を切り捨てることだし、自分が「常識」に苦しめられたその構造を、仕返しのように相手に押し付けることに他なりません。それはわたしの感覚では、ゲロゲロにカッコ悪いし、やってはいけないことだと思っています。
だいたいオタ人生、いままでずっとマイノリティだったのだから「常識」なんておこがましくて言えませんよ(笑)

わたしが「常識」に疑問を持ったり、意義を唱えたりするのは、自分の感覚が「常識とされるもの」と相容れないという自体に、たびたびぶつかってきたからです。子供の頃は親や教師のいうこと、大人になってからはテレビや新聞などマスコミのいうこと、友人や職場の同僚や上司、仕事のクライアントなどなど、日常にたくさんあります。
というか、ポイントはそれぞれでもこんな経験誰にだってありますよね。人とのコミュニケーションがある限りなくなりません。
十二支さんは「男女」という構造については、“「常識とされるもの」と「自分の感覚」が相容れない”という経験がなかったのだろうと思います。それは(この問題に関しては)幸福なことだし、男女問わずそのような幸運な人も存在するのはわかります。

しかし、そうでない人もいます。

「常識」と相容れない感覚の人には見える問題も、「常識」と自分の感覚にブレのない(少ない)に人にはなかなか見えません。
わたしは見えない人にも、この問題が見えるように、でなければ問題の存在に気がつけるように、なってほしいと思うのです。

蛇足ですが、当然ながら「常識」=「正しい」ではありません。さらに「道徳」=「正しい」でもありません。
常識も道徳も変化しますし、時間はかかっても変えることだって可能です。

84: 十二支 さん
>ジェンダー研(の一部の方)の発言を拝見すると、世の中のすべての事象は「男女における「不均衡な権力関係」」で説明が付く、と考えておられるのではないかと思えるほどに、この側面が強調されているように見えるわけです。

『世の中のすべての事象は「男女における「不均衡な権力関係」」で説明が付く』とは考えていませんが、おそらく十二支さんが想定している問題以外にも、もっとたくさんの問題がこれで説明がつく、とは考えています。
なんせ「男女における「不均衡な権力関係」」の大本にある「家父長制」は、ほぼ文字に記された歴史と同じくらい長い間「常識」だったのですから。
「家父長制」が問題、というのがわたしの大本の理解ですが、では家父長制でなくなんならいいの? っといわれると、まだわたしにもはっきりしたビジョンは提示できません。「家父長制」の中にいて、文字資料も世界もほとんどが家父長制の視点で語られ、今が「家父長制」ってことにみんな気がつかないくらい、それこそ「常識」「伝統」と自然に納得してる。まずわたしの中の「家父長制」視点を解体しないと、家父長制のない世界は構築できません。とうぜんわたし一人の力では無理です。コミュニケーションや本からも自分の「家父長制」視点を突きつけられることなど、まだまだあります。
多くの人は今が「家父長制」であることから気がつかなきゃいけないし、道はまだまだ遠いです。

最初に一言といって、こんな長文になってしまい、ごめんなさい。
>みんさま

>あのーー、まず十二支さんの感覚が「常識」と言い切る根拠はなんでしょう??

私の感覚が「常識」である、と言い切っている箇所があるならば、 具体的に指摘してください。

私は、自分の感覚こそが「常識」である、などとはまったく思っていませんので、そういう発言はしていないと思いますが。

私の書いた文章を勝手に切り貼りして結論を出していませんか?
>タカアキラさんへ

あのー、今なにか、とっても言いたいこと、ありませんか?
それがタカアキラさんにとってさほどでもなければ、私はこのあとは適当にかえりますが。

>十二支さんへ

> まったく同意です。念の為に、私の意図を整理しておきますと

ありがとうございます。
十二支さんのあげた2は、観客の多くが共有するところではないかと私は思います。
失礼しました。たしかに十二支さんは「自分の意見が常識と同じ」とはいっておられませんね。すいませんでした。

84: 十二支さん
>(G研の一部メンバーが、世の中の出来事について)■適切と思われる事例よりも過剰に「男女における「不均衡な権力関係」」を見出している。
※括弧内は引用者記す

85: のるまさん
>上の十二支さんのご説明については、では事例の「適切さ」の判断基準は何でしょう、とこちらから伺うことになるかと思いますが、それも改めてといたします。すみません。

87: 十二支さん
>のるまさま
>では事例の「適切さ」の判断基準は何でしょう、とこちらから伺うことになるかと思いますが

>「常識」としかいいようがありません、とお答えすることになるかと思います。では「常識」とは何でしょう? と訊ねられるかもしれませんが、この場合は、「多くの人が納得できる感覚」という答えになり、後の方の「多数決」の問題につながっていくと思われます。

というやり取りを読んで、わたしは以下のように考えました。

十二支さんは、G研の一部メンバー(わたしですか? 名指してもらえるとわかりやすいのですけど)は、適切と思われる事例=常識、より過剰に「男女における「不均衡な権力関係」」を見いだして反応している、と考えている。
 ↓
この「常識」は十二支さんにとって、「多くの人が納得できる感覚」であり、十二支さんの感覚も「常識」にフィットする。
 ↓
この問題に関しては、十二支さんの感覚は世間の「常識」と同様である。
 ↓
十二支さんの「常識」では、G研の一部メンバーは非常識なところまで、男女問題にすり替えてさわいでる。
ふーーーん。そうなの〜〜(--#)

ここから
94: みん
>あのーー、まず十二支さんの感覚が「常識」と言い切る根拠はなんでしょう??
SFファンともあろう人が、自分の意見は「常識」っと言い切ってしまうことに、まずびっくりしました。

までいったのは行き過ぎでした。もしわけありません。
やはり怒ったまま書くとロクなことになりません。反省します。

しかし、94の投稿で上記より下に書いた部分のわたしの考えは変わりません。
「常識」をもち出すことで、そこから外れた意見は「非常識」「語るに値しない」とカテゴライズされ、問題はさらに見えにくくなります。しかもそれが多数決といわれれば、「常識」に意義を申し立てる少数者は、まさにサイレント・マイノリティとして、黙殺です。

十二支さんには、のるまさんのいう「妖精」が見えないのに(わたしにははっきり見えます)、これ以上目隠しが増えてどうするのか? 「常識」というこの目隠しは大変大きく分厚いので、今まで見えていた人すら惑わされることもあります。
似たような目隠し効果のある言葉に「道徳」「伝統」なんてのもありますね。

わたしの衝撃はSFファンという一般よりは異文化に対する許容が高いと思っていた人から
「男女における「不均衡な権力関係」」を見いだす、見極める、そのポイントが「常識」で、
しかも「常識」は多数決、と言われたことです。
正直SFファンでもこうなら、一般人にはなんと説明したらいいのかと、頭を抱えています。
>みんさま

>人は「常識」という時代・場所によってゆれうごく、不定形なものに影響されます。その場所に生きてる以上当然ですが、それを疑うことが、新たな知であり、SFの醍醐味じゃないんですか? 

「常識」を疑うには、まず「常識」を理解していることが前提になるはずです。「SF作家は常識人だから、非常識なことが書ける」と言ったのは、星新一さんでしたっけ?

>「常識」に意義を申し立てる少数者は、まさにサイレント・マイノリティとして、黙殺です。

「常識」に異議を申し立てる少数者、と自称しながら、自分たちの共通認識こそが正しくて、他の大多数の人たちはその「真理」にまだ気がついていないだけ、という態度で議論に臨むのはおかしくないですか? と何度も何度も問い掛けているわけです。

自分たちと認識を共有しない人を、「考えの及んでいない人」として一段低く見てはいませんか? その軽視が、タカアキラくんをはじめとしたジェンダー研外部の人への無礼な態度となって表れているように見えるのですが。
◆十二支さま

 わたしは、先だって、発言をなるべくソフトにしていただきたい旨、お願い申し上げました。重ねてお願い申し上げます。
 「相手がそうでないため、自分も好きに振舞う」というご意見でしたら、他者の振る舞いへ改善をお求めになるのはいかがかと思われるのです。どうぞご検討ください。

 また、77番の発言にて
>私の批判する「発言の具体例」については、また後ほど。

 こちらはお待ちしております。よろしくお願いいたします。


 さて、91番にて、わたしの質問に

>相違がある場合もあれば、ない場合もある。
ケース・バイ・ケースである、としか、言いようがありません。

とお答えくださいましたが、発言の意図(指摘したかった部分)とずれが生じているように思われますので、補足いたします。

 ・男性側の不利益=「男の癖にうるさい、と思われることで生まれる不利益」
 ・女性側の不利益=「はじめからうるさいと思われていることに上乗せされて生じる不利益」

 男女問わず「うるさい」と思われることに不利益が伴うと仮定します。
 「これ以上うるさがられるかもしれない」という恐れは、発言する側のブレーキとなります。その場合、女性側には、発言以前の時点で、すでにハンデが存在しているということです。(発言しにくさというハンデ)
 
 十二支さまは、お仕事柄、いままできっとたくさんの本を読んでおいでだと思いますが、それらの中で、女性は男性より「姦しい」というイメージに出会ったことはないでしょうか。「姦しい」という文字が存在するほど「うるさいものである」とイメージ付けられている、そのこと自体が適切かどうかはここでは問いません。ただ、片方に「うるさい」という先行イメージがあり、片方がそうではない場合、イメージ付けられているほうにハンデが存在することは否めないのでは。

 このような指摘に対し、おそらく十二支さまはわたしが「男女差別があるとは限らない場所にあえて差別を見出している」という印象を抱くのでしょう。
 それについては十二支さまのご意見として受け止めたく思いますが、77番の発言に

>ただ、「ジェンダー」という物差しで作品を分析することには興味があって、ジェンダー研の活動には、その点で注目しています。

 とありましたので、このような観点でお考えいただくことにも興味をお持ちなのではないかと思いました。


 以下は、男女の不均衡を感じるわたしの感覚がどれほど「一般的」か、ご参考にしていただければと思います。

◆「男女共同参画社会に関する世論調査」(H16年11月調査)より
有効回収数(率) 3,502人(70.0%)
※回答は「9.性・年齢別回収結果 」にあるように、年齢層が高めになっています。

・「職場における男女の地位の平等感 」

16.7% 男性のほうが非常に優遇されている
42.7% どちらかといえば男性のほうが優遇されている
25.0% 平等
3.7% どちらかといえば女性のほうが優遇
0.5% 女性のほうが非常に優遇
11.3% わからない

・社会通念・慣習・しきたりなどにおける男女の地位の平等感

24.1% 男性のほうが非常に優遇されている
50.6% どちらかといえば男性のほうが優遇されている
17.2% 平等
2.9% どちらかといえば女性のほうが優遇
0.3% 女性のほうが非常に優遇
4.8% わからない

さらなる詳細はこちら:
http://www8.cao.go.jp/survey/h16/h16-danjo/index.html


◆役職別女性管理職を有する企業割合

    部長相当職 課長  係長
平成10年  5.8%  17.1% 32.2%
平成12年  7.4%  19.0% 31.2%
平成15年 6.7% 20.2% 32.0%

◆役職別女性管理職の割合

    部長相当職 課長  係長
平成10年  1.2%  2.4%  7.8%
平成12年  1.6%  2.6%  7.7%
平成15年 1.8% 3.0% 8.2%

情報元:「女性の政策・方針決定参画状況調べ(平成18年1月24日)(公表)」
(本社において常用労働者30人以上を雇用する民間企業から抽出した約7000企業を対象)http://www.gender.go.jp/2005statistics/3-1-1.pdf


◆国家公務員における役職段階別女性の数

・一般職の国家公務員の任用状況調査

    総数 うち女性 女性の比率
2003年 9,805 145 1.5%

情報元:http://winet.nwec.jp/toukei/save/xls/L118130.xls


◆都道府県別学校管理職男女状況(小・中・高等学校)(平成17年度)

   女性       男性
校長 4.053(18.2%) 18.263(81.8%)

情報元:http://www.gender.go.jp/2005statistics/3-2-2.pdf


 引用はごく一部ですが、これも、わたしが「女性は職場環境において不遇である」という認識を抱いている根拠のひとつとなりうると思います。

 統計への信頼性はまた別問題ですが、このコミュが立ち上がるきっかけとなったタカアキラ氏の発言、みんさまの発言を「カッコワルイ、遅れてる」と評した発言は、十二支さまの87番

>「常識」としかいいようがありません、とお答えすることになるかと思います。では「常識」とは何でしょう? と訊ねられるかもしれませんが、この場合は、「多くの人が納得できる感覚」という答えになり、後の方の「多数決」の問題につながっていくと思われます。

 この論によれば「非常識」なのはむしろタカアキラ氏の側であることになりますが、その認識でよろしいでしょうか。

 さて、十二支さまの88番に
>日常が女性からみて「不均衡な状態」にあること、そのものについて否定する意図はありません。
>しかし、ありとあらゆる事例について、「女性は奴隷として抑圧された被害者」「男性は女性を抑圧する加害者」という図式を援用するのは行き過ぎであろう

 とあります。個人的には、
>ありとあらゆる事例について、「女性は奴隷として抑圧された被害者」「男性は女性を抑圧する加害者」という図式を援用

した覚えはないのですが、もしそう思われる箇所がございましたら御指摘ください。

 
 90番、93番で、論の目的について質問をいただいたようですが、わたしにとって論点とは、以下の2点です。

 ・舞台上で行われたパフォーマンスに対し、言論の自由をたてに、他者の表現に規制を行うかのような態度があった(ここではタカアキラ氏の日記)ことへの疑問提起
(発端となったパフォーマンスの意図への誤解、見当違いな批判に対する是正を含む)

 ・無自覚になされている(と思われる)女性差別への指摘、問題提起 
>この「常識」は十二支さんにとって、「多くの人が納得できる感覚」であり、十二支さんの感覚も「常識」にフィットする。

一般論として補足しておきますと、世間一般の常識は私個人の感覚に「フィット」しないことが多いです。

ズレている自分を世間に合わせて改めようとは思いませんが、自分がどうズレているかは正確に把握しておきたいと思っております。

>わたしの衝撃はSFファンという一般よりは異文化に対する許容が高いと思っていた人から

「異文化に対する許容度が高い」からといって、「ある特定の異文化だけを無条件に受け入れる」ことはないのでは? というか、むしろかえって難しいのではないかと思うのですが。
とりこさま

> わたしは、先だって、発言をなるべくソフトにしていただきたい旨、お願い申し上げました。重ねてお願い申し上げます。

先日も言いましたが、私はこの議論において、平易に、分り易く、誠実に発言するように心がけています。

相手を馬鹿にしたり、揶揄ったり、語気を荒げたり、暴言を吐き捨てるようなことは、務めて避けているつもりですが、そのように見える箇所がありましたら、どうぞ、具体的に指摘なさってください。
>管理人のみんさん

ちょっとすいません。
ここまでの議論とまったく、ぜんぜん、文脈的には関係ないんですけれど、「うるさい女」というのがどういう意味で語られているのかが個人的な興味から詳しく聞いてみたいのですが、別トピック立ててもよいですか?
>あちゃぞうさん

そういえば、ご挨拶してなかったですね。ごめんなさい。
活発な書き込みありがとございます。今後もよろしくおねがいしますです。
トピック立てがんがんやっていただいてOKです。
「うるさい女」の意味、興味深いですね。面白いトピになりそうな予感です。
素早いレスをありがとうございます。

98: 十二支さん
>「常識」を疑うには、まず「常識」を理解していることが前提になるはずです。「SF作家は常識人だから、非常識なことが書ける」と言ったのは、星新一さんでしたっけ?

「常識」理解していることと、「常識」を知っていること、「常識」に疑問がないことは別です。
また理解することは、全面的に認める、ということでもありません。

わたしは世間一般の「常識」を理解しようとしていますが、まだまだ理解できたとはとてもいえません。疑問を持ったことから、例えばその「常識」の成り立ちなどを調べ、構造や、その「常識」で問題なしと思ってる人の意見を聞いたり読んだりして、理解しようとしています。

しかし成り立ちや、他の人の立ち位置がわかっても、なおおかしいと思うこと、わたしにとっての「正しい」と思うことは、「こうではないのか?」と主張します。
ただし押し付ける気はありません。
何度も言っていますが、どうも通じていないようです。わたしの言葉が押し付けに感じているというなら、申し訳ないです。

わたしの考えは常に多様性の肯定です。
「正しい」と思うことは人それぞれ、自分で考えて選択してください。選択の際、「今まで気がつかなかった視点」としてわたしの主張が選択肢の一つに加われば、大変うれしいです。

100: 十二支さん
>一般論として補足しておきますと、世間一般の常識は私個人の感覚に「フィット」しないことが多いです

重箱の隅つつくようですいませんが、わたしは『この「常識」』として、このトピで議論中の男女問題、のるまさんの「妖精」については『十二支さんの感覚も「常識」にフィットする。』と思ったと書きました。他の「常識」に関しては正直、ここでわざわざ言う必要を感じません。


98: 十二支さん
>「常識」に異議を申し立てる少数者、と自称しながら、自分たちの共通認識こそが正しくて、他の大多数の人たちはその「真理」にまだ気がついていないだけ、という態度で議論に臨むのはおかしくないですか? と何度も何度も問い掛けているわけです。

まず「自分たちの共通認識」ではありません。わたしの書いたことはわたしの認識です。
G研内でも議論はあり、フェミニズム感もジェンダー感もみんなそれぞれ違います。ただし、例えば十二支さんとわたしの認識の差(ズレ)と比べれば、G研メンバー間ではその差はだいぶ小さくなることは確かです。
そのため外部から見ると、G研メンバーがみんな団結してるように(^^;)見えるのかも知れません。これはこれまで一人一人の発言をあまりしてこなかったG研側の問題でもあると思います。
ただし、団体として何かやる以上まったくバラバラってわけにも行きませんから、G研としての基盤部分の見解と個々のメンバーの意見・考えをどうバランスよく、披露していくか、今後の課題として検討していきたいと思います。

上に書いたこととやや重複しますが、わたしの認識が自分で「正しい」と思わなければ、わざわざ発言などしません。とりこさんが言うように
>・女性側の不利益=「はじめからうるさいと思われていることに上乗せされて生じる不利益」
があるわけですから。何も言わない方が世渡りは確実に楽にすすみます。
しかしその不利益を計りにかけても、言いたいことがある。だから少々うるさがられても、わたしは発言します。
そして実際に「大多数の人たちはその「真理」にまだ気がついていない」のですから、そうゆう口調になって、なぜいけないのでしょう?
もっとも「真理」と言う言葉は、「わたしが正しいと信じる意見」を表すにはずいぶん大げさに聞こえますけど。

十二支さんの言う「真理」、のるまさんの「妖精」、わたしの「意見」、言い方はそれぞれですが、問題点に気がついている人には、わざわざ言う必要は感じません。気がついていない人に対して、意識を向けてほしい、考えてほしいと何度も言っています。気がついていない人、気がつきたくない人にとっては、まあ耳障りかとも思いますが、わたしはうるさがられるのも承知でやってますので。
※蛇足ながらのるまさんの「嫌がらせ」発言にはこういったニュアンスが大きかったとわたしは認識しています。

またわたしは正しいと思ったことを言いますが、押し付けてるつもりはないと、もう一度かいておきます。
「正しい」という概念もまた相対的な物ですし、「何が正しいか」というのも結局その人の主観で判断するしかありません。


98: 十二支さん
>自分たちと認識を共有しない人を、「考えの及んでいない人」として一段低く見てはいませんか? その軽視が、タカアキラくんをはじめとしたジェンダー研外部の人への無礼な態度となって表れているように見えるのですが。

非常に言いにくく、大変失礼なことを書いて申し訳ないですが、わたしには相手(この場合はG研の女性たち)を一段低く見ているのは十二支さんのように感じられるのです。
わたしが言葉足らずでポカをやったり、のるまさんは口調が時にきつかったり(ってわたしもか)あるとは思いますが、最初のころの怒りモードの後は、それぞれができるだけ無礼にならないように書いていると思うのですが。わたしの感覚では上の発言のような十二支さんの書きようは、かなり相手に無礼だと感じてしまいます。(とりこさんも感じていて最大限ソフトに同じことを書いていると思います)
ただ「無礼」かどうかというのも、差別問題と同じで結局受け手側の感覚で判断するしかない物ですから、わたしが「十二支さんに無礼を働いた」と十二支さんがいわれるなら、大変申し訳なかったです。すいませんでした。
しかし、わたしが「タカアキラさんに無礼を働いた」と十二支さんが思われて、それを謝れと言われると、「被害者の気持ちを考えろ!」と叫ぶマスコミや2ch住人みたいに感じて、ハタと困ります。つまりタカアキラさんは本当のところどう思っているのかな?と。タカアキラさんもそう思ってるなら、謝りますが、残念ながらわたしもタカアキラさんの、特に初期の発言には無礼だと感じたと書いておきます。

この無礼、無礼じゃない、という話は今後も平行線でしょうから、そろそろ切り上げたいと思います。

100: 十二支さん
>「異文化に対する許容度が高い」からといって、「ある特定の異文化だけを無条件に受け入れる」ことはないのでは? というか、むしろかえって難しいのではないかと思うのですが。

一理あります。
ただ「むしろかえって難しい」かどうかは、人によって違うケースバイケースなのではないかと思いますけども。

では「異文化に対する許容度が高い」とされる人でも「ある特定の異文化」、この場合は「女性視点の異文化」を受け入れるのが難しいのはなぜか? というところにわたしの関心は向かいます。

わたしにはそこに男女間の問題、家父長制の刷り込み、ジェンダーバイアスなどがあるためだと読みます。
「バックラッシュ!」を読んで(大変面白いのでオススメ本です)得た知識を合わせると、他にも、多様性への恐れ、現状が破壊されるのではないかという不安、もあるかもしれないなと思います。
他にも、「男たちの知らない女」のように、女性は男性にとって、または男性が女性にとって異星人より異質なのかとか。それでも最近の脳やら遺伝子やらの研究では男女の差異より、実は同性内の差異の方が大きいとかいわれてるのに、そこまで互いに異質になってしまうのは、やっぱり産まれた後の扱われ方とか、ジェンダーの問題かしらとか、他にもいろいろ読めます。

十二支さんは、なぜ受け入れるのが難しいか、という点についてどうお考えでしょうか?
タカアキラです。
正直な話、どう答えたら回答になるのかも自身がありません。
まず、あちゃぞうさんへレスをします。
>>
>タカアキラさんへ
あのー、今なにか、とっても言いたいこと、ありませんか?
それがタカアキラさんにとってさほどでもなければ、私はこのあとは適当にかえりますが。
<<
突然、こんな形で議論に巻き込む形になってしまってすいませんでした。あちゃぞうさんの発言はわかりやすいものでした。メタメッセージという言葉の意味は理解できても自分からはでてきません。コミュに居続けることが負担になるならお帰りいただいても構いません。

のるまさんの発言と質問に回答します。
>>
・コミュなど公式の場でなく、タカアキラさんの日記のコメントスペースに、タカアキラさんが不愉快になるようなコメントを私がつけたのは、場をわきまえない行為だったと今にして思う。それは反省している。非礼をわびたい。友達ならあのくらいは許される、という甘えがあったと思う。
・ただ、一年たっても蒸し返すほど、不愉快だったとは想定外だった。
・昨年早いうちに会って話せる機会があればよかった。
<<
ぼくの日記でぼくを不愉快にさせたのでへそを曲げたとお考えなのでしょうか。可能であれば、大会構成者のうち男性への嫌がらせであったというところを否定して欲しかったのですけど。正直、こののるまさんの発言が否定になっているか判断がつきかねます。デジタルな反応だとは思うのですが……。

一方、一年間ずっと、のるまさん個人でなく、G研全体をSF大会で男性に嫌がらせをする集団だと考えていたのは悪かったです。
一年経って蒸し返してしまったのにも、日記を読むのが精神的に苦痛だというみらい子さんの気持ちをおもんかばって、のるまさんによる訂正を求めきれずにもやもやしたままだったところを、去年はタカアキラが引き下がったと言われてカッとなったためです。感情的になっていました。

>>
さらに、以下が質問です。これまでのコミュでのやりとりで、私たちの批判の筋違いと指摘する方もあり、もしそれが正しいなら、そも最初のタカアキラさんのあの苛烈な批判の言葉は、何によって引き起こされたのかを、知りたい、ということからです。

・なぜ、夏さんのコスプレ姿(授賞式パフォーマンスは見てませんよね?)が不愉快だったのか?
・なぜ、わたしの発言でさらに不愉快になったのか?

これについてその後タカアキラさんが思考された結果は、タカアキラさんの投稿70番にも反映されていると思いますが、改めてこの質問それぞれに対する解答の形で、明快にお書きいただければ、理解の助けになるなぁ、と思っているところです。
<<
去年、夏さんだけのコスプレ姿を問題にしたのではない!となんども言っていたつもりでしたが、そこは一度も聞き入れてないですよね。とはいえ、ぼくもコスプレの集団を遠巻きにしての事とは書いてないので、夏さんの事ととらえられても仕方はないのですけど。夏さんにはこのような形でずっと話題にしてしまって申し訳ないと思っています。耳で聞いた様子が目に浮かぶようだったので、記憶も少々ごっちゃになって来ていますが、とあるメンバーが目の前のコスプレに嫌そうな態度をします男性(面識あり)にさらに贋おっぱいを振り回して、もっと嫌がる様を楽しんだという話も聞いていて、何となく集団の活動に悪意じみたものを感じたところに、日記のコメントに
>>
会場の男子くんへ嫌がらせよ。退いて不愉快なってジェンダーSF研の悪口言い出すさまが見たいのよー♪
<<
と返されたとこにあります。なぜこれでさらに不愉快になったのか説明する必要がありますか?これについてどう思ったのかは去年書きました。
>>
2005年07月24日
17:45 の発言です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=7484582&comm_id=974175
<<
正直にいうと信じたくない気持ちもあったので、のるまさん自身の言葉で否定してみては?とまで言っています。

これで質問に答えたことになっているでしょうか。


これらのやりとりの構造が奇妙であった点はあちゃぞうさんや十二支さんが指摘されているので繰り返しません。
また、G研の活動が傍目にちぐはぐな印象を与えるというのは65番であちゃぞうさんが丁寧にまとめています。
>タカアキラさんへ

いえ、取り上げていただいてありがとうございました。
私はやりたくてやっているので、負担という点に関しては大丈夫です。もうちょっとの間、参加させてもらうつもりです。
みんさんから私が予想していなかった重大な内容を含むレスが来て、いささか驚いています。

すぐにお返事したいところですが、「語調」についてのとりこさんのご意見をうかがってからでないと、無用の摩擦を招きかねませんので、しばらく発言は控えさせていただきます。(私の次の発言は、そうした領域に大きく踏み込む内容になる予定なので)
◆タカアキラさま

 105番の発言について。

>一年経って蒸し返してしまったのにも、日記を読むのが精神的に苦痛だというみらい子さんの気持ちをおもんかばって、のるまさんによる訂正を求めきれずにもやもやしたままだったところを、去年はタカアキラが引き下がったと言われてカッとなったためです。感情的になっていました。

 みらい子さまの意見をそのように重視なさるなら、なぜご自分の日記に書かれたみらい子さまのコメントについては、言及なさらないのでしょうか。

 以下、時系列をハッキリさせるために、当該箇所を転載いたします。当コミュの
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=7484582&comm_id=974175
 こちらのトピックからの引用です。前後の文脈を知りたい方はリンク先を参照ください。


・タカアキラ氏の日記
(2005年07月20日 17:31 「SF大会レポート下書き日記。」)

17:49(コスプレを未見の人から「それが本当なら節度をうたがうかも?」という旨のコメント)
17:58(「あのコスプレは別に気にならなかった。遠かったからかな?」という旨のコメント)
21:19(別話題)
21:20(別話題)
21:32(別話題)
22:09(コスプレへの否定的なコメント)
23:16(別話題)

日付をまたいで

******************
2005年07月21日 00:21 のるま

え、女の半裸汚い?頭悪い?見たくない? よし満点(笑)!
見たくないもの見せるのが身上、会場の男子くんへ嫌がらせよ。退いて不愉快なってジェンダーSF研の悪口言い出すさまが見たいのよー♪
でも、全員半乳出す予定があんな中途半端になってガッカリでした。私とみんさんがナマ乳派急先鋒だったけど、前線離脱で。ちっ。

>ひょっとして参加者の投票で決める賞じゃないのかな。
SOG賞のこと知らなかったのか! そっか。勘違いしてました。
http://gender-sf.org/sog/sog2004/index.html
まず市井の男子なんぞには投票権はないです。

******************

2005年07月21日 00:26 タカアキラ (怒りのコメント:なんで嬉しそうに人に嫌がらせするわけ? )
2005年07月21日 00:30 タカアキラ (怒りのコメント:人前で裸になる=犯罪)
2005年07月21日 00:35 タカアキラ (怒りのコメント)
2005年07月21日 00:40 タカアキラ (怒りのコメント)

00:49(怒りすぎだ、と軽くいさめるコメント)
00:53(タカアキラ氏による返答)
01:00 ・愉快犯、という指摘
   ・嫌がる人もいる、という想像力が働かない人=空気読めとか云われてる人もいるけど、そうじゃない人もいる
   ・書かないと賛成も反対も得られない
   ・書いたら愉快犯が愉快がるのも明白
   ・と指摘した上でタカアキラ氏の判断にまかせる、と指摘するコメント
01:03(別方向への示唆)
01:08(タカアキラ氏による「オレは怒ってたって無視キングですよ! 」という返答)

******************
2005年07月21日 02:01 みらい子

うーん。素直にごめんと言っておく。

でも、ネタじゃないみたいだからマジレスするけど、嫌がらせじゃなくて、受賞作はアマゾネスの話だから。
若くてキレイなねーちゃんだけじゃなくて、出産して乳がたれちゃった女性も、年老いた女性も、太ってる女性もみんなああいう格好しているのが普通の世界(マツケンサンバは違うけど)。やっていた私たちはとっても楽しかったです。解放されていて。

でも、それを現代に持ってきたら「汚い」って言われちゃうんだよね。それって私たちのせい? いまの価値観のせいじゃない?
そうやってタッキーは嫌がらせって言って、汚いって言って、私たちを傷つけるのはなんで? キレイじゃないことは、そんなに悪いことかな?

嫌がらせではないけど、挑発するコスプレではあったかな。でも、汚いっていわれるのは純粋に悲しいです。

あと、これは単なる誤解だから言っておくけど、

>一般参加者に投票券がない賞の発表を長々とやる権利はどこから生まれるの?声がおおきいから?

長々やる時間がなかったから、マスカレードの審査の間の時間をいただいたのであって、それが1時間も後ろになり、観客が増えたのは、私たちのせいではないです。タイムはかってなかったけど、私たちは予定通りの15分に収まっていたはずです。

*****************

 このように、たいへん早い段階で謝罪がされています。
 「嫌がらせではない」とハッキリと説明されています。
 「嫌がらせではないけど、挑発するコスプレではあった」と、コスプレの意図についての説明も試みられています。別の価値観を示そうとしたことへの説明もあります。

 のるまさま自身による発言撤回がなかったことは、事態を悪化させた原因かもしれませんが、みらい子さまによって事態の収拾が試みられていたことは、なぜ無視されてしまうのでしょう。

 「G研メンバーによる、のるまさまの言動へのフォローがない」ことを疑問視する向きには、まず「フォローがなされていない」と判断する根拠をお伺いしたいです。

 個人的には、タカアキラ氏の日記にある

>みんなG研に怒られるのが恐くてだまってるの?
そうやって、絡まれるのが恐い人達と思われるのは当人たちもイヤでしょ。

 という発言の根拠がわかりません。この問題以前に「怒られたり絡まられたり」したことがあったのでしょうか? (わたしは存じ上げないのですが)
◆十二支さま

 107番の発言、拝読しました。
 お心遣い、どうも有難うございます。
 わたしが、このところの十二支さまの発言について「もっとソフトに」と感じた箇所ですが、言葉遣いだけにとどまるものではなく、発言全体から感じたものでした。
 語調のことで、みんさまへのレスを書きにくくなるのでしたら、あらかじめそのようにお断りいただくことで、ご配慮をいただいたと思いますので、みんさまへのレスについては気にせずに読みたいと思います。どうぞお書きいただければと思います。
スレッド「「うるさい女」について」を作成しました。
「うるさい女」または「うるさい男」について発言されたみなさんにご参加いただけるとうれしいです。
>とりこさんの108番の発言へ

横槍失礼します。
えーと、もう、これは議論がどうこうじゃーないと思うのですけれども。私が見ていて思った表現を追加してみる感じで。
ちょこっとでも相互理解の助けになるといいと思うんですが、うまくいくかよくわかりません。

タカアキラさんが言ってるのは「男性への嫌がらせを意図した」という意味ののるまさんの発言が、のるまさん自身によって「嫌がらせの意図はなかった」と改められていないのが気にかかる、ってことかなと思います。
(今回の謝罪?も、非礼や甘えについての謝罪であって、その発言の撤回ではないように読めます)

で、そこで当時、みらい子さんは「嫌がらせではない」と言った(=みらい子さんによるのるまさんの発言の否定)んだと思うんですが、その「みらい子さまによって事態の収拾が試みられていたこと」がG研の総意だと認めると、のるまさんの発言がのるまさん自身によって撤回されないこともG研の総意に「見える」んじゃないでしょうか。
G研がまとまって動いてるのであれば、内部でのるまさんに「あの発言を自分自身で撤回してください」という動きがあるはずに思えるような。
あるいはG研としての公式発言と明示して「嫌がらせではなかった」とするとか。
これらがないと、結局、のるまさん自身は撤回するつもりがない(しかもG研内部ではそれをそのままでよしとしている)というように「見える」と思います。

そんで、逆にG研がまとまって動いてるわけではない、各自の発言は各自の意見によるものである、ということにするのであれば、のるまさん自身の撤回がないということはなんの解決もしていない、ということになる。

そういうあたりが「フォローがなされていない」ということのような気がします。
フォローって、身内でかばいあうことじゃないんじゃないかと私は思います。えらそうなこといってすいませんけども。。
>とりこさま

>わたしが、このところの十二支さまの発言について「もっとソフトに」と感じた箇所ですが、言葉遣いだけにとどまるものではなく、発言全体から感じたものでした。

発言全体をソフトに、というご要望は、ジェンダー研への批判を含む発言を控えろ、ということでしょうか?

私は一貫して批判的な発言をしていますから、批判される側の方が耳障りに感じるのは、ある意味で当然かと思います。しかし、だからこそ、発言に際しては、公平に(一方的な決め付けをしない)、分り易く(無駄な修飾語は使わない)、誠実に(嫌味や当て擦りは言わない)文章を書いているつもりです。

また、「言葉遣いだけにとどまるものではなく」ということは、「言葉遣い」 に も 問題があるというご指摘ですから、少々ショックを受けています。具体的にどの部分を指して「ソフトではない」と言われているのか、ぜひ教えてください。
 ◆十二支さま

 >言葉遣い」 に も 問題があるというご指摘

 たとえば、93番発言において

>ん? 発言77で、私個人は「女性の方が「より」品を求められる」とは思っていない、と明言したはずですが、これがのるまさんの求められていたローカルデータではないのでしょうか?

 と、のるまさまへおっしゃっておいでです。
 わたしには、これは、対等な相手への発言のようにはあまり感じられませんでした(相手を見下しているような雰囲気を感じられました)。
 それとも、十二支さまは、日ごろ、対等な男性を相手に(あるいは年上の男性を相手に)、このような言葉遣いをなさっておられるということでしょうか。

 また、わたしが「発言をソフトに」と書いた件ですが、わたし自身が少々「ソフト」に書きすぎたために、意図が伝わらなかったようです。失礼を辞して、もういちど、端的に書かせていただきますね。

 95番発言にて

>私の感覚が「常識」である、と言い切っている箇所があるならば、 具体的に指摘してください。

 とおっしゃっておられます。
 たしかに、「常識」である、と言い切っている箇所を、文字面だけを追うのであれば、みつけることはできません。
 ただし、具体的に名指されずとも、文脈から読み取られる文意というものは、存在するでしょう。十二支さまがまさかそのことを存じ上げないとは思いません。むしろ、お仕事柄、きっとよく御存知のことだと思います。

 77番発言にて

 >少なくとも「圧倒的多数派である」という実感はありません。「レイプされるのは女性の方に隙があったからだ」とか「女性は結婚するまで処女でいるべき」といった意見は、だいぶ古い感覚だと思うのですが、そうでもないのですか?

 このように、ご自分が「古い感覚」ではない、という立場であることを匂わせ(ここでも「断言」はなされてありませんが、そう読めます)

 そのあとの87番発言にて

 >「常識」としかいいようがありません、とお答えすることになるかと思います。では「常識」とは何でしょう? と訊ねられるかもしれませんが、この場合は、「多くの人が納得できる感覚」という答えになり、後の方の「多数決」の問題につながっていくと思われます

>世代の区別をせずに、誰が見ても、常識といえるほどに「圧倒的多数派である」と言えなくては、論拠としては弱い、と指摘しています。

>結局のところ、自分と自分が直接知っている人の意見から得た実感としか言いようがありません。その実感が明らかに間違っていて、世間一般からみて「非常識」な意見である、ということでしょうか?

 と論を重ねられていくことは、ご自分の感覚が「常識」派に属するものであるかのような身振りと取られても、仕方のない文脈ではないかと思います。
 わたしには、十二支さまが、むろんそのことをご承知の上で、あえて

>私の感覚が「常識」である、と言い切っている箇所があるならば、 具体的に指摘してください。

 とおっしゃっておられるのだと感じられました。

 そのような発言は、感情的になってしまう面からくるものかな、と思いましたので、もう少し発言自体をソフトに、とお願いした次第です。
 ◆あちゃぞうさま

 対話の相手に幾度か「感情的である」旨を指摘なさっておいでですが、わたしには、あちゃぞうさまの発言は、多分に感情的であるように見受けられます。それらは、

>えらそうなこといってすいませんけども。。
 
 というお言葉がエクスキューズになるとは思われないのですが。

 また、65番の発言で、発言から想像されることを他者が発言することで生じる混乱について、指摘なさっておられます。
 111番のあちゃぞうさまの発言は、矛盾ではないでしょうか。
 
>フォローって、身内でかばいあうことじゃないんじゃないかと

 身内をかばいあっているようにみえることは、少々驚きです。わたしは、タカアキラ氏の矛盾を指摘するために、108番の発言を書きました。
 
 わたしが考える、一般的な「身内のかばい方」とは、たとえば、会の代表が矢面に立つ、あるいは会の構成員の上位者が、下位の構成員をいさめつつ、代わりに謝罪するなどの行為を指す、いわゆる「面倒を見る」ことかと思っておりました。

 今回、G研のメンバーは、かぶる部分はあれど、自分たちはそれぞれ別個の意見を持っていることを、発言の中で明確にしています。
 また、誰かが誰かの代わりに謝る行為は、基本的にはなされていません。例外的なものが、いちばんはじめに、みらい子さまがなさったものです。会の性格からは逸脱した行為ですが、みらい子さまのお気持ちがよくあらわれていると思います。

 このような従来的な展開が、あちゃぞうさまのおっしゃる「観客」が欲しているもの、「観客」(あるいはあちゃぞうさまが?)が「見たい」ものなのではないかと思います。

 ※以降は余談になります。
 このコミュニティは公開されているものですが、わたしは「観客」の目を意識し、見られていることを前提に振舞うことよりも、今、自分が対話している(とわたしが感じている)かたへの対応を先においています。

 読んでくださっている方が、実際のところ、どれだけいらっしゃるかまったく見当がつきませんが、そのようなかたを「観客」と呼ぶことは、わたしには、誠実な態度とは思えません。そういった方々への娯楽として自らの振る舞いを供しよう、という意図は、わたしにはありませんし、なによりも、対話の相手に失礼なのではないかと思います。 
>とりこさんへ

 私は111番の発言で感情的になっているつもりはまったくなかったし、今読み返しても感情的と思われるところは……感情的というより、最初の数行と最後の「えらそうなこといってすいませんけども。。」が感情表現であるだけで、やっぱり感情的とは思わないのですが、気に障ったなら(?)ごめんなさい。

 とりこさんが114番の発言で、どんな状態をもって「感情的」と言っているのか、私にはよくわかってないのかもしれません。
 私は「感情的」という語を65番コメントで「感情によって発されていて議論そのものとは関係のない表現のことであり、また、それによって読み手が議論と関係なく感情を揺さぶられるようなもののこと」と書きましたが、前半は一致がわかりますが、後半については「揺さぶられる」ほどの表現だとは思っていませんでした。

 あと

>  また、65番の発言で、発言から想像されることを他者が発言することで生じる
> 混乱について、指摘なさっておられます。
>  111番のあちゃぞうさまの発言は、矛盾ではないでしょうか

 とありますが、私が書いたのは「タカアキラさんが」言いたいことの「想像」であり、それはまたタカアキラさんが今までに書かれたことからの類推であるのですが、私は別にタカアキラさんとこの意見について意見対立していないし、私にとってタカアキラさんの意見は今まであった文章だけで特別に不明な部分はないです。
 私が「想像」をより多く返すのが対話の不成立の原因である、と書いたのは、現在の対話の対象に対してそうすることについてだったのですが、わかりにくかったかもしれないですね。

(参考・65番発言一部引用:対立する意見を持つ人(?)に対して、そこにあった文章だけでは不明なことの詳細を求める「質問」や、対立意見者から尋ねられたことに対する「回答」よりも、そのような対立意見があらわれた原因の「想像」をより多く返す)

 ただ、どっちにしろ、111番発言で

> えーと、もう、これは議論がどうこうじゃーないと思うのですけれども。私が見て
> いて思った表現を追加してみる感じで。
> ちょこっとでも相互理解の助けになるといいと思うんですが、うまくいくかよく
> わかりません。

 と書いてから始めたとおり、私はこの発言に関しては議論として行ったつもりがあまりなく、どちらかというと、タカアキラさんの発言していることがなかなか受け取られていない(G研のみなさんから理解されているように感じる反応がない)みたいに感じたので、いい結果が出るかわからないながら「こういう話をしてるんじゃなかろうか」と思ったことを私の表現で書いてみたにすぎません。
 今のところ、結果が出ていないし、おせっかいで混乱させただけだったのかもなと思います。すいません。

 もうこの件に関しては、当事者同士におまかせすることにして、私は手を引きます。

 とりこさんが後半、私の書いた内容部分について書いてくれていて、そこでいくつか「前提の部分」での食い違いがあるようだと思ったので、そこについて私の考えを説明して終わりたいと思います。
 この発言に対する回答は私には不要です。そういう立場もある、ということを知ってもらえればそれでいいし、あるいは、受け取らなくてもかまいません。もし、疑問点があって書いていただけるのならそこについては答えさせていただくと思います。

>  わたしが考える、一般的な「身内のかばい方」とは、たとえば、会の代表が矢面
> に立つ、あるいは会の構成員の上位者が、下位の構成員をいさめつつ、代わりに
> 謝罪するなどの行為を指す、いわゆる「面倒を見る」ことかと思っておりました。

 どちらかというと、これが私の思っている「フォローする」にあたります。「身内でかばいあう」と「フォローする」を対比し定義するならば、とりこさんと私の解釈はちょうど逆ですね。

 ただ、私は「上位」「下位」という考えはとくにありませんでした。意見/コンテンツの上で、階級は関係がないと思っています。団体の意見として統一された見解であるのなら、そのことを示すために公式見解であるという表現が必要であるとは思っているし、慣例としては上位者がそれを行うであろうとは思いますが、階級は重要でないと思っています。

>  今回、G研のメンバーは、かぶる部分はあれど、自分たちはそれぞれ別個の意見
> を持っていることを、発言の中で明確にしています。

 これが発言の中で、団体の総意として明確にされている、というのは私にはあまり印象がなかったのでああ書きました。見落としていたのだったらすいません。

 しかしそうだとすると、私から見ると、やはり「みらい子さまによって事態の収拾が試みられていたこと」は無視されているというよりも、意見や議論そのものには関係のないことだと思います。「それはそれ、これはこれ」です。

 私が111番で書いた

> そんで、逆にG研がまとまって動いてるわけではない、各自の発言は各自の意見に
> よるものである、ということにするのであれば、のるまさん自身の撤回がないと
> いうことはなんの解決もしていない、ということになる。

が、そのまま私の意見です。

 その「事態の収拾」において、団体内部のメンバーで意見が異なるところを内部で議論し「団体としての意見はこうである」とまとめたりせずに、メンバーの気持ちをわかってほしい(わかってくれないのはひどい)といったことを意見対立する相手に伝えて、感情に訴えて身内に対立する意見を言わせないようにする、というのが、私の思うところの「身内のかばいあい」です。

 おそらくこのあたりの解釈が、私ととりこさんでは異なっているように思います。

>  このような従来的な展開が、あちゃぞうさまのおっしゃる「観客」が欲している
> もの、「観客」(あるいはあちゃぞうさまが?)が「見たい」ものなのではないか
> と思います。

 このセンテンスはよくわかりませんでした。
 もし、上で書いた「フォローする」と私が思う行為についてそれが私が「見たい」もの、という意味で書かれているのでしたら、それでおよそ一致していると思います。
 私としては、個人は個人として発言する、というのがはっきりしているのでもよいと思っています。
 中途半端はあまりよくないと個人的には思います。

>  読んでくださっている方が、実際のところ、どれだけいらっしゃるかまったく
> 見当がつきませんが、そのようなかたを「観客」と呼ぶことは、わたしには、誠実
> な態度とは思えません。そういった方々への娯楽として自らの振る舞いを供しよ
> う、という意図は、わたしにはありませんし、なによりも、対話の相手に失礼なの
> ではないかと思います。

 私は、書かれたものを誰が読むか(読む可能性があるか)というのを意識します。ちょっと、私はそれが過剰すぎるきらいもあると思います。
 私が「観客」という言葉を使っているのは、特に「娯楽」を指す意図はありません。いつもはどちらかというと「観客」ではなく「読者」という言葉を使いますが、私にとっての意味するところは同じです。

 今回「観客」という言葉を使ったのは、議題のひとつに去年のパフォーマンスの件があることと、どこかでG研のどなたかが書かれていた「公開議論にしたい」というあたりにインスパイアされているのだと思います。私としては「外野」よりは「観客」のほうを使いたいです。それこそどれだけの人数かはわかりませんが、わざわざ時間と労力を割いて読んでくださっている方が、おそらくいるのですから。

 私にとっては、「観客」の方々をまったく無視することのほうが、そうした方々に対して誠実でない態度であると感じます。文章を公開するというのは、その行為自体が、読んでほしいというメタメッセージたりうると私は思っています。読んでほしいと言っておいて、読まれることは考えていない、対話の相手に比べてそちらは重要ではないというのは、「観客」に失礼だと考えています。
 それに、「観客」を意識したまま対話の相手と誠実に対話することは、原理的には可能であると私は思っています。(状況やコストやスキルによって、それらが十分でなくなる場合はあるにしても)
 私はできることならそれを目指したいです。
 このあたりも、とりこさんと私ではプライオリティが逆なのかもしれないですね。

 もっとも、私のこの件のプライオリティは、この公開されたコミュニティが持つ特定の意味(65番発言に書いたようなこと)があるからそうなっているだけで、普段ずっとそうというわけではないです。
 どちらかというと、(それが可能であるのなら)対話の相手に集中するほうが好きかもしれません。(だからあまり、完全に公開された文章を書いていないのかも?)

 対話の相手にだけ伝えたく不特定多数の「観客」には見てほしくないと思っているのなら、公開しないで対話相手とだけ話せばよいように思います。そのほうが、たとえば対面でわかりあうことも可能であるし、その特定個人としか共有していないことがらを踏まえて話すこともできるでしょう。
 不特定多数に向けて表現するよりも、特定の少人数に向けて表現するほうが、わかりあうということについてのコストは低いと思います。

 私が考えたことは、以上です。

 とりこさんから(あるいは、他の方から)の疑問点等の質問がこれ以降ないようでしたら、私はこの発言を最後にこのスレッドに書き込みをするのはやめさせていただこうと思います。
 お付き合いいただき、ありがとうございました。
 「うるさい女」について、のスレッドはもう少し続けさせてもらうと思います。

 あ。最後に、余談ですがもうひとつ。
 タカアキラさんとは面識がなかったのですが(1度顔を合わせていたようなのですが、私のほうが忘れていました。ごめんなさいっ)今回の件で興味がわいたので、きのう直接会ってみたりしました。タカアキラさんと話すきっかけを間接的にくれた、このコミュに感謝します。ありがとうございました。
 ◆あちゃぞうさま

>私は111番の発言で感情的になっているつもりはまったくなかったし

 わたしは、111番の発言からそう判断したとは書いておりません。複数発言から複数回指摘があった、という意味で書きました。
 わたしが「過剰に感情的」と感じたのは、たとえば96番の

>>タカアキラさんへ

>あのー、今なにか、とっても言いたいこと、ありませんか?
>それがタカアキラさんにとってさほどでもなければ、私はこのあとは適当にかえりますが。

 この部分を指します(ほかにも幾つかありますが、とりあえずここを挙げます)。
 これは、あちゃぞうさまの115番発言

>「感情によって発されていて議論そのものとは関係のない表現のことであり、また、それによって読み手が議論と関係なく感情を揺さぶられるようなもののこと」と書きました
 この条件に、よくあてはまる文章ではないでしょうか。

  また、わたしは同96番発言の後半

>十二支さんのあげた2は、観客の多くが共有するところではないかと私は思います。

 にて、あちゃぞうさまが「観客」の存在について意識的であると理解しましたので、当然、ご自分の振る舞いが「観客」に「どう映るか」をご承知のうえで、振舞っておいでなのだと思っておりました。

 また一方、あちゃぞうさまの90番の発言

>目的を持たない論は迷走すると思います。

 を受け、わたしを含め、数人の方が「自分の目的」について書きましたが、あちゃぞうさまはそれには反応なさっておられません(あちゃぞうさまが、このコミュニティに、何を目的に参加なさったのか、いまのところ明示されていません)。
 これらから、わたしはあちゃぞうさまは「言いっぱなしである」との印象を抱きました。

 また、最新の115発言にて
> 中途半端はあまりよくないと個人的には思います。

 とあります。これはその直前の
> 私としては、個人は個人として発言する、というのがはっきりしているのでもよいと思っています。

 この部分のみにかかるものでしょうか。もしそうであるなら、わたしはここで改行する必要はないと思います。あえて改行が行われている=この文章は、その他の部分へもかかっている、と読まれても仕方がないのではないでしょうか。

 すぐあとに

> 今回「観客」という言葉を使ったのは、議題のひとつに去年のパフォーマンスの件があることと、どこかでG研のどなたかが書かれていた「公開議論にしたい」というあたりにインスパイアされているのだと思います。
(「どなたか」、「〜いうあたり」「〜だと思います」)

> どちらかというと、(それが可能であるのなら)対話の相手に集中するほうが好きかもしれません。(だからあまり、完全に公開された文章を書いていないのかも?)
(「〜かもしれません」「〜かも?」)

 と、ご自身の発言内容に確証がもてない状態(中途半端な状態)と読み取れる記述があります。ここでも、言動が矛盾しているように見えます。

 わたしは、昨日までのあちゃぞうさまの発言を拝見していて「他者の批判を行うが、批判内容と自分のふるまいは矛盾している = 無責任である」との印象を抱いていました。
 いまは「自分の発言の矛盾に無自覚、無頓着である。また、他者の発言をよく読んでいない = 議論のスキルが低い」という印象に変わりました。

 また、読み手のかたを「読者」/「観客」/「外野」と名指すことは、それぞれ異なる印象を読み手にもたらすとわたしは思います。
 「読者の皆さん」「観客の皆さん」「外野の皆さん」と呼びかけの形で考えると、違いが感じられるのでは。

 辞書では(広辞苑第5版)
**********
どく‐しゃ【読者】
その新聞・雑誌・書物をよむ人。よみて。

かん‐きゃく【観客】
見物人。特に、映画・演劇などを見る人。看客。

がい‐や【外野】
1)野球場で、ダイヤモンド(内野)の外方にファウル‐ラインで限られた場所。アウト‐フィールド。また、外野手の略。#内野。
2)転じて、その物事に直接的な関係を持たない者。部外者。「―がうるさい」
**********
 このように定義されています。

 読み手を「読者」と呼ぶことには、読み手は書き手より低いものであるという意識が伴うようにわたしは思います。

 「観客」の場合は、辞書の意味では、相手を「見物人」と名指すこととなります。わたしはそれは失礼ではないかと思いますが、あちゃぞうさまも、この意味は想定外かもしれませんね。
 ですが、自分の行いが「観る」に値するものであるという意味を含むでしょうし、自分の言動はパフォーマンスであり、自分は注目されていることを意識して振舞っている、そのように解釈できるとわたしは思います。

 「外野」は、辞書でも「部外者」の意が出ていますが、上2つとは性質の異なる単語です。「外」「野」の両方が外部であることを示し、読む者、観る客、というように主体を含みません。書き手と読み手の距離は上二つと比べ、格段に遠くなります。

>私としては「外野」よりは「観客」のほうを使いたいです。
 
 このふたつを比較することは、そもそも同列ではない言葉ですし、あまり適切ではないようにわたしは思います。

 ところでわたしは、自分が何かに対し「読者」である(または「愛読者」である)と自称しますが、自らが読み手を「読者」と名指すのは、自分の場合においては不遜な行為であると感じられますので、使いません。

 ただ、あちゃぞうさまは
>いつもはどちらかというと「観客」ではなく「読者」という言葉を使います

 ということですので、なるほど、あちゃぞうさまとわたしは、前提がいろいろと異なるのでしょう、と思いました。

 ※ここまでの件について、とくにご返事はいりません。わたしは、論と直接関係がないことへの言及は避けているつもりですが、今回は、あちゃぞうさまへのレスであることも含め、細かく書かせていただきました。

 さて、あちゃぞうさまに、ひとつ質問があります。

> その「事態の収拾」において、団体内部のメンバーで意見が異なるところを内部で議論し「団体としての意見はこうである」とまとめたりせずに、メンバーの気持ちをわかってほしい(わかってくれないのはひどい)といったことを意見対立する相手に伝えて、感情に訴えて身内に対立する意見を言わせないようにする、というのが、私の思うところの「身内のかばいあい」です。

 この部分の前半(「〜まとめたりせずに」まで)は、そのとおりです。これは意図的に行われているものです。
 後半、あちゃそうさまが今回の件にあてはまるとお考えでしたら(そう明記されていませんので、いちおう確認させていただきますね)、あちゃぞうさまは、具体的にどの部分が該当するとお考えでしょうか。

 もっとも、

 >私はこの発言を最後にこのスレッドに書き込みをするのはやめさせていただこうと思います。

 とありますし、わたしには、あちゃぞうさまのコミュニティへの参加理由はよくわからないので(当初、のるまさまと対話が目的かと思っていましたが、現時点で「書き込みをやめる」のであれば、のるまさまとの対話は、これ以上なされずともいい、ということでしょう)、特にお引止めする理由は、わたしにはありません。
 よって、お返事をいただかずとも、わたしはかまいません。
>とりこさま

>>ん? 発言77で、私個人は「女性の方が「より」品を求められる」とは思っていない、と明言したはずですが、これがのるまさんの求められていたローカルデータではないのでしょうか?

> と、のるまさまへおっしゃっておいでです。
> わたしには、これは、対等な相手への発言のようにはあまり感じられませんでした(相手を見下しているような雰囲気を感じられました)。

それは、私とは感覚がちがう、としかいいようがありませんね。単純に疑問点を聞き返しているだけの文章であって、私はそこに敬意も侮蔑も含めたつもりはありません。

「ん?」という「タメ口」的な書き出しから、年上ののるまさんに対する敬意が感じられない、と指摘されるのならばまだ理解できますが、この文章から、のるまさんを見下している雰囲気を感じる、と言われても、どうにも返答のしようがありません。

> それとも、十二支さまは、日ごろ、対等な男性を相手に(あるいは年上の男性を相手に)、このような言葉遣いをなさっておられるということでしょうか。

なぜそこで殊更に男性と女性を区別するのか分りませんが、対等の相手には対等の言葉遣いをしていますよ。のるまさんは対等の相手ではなく目上の方であるのは承知のうえですが、私は発言40で

>でも、せっかくの議論なので、目上の人だから遠慮するとか、逆に目下の人だから横柄になるとか、そういうのはナシの方が面白いのでは。

と書いていますので、その実践の意味を込めて、あえて「ん?」と書かせていただきました。

「発言をソフトに」の件については、具体的な事例を提示していただいたことで、かえって何を求められているのか分らなくなりました。

> と論を重ねられていくことは、ご自分の感覚が「常識」派に属するものであるかのような身振りと取られても、仕方のない文脈ではないかと思います。
> わたしには、十二支さまが、むろんそのことをご承知の上で、あえて
>>私の感覚が「常識」である、と言い切っている箇所があるならば、 具体的に指摘してください。
> とおっしゃっておられるのだと感じられました。
> そのような発言は、感情的になってしまう面からくるものかな、と思いましたので、

私が「言い切っていない」ことを「言い切っている」と指摘されたから、議論の道筋として「どこで言い切っていますか?」と返答したまでで、これを、「感情的になってしまう面からくる」反応、と読み取られるのは不可解です。

もちろん、みんさんから、十二支の発言の文脈をこう辿るとこう読み取れるが……という形でのレスが来ていれば、それに即した内容の返答になったはずですが。
トピがすっかり止まってしまったところにさしでがましいのですが、論点を整理させてください。

>ALL
みなさまにお願いがあります。例えば「ジェンダーSF研究会の(ごく一部)の人」というような書き方や、また特定個人や発言を明記せずに批判をしているケースがありますが、具体的にどの人のどの発言かを指摘していただければと思います。漠然と批判されては回答ができません。ひいては反省や謝罪の仕様がないと思います。


【みんさんとタカアキラさんの論争】
70番、105番のタカアキラくんの発言により収束したと思います。公開に関する議論が残っているようですので、別トピで検討していただければと思います。


【のるまさんとタカアキラさんの論争】
だいぶ整理されてきましたが、まだすれ違いがいくつかあるようです。ここで一端終了するのでしょうか。そうであれば、私も発言を控えます。

【その他の論点】
正直、ついていけてないのでおまかせです(^_^;)。すみません。
>あちゃぞうさん
はじめまして。
(もうこちらのトピには書き込みなさらないとのことですが(^_^;))ご参加してくださり、大変うれしく思いました。尊敬しました。

ひとつだけ。

>111: あちゃぞうさん
で、そこで当時、みらい子さんは「嫌がらせではない」と言った(=みらい子さんによるのるまさんの発言の否定)んだと思うんですが、


その後の発言で登場しますが、当時私はタカアキラさんの発言が夏さんのコスプレだけを見てなされたものとは知らず、パフォーマンスを行った(=タカアキラくんに不快を与えてしまった)ひとりとして発言したものです。
また、このパフォーマンスの企画立案の段階で「よし嫌がらせだ!」という意図はまったくなかったことを表明しています。何度か書いていますが、その企画について交わされた当時のメーリングリストを公開してもよいと思っています(ジェンダーSF研究会の同意はまだ得ていませんが(^_^;))。

私もほかのジェンダーSF研究会の会員も、一貫して個人として発言をしています。本人が自分の発言の責任を取るのは当たり前である……という考えのもとに、のるまさんの代弁をしたり、のるまさんのために反論をしたりというようなことはしていないと思います。

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