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原始仏典コミュの相応部経典 因縁篇 第九 譬喩相応 1

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(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P389−393 に相当)




相応部経典>2 因縁篇

「     第九 譬喩相応[オーパンマ・サンユッタ]


   第一 棟

223.このように私は聞いた。
 あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住んでいた。そこで先生は比丘たちに「比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは「先生」と先生に応えた。先生はこう言った。

 比丘たちよ、たとえば高殿においてはいかなる垂木であってもその一切は全て棟に向かい、棟に行き着き、棟に取り上げられ、棟に行く。
 比丘たちよ、このようにいかなる不善の法であってもその一切は無明を根本とし、無明に行き着き、無明に取り上げられ、無明に行く。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私は不放逸に住そう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。

 註 垂木 たるき 屋根の雨が流れる方向に置く木
   棟  むね  屋根のてっぺんに横たえる木



   第二 爪の先端

224.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 そのとき先生は爪の先端に少ない塵を取り上げて比丘たちに呼びかけた。
 比丘たちよ、これをどう思うか。私が爪の先端に取り上げた少ない塵とこの大地とではどちらが多いだろうか。
 先生、この大地の方が多く、先生が爪の先端に取り上げた少ない塵は少ないです。先生が爪の先端に取り上げた塵とこの大地を比較しても、計ることもできず、比較にもならず、小さい部分にもなりません。
 比丘たちよ、このように人間に生まれる生ける者は少なく、人間以外に生まれる生ける者は多い。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私は不放逸に住そう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。



   第三 家

225.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、たとえばいかなる家であっても女性が多くて男性が少ないならば、その家は暴力団や泥棒に襲われやすい。
 比丘たちよ、このようにいかなる比丘であっても慈心解脱を修習せず多く為さないならば、彼は人間でない者たちに襲われやすい。
 比丘たちよ、たとえばいかなる家であっても女性が少なくて男性が多いならば、その家は暴力団や泥棒に襲われにくい。
 比丘たちよ、このようにいかなる比丘であっても慈心解脱を修習し多く為すならば、彼は人間でない者たちに襲われにくい。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私は慈心解脱を修習し、多く為し、乗物と為し、土地と為し、慣れ親しみ、積み上げ、善く正しく努力されたものとしよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。



   第四 釜

226.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、朝に百釜の布施を与え、昼に百釜の布施を与え、夕に百釜の布施を与えるよりも、朝にほんのわずかな瞬間だけでも慈心を修習し、昼にほんのわずかな瞬間だけでも慈心を修習し、夕にほんのわずかな瞬間だけでも慈心を修習するならば、このほうがそれよりも大きな成果がある。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私は慈心解脱を修習し、多く為し、乗物と為し、土地と為し、慣れ親しみ、積み上げ、善く正しく努力されたものとしよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。

 註 釜 オッカー okkhā 辞書に載っていませんでしたがオッカームカー[okkamukhā]が
     「溶鉱爐、るつぼ」を意味し、ムカ[mukha]は口や顔を意味するだけですので
     南伝の記述通り「釜」でいいと思います。百釜は「okkhāsata」。サタが数字の百。
   ほんのわずかな瞬間だけ antamaso[間]gadduhana[ほんのわずかな瞬間]mattam[だけ]pi[でも]  



   第五 剣

227.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、たとえば鋭い切っ先の剣がある。そこに人が来る。
 「私はこの鋭い切っ先の剣を手やこぶしによって軟らかくし、曲げて、折ってしまおう」と。
 比丘たちよ、これをどう思うか。その人はこの鋭い切っ先を手やこぶしによって軟らかくし、曲げて、折ることができるだろうか。
 いいえ先生、できません。
 それはなぜか。
 先生、その鋭い切っ先の剣を手やこぶしによって軟らかくし、曲げて、折ることは善く為すことができないからです。またその人は疲労し、悩み、嫌になるでしょう。
 比丘たちよ、このようにいかなる比丘であっても慈心解脱を修習し、多く為し、乗物と為し、土地と為し、慣れ親しみ、積み上げ、善く正しく努力するならば、もし人間でない者(非人)が彼の心を荒そうと思っても、その人間でない者は疲労し、悩み、嫌になるだろう。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私は慈心解脱を修習し、多く為し、乗物と為し、土地と為し、慣れ親しみ、積み上げ、善く正しく努力されたものとしよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。」

   『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P389−393 に相当




(続く)

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