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原始仏典コミュの増支部経典 五集 1

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(『南伝大蔵経19 増支部経典3』大蔵出版 P1−12 に相当)




増支部経典>五集>最初から

「  かの先生・阿羅漢・正覚者に帰依します


     増支部経典


       五集


       第一の五十


     第一 学力品

   第一 略
1.このように私は聞いた。
 あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住んでいた。
 ときに先生は比丘たちに「比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは先生に「先生」と応えた。先生はこう言った。
 比丘たちよ、これら五つの学ぶ者の力[有学力、学力、修学力]がある。何が五か。
 信力、慚力、愧力、精進力、慧力である。
 比丘たちよ、これら五つの学ぶ者の力がある。

 比丘たちよ、それゆえにこのように学ぶべきである。
 「私たちは学ぶ者の力である信力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である慚力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である愧力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である精進力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である慧力を成就しよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。


 註 有学力 セーカバラ    sekha bala 学ぶ者の力、「有」の語はない
   信力  サッダーバラ   saddhā bala
   慚力  ヒリバラ     hiri bala
   愧力  オッタッパバラ  ottappa bala
   精進力 ヴィーリヤバラ  vīriya bala 勤力
   慧力  パンニャーバラ paññā bala
   「比丘たちよ、実にこのように学びなさい。」
     パーリ語の原文では「先生はこう言った。意を得たその比丘たちは
     先生が説いたことを喜んだ」とありますが、差し換えます。


   第二 広説
2.比丘たちよ、これら五つの学ぶ者の力がある。何が五か。
 信力、慚力、愧力、精進力、慧力である。
 比丘たちよ、何が信力か。
 比丘たちよ、ここに聖なる弟子は信があり、如来の覚りを信じる。
 「このことによってもかの先生は阿羅漢であり、正覚者であり、明と行を具足した方であり、善きところに達した方であり、世間に通達した方であり、無上者であり、調御すべき者たちを訓練する方であり、神々と人々の師であり、ブッダであり、先生である」と。
 比丘たちよ、これが信力と言われる。
 比丘たちよ、何が慚力(ざんりき)か。
 比丘たちよ、ここに聖なる弟子は慚があり、身悪行・語悪行・意悪行を慚(は)じ、悪不善法に達することを慚じる。
 比丘たちよ、これが慚力と言われる。
 比丘たちよ、何が愧力(きりき)か。
 比丘たちよ、ここに聖なる弟子は愧があり、身悪行・語悪行・意悪行を愧(は)じ、悪不善法に達することを愧じる。
 比丘たちよ、これが愧力と言われる。
 比丘たちよ、何が精進力か。
 比丘たちよ、ここに聖なる弟子は精進を起こして住し、不善法を断つために、善法を具足するために、勇猛に堅固に努力し、善法において重荷を捨てない。
 比丘たちよ、これが精進力と言われる。
 比丘たちよ、何が慧力か。
 比丘たちよ、ここに聖なる弟子は智慧があり、生滅に行く智慧を成就し、それはまた聖にして解明し正しく苦を尽くすことに行くものである。
 比丘たちよ、これが慧力と言われる。
 比丘たちよ、これら五つの学ぶ者の力がある。

 比丘たちよ、それゆえにこのように学ぶべきである。
 「私たちは学ぶ者の力である信力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である慚力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である愧力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である精進力を成就しよう。
 私たちは学ぶ者の力である慧力を成就しよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。


   第三 苦
3.比丘たちよ、五法を成就する比丘は現世において苦に住し、苦悩があり、悩みがあり、熱悩があり、さらに身が破れて死んだ後に悪趣が期待される。何が五か。
 比丘たちよ、ここに比丘は不信であり、無慚であり、無愧であり、懈怠であり、無慧である。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は現世において苦しんで住し、苦悩があり、悩みがあり、熱悩があり、さらに身が破れて死んだ後に悪趣が期待される。
 比丘たちよ、五法を成就する比丘は現世において楽に住し、苦悩がなく、悩みがなく、熱悩がなく、さらに身が破れて死んだ後に善趣が期待される。何が五か。
 比丘たちよ、ここに比丘は信があり、慚があり、愧があり、精進を起こし、智慧がある。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は現世において楽に住し、苦悩がなく、悩みがなく、熱悩がなく、さらに身が破れて死んだ後に善趣が期待される。


   第四 連れて置かれるように
4.比丘たちよ、五法を成就する比丘は連れて置かれるように地獄に行く。何が五か。
 比丘たちよ、ここに比丘は不信であり、無慚であり、無愧であり、懈怠であり、無慧である。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は連れて置かれるように地獄に行く。
 比丘たちよ、五法を成就する比丘は連れて置かれるように天世に行く。何が五か。
 比丘たちよ、ここに比丘は信があり、慚があり、愧があり、精進を起こし、智慧がある。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は連れて置かれるように天世に行く。


   第五 学
5.比丘たちよ、いかなる比丘や比丘尼であっても学を現に捨てて劣に転じる(還俗の意)ならば、彼は現世において五つの法を伴う様々なことを言われて非難される処に行く。何が五か。
 あなたは善法における信もなく、
 あなたは善法における慚もなく、
 あなたは善法における愧もなく、
 あなたは善法における精進もなく、
 あなたは善法における智慧もない。
 比丘たちよ、いかなる比丘や比丘尼であっても学を現に捨てて劣に転じるならば、彼は現世においてこれら五つの法を伴う様々なことを言われて非難される処に行く。
 比丘たちよ、いかなる比丘や比丘尼であってもたとえ苦を伴いもし、憂いを伴いもし、涙を流し、泣いても、遍く円満で遍く清浄な梵行を行じるならば、彼は現世において五つの法を伴う賞讃される処に行く。何が五か。
 あなたには善法における信もあり、
 あなたには善法における慚もあり、
 あなたには善法における愧もあり、
 あなたには善法における精進もあり、
 あなたには善法における智慧もある。
 比丘たちよ、いかなる比丘や比丘尼であってもたとえ苦を伴いもし、憂いを伴いもし、涙を流し、泣いても、遍く円満で遍く清浄な梵行を行じるならば、彼は現世においてこれら五つの法を伴う賞讃される処に行く。


   第六 達する
6.比丘たちよ、善法における信が現に住しているかぎりは、悪に達することはない。
 比丘たちよ、しかし善法における信がなくなり、不信に結ばれて住するときは悪に達する。
比丘たちよ、善法における慚が現に住しているかぎりは、悪に達することはない。
 比丘たちよ、しかし善法における慚がなくなり、無慚に結ばれて住するときは悪に達する。
比丘たちよ、善法における愧が現に住しているかぎりは、悪に達することはない。
 比丘たちよ、しかし善法における愧がなくなり、無愧に結ばれて住するときは悪に達する。
比丘たちよ、善法における精進が現に住しているかぎりは、悪に達することはない。
 比丘たちよ、しかし善法における精進がなくなり、懈怠に結ばれて住するときは悪に達する。
比丘たちよ、善法における智慧が現に住しているかぎりは、悪に達することはない。
 比丘たちよ、しかし善法における智慧がなくなり、無慧と結ばれて住するときは悪に達する。


   第七 欲
7.比丘たちよ、多く生ける者たちは欲[カーマ]を愛好する。
 比丘たちよ、鎌と棒を捨てて良家の子が家から家なきに出家するならば「信によって出家した良家の子」と言われるのに十分である。それはなぜか。
 比丘たちよ、青年にとって欲は何であれ得ることができる。
 比丘たちよ、劣った欲であっても、中の欲であっても、優れた欲であっても一切の欲はただ「欲」として数えられることに行く。
 比丘たちよ、たとえば愚かな幼い子供が仰向けに寝ていて、乳母が放逸であるときに木片や小石を口に入れるとする。その乳母は早々に作意するだろう。早々に作意して早々に取るだろう。もし早々に取ることができないならば、左の手で首を持って右の手の指を曲げて、血が出るとしても取り出すだろう。それはなぜか。
 比丘たちよ、子供を害するためか。そうではないと私は言う。
 比丘たちよ、乳母は義を欲し、利益を欲し、憐れむがゆえに憐れみを取ってこのように為すのである。
 比丘たちよ、しかしその子供が成長し、十分に智慧をつけたならば、比丘たちよ、乳母はもはやその子供を見ることはしない。
 「今や子供は自ら防御し放逸になることはあり得ない」と。

 比丘たちよ、このように比丘が善法における信によって為されていず、
 善法における慚によって為されていず、
 善法における愧によって為されていず、
 善法における精進によって為されていず、
 善法における智慧によって為されていないかぎりは、
 比丘たちよ、そのような比丘は私に守護されるべきである。
 しかし比丘たちよ、比丘が善法における信によって為され、
 善法における慚によって為され、
 善法における愧によって為され、
 善法における精進によって為され、
 善法における智慧によって為されたならば、
 比丘たちよ、そのような比丘を今や私は見ない。
 「今や比丘は自ら防御し放逸になることはあり得ない」と。
 

   第八 落伍
8.比丘たちよ、五法を成就する比丘は落伍して正法に住さない。何が五か。
 比丘たちよ、不信の比丘は落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、無慚の比丘は落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、無愧の比丘は落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、懈怠の比丘は落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、無慧の比丘は落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は落伍して正法に住さない。

 比丘たちよ、五法を成就する比丘は落伍せずに正法に住する。何が五か。
 比丘たちよ、信ある比丘は落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、慚ある比丘は落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、愧ある比丘は落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、精進を起こす比丘は落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、智慧ある比丘は落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は落伍せずに正法に住する。


   第九 尊敬されない[一]
9.比丘たちよ、五法を成就する比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。何が五か。
 比丘たちよ、不信の比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、無慚の比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、無愧の比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、懈怠の比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、無慧の比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は尊敬されず従ってもらえず、落伍して正法に住さない。

 比丘たちよ、五法を成就する比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。何が五か。
 比丘たちよ、信ある比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、慚ある比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、愧ある比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、精進を起こす比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、智慧ある比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は尊敬され従ってもらえ、落伍せずに正法に住する。


   第十 尊敬されない[二]
10.比丘たちよ、五法を成就する比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。何が五か。
 比丘たちよ、不信の比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。
 比丘たちよ、無慚の比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。
 比丘たちよ、無愧の比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。
 比丘たちよ、懈怠の比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。
 比丘たちよ、無慧の比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は尊敬されず従ってもらえず、この法と律において成長し増大し広大になることができない。

 比丘たちよ、五法を成就する比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。何が五か。
 比丘たちよ、信ある比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。
 比丘たちよ、慚ある比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。
 比丘たちよ、愧ある比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。
 比丘たちよ、精進を起こす比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。
 比丘たちよ、智慧ある比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。
 比丘たちよ、これら五法を成就する比丘は尊敬され従ってもらえ、この法と律において成長し増大し広大になることができる。

                 第一 有学力品 

    その頌、
     略と解説と苦、恐怖と学の五つ、
     達すると欲、落伍と二つの尊敬されない。」

    『南伝大蔵経19 増支部経典3』大蔵出版 P1−12 に相当




   (続く)







阿羅漢であるアセーカ(asekha)は「無学」と従来訳されてきましたが「学がない者」ではなく「学んだ者」を意味するのではないかと最近は考えています。「a」は確かに否定の意が多いですがakārayiがkāretiの過去形であったり、akappayuṃがkappatiの過去形であったりするように「a」は過去形を意味する場合もあると思われるからです。そして何よりも阿羅漢であるアセーカの意味は「学が無い者」よりも「学んだ者」ととらえたほうが筋が通っているからです。有学は「修学者」であり、無学「学了者」だと思います。

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