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原始仏典コミュの増支部経典 三集 1

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(『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P165−176 に相当)





増支部経典>三集の最初から

「   かの先生・阿羅漢・正覚者に帰依します



     増支部経典[アングッタラ・ニカーヤ]


     三集


   第一の五十

     第一 愚者品

   第一 恐怖
1.このように私は聞いた。あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住していた。
 ときに先生は比丘たちに「比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは「先生」と先生に応えた。先生はこう言った。
 比丘たちよ、いかなる恐怖が生じるのも、それは愚者から生じるのであって賢者からではない。
 いかなる災難が生じるのも、それは愚者から生じるのであって賢者からではない。
 いかなる禍いが生じるのも、それは愚者から生じるのであって賢者からではない。
 比丘たちよ、たとえば葦の家、草の家から出た火は内外を塗り、風を防ぎ、門を閉じ、窓を閉めた高殿さえも焼く。
 比丘たちよ、このようにいかなる恐怖が生じるのであっても、それは愚者から生じるのであって賢者からではない。
 いかなる災難が生じるのも、それは愚者から生じるのであって賢者からではない。
 いかなる禍いが生じるのも、それは愚者から生じるのであって賢者からではない。
 比丘たちよ、このように愚者には恐怖が有り、賢者には恐怖が無い。
 愚者には災難が有り、賢者には災難が無い。
 愚者には禍いが有り、賢者には禍いが無い。
 比丘たちよ、恐怖は賢者からではない。
 災難は賢者からではない。
 禍いは賢者からではない。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。


   第二 特徴
2.比丘たちよ、愚者には業の特徴があり、賢者にも業の特徴があり、智慧に比例して輝く。
 比丘たちよ、三法を成就すれば愚者と知られるべきである。何が三か。
 身悪行、語悪行、意悪行である。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば愚者と知られるべきである。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者と知られるべきである。何が三か。
 身善行、語善行、意善行である。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば賢者と知られるべきである。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。

 註 特徴 ラッカナ lakkhaṇa 三十二相の「相」と同語


   第三 思
3.比丘たちよ、これら三は愚者にある愚者の特徴、愚者の相、愚者の性質である。何が三か。
 比丘たちよ、ここに愚者は悪い思いを思い、悪い言葉を語り、悪く為された業を為す。
 比丘たちよ、もし愚者が悪い思いを思わず、悪い言葉を語らず、悪く為された業を為さなければ、何によって賢者は彼を「これは愚者であり、悪人である」と知るべきだろうか。
 比丘たちよ、愚者が悪い思いを思い、悪い言葉を語り、悪く為された業を為すがゆえに、賢者は彼を「これは愚者であり、悪人である」と知る。
 比丘たちよ、これら三は愚者にある愚者の特徴、愚者の相、愚者の性質である。
 比丘たちよ、これら三は賢者にある賢者の特徴、賢者の相、賢者の性質である。何が三か。
 比丘たちよ、ここに賢者は善い思いを思い、善い言葉を語り、善く為された業を為す。
 比丘たちよ、もし賢者が善い思いを思わず、善い言葉を語らず、善く為された業を為さなければ、何によって賢者は彼を「これは賢者であり、善人である」と知るべきだろうか。
 比丘たちよ、賢者が善い思いを思い、善い言葉を語り、善く為された業を為すがゆえに、賢者は彼を「これは賢者であり、善人である」と知る。
 比丘たちよ、これら三は賢者にある賢者の特徴、賢者の相、賢者の性質である。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。
   

   第四 過失
4.比丘たちよ、三法を成就すれば愚者と知られるべきである。何が三か。
 過失を過失と見ず、過失を過失と見て法の通りに懺悔せず、また他が過失を懺悔しても法の通りに受け入れない。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば愚者と知られるべきである。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者と知られるべきである。何が三か。
 過失を過失と見て、過失を過失と見て法の通りに懺悔し、また他が過失を懺悔しても法の通りに受け入れる。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば賢者と知られるべきである。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。


   第五 非根本
5.比丘たちよ、三法を成就すれば愚者と知られるべきである。何が三か。
 非根本の問いを作し、非根本に問いに答え、また人が円満で脈絡があり適切な文句によって根本に問いに答えることを喜ばない。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば愚者と知られるべきである。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者と知られるべきである。何が三か。
 根本の問いを作し、根本に問いに答え、また人が円満で脈絡があり適切な文句によって根本に問いに答えることを喜ぶ。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば賢者と知られるべきである。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。
 

   第六 不善
6.比丘たちよ、三法を成就すれば愚者と知られるべきである。何が三か。
 不善の身業、不善の語業、不善の意業である。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば愚者と知られるべきである。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者と知られるべきである。何が三か。
 善の身業、善の語業、善の意業である。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば賢者と知られるべきである。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。
 

   第七 有罪
7.比丘たちよ、三法を成就すれば愚者と知られるべきである。何が三か。
 有罪の身業、有罪の語業、有罪の意業である。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば愚者と知られるべきである。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者と知られるべきである。何が三か。
 無罪の身業、無罪の語業、無罪の意業である。
 比丘たちよ、これら三法を成就すれば賢者と知られるべきである。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。
 

   第八 有悩害
8.比丘たちよ、三法を成就すれば愚者と知られるべきである。何が三か。
 有悩害[有害]の身業、有悩害の語業、有悩害の意業である。
 比丘たちよ、この三法を成就すれば愚者と知られるべきである。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者と知られるべきである。何が三か。
 無悩害の身業、無悩害の語業、無悩害の意業である。
 比丘たちよ、この三法を成就すれば賢者と知られるべきである。
 比丘たちよ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは三法を成就すれば愚者と知られるべきその三法を避けて、三法を成就すれば賢者と知られるべきその三法を取って転じよう」と。
 比丘たちよ、あなたたちはこのように学ぶべきである。

 註 有悩害 サビャーバッジャ sabyābajjha 悩害が有る、有害
 

   第九 毀損
9.比丘たちよ、三法を成就すれば愚者であり、不聡明であり、悪人であり、自己を傷付け害することに務めている。また有罪であり、識者に非難され、多くの非福を生み出す。何が三か。
 身悪行、語悪行、意悪行である。
 比丘たちよ、この三法を成就すれば愚者であり、不聡明であり、悪人であり、自己を傷付け害することに務めている。また有罪であり、識者に非難され、多くの非福を生み出す。
 比丘たちよ、三法を成就すれば賢者であり、聡明であり、善人であり、自己を傷付けず害さないことに務めている。また無罪であり、識者に非難されず、多くの福を生み出す。何が三か。
 身善行、語善行、意善行である。
 比丘たちよ、この三法を成就すれば賢者であり、聡明であり、善人であり、自己を傷付けず害さないことに務めている。また無罪であり、識者に非難されず、多くの福を生み出す。


   第十 垢
10.比丘たちよ、三法を成就し三つの垢を断たなければ、置かれるように地獄に行く。何が三か。
 破戒であり、また破戒の垢を断っていない。
 嫉妬し、また嫉妬の垢を断っていない。
 吝嗇[慳]であり、また吝嗇の垢を断っていない。
 比丘たちよ、この三法を成就し三つの垢を断たなければ、置かれるように地獄に行く。
 比丘たちよ、三法を成就し三つの垢を断てば、置かれるように天に行く。何が三か。
 戒があり、また破戒の垢を断っている。
 嫉妬せず、また嫉妬の垢を断っている。
 吝嗇でなく、また吝嗇の垢を断っている。
 比丘たちよ、この三法を成就し三つの垢を断てば、置かれるように天に行く。

                    第一 愚者品 [畢]

   この頌に曰く
      恐怖と特徴と思いと 過失と非根本
      不善と有罪 有悩害と毀損と垢。



     第二 車匠品

   第一 有名人
11.比丘たちよ、三法を成就する有名な比丘は多くの人々の不利益のため、多くの人々の苦しみのため、神々と人々の多くの生ける者たちの不義と不利益と苦のために行じる。何が三か。
 不適切な身業をやらせ、不適切な語業をやらせ、不適切な法をやらせる。
 比丘たちよ、これら三法を成就する有名な比丘は多くの人々の不利益のため、多くの人々の苦しみのため、神々と人々の多くの生ける者たちの不義と不利益と苦のために行じる。
 
 比丘たちよ、三法を成就する有名な比丘は多くの人々の利益のため、多くの人々の楽のため、神々と人々の多くの生ける者たちの義と利益と楽のために行じる。何が三か。
 適切な身業をやらせ、適切な語業をやらせ、適切な法をやらせる。
 比丘たちよ、これら三法を成就する有名な比丘は多くの人々の利益のため、多くの人々の楽のため、神々と人々の多くの生ける者たちの義と利益と楽のために行じる。
 
 註 適切な ananulomika 随順の、適応の、適応した
              順番の順という意味もある
   やらせる samādapeti 勧導する、取らせる


   第二 記憶すべきこと
12.比丘たちよ、これら三つは灌頂されたカッティヤの王(王として戴冠した貴族階級クシャトリヤのこと)が生涯、記憶すべきことである。何が三か。
 比丘たちよ、灌頂されたカッティヤの王が生まれた場所。
 比丘たちよ、これが第一の灌頂されたカッティヤの王が生涯、記憶すべきことである。
 比丘たちよ、またカッティヤが王として灌頂された場所。
 比丘たちよ、これが第二の灌頂されたカッティヤの王が生涯、記憶すべきことである。
 比丘たちよ、また灌頂されたカッティヤの王が戦いに勝利したその勝ち戦における戦場の本営地として住した場所。
 比丘たちよ、これが第三の灌頂されたカッティヤの王が生涯、記憶すべきことである。
 比丘たちよ、これら三つは灌頂されたカッティヤの王が生涯、記憶すべきことである。

 比丘たちよ、このようにこれら三つは比丘が生涯、記憶すべきことである。何が三か。
 比丘たちよ、比丘が髪と髭を剃り落し、ボロの衣[袈裟衣]をまとって家から家なきへと出家した場所。
 比丘たちよ、これが第一の比丘が生涯、記憶すべきことである。
 比丘たちよ、また比丘が「これは苦である」と事実の通りに知り、
 「これは苦の生起である」と事実の通りに知り、
 「これは苦の滅である」と事実の通りに知り、
 「これは苦の滅に行く道である」と事実の通りに知った場所。
 比丘たちよ、これが第二の比丘が生涯、記憶すべきことである。
 比丘たちよ、また比丘が漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住した場所。
 比丘たちよ、これが第三の比丘が生涯、記憶すべきことである。
 比丘たちよ、これら三つは比丘が生涯、記憶すべきことである。


   第三 望み
13.比丘たちよ、これら三人が存在することが世間において見いだされる。何が三か。
 望まない者、望む者、離れた者である。
 比丘たちよ、では何が望まない者か。
 比丘たちよ、ここにある者は低い家柄に現に生まれる。チャンダーラ(賤民)の家や竹匠の家や猟師の家や車匠の家や屠殺人の家であり、貧乏で食べ物や飲み物の財産が少なく、生活が困難であり、そこでは食や衣服を得ることが困難である。さらに彼は容姿が悪く、醜く、矮小で、病気が多く、目に障害があったり、手に障害があったり、足に障害があったり、びっこであったりし、食べ物・飲み物・衣服・乗り物・髪飾り・香り・塗り物・座具寝具・住居・照明を得ることができない。
 彼は聞く。「このような名前のカッティヤがカッティヤたちによってカッティヤの王として灌頂された」と。
 しかし彼はこのように思わない。「いつか私もまたカッティヤたちによってカッティヤの王として灌頂されよう」と。
 比丘たちよ、これが望まない者と言われる。
 比丘たちよ、では何が望む者か。
 比丘たちよ、ここに灌頂されたカッティヤの王の年長の子は、まだ即位しておらず不動(の地位)に達していない。
 彼は聞く。「このような名前のカッティヤがカッティヤたちによってカッティヤの王として灌頂された」と。
 そして彼はこう思う。「いつか私もまたカッティヤたちによってカッティヤの王として灌頂されよう」と。
 比丘たちよ、これが望む者と言われる。
 比丘たちよ、では何が離れた者か。
 比丘たちよ、ここに灌頂されたカッティヤの王がいる。
 彼は聞く。「このような名前のカッティヤがカッティヤたちによってカッティヤの王として灌頂された」と。
 しかし彼はこう思わない。「いつか私もまたカッティヤたちによってカッティヤの王として灌頂されよう」と。それはなぜか。
 比丘たちよ、実に以前の灌頂されないときに「即位しよう」というそれ[望み]は彼において静止したのである。
 比丘たちよ、これが離れた者と言われる。
 比丘たちよ、これら三人が存在することが世間において見いだされる。

 比丘たちよ、このように三人が存在することが比丘たちにおいて見いだされる。何が三か。
 望まない者、望む者、離れた者である。
 比丘たちよ、では何が望まない者か。
 比丘たちよ、ここにある者は破戒であり、悪法があり、不浄であり、疑わしい不正を行じ、隠した業があり、沙門でないのに沙門と自称し、梵行者でないのに梵行者と自称し、内側が腐っており、漏泄しており、汚濁を生じる者である。
 彼は聞く。「このような名前の比丘が漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住する」と。
 しかし彼はこのように思わない。「いつか私も漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住そう」と。
 比丘たちよ、これが望まない者と言われる。
 比丘たちよ、では何が望む者か。
 比丘たちよ、ここに比丘は戒ある者であり、善法がある。
 彼は聞く。「このような名前の比丘が漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住する」と。
 そして彼はこのように思う。「いつか私も漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住そう」と。
 比丘たちよ、これが望む者と言われる。
 比丘たちよ、では何が離れた者か。
 比丘たちよ、ここに比丘は阿羅漢であり、漏尽である。
 彼は聞く。「このような名前の比丘が漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住する」と。
 しかし彼はこのように思わない。「いつか私も漏を尽くして無漏の心解脱・慧解脱を現世において自ら超知し実証し具足して住そう」と。それはなぜか。
 比丘たちよ、実に以前に解脱していないときの「解脱しよう」というそれ[望み]は彼において静止したのである。
 比丘たちよ、これが離れた者と言われる。
 比丘たちよ、これら三人が存在することが比丘たちにおいて見いだされる。

 註 望み アーサンサ āsaṃsa 希求、希望、望み
   望まない者 ニラーサ nirāsa 望むことがない者
   望む者 アーサンサ āsaṃsa 望むことがある者
   離れた者 ヴィガターサ vigatāsa 離れた者」

   『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P165−176 に相当







(続く)

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