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原始仏典コミュの錬金術に関する記述 2

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(続き)





3.精錬法  五蓋(欲望・怒り・眠気・躁鬱・疑)


   増支部経典>五集>第三 五支品

「   第三 汚れ

23.比丘たちよ、これら五つは黄金の汚れである。
 これらの汚れに汚された黄金は柔軟でもなく、作業にも適さず、輝きもせず、壊れやすくもあり、正しく作業されるに十分なものともならない。何が五か。
 鉄・銅・錫・鉛・銀である。
 比丘たちよ、これら五つは黄金の汚れである。 
 これらの汚れに汚された黄金は柔軟でもなく、作業にも適さず、輝きもせず、壊れやすくもあり、正しく作業されるに十分なものともならない。
 しかし比丘たちよ、黄金がこれら五つの汚れを解脱するならば、その黄金は柔軟にもなり、作業にも適し、輝きもし、壊れやすくもなく、正しく作業されるに十分なものともなる。
 その時は指輪でも耳飾りでも首飾りでも黄金の髪飾りでも、いずれの装飾品を希望しても、その目的に応じる。

 比丘たちよ、このようにこれら五つは心の汚れである。
 これらの汚れに汚された心は柔軟でもなく、作業にも適さず、輝きもせず、壊れやすくもあり、漏を尽くすために正しくサマーディもしない。何が五か。
 欲望、怒り、ぼんやりすることと眠気、躁鬱、疑い。[欲望・瞋恚・惛眠・掉悔・疑]
 比丘たちよ、これら五つは心の汚れである。
 これらの汚れに汚された心は柔軟でもなく、作業にも適さず、輝きもせず、壊れやすくもあり、漏を尽くすために正しくサマーディもしない。
 しかし比丘たちよ、心がこれら五つの汚れから解脱するならば、その心は柔軟にもなり、作業にも適し、輝きもし、壊れやすくもなく、漏を尽くすために正しくサマーディもする。
 その時はそれぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならば何であれ、超知によって実証すべき法へ心を引発するならば、それを超知によって実証することができる。

 彼がもし「様々な神通の類いを実現しよう。
 一であっても多となろう。多であっても一となろう。存在を明らかにし、存在を隠し、たとえば虚空におけるように垣を通り抜け、壁を通り抜け、山を通り抜け、とらわれないように行き、たとえば水におけるように地に浮き沈みし、たとえば地におけるように水に沈まずに歩き、たとえば翼のある鳥のように虚空を結跏趺坐して行こう。このような大神通このような大威力あるこれら月と太陽までをも手で触ってなで、またブラフマーの世界にまでも身体で自在に行こう」と願うならば、それぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならばそれができる。

 彼がもし「人間を超越した清浄な神々の耳界によって神々と人々の両方の声を二つとも間近で聞こう」と願うならば、それぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならばそれができる。

 彼がもし「他の生ける者・他の人の心を心によって捉えて知ろう。
 貪りがある心ならば『貪りがある心だ』と知り、
 貪りを離れた心ならば『貪りを離れた心だ』と知り、
 怒りがある心ならば『怒りがある心だ』と知り、
 怒りを離れた心ならば『怒りを離れた心だ』と知り、
 愚かさがある心ならば『愚かさがある心だ』と知り、
 愚かさを離れた心ならば『愚かさを離れた心だ』と知り、
 収斂した心ならば『収斂した心だ』と知り、 
 散乱した心ならば『散乱した心だ』と知り、
 大きな心ならば『大きな心だ』と知り、 
 大きくない心ならば『大きくない心だ』と知り、
 向上する心ならば『向上する心だ』と知り、
 向上しない心ならば『向上しない心だ』と知り、
 集中した心ならば『集中した心だ』と知り、
 集中しない心ならば『集中しない心だ』と知り、
 解脱した心ならば『解脱した心だ』と知り、
 解脱していない心ならば『解脱していない心だ』と知ろう」と願うならば、それぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならばそれができる。

 彼がもし「様々な過去の住を思い出そう。
 即ち、一つの生も、二つの生も、三つの生も、四つの生も、五つの生も、十の生も、二十の生も、三十の生も、四十の生も、五十の生も、百の生も、千の生も、十万の生も、多くの生成する劫も、多くの破壊する劫も、多くの生成破壊する劫も。
 そこで私はこのような名前であり、このような家柄であり、このような容姿であり、このような食を取り、このような楽と苦を感受し、このような寿命であり、私はそこで死んであそこに生まれた。
 そこで私はこのような名前であり、このような家柄であり、このような容姿であり、このような食を取り、このような楽と苦を感受し、このような寿命であり、私はそこで死んでここに生まれた。
 このように多くの過去の住を行ないと境遇を伴って思い出そう」と願うならば、それぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならばそれができる。

 彼がもし「人間を超越した清浄な天眼によって生ける者たちを見よう。
 生ける者たちが業によって達した通りに、死に生まれ、劣り優れ、美しくなり醜くなり、善きところ悪いところへ行くさまを知ろう。
 実にこれらの生ける者たちは身悪行を成就し、語悪行を成就し、意悪行を成就し、聖者を誹謗し、邪見に住し、邪見の業を取り、彼らは身体が破れた死後に苦処・悪趣・堕処・地獄に転生する。
 しかしこれらの生ける者たちは身善行を成就し、語善行を成就し、意善行を成就し、聖者を誹謗せず、正見に住し、正見の業を取り、彼らは身体が破れた死後に善趣・天界に転生する。
 このように人間を超越した清浄な神々の眼によって生ける者たちを見よう。
 生ける者たちが業によって達した通りに、死に生まれ、劣り優れ、美しくなり醜くなり、善きところ悪いところへ行くさまを知ろう」と願うならば、それぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならばそれができる。

 彼がもし「漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住そう」と願うならば、それぞれのことにおいて実証可能であるところに達しているならばそれができる。(経終わる)」

   『南伝大蔵経19 増支部経典3』大蔵出版 P22−26  に相当











[心を御する Part1 洗浄]
粗い汚れ・・・・・・・三悪行  身悪行・語悪行・意悪行
中ほどの汚れ・・・・・三悪尋  欲尋・恚尋・害尋
細かい汚れ・・・・・・三尋   親戚尋・国土尋・不名誉相応尋
溶けていない黄金・・・法尋 
溶けても純粋でない黄金・・・非定心  
溶けて完全に純粋な黄金・・・定心
様々な用途に加工される黄金 → 様々な神通力を発揮可能



[心を御する Part2 溶解]
三相作意  定相・励相・捨相
 一向定相 → 懈怠(火が消える)
 一向励相 → 掉挙(燃え尽きる)
 一向捨相 → 漏尽のために正しくサマーディしない(正しく成熟しない黄金)
 三相作意 → 漏尽のために正しくサマーディする(正しく成熟する黄金)
 様々な用途に加工される黄金 → 様々な神通力を発揮可能



[心を御する Part3 精錬]
五蓋(ごがい、五つの覆い)
 欲望  鉄 アヤ aya
 怒り  銅 ローハ loha
 惛眠  錫 ティプ tipu
 躁鬱  鉛 シーサ sīsa
 疑   銀 サッジャ sajjha 
 五蓋がある → 心の汚れがあり正しくサマーディしない(純金ではない)
 五蓋がない → 心の汚れがなく正しくサマーディする (純金100%)



[心を御する Part4 まとめ]
1.粗い汚れ・・・・・三悪行 → 洗浄(戒学)
2.中ほどの汚れ・・・三悪尋 → 洗浄(三相作意)
3.細かな汚れ・・・・三尋  → 洗浄(三相作意)
4.金・・・・・・・・法尋  → 溶解(三相作意)
5.卑金属・・・・・・五蓋  → 精錬(三相作意)
→ 溶解・精錬された純度100%の金・・・正しいサマーディ(正定)

  戒学  三悪行を断つ
  心学  三悪尋・三尋・五蓋を断ち、法尋を静めて正定を得る
  慧学  正定の状態で六神通・四諦知を得る

 五蓋は心を動揺させる悪いものなので集中の妨げそのもの。
 よって三相作意によって五蓋を捨て去り集中を得る。 ← 精錬
 善い考え事である法尋であっても考え事は集中の妨げになる。
 よって同作業である三相作意によって法尋も集中を得る。 ← 溶解

 洗浄も溶解も精錬も三相作意によるもので結局は同じ作業を繰り返すことになる。
 集中を妨げるものは全て捨てるが、集中のイメージと集中しているか
 どうか観察することとその二つへの努力の三つは捨てずに維持する。
 この作業の繰り返しによって心を自己制御する能力(定力)が鍛錬される。
 定力のレベルが上がれば上がるほど瞬時に集中でき、
 長時間の集中も可能となり仕事の効率も進歩スピードも上がる。
 自分の集中力という「心の刀」はこの三相作意によって鍛え抜かれる。
 最高の刀を鍛錬して、その刀をもって神通というあらゆる技を会得する。

 (原始仏典の他の記述に二法としてサマタ相と策励相があります。
  従ってこの二相を繰り返すだけでも集中効果はあると思います。  
  もちろんサマタ相と策励相に捨相が加わればより集中できると思います)













以下、パーリ語の原文。資料用。
分割してありますが句読点を含め一字も削除していません。
ただし異本の記述として挿入される[]内は煩雑になるので削除しました。



[心を御する Part1]
粗い汚れ・・・三悪行
‘‘Evamevaṃ kho, bhikkhave, santi adhicittamanuyuttassa bhikkhuno oḷārikā upakkilesā kāyaduccaritaṃ vacīduccaritaṃ manoduccaritaṃ,
tamenaṃ sacetaso bhikkhu dabbajātiko pajahati vinodeti byantīkaroti anabhāvaṃ gameti.
中ほどの汚れ・・・三悪尋
Tasmiṃ pahīne tasmiṃ byantīkate santi adhicittamanuyuttassa bhikkhuno majjhimasahagatā upakkilesā kāmavitakko byāpādavitakko vihiṃsāvitakko,
tamenaṃ sacetaso bhikkhu dabbajātiko pajahati vinodeti byantīkaroti anabhāvaṃ gameti.
細かい汚れ・・・三尋
Tasmiṃ pahīne tasmiṃ byantīkate santi adhicittamanuyuttassa bhikkhuno sukhumasahagatā upakkilesā ñātivitakko janapadavitakko anavaññattipaṭisaṃyutto vitakko,
tamenaṃ sacetaso bhikkhu dabbajātiko pajahati vinodeti byantīkaroti anabhāvaṃ gameti.
溶けていない黄金・・・法尋
Tasmiṃ pahīne tasmiṃ byantīkate athāparaṃ dhammavitakkāvasissati.
溶けても純粋でない黄金・・・非定心
So hoti samādhi na ceva santo na ca paṇīto nappaṭippassaddhaladdho na ekodibhāvādhigato sasaṅkhāraniggayhavāritagato hoti.
溶けて完全に純粋な黄金・・・定心
So, bhikkhave, samayo yaṃ taṃ cittaṃ ajjhattaṃyeva santiṭṭhati sannisīdati ekodi hoti samādhiyati.
So hoti samādhi santo paṇīto paṭippassaddhiladdho ekodibhāvādhigato na sasaṅkhāraniggayhavāritagato.
様々な用途に加工される黄金・・・様々な神通力を発揮可能
Yassa yassa ca abhiññā sacchikaraṇīyassa dhammassa cittaṃ abhininnāmeti abhiññā sacchikiriyāya tatra tatreva sakkhibhabbataṃ pāpuṇāti sati satiāyatane.



[心を御する Part2]
三相作意
‘‘Evamevaṃ kho, bhikkhave, adhicittamanuyuttena bhikkhunā tīṇi nimittāni kālena kālaṃ manasi kātabbāni –
定相 kālena kālaṃ samādhinimittaṃ manasi kātabbaṃ,
励相 kālena kālaṃ paggahanimittaṃ manasi kātabbaṃ,
捨相 kālena kālaṃ upekkhānimittaṃ manasi kātabbaṃ.
一向定相 → 懈怠(火が消える)
Sace, bhikkhave, adhicittamanuyutto bhikkhu ekantaṃ samādhinimittaṃyeva manasi kareyya , ṭhānaṃ taṃ cittaṃ kosajjāya saṃvatteyya.
一向励相 → 掉挙(燃え尽きる)
Sace, bhikkhave, adhicittamanuyutto bhikkhu ekantaṃ paggahanimittaṃyeva manasi kareyya, ṭhānaṃ taṃ cittaṃ uddhaccāya saṃvatteyya.
一向捨相 → 漏尽のために正しくサマーディしない(正しく成熟しない黄金)
Sace, bhikkhave, adhicittamanuyutto bhikkhu ekantaṃ upekkhānimittaṃyeva manasi kareyya, ṭhānaṃ taṃ cittaṃ na sammā samādhiyeyya āsavānaṃ khayāya.
三相作意 → 漏尽のために正しくサマーディする(正しく成熟する黄金)
Yato ca kho, bhikkhave, adhicittamanuyutto bhikkhu kālena kālaṃ samādhinimittaṃ manasi karoti, kālena kālaṃ paggahanimittaṃ manasi karoti, kālena kālaṃ upekkhānimittaṃ manasi karoti,
taṃ hoti cittaṃ muduñca kammaniyañca pabhassarañca, na ca pabhaṅgu, sammā samādhiyati āsavānaṃ khayāya.
様々な用途に加工される黄金・・・様々な神通力を発揮可能
Yassa yassa ca abhiññāsacchikaraṇīyassa dhammassa cittaṃ abhininnāmeti abhiññāsacchikiriyāya, tatra tatreva sakkhibhabbataṃ pāpuṇāti sati satiāyatane.


 註1
   塵垢洗浄者 paṃsu dhovaka
   黄金 ジャータルーパ jātarūpa
   粗い oḷārikā 粗なる、広大な
   中ぐらいの majjhimasahagatā
   細かい sukhumasahagatā
   汚れ ウパッキレーサupakkilesa 煩悩と同語。汚れ
   石 ヴァールカ paṃsuvāluka
   礫 sakkharakaṭhala
   細かい石 sukhumasakkharā
   粗い砂 thūlavālukā
   細かい砂 sukhumavālukā
   黒い粉 kāḷajallikā
   砂金 suvaṇṇa 黄金
   洗う dhovati
   よく洗う sandhovati
   洗い切る niddhovati
   吹く dhamati
   よく吹く sandhamati
   吹き切る niddhamati
   心を御する比丘 adhicittamanuyuttassa bhikkhun 
      増上心を専修する比丘 anuyuttaをヨーガの関連語と見る
   心ある sacetaso
   生まれの良い dabbajātiko
   断ち pajahati
   制御し vinodeti
   除去し byantīkaroti
   存在しないものとする anabhāvaṃ gameti.
   身悪行・語悪行・意悪行 kāyaduccaritaṃ vacīduccaritaṃ manoduccaritaṃ
   欲尋・恚尋・害尋 kāmavitakko byāpādavitakko vihiṃsāvitakko
   親族尋・国土尋・不名誉相応尋 ñātivitakko janapadavitakko anavaññattipaṭisaṃyutto vitakko
   法尋が残る dhammavitakkāvasissati   
   サマーディ samādhi
   寂静 santo
   優れている paṇīto
   静止させることによって一境性を獲得する paṭippassaddhaladdho ekodibhāvādhigato
   有行による抑圧により除いて得たもの sasaṅkhāra niggayhavāritagato

 註2
   鉄 アヤ aya
   銅 ローハ loha
   錫 ティプ tipu
   鉛 シーサ sīsa
   銀 サッジャ sajjha
   金 ジャータルーパ jātarūpa
   汚れ ウパッキレーサ upakkilesa
   汚れされた ウパッキリッタ upakkiliṭṭha



       終

コメント(2)

原始仏典の記述は拍子抜けするほどあまりにも簡潔です。しかしこの精神統一法だけで、自己の心を自在に操る力を獲得するに十分な修行道を記述し尽くしています。修行は単調、しかし成果は莫大。これはあらゆる仕事・学問・技術・訓練において言えることと思います。

原始仏典は武術の教則本のようなものです。教則本は簡単に「これをマスターするまでやれ」と書いてあるだけです。教則本の内容を理解したならば、後は自分の部屋という道場で単調な修行をひたすら繰り返せば、そこに奥義の体得があります。ただ心の修行は見えないので多くの人はその教則本の内容を信じ切ることができません。一方、世間の様々な習い事は日常的に行なわれているので、そのカリキュラムを多くの人は信じて習いに行くことに迷いはありません。しかし最も確認しがたく、信じ難い心の制御法こそは最高の利益を自己に結果する習い事です。

「鍛錬は千日を鍛とし、万日を錬とす」という宮本武蔵の言葉があります。三年を基本単位の鍛(きた)えとし、鍛を十倍繰り返した三十年で完全に練り上げる。「この道は善である」と確信したならば、その道を自ら選び取って鍛え抜くこと一心不乱。焦らず弛(たゆ)まず諦めなければ、万里の道を歩いていても迷いはなく、来し方行く末を見ればますます自分の眼差しには確信の光が宿ります。

彼、宮本武蔵の素晴らしき精進根と精進力、その素晴らしき修行者としての在り方に遅れを取らないように僕も頑張りたいです。

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