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原始仏典コミュの中部経典 第1経 根本法門経  全訳

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(『南伝大蔵経9 中部経典1』大蔵出版 P1−7 に相当)






  中部経典 第1経 根本法門経[ムーラパリヤーヤ・スッタ] 全訳

「   かの先生・阿羅漢・正覚者に帰依します


     中部経典[マッジマ・ニカーヤ]


    根本五十聖典[ムーラパンナーサ・パーリ]


     第一 根本法門品[ムーラパリヤーヤ・ヴァッガ]

   第一 根本法門経[ムーラパリヤーヤ・スッタ]

1.このように私は聞いた。
 あるとき先生はウッカッタのスバガ林、サーラ[樹]の王の根元に住んでいた。
 ときに先生は比丘たちに「比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは「先生」と先生に応えた。先生はこう言った。
 「比丘たちよ、あなたたちに一切の法の根本という法門を説こう。それを聞いてよく考えなさい。説こう」
 「はい先生」とその比丘たちは先生に応えた。先生はこう言った。
2.比丘たちよ、ここに聞くことのない凡夫は聖者を見ず、聖者の法を認知せず、聖者の法において訓練されておらず、善人を見ず、善人の法を認知せず、善人の法において訓練されていない。
 彼は地を地から想する。地を地から想して地を思う。地において思い、地から思い、地を「私のものである」と思い、地を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 水を水から想する。水を水から想して水を思う。水において思い、水から思い、水を「私のものである」と思い、水を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 火を火から想する。火を火から想して火を思う。火において思い、火から思い、火を「私のものである」と思い、火を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 風を風から想する。風を風から想して風を思う。風において思い、風から思い、風を「私のものである」と思い、風を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
3.存在する者たちを存在する者たちから想する。存在する者たちを存在する者たちから想して存在する者たちを思う。存在する者たちにおいて思い、存在する者たちから思い、存在する者たちを「私のものである」と思い、存在する者たちを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 神々を神々から想する。神々を神々から想して神々を思う。神々において思い、神々から思い、神々を「私のものである」と思い、神々を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 パジャーパティ(生ける者たちの主、生主)をパジャーパティから想する。パジャーパティをパジャーパティから想してパジャーパティを思う。パジャーパティにおいて思い、パジャーパティから思い、パジャーパティを「私のものである」と思い、パジャーパティを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 ブラフマー(梵、色界第一天)をブラフマーから想する。ブラフマーをブラフマーから想してブラフマーを思う。ブラフマーにおいて思い、ブラフマーから思い、ブラフマーを「私のものである」と思い、ブラフマーを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 アーバッサラ(極光天、色界第二天)をアーバッサラから想する。アーバッサラをアーバッサラから想してアーバッサラを思う。アーバッサラにおいて思い、アーバッサラから思い、アーバッサラを「私のものである」と思い、アーバッサラを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 スバキンナ(遍浄天、色界第三天)をスバキンナから想する。スバキンナをスバキンナから想してスバキンナを思う。スバキンナにおいて思い、スバキンナから思い、スバキンナを「私のものである」と思い、スバキンナを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 ヴェーハッパラ(広果天、色界第四天)をヴェーハッパラから想する。ヴェーハッパラをヴェーハッパラから想してヴェーハッパラを思う。ヴェーハッパラにおいて思い、ヴェーハッパラから思い、ヴェーハッパラを「私のものである」と思い、ヴェーハッパラを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 アビブー(勝利者、無想有情の説あるも不明)をアビブーから想する。アビブーをアビブーから想してアビブーを思う。アビブーにおいて思い、アビブーから思い、アビブーを「私のものである」と思い、アビブーを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
4.空無辺処を空無辺処から想する。空無辺処を空無辺処から想して空無辺処を思う。空無辺処において思い、空無辺処から思い、空無辺処を「私のものである」と思い、空無辺処を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 識無辺処を識無辺処から想する。識無辺処を識無辺処から想して風を思う。識無辺処において思い、識無辺処から思い、識無辺処を「私のものである」と思い、識無辺処を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 無所有処を無所有処から想する。無所有処を無所有処から想して無所有処を思う。無所有処において思い、無所有処から思い、無所有処を「私のものである」と思い、無所有処を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 非想非非想処を非想非非想処から想する。非想非非想処を非想非非想処から想して非想非非想処を思う。非想非非想処において思い、非想非非想処から思い、非想非非想処を「私のものである」と思い、非想非非想処を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
5.見たものを見たものから想する。見たものを見たものから想して見たものを思う。見たものにおいて思い、見たものから思い、見たものを「私のものである」と思い、見たものを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 聞いたものを聞いたものから想する。聞いたものを聞いたものから想して聞いたものを思う。聞いたものにおいて思い、聞いたものから思い、聞いたものを「私のものである」と思い、聞いたものを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 思ったものを思ったものから想する。思ったものを思ったものから想して思ったものを思う。思ったものにおいて思い、思ったものから思い、思ったものを「私のものである」と思い、思ったものを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 認識したものを認識したものから想する。認識したものを認識したものから想して認識したものを思う。認識したものにおいて思い、認識したものから思い、認識したものを「私のものである」と思い、認識したものを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
6.一つのものを一つのものから想する。一つのものを一つのものから想して一つのものを思う。一つのものにおいて思い、一つのものから思い、一つのものを「私のものである」と思い、一つのものを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 多くのものを多くのものから想する。多くのものを多くのものから想して多くのものを思う。多くのものにおいて思い、多くのものから思い、多くのものを「私のものである」と思い、多くのものを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 一切を一切から想する。一切を一切から想して一切を思う。一切において思い、一切から思い、一切を「私のものである」と思い、一切を喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
 ニッバーナ(涅槃)をニッバーナから想する。ニッバーナをニッバーナから想してニッバーナを思う。ニッバーナにおいて思い、ニッバーナから思い、ニッバーナを「私のものである」と思い、ニッバーナを喜ぶ。それはなぜか。
 「彼は遍知していないからだ」と私は言う。
7.比丘たちよ、有学であり、得ておらず、無上の安穏との結合を求めて住している比丘がいる。
 彼もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思ってはならない。地において思ってはならない。地から思ってはならない。地を「私のものである」と思ってはならない。地を喜んではならない。それはなぜか
 「彼は遍知すべきだからだ」と私は言う。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思ってはならない。ニッバーナにおいて思ってはならない。ニッバーナから思ってはならない。ニッバーナを「私のものである」と思ってはならない。ニッバーナを喜んではならない。それはなぜか
 「彼は遍知すべきだからだ」と私は言う。
8.比丘たちよ、阿羅漢であり、漏を尽くしており、完成しており、為すべきことを為しており、重荷を下ろしており、善利に到達しており、存在への結縛を遍く尽くしており(有結遍尽)、正しく悟っており、解脱している比丘がいる。
 彼もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思わない。地において思わず、地から思わず、地を「私のものである」と思わず、地を喜ばない。それはなぜか。
 「彼は遍知しているからだ」と私は言う。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思わない。ニッバーナにおいて思わず、ニッバーナから思わず、ニッバーナを「私のものである」と思わず、ニッバーナを喜ばない。それはなぜか。
 「彼は遍知しているからだ」と私は言う。
9.比丘たちよ、阿羅漢であり、漏を尽くしており、完成しており、為すべきことを為しており、重荷を下ろしており、善利に到達しており、存在への結縛を遍く尽くしており(有結遍尽)、正しく悟っており、解脱している比丘がいる。
 彼もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思わない。地において思わず、地から思わず、地を「私のものである」と思わず、地を喜ばない。それはなぜか。
 貪りが尽き、貪りから離れているからだ。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思わない。ニッバーナにおいて思わず、ニッバーナから思わず、ニッバーナを「私のものである」と思わず、ニッバーナを喜ばない。それはなぜか。
 貪りが尽き、貪りから離れているからだ。
10.比丘たちよ、阿羅漢であり、漏を尽くしており、完成しており、為すべきことを為しており、重荷を下ろしており、善利に到達しており、存在への結縛を遍く尽くしており(有結遍尽)、正しく悟っており、解脱している比丘がいる。
 彼もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思わない。地において思わず、地から思わず、地を「私のものである」と思わず、地を喜ばない。それはなぜか。
 瞋(いか)りが尽き、瞋りから離れているからだ。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思わない。ニッバーナにおいて思わず、ニッバーナから思わず、ニッバーナを「私のものである」と思わず、ニッバーナを喜ばない。それはなぜか。
 瞋りが尽き、瞋りから離れているからだ。
11.比丘たちよ、阿羅漢であり、漏を尽くしており、完成しており、為すべきことを為しており、重荷を下ろしており、善利に到達しており、存在への結縛を遍く尽くしており(有結遍尽)、正しく悟っており、解脱している比丘がいる。
 彼もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思わない。地において思わず、地から思わず、地を「私のものである」と思わず、地を喜ばない。それはなぜか。
 癡(おろ)かさが尽き、癡かさから離れているからだ。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思わない。ニッバーナにおいて思わず、ニッバーナから思わず、ニッバーナを「私のものである」と思わず、ニッバーナを喜ばない。それはなぜか。
 癡かさが尽き、癡かさから離れているからだ。
12.比丘たちよ、阿羅漢であり正覚者である如来もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思わない。地において思わず、地から思わず、地を「私のものである」と思わず、地を喜ばない。それはなぜか。
 「如来は遍知しているからだ」と私は言う。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思わない。ニッバーナにおいて思わず、ニッバーナから思わず、ニッバーナを「私のものである」と思わず、ニッバーナを喜ばない。それはなぜか。
 「如来は遍知しているからだ」と私は言う。
13.比丘たちよ、阿羅漢であり正覚者である如来もまた地を地から超知する。地を地から超知して、地を思わない。地において思わず、地から思わず、地を「私のものである」と思わず、地を喜ばない。それはなぜか。
 「喜びは苦しみの根本である」とこのように賢知するからだ。
 また「存在すれば生まれることがあり、存在する者には老死がある」と。
 水を・・・
 火を・・・
 風を・・・
 存在する者たちを・・・
 神々を・・・
 パジャーパティを・・・
 ブラフマーを・・・
 アーバッサラを・・・
 スバキンナを・・・
 ヴェーハッパラを・・・
 アビブーを・・・
 空無辺処を・・・
 識無辺処を・・・
 無所有処を・・・
 非想非非想処を・・・
 見たものを・・・
 聞いたものを・・・
 思ったものを・・・
 認識したものを・・・
 一つのものを・・・
 多くのものを・・・
 一切を・・・
 ニッバーナをニッバーナから超知する。ニッバーナをニッバーナから超知して、ニッバーナを思わない。ニッバーナにおいて思わず、ニッバーナから思わず、ニッバーナを「私のものである」と思わず、ニッバーナを喜ばない。それはなぜか。
 「喜びは苦しみの根本である」とこのように賢知するからだ。
 また「存在すれば生まれることがあり、存在する者には老死がある」と。
 比丘たちよ、それゆえに「如来は一切の渇愛を尽くして、離貪し、滅し、捨て、放棄し、無上の正しい覚りを正覚した」と私は言う。

 このように先生は言った。その比丘たちは先生が説いたことを喜んだ。
 [異本:その比丘たちは先生が説いたことを喜ばなかった]
              
                  第一 根本法門経  終」

   『南伝大蔵経9 中部経典1』大蔵出版 P1−7 に相当













 註 一切法根本法門 sabba dhamma mūla pariyāya
   聞くことのない assutavā
   凡夫 puthujjano
   聖者 ariyānaṃ
   認知する コーヴィダ kovida 熟知する、識知する
   訓練される vinīto
   地を pathaviṃ
   地から pathavito
   想する sañjānāti 五蘊の想の動詞。想う
   想   saññā
   超知する abhijānāti
   超知  abhiññā
   遍知 pariññā
   思う maññati
   地において pathaviyā
   地から pathavito
   私のものであると meti
   喜ぶ abhinandati.
   
   貪が尽き、貪から離れている。 Khayā rāgassa, vītarāgattā.
   瞋が尽き、瞋から離れている。 Khayā dosassa, vītadosattā.
   癡が尽き、癡から離れている。 Khayā mohassa, vītamohattā.
   如来は遍知している。‘Pariññātantaṃ tathāgatassā’
  「喜び(ナンディ nandi)は苦しみの根本である」とこのように賢知し
   ‘Nandī [nandi (sī. syā.)] dukkhassa mūla’nti – iti viditvā
  「有から生あり、有の者には老死あり」‘bhavā jāti bhūtassa jarāmaraṇa’nti.
  如来は一切の渇愛を尽くして・・・
   ‘tathāgato sabbaso taṇhānaṃ khayā virāgā nirodhā cāgā paṭinissaggā
   anuttaraṃ sammāsambodhiṃ abhisambuddho’ti vadāmi.
































[一切法の根本の法門]

 1.凡夫  遍知していない → 喜ぶ → 取 → 有 → 生老死
 2.有学  遍知すべき   → 喜ぶべきではない
 3.阿羅漢 遍知している  → 喜ばない → 無取 → 有結遍尽 → 生老死の滅
 4.阿羅漢 貪が尽きている → 喜ばない → 無取 → 有結遍尽 → 生老死の滅
 5.阿羅漢 瞋が尽きている → 喜ばない → 無取 → 有結遍尽 → 生老死の滅
 6.阿羅漢 癡が尽きている → 喜ばない → 無取 → 有結遍尽 → 生老死の滅
 7.如来  遍知している  → 喜ばない → 無取 → 有結遍尽 → 生老死の滅
 8.如来  喜は苦根と知る → 喜ばない → 無取 → 有結遍尽 → 生老死の滅





[喜びの対象]

  【四大 色】
  地 パタヴィー pathavī
  水 アーパ   āpa
  火 テージャ  teja
  風 ヴァーヤ  vāya

  【存在者】
  存在者 ブータ  bhūta  生ける者たち
  神々  デーヴァ deva  欲界の六天とブラフマー、それ以上の神々たち。
  パジャーパティ pajāpati  パジャーは生ける者たち、パティは主。詳細不明。
  ブラフマー   brahmā  千世界から十万世界を支配する存在。  
  アーバッサラ  ābhassara 色界第二天の最上界。ここでは色界第二天全体。
  スバキンナ   subhakiṇa 色界第三天の最上界。ここでは色界第三天全体。
  ヴェーハッパラ vehapphala 色界第四天であるとされる。
  アビブー    abhibhu   詳細不明。伝統教義では無想有情。

  【四無色】
  空無辺処   ākāsānañcāyatana
  識無辺処   viññāṇañcāyatana
  無所有処   ākiñcaññāyatana
  非想非非想処 nevasaññānāsaññāyatana

  【認識内容】
  見たもの   diṭṭha
  聞いたもの  suta
  思ったもの  muta
  認識したもの viññāta

  【認識形式】
  一つのもの ekatta   一
  多くのもの nānatta  多
  一切    sabba   全て

  【涅槃】
  ニッバーナ nibbāna  涅槃






存在するものを
一つのものとして見たり、聞いたり、考えたり、認識したりし、
多くのものとして見たり、聞いたり、考えたり、認識したりし、
全部として見たり、聞いたり、考えたり、認識したりし、
涅槃について見たり、聞いたり、考えたり、認識したりする。

凡夫はそこに喜びが伴い「私のものである」と執着し、有に結ばれ、生死がある。
修学者は喜ばないように六根を防御すべき。
阿羅漢は貪瞋癡を尽くし遍知するゆえに喜ばず、取らず、有に結ばれず、生死がない。
如来も同様。現に一切の渇愛を尽くして解脱を知見するがゆえに「正覚者」を名乗る。




 色の四大について説く。
 名色ある存在者たちについて説く。
 無色の四について説く。
 識について説く。
 一多全について説く。
 涅槃について説く。
 凡夫の認識について説く。
 修学者の認識について説く。
 阿羅漢の認識について説く。
 如来の認識について説く。
 一切の認識対象と一切の認識主体について説く。
 知による愛尽を説く。



  「喜び(ナンディ)は苦しみ(ドゥッカ)の根本(ムーラ)である」


     ‘Nandī dukkhassa mūla’

   「ナンディー・ドゥッカッサ・ムーラ」


  即ち「一切法を喜ぶべきではない」の意。

コメント(2)

この経はある程度コピーとペーストでいけたのですが、原始仏典の最初である長部経典第1経の梵網経が大変で現在、中途で放棄しています。

でもそう言っていただけて嬉しいです。

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