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原始仏典コミュの増支部経典 二集 2

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(続き  『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P84−100  に相当)




「16.あるとき一人のバラモンが先生を訪ねた。訪ねて先生と互いに挨拶した。挨拶して記憶すべき話を交わして一方に座った。一方に座ったそのバラモンは先生にこう言った。

 ゴータマさん、いかなる原因、いかなる縁によってここにある生ける者は身が壊れて死んだ後に苦処・悪趣・堕処・地獄に生じるのですか。
 バラモン、非法の行ない、不正の行ないを原因としてここにある生ける者は身が壊れて死んだ後に苦処・悪趣・堕処・地獄に生じる。
 ゴータマさん、いかなる原因、いかなる縁によってここにある生ける者は身が壊れて死んだ後に善趣・天界に生じるのですか。
 バラモン、法の行ない、正しい行ないを原因としてここにある生ける者は身が壊れて死んだ後に善趣・天界に生じる。

 ゴータマさん、素晴らしい。ゴータマさん、素晴らしい。
 ゴータマさん、たとえば倒れた者を起こすように、あるいは覆われたものを開くように、あるいは迷うものに道を教えるように、あるいは「目ある者は色を見るだろう」と暗闇で油の灯火を差し出すように、このようにゴータマさんは様々な方法によって法を明らかにしました。この私はゴータマさんとダンマと比丘サンガに帰依します。ゴータマさんは私を今日以後、命あるかぎり帰依する優婆塞とさせてください。



17.あるときジャーヌッソーニ・バラモンは先生を訪ねた。訪ねて先生と互いに挨拶した。挨拶して記憶すべき話を交わして一方に座った。一方に座ったジャーヌッソーニ・バラモンは先生にこう言った。

 ゴータマさん、いかなる原因、いかなる縁によってここにある者は身が壊れて死んだ後に苦処・悪趣・堕処・地獄に生じるのですか。
 バラモン、為すことと為さないことによってである。それゆえにここにある者は身が壊れて死んだ後に苦処・悪趣・堕処・地獄に生じる。
 ゴータマさん、いかなる原因、いかなる縁によってここにある者は身が壊れて死んだ後に善趣・天界に生じるのですか。
 バラモン、為すことと為さないことによってである。それゆえにここにある者は身が壊れて死んだ後に善趣・天界に生じる。

 私はこのゴータマさんが広く詳細な義を略して説いたことを私は広く詳細な義としては知りません。
 どうかゴータマさんは私にこのゴータマさんが広く詳細な義を略して説いたことが広く詳細な義として知ることができるように、この法を教示してください。
 バラモン、それならば聞いてよく考えなさい。
「はい」とジャーヌッソーニ・バラモンは先生に応えた。先生は言った。

 バラモン、ここにある者は身悪行を為し、身善行を為さない。
 語悪行を為し、語善行を為さない。
 意悪行を為し、意善行を為さない。
 バラモン、このように為すことと為さないことによって、ここにある者は身が壊れて死んだ後に苦処・悪趣・堕処・地獄に生じる。

 バラモン、またここにある者は身善行を為し、身悪行を為さない。
 語善行を為し、語悪行を為さない。
 意善行を為し、意悪行を為さない。
 バラモン、このように為すことと為さないことによって、ここにある者は身が壊れて死んだ後に善趣・天界に生じる。

 ゴータマさん、素晴らしい。
 ゴータマさん、素晴らしい。
 ゴータマさん、たとえば倒れた者を起こすように、あるは覆われたものを開くように、あるいは迷うものに道を教えるように、あるいは「目ある者は色を見るだろう」と暗闇で油の灯火を差し出すように、このようにゴータマさんは様々な方法によって法を明らかにしました。この私はゴータマさんとダンマと比丘サンガに帰依します。ゴータマさんは私を今日以後、命あるかぎり帰依する優婆塞とさせてください。



18.あるとき尊者アーナンダは先生を訪ねた。訪ねて先生に挨拶して一方に座った。一方に座って尊者アーナンダに先生はこう言った。

 アーナンダ、私は一方的に身悪行・語悪行・意悪行を為すべきではないと言う。
 先生、ここに先生が一方的に身悪行・語悪行・意悪行を為すべきではないと言うその為すべきでないことが為されるときはいかなる過患が期待されるべきですか。
 アーナンダ、ここに私が一方的に身悪行・語悪行・意悪行を為すべきではないと言うその為すべきでないことが為されるときはこの過患が期待されるべきである。
 自分も自分自身を責め、識者も知って非難し、悪い汚名が揚がり、痴呆になって死の時を迎え、身が破れて死んだ後に苦処・悪趣・堕処・地獄に生じる。
 アーナンダ、ここに私が一方的に身悪行・語悪行・意悪行を為すべきではないと説くその為すべきでないことが為されるときはこの過患が期待されるべきである。

 アーナンダ、私は一方的に身善行・語善行・意善行を為すべきであると言う。
 先生、ここに先生が一方的に身善行・語善行・意善行を為すべきであると言うその為すべきことが為されるときはいかなる利点が期待されるべきですか。
 アーナンダ、ここに私が一方的に身善行・語善行・意善行を為すべきであると言うその為すべきことが為されるときはこの利点が期待されるべきである。
 自分も自分自身を責めず、識者も知って称賛し、善い名声が揚がり、痴呆にならずに死の時を迎え、身が破れて死んだ後に善趣・天界に生じる。
 アーナンダ、ここに私が一方的に身善行・語善行・意善行を為すべきであると言うその為すべきことが為されるときはこの利点が期待されるべきである。



19.比丘たちよ、悪を断て。
 比丘たちよ、悪を断つことはできる。
 比丘たちよ、もし悪を断つことができないならば私はこのようには言わない。
 「比丘たちよ、悪を断て」と。
 比丘たちよ、しかし悪を断つことはできるがゆえに私はこのように言う。
 「比丘たちよ、悪を断て」と。
 比丘たちよ、また悪を断つことによって不利益と苦に転じるならば私はこのようには言わない。
 「比丘たちよ、悪を断て」と。
 比丘たちよ、しかし悪を断つことによって利益と楽に転じるがゆえに私はこのように言う。
 「比丘たちよ、悪を断て」と。

 比丘たちよ、善を修せよ。
 比丘たちよ、善を修することはできる。
 比丘たちよ、もし善を修することができないならば私はこのようには言わない。
 「比丘たちよ、善を修せよ」と。
 比丘たちよ、しかし善を修することができるがゆえに私はこのように言う。
 「比丘たちよ、善を修せよ」と。
 比丘たちよ、また善を修することによって利益と苦に転じるならば私はこのようには言わない。
 「比丘たちよ、善を修せよ」と。
 比丘たちよ、しかし善を修することによって利益と楽に転じるがゆえに私はこのように言う。
 「比丘たちよ、善を修せよ」と。



20.比丘たちよ、これら二つの法は正法を失わせ消滅させることに転じる。何が二か。
 悪く置かれた文句と悪く解された義。
 比丘たちよ、これら二つの法は正法を失わせ消滅させることに転じる。

21.比丘たちよ、これら二つの法は正法を住させ失わせず消滅させないことに転じる。
 善く置かれた文句と善く解された義。
 比丘たちよ、これら二つの法は正法を住させ失わせず消滅させないことに転じる。

                  第二 争論品





     第三 愚者品

22.比丘たちよ、これらの二人は愚か者である。何が二か。
 過失を過失と見ない者と、過失を懺悔する者を法の通りに受け入れない者。
 比丘たちよ、これらの二人は愚か者である。
 比丘たちよ、これらの二人は賢者である。何が二か。 
 過失を過失と見る者と、過失を懺悔する者を法の通りに受け入れる者。
 比丘たちよ、これらの二人は賢者である。

23.比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷する。何が二か。
 怒りがある悪人、あるいは悪見を信じる人。
 比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷する。

24.比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷する。何が二か。
 如来が説かず話さなかったことを如来は説き話したと説明する者と、如来が説き話したことを如来は説かず話さなかったと説明する者。
 比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷する。
 比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷しない。
 如来が説かず話さなかったことを如来は説かず話さなかったと説明する者と、如来が説き話したことを如来は説き話したと説明する者。
 比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷しない。

25.比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷する。何が二か。
 義に導かれるべき教えを義に導く教えとして説明する者と、義に導く教えを義に導かれるべき教えとして説明する者。
 比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷する。

26.比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷しない。
 義に導かれるべき教えを義に導かれるべき教えとして説明する者と、義に導く教えを義に導く教えとして説明する者。
 比丘たちよ、これらの二人は如来を誹謗中傷しない。

 註 義に導かれるべき教え:未了義経 涅槃に導くのに十分でない教え
     neyyatthaṃ suttanta 導かれるべきneyya義atthaの教えsuttanta
   義に導く教え    :了義経  涅槃に導くのに十分な教え
     nītatthaṃ suttanta  導いたnīta義の教えsuttanta

 
27.比丘たちよ、隠蔽する業のある者は二つの行き先[趣]のいずれか一つの行き先が期待される。地獄か畜生胎である。
 隠蔽する業のない者は二つの行き先のいずれか一つの行き先が期待される。神か人である。

 註 隠覆業:隠れて悪事をすること


28.比丘たちよ、邪見の者は二つの行き先のいずれか一つの行き先が期待される。地獄か畜生胎である。

29.比丘たちよ、正見の者は二つの行き先のいずれか一つの行き先が期待される。神か人である。

30.比丘たちよ、破戒の者は二つを受ける。地獄か畜生胎である。
 比丘たちよ、具戒の者は二つを受ける。神か人である。

31.比丘たちよ、私は二つの利益を認めて林・深山・僻地を座臥処として受用する。何が二か。
 現世において安楽に住すること[現法楽住]と後の人々を憐れむ想いという利益とである。
 比丘たちよ、私はこれら二つの利益を認めて林・深山・僻地を座臥所として受用する。

32.比丘たちよ、これら二つの法は明知の領域である。何が二か。
 サマタとヴィパッサナー。

 比丘たちよ、サマタを修習して何の義があるか。
 心が修習される。
 心を修習して何の義があるか。
 貪なるもの、それが断たれる。

 比丘たちよ、ヴィパッサナーを修習して何の義があるか。
 智慧が修習される。
 智慧を修習して何の義があるか。
 無明なるもの、それが断たれる。

 比丘たちよ、貪に汚されている心は解脱せず、無明に汚されている智慧は修習されていない。
 比丘たちよ、このようにして貪を離貪するならば心解脱し、無明を離貪するならば慧解脱する。

                    第三 愚者品


     第四 寂静心品

33.比丘たちよ、悪人の性質[不善人地]と善人の性質[善人地]を説こう。それを聞いてよく考えなさい。説こう。
 「はい、先生」とその比丘たちは先生に応えた。先生はこう言った。

 比丘たちよ、何が悪人の性質か。
 比丘たちよ、悪人は恩を知らず恩に感じない。
 比丘たちよ、実にこの善くないことが知られる。即ち、恩を知らず恩に感じないことが。
 比丘たちよ、これは全面的に悪人の性質である。即ち、それは恩を知らず恩に感じないことである。
 比丘たちよ、しかし善人は恩を知り恩に感じる。
 比丘たちよ、実にこの善いことが知られる。即ち、恩を知り恩に感じることが。
 比丘たちよ、これは全面的に善人の性質である。即ち、それは恩を知り恩に感じることである。



34.比丘たちよ、私は二人には善く報いることはできないと言う。どのような二人か。
 母と父である。
 比丘たちよ、一つの肩で母を担い、一つの肩で父を似ない、百歳の寿命があり、百歳を生き、また彼は彼らに塗身し按摩し入浴させ頭を洗う。また彼らはそこにおいて大便小便をする。
 比丘たちよ、それでも母と父に為したのではないし、報いたのでもない。
 比丘たちよ、母と父を多くの宝と七宝あるこの大地の自在者・支配者である王位に就かせても、比丘たちよ、それでも母と父に為したのではないし、報いたのでもない。それはなぜか。
 比丘たちよ、母と父は子のために多くを為す者であり、養う者であり、育てる者であり、この世を見ることができるようにするからである。
 比丘たちよ、しかし母と父の不信においては信を得させ取らせ入らせ住させ、破戒においては戒を得させ取らせ入らせ住させ、吝嗇においては施を得させ取らせ入らせ住させ、劣慧においては智慧を得させ取らせ入らせ住させるならば、比丘たちよ、ここに来てはじめて母と父に為したことになり、報いたことになるのである。



35.あるとき一人のバラモンが先生を訪ねた。訪ねて先生と互いに挨拶した。挨拶して記憶すべき会話を交わして一方に座った。一方に座ったそのバラモンは先生にこう言った。

 ゴータマさんは何を説き、何を告げるのか。
 バラモン、私は為すべきことと為すべきでないことを説く。
 それならばゴータマさんの説く為すべきことと為すべきでないこととはどのようなものか。
 バラモン、私は身悪行・語悪行・意悪行を為すべきでないと説き、様々な悪不善法を為すべきでないと説く。
 バラモン、また私は身善行・語善行・意善行を為すべきであると説き、様々な善法を為すべきであると説く。
 バラモン、このように私は為すべきことと為すべきでないことを説く。

 ゴータマさん、素晴らしい。ゴータマさん、素晴らしい。
 ゴータマさん、たとえば倒れた者を起こすように、あるいは覆われたものを開くように、あるいは迷うものに道を教えるように、あるいは「目ある者は色を見るだろう」と暗闇で油の灯火を差し出すように、このようにゴータマさんは様々な方法によって法を明らかにしました。この私はゴータマさんとダンマと比丘サンガに帰依します。ゴータマさんは私を今日以後、命あるかぎり帰依する優婆塞とさせてください。



36.あるときアナータピンディカ居士は先生を訪ねた。訪ねて先生に挨拶して一方に座った。一方に座ってアナータピンディカ居士は先生にこう言った。

 先生、何が世間において供養されるべきものであり、どこに布施を施与するべきですか。
 居士よ、二つが世間において供養されるべきものである。有学と無学である。
 居士よ、これら二つが世間において供養されるべきものであり、ここに布施を施与すべきである。

 こう先生は言った。こう言って善きところに達した方である師はさらにこう言った。

   有学無学のこれらが 世間において
   招ぜられるべき者であり 供儀されるべき者である
   彼らは身において まっすぐな存在であり
   語においても 思いにおいてもそうである
   彼らは供儀されるべき田畑であり ここへの布施は偉大な果がある」



37.このように私は聞いた。
 あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林、アナータピンディカの園に住んでいた。またそのとき尊者サーリプッタはサーヴァッティの東の園、ミガーラマーター(ミガーラの母)の高殿に住していた。そこで尊者サーリプッタは比丘たちに「友ら比丘たちよ」と呼びかけた。その比丘たちは「友よ」と尊者サーリプッタに応えた。尊者サーリプッタはこう言った。

 友よ、内結がある人と外結がある人を説こう。それを聞いて、よく考えなさい。説こう。
「はい友よ」とその比丘たちは尊者サーリプッタに応えた。尊者サーリプッタはこう言った。

 友らよ、何が外結がある人か。
 友らよ、ここに比丘は戒を具え、パーティモッカ律儀に律儀されて住し、行と行境を具足し、些細な罪にも恐怖を見て、学足を取って学ぶ。
 彼は身が破れて死んだ後にいずれかの神の部類に生じる。彼は還って来る者としてそこで死んで、この状態に還って来る。
 友らよ、これが「外結がある人は還って来る者としてこの状態に還って来る」と言われる。

 友らよ、何が内結がある人か。
 友らよ、ここに比丘は戒を具え、パーティモッカ律儀に律儀されて住し、行と行境を具足し、些細な罪にも恐怖を見て、学足を取って学ぶ。
 彼はいずれかの寂静な心解脱を具足して住する。
 彼は身が破れて死んだ後にいずれかの神の部類に生じる。彼は不還者としてそこで死んで、この状態に還らない。
 友らよ、これが「内結がある人は不還者としてこの状態に還らない」と言われる。

 友らよ、さらにまた比丘は戒を具え、パーティモッカ律儀に律儀されて住し、行と行境を具足し、些細な罪にも恐怖を見て、学足を取って学ぶ。
 彼は欲[カーマ]を忌避し離貪し滅するために修行する。
 彼は身が破れて死んだ後にいずれかの神の部類に生じる。彼は不還者としてそこで死んで、この状態に還らない。
 友らよ、これが「内結がある人は不還者としてこの状態に還らない」と言われる。

 友らよ、さらにまた比丘は戒を具え、パーティモッカ律儀に律儀されて住し、行と行境を具足し、些細な罪にも恐怖を見て、学足を取って学ぶ。
 彼は有[バヴァ]を忌避し離貪し滅するために修行する。
 彼は身が破れて死んだ後にいずれかの神の部類に生じる。彼は不還者としてそこで死んで、この状態に還らない。
 友らよ、これが「内結がある人は不還者としてこの状態に還らない」と言われる。

 友らよ、さらにまた比丘は戒を具え、パーティモッカ律儀に律儀されて住し、行と行境を具足し、些細な罪にも恐怖を見て、学足を取って学ぶ。
 彼は渇愛[タンハー]を尽くすために修行する。
 彼は身が破れて死んだ後にいずれかの神の部類に生じる。彼は不還者としてそこで死んで、この状態に還らない。
 友らよ、これが「内結がある人は不還者としてこの状態に還らない」と言われる。

 友らよ、さらにまた比丘は戒を具え、パーティモッカ律儀に律儀されて住し、行と行境を具足し、些細な罪にも恐怖を見て、学足を取って学ぶ。
 彼は貪り[ラーガ]を尽くすために修行する。
 彼は身が破れて死んだ後にいずれかの神の部類に生じる。彼は不還者としてそこで死んで、この状態に還らない。
 友らよ、これが「内結がある人は不還者としてこの状態に還らない」と言われる。

 そのとき多くの寂静心である神々は先生を訪ねた。訪ねて先生に挨拶して一方に立った。一方に立ってその神々は先生にこう言った。

 先生、あの尊者サーリプッタは東の園、ミガーラマーターの高殿で比丘たちに内結がある人と外結がある人を説いています。
 先生、衆会は大いに喜んでいます。
 先生、どうか先生は尊者サーリプッタを訪ねて哀愍してくだされば幸いです。

 先生は沈黙して同意した。そこで先生はたとえば力ある人が伸ばした腕を曲げるように、あるいは曲げた腕を伸ばすように、そのようにジェータ林に没して東の園、ミガーラマーターの高殿の尊者サーリプッタの目の前に現れた。先生は設けられた席に座った。尊者サーリプッタも先生に挨拶して一方に座った。一方に座って尊者サーリプッタに先生はこう言った。

 サーリプッタ、ここに多くの寂静心である神々が私を訪ねた。訪ねて私に挨拶して一方に立った。
 サーリプッタ、一方に立ってその神々は私にこう言った。

 「先生、あの尊者サーリプッタは東の園、ミガーラマーターの高殿で比丘たちに内結がある人と外結がある人を説いています。
  先生、衆会は大いに喜んでいます。
  先生、どうか先生は尊者サーリプッタに詣り哀愍を取ってくだされば幸いです」。

 サーリプッタ、その神々は十であっても、二十であっても、三十であっても、四十であっても、五十であっても、六十であっても、キリの先の点で突くだけに立っても、しかも互いに悩害しない。
 サーリプッタ、あなたはこう思うかもしれない。
「その神々はそのように心を修習していないのではないか。その神々が十であっても、二十であっても、三十であっても、四十であっても、五十であっても、六十であっても、キリの先の点で突くだけに立っても、しかも互いに悩害しないように」と。
 サーリプッタ、しかしこれをこのように見るべきではない。
 サーリプッタ、ここにその神々はそのように心を修習したのだ。その神々が十であっても、二十であっても、三十であっても、四十であっても、五十であっても、六十であっても、キリの先の点で突くだけに立っても、しかも互いに悩害しないように。

 サーリプッタ、それゆえこのように学ぶべきである。
 「私たちは根を寂静にし意を寂静にしよう」と。
 サーリプッタ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。
 サーリプッタ、あなたたちが根を寂静にし意を寂静にすれば、身業は寂静となり語業は寂静となり意業は寂静となるだろう。
 「私たちは寂静という贈り物を同梵行者たちに贈ろう」と。
 サーリプッタ、あなたたちは実にこのように学ぶべきである。
 サーリプッタ、聞くことのない他(の教え)に住する者たち・遍歴者たちはこの法門を聞いたことがない。

 註 原文は「内結」と「外結」の単語配置が逆になっています。
   しかし、それだと意味が取れないので入れ替えました。 」


   
(『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P84−100  に相当)



   続く

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