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原始仏典コミュの因縁相応 「縁起」15 聖なる弟子

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(続き 『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P115−118 に相当)





「   第九 聖なる弟子[一]

49.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子がこのように思うことはない。
「何があるとき何があるのか。 
 何が生じて何が生じるのか。
 何があるとき名色があるのか。
 何があるとき六処があるのか。
 何があるとき接触があるのか。
 何があるとき感受があるのか。
 何があるとき渇愛があるのか。
 何があるとき執着があるのか。
 何があるとき存在があるのか。
 何があるとき生まれることがあるのか。
 何があるとき老いて死ぬことがあるのか」。

 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子は他者を縁とせずにここにこのような知がある。
「これがあるときこれがある。
 これが生じてこれが生じる。
 識があるとき名色がある。
 名色があるとき六処がある。
 六処があるとき接触がある。
 接触があるとき感受がある。
 感受があるとき渇愛がある。
 渇愛があるとき執着がある。
 執着があるとき存在がある。
 存在があるとき生まれることがある。
 生まれることがあるとき老いて死ぬことがある」。
 彼はこのように知る。
「このようにしてこの世界は生起する」と。

 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子がこのように思うことはない。
「何がないときに何がないのか。
 何が滅して何が滅するのか。
 何がないとき名色がないのか。
 何がないとき六処がないのか。
 何がないとき接触がないのか。
 何がないとき渇愛がないのか。
 何がないとき執着がないのか。
 何がないとき存在がないのか。
 何がないとき生まれることがないのか。
 何がないとき老いて死ぬことがないのか」。

 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子は他者を縁とせずにここにこのような知がある。
「これがないときこれがない。
 これが滅してこれが滅する。
 識がないとき名色がない。
 名色がないとき六処がない。
 六処がないとき接触がない。
 接触がないとき感受がない。
 感受がないとき渇愛がない。
 渇愛がないとき執着がない。
 執着がないとき存在がない。
 存在がないとき生まれることがない。
 生まれることがないとき老いて死ぬことがない」。
 彼はこのように知る。
「このようにしてこの世界は滅する」と。

 比丘たちよ、聖なる弟子はこのように世界の生起と消滅を事実の通りに知る。
 比丘たちよ、この聖なる弟子はこう言われる。
 「見解を具足した」とも、
 「見ることを具足した」とも、
 「この正法に達した」とも、
 「この正法を見た」とも、
 「有学の知を成就した」とも、
 「有学の明を成就した」とも、
 「法の流れを具足した」とも、
 「聖なる解明する智慧がある」とも、
 「不死の扉を打って立つ」と。



   第十 聖なる弟子[二]

50.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子がこのように思うことはない。
「何があるとき何があるのか。 
 何が生じて何が生じるのか。
 何があるとき行があるのか。
 何があるとき識があるのか。
 何があるとき名色があるのか。
 何があるとき六処があるのか。
 何があるとき接触があるのか。
 何があるとき感受があるのか。
 何があるとき渇愛があるのか。
 何があるとき執着があるのか。
 何があるとき存在があるのか。
 何があるとき生まれることがあるのか。
 何があるとき老いて死ぬことがあるのか」。

 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子は他者を縁とせずにここにこのような知がある。
「これがあるときこれがある。
 これが生じてこれが生じる。
 無明があるとき行がある。
 行があるとき識がある。
 識があるとき名色がある。
 名色があるとき六処がある。
 六処があるとき接触がある。
 接触があるとき感受がある。
 感受があるとき渇愛がある。
 渇愛があるとき執着がある。
 執着があるとき存在がある。
 存在があるとき生まれることがある。
 生まれることがあるとき老いて死ぬことがある」。
 彼はこのように知る。
「このようにしてこの世界は生起する」と。

 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子がこのように思うことはない。
「何がないとき何がないのか。
 何が滅して何が滅するのか。
 何がないとき行がないのか。
 何がないとき識がないのか。
 何がないとき名色がないのか。
 何がないとき六処がないのか。
 何がないとき接触がないのか。
 何がないとき渇愛がないのか。
 何がないとき執着がないのか。
 何がないとき存在がないのか。
 何がないとき生まれることがないのか。
 何がないとき老いて死ぬことがないのか」。

 比丘たちよ、聞くことのある聖なる弟子は他者を縁とせずにここにこのような知がある。
「これがないときこれがない。
 これが滅してこれが滅する。
 無明がないとき行がない。
 行がないとき識がない。
 識がないとき名色がない。
 名色がないとき六処がない。
 六処がないとき接触がない。
 接触がないとき感受がない。
 感受がないとき渇愛がない。
 渇愛がないとき執着がない。
 執着がないとき存在がない。
 存在がないとき生まれることがない。
 生まれることがないとき老いて死ぬことがない」。
 彼はこのように知る。
「このようにしてこの世界は滅する」と。

 比丘たちよ、聖なる弟子はこのように世界の生起と消滅を事実の通りに知る。
 比丘たちよ、この聖なる弟子はこう言われる。
 「見解を具足した」とも、
 「見ることを具足した」とも、
 「この正法に達した」とも、
 「この正法を見た」とも、
 「有学の知を成就した」とも、
 「有学の明を成就した」とも、
 「法の流れを具足した」とも、
 「聖なる解明する智慧がある」とも、
 「不死の扉を打って立つ」と。

                   第五 居士品

   その頌
    二つの五怨怖と言われ、苦と世界とニャーティカ
    ある者とジャーヌッソーニ、世間論者との八
    二つの聖なる弟子と言われ、これをもって品と言われる。」





(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P115−118 に相当)



   続く

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