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原始仏典コミュの因縁相応 「縁起」17 患観

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(続き 『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P124−134 に相当)





「   第二 取

52.サーヴァッティに住んでいた。
 
 比丘たちよ、執着の対象[取法]において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、たとえば十の薪(たきぎ)や二十の薪や三十の薪や四十の薪で大きな火のまとまりを燃やすとする。
 そこに人が時に応じて乾いた草を投げ入れたり、乾いた牛の糞を投げ入れたり、乾いた薪を投げ入れたりする。
 比丘たちよ、こうするとその大きな火のまとまりはそれを食とし、それを取って、久しく長い間燃え続ける。

 比丘たちよ、このように執着の対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。


 比丘たちよ、執着の対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 比丘たちよ、たとえば十の薪や二十の薪や三十の薪や四十の薪で大きな火のまとまりを燃やすとする。
 そこに人が時に応じて乾いた草も投げ入れず、乾いた牛の糞も投げ入れず、乾いた薪も投げ入れない。
 比丘たちよ、こうするとその大きな火のまとまりは以前に取っていたものが尽きて、他の食も食さないので消えることになる。

 比丘たちよ、このように執着の対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。


 註 執着の対象 upādāniyesu dhammesu 取法
   味わい アッサーダ assāda 「舌と味」の「味」はラサ rasa であり別語
   患い  アーディーナヴァ ādīnava 過患、危難
   消える   ニッバーイェッヤ nibbāyeyya 涅槃と同語と思う



   第三 結[一]

53.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 
 比丘たちよ、束縛される対象[結法]において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、たとえば油の縁と灯心の縁によってランプは燃える。
 そこに人が時に応じて油を注ぎ、灯心を置く。
 比丘たちよ、こうするとそのランプはそれを食とし、それを取って、久しく長い間燃え続ける。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 比丘たちよ、たとえば油の縁と灯心の縁によってランプは燃える。
 そこに人が時に応じて油も注がず、灯心も置かない。
 比丘たちよ、こうするとそのランプは以前に取っていたものが尽きて、他の食も食さないので消えることになる。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。


 註 束縛される対象 saṃyojaniyesu dhammesu 結法



   第四 結[二]

54.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 
 比丘たちよ、たとえば油を縁とし、灯心を縁とすることによってランプは燃える。
 そこに人が時に応じて油を注ぎ、灯心を置く。
 比丘たちよ、こうするとそのランプはそれを食とし、それを取って、久しく長い間燃え続ける。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。


 比丘たちよ、たとえば油を縁とし、灯心を縁とすることによってランプは燃える。
 そこに人が時に応じて油も注がず、灯心も置かない。
 比丘たちよ、こうするとそのランプは以前に取っていたものが尽きて、他の食も食さないので消えることになる。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。



   第五 大木[一]

55.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 
 比丘たちよ、束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、たとえば大木があるとする。
 その根は下にも伸び、横にも伸び、一切の栄養を上に運ぶ。
 比丘たちよ、このようにして大木はそれを食とし、それを取って、久しく長い間住する。
 
 比丘たちよ、このように束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。


 比丘たちよ、束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 比丘たちよ、たとえば大木があるとする。
 そこに人が鍬(くわ)と籠(かご)を取って来る。
 彼はその木の根を切断し、根を切断して掘り出し、掘り出して根をほんのナーリ量の細根であっても抜き上げる。
 彼はその木を等分に切断し、等分に切断して割り、割って粉々にし、粉々にして風と熱で乾かす。
 風と熱で乾かして火で焼き、火で焼いて灰にし、灰にして大きな風にまいたり、川の早い流れに運ばせたりする。
 比丘たちよ、このようにするとその大木は根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。



   第六 大木[二]

56.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 
 比丘たちよ、たとえば大木があるとする。
 その根は下にも伸び、横にも伸び、一切の栄養を上に運ぶ。
 比丘たちよ、このようにして大木はそれを食とし、それを取って、久しく長い間住する。
 
 比丘たちよ、このように束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。


 比丘たちよ、たとえば大木があるとする。
 そこに人が鍬と籠を取って来る。
 彼はその木の根を切断し、根を切断して掘り出し、掘り出して根をほんのナーリ量の細根であっても抜き上げる。
 彼はその木を等分に切断し、等分に切断して割り、割って粉々にし、粉々にして風と熱で乾かす。
 風と熱で乾かして火で焼き、火で焼いて灰にし、灰にして大きな風にまいたり、川の早い流れに運ばせたりする。
 比丘たちよ、このようにするとその大木は根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。



   第七 幼樹

57.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・

 比丘たちよ、束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、たとえば幼樹があるとする。
 それに人が時に応じて根を手入れし、時に応じて肥料を与え、時に応じて水を与える。
 比丘たちよ、このようにして幼樹はそれを食とし、それを取って、増大し、成長し、広大になることに達する。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において味わいを見て住するならば渇愛は増大する。
 渇愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。


 比丘たちよ、束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 比丘たちよ、たとえば幼樹があるとする。
 そこに人が鍬と籠を取って来る。
 彼はその木の根を切断し、根を切断して掘り出し、掘り出して根をほんのナーリ量の細根であっても抜き上げる。
 彼はその木を等分に切断し、等分に切断して割り、割って粉々にし、粉々にして風と熱で乾かす。
 風と熱で乾かして火で焼き、火で焼いて灰にし、灰にして大きな風にまいたり、川の早い流れに運ばせたりする。
 比丘たちよ、このようにするとその幼樹は根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において患いを見て住するならば渇愛は滅する。
 渇愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。



   第八 名色

58.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・

 比丘たちよ、束縛される対象において味わいを見て住するならば名色に落ち込むことがある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として渇愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、たとえば大木があるとする。
 その根は下にも伸び、横にも伸び、一切の栄養を上に運ぶ。
 比丘たちよ、このようにして大木はそれを食とし、それを取って、久しく長い間住する。
 
 比丘たちよ、このように束縛される対象において味わいを見て住するならば名色に落ち込むことがある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として渇愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。


 比丘たちよ、束縛される対象において患いを見て住するならば名色に落ち込むことがない。
 名色が滅して六処が滅する。
 六処が滅して触が滅する。
 触が滅して受が滅する。
 受が滅して愛が滅する。
 愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 比丘たちよ、たとえば大木があるとする。
 そこに人が鍬と籠を取って来る。
 彼はその木の根を切断し、根を切断して掘り出し、掘り出して根をほんのナーリ量の細根であっても抜き上げる。
 彼はその木を等分に切断し、等分に切断して割り、割って粉々にし、粉々にして風と熱で乾かす。
 風と熱で乾かして火で焼き、火で焼いて灰にし、灰にして大きな風にまいたり、川の早い流れに運ばせる。
 比丘たちよ、このようにするとその大木は根を切断されたターラのようになり、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。

 比丘たちよ、このように束縛される対象において患いを見て住するならば名色に落ち込むがない。
 名色が滅して六処が滅する。
 六処が滅して触が滅する。
 触が滅して受が滅する。
 受が滅して愛が滅する。
 愛が滅して取が滅する。
 取が滅して有が滅する。
 有が滅して生が滅する。
 生が滅して老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。


 註 落ち込む アヴァッカンティ avakkanti 下生、顕現
       オッカマティ okkamati 入る と同じ意




(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P124−134 に相当)



   続く

コメント(6)

そのように考えることは無名さんにとって不利益なことです。

無名さんは死後の世界を信じていますか。
このコミュニティでは死後の世界への信の有無に関わらず書き込むことは許されていますから、その点に関しては問題ありません。しかし、僕にはあらゆるコメントへの返事の義務がないこともまた留意して欲しいと思っています。

ゴータマは外道を悪い田んぼとし、四衆である信者と出家者たちを善き田んぼとみなします。ゆえに外道には多く説法せず、四衆には多く説法します。特に出家者たちを最良の田んぼとみなし、最も多く法句という種を蒔きます。

無名さんは原始仏教以前に求道者・修行者としての最低限の正見も成就していません。死後の世界を信じないままに原始仏教を学ぶ人よりもまだ、死後の世界を信じて素朴にイエスやマリアに祈っている人たちの方が可愛いものです。

素質がなく可能性が少ない人のために多くの時間を割くということは僕にとって煩わしいことです。しかし、いかなる信・いかなる見解を持とうとそれは無名さんの自由であり、僕は強要はしません。

僕が言えることは無名さんは原始仏教を学ぶ以前に、現実に死後の世界があるかどうか検討する作業に当たられた方がいいということです。死後の世界がないなら、原始仏教の知識と修行は全て無意味・無意義なものだからです。死後の世界を信じずに原始仏教を学ぶ人たちの多くは、生計のために自分で信じてもいないことを口にしているか、あるいは単に知識をひけらかす認められたがり屋に過ぎないことが多いのです。

「死後の世界を信じていないのに原始仏教を学んでいるということ」、それは自己矛盾であり、恥ずべきことであると思います。原始仏教に死後の世界は必要ないと主張する人がいるならば、その人は時間の流れ方に関する知識も想像力もない人であり、彼が原始仏教を学ぶ動機は別にあり、その動機は不純であるということは道理のあることです。

十冊程度の霊界通信の書籍が無料で読めるサイトを紹介しておきますから、余力があればお読みになられるとよいと思います(究極においては原始仏教との見解と異なりますが、霊界の情報に関しては信頼できるものです)。また日常においても身近な人に「霊的な体験があるかどうか」質問してまわられることを推奨します。その信用度に応じて死後の世界が実際にあるかどうか真剣に検討してください。



 ・スピリチュアリズム・ブックス
  http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/index.htm
無名さんのやり方と考え方で構いませんので、マイペースに学びながら納得の行く道を取っていただければと思います。

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