ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏典コミュの因縁相応 「縁起」8

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
(続き 『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P67−81 に相当)






「     第五 カラーラ・カッティヤ品


   第一 存在

31.あるとき先生はサーヴァッティに住んでいた。ときに先生は尊者サーリプッタに呼びかけた。

 サーリプッタ、パーラーヤナのアジタの質問においてこう言われている。

  法を極めた者と 有学と凡夫
  ここにそれらの在り方を
  問われて語れ わが友よ

 サーリプッタ、この省略して説かれた義はどのように広説され見られるべきか。
 このように言われたが、尊者サーリプッタは沈黙していた。

 二たび先生は尊者サーリプッタに呼びかけた。 
 サーリプッタ、パーラーヤナのアジタの質問においてこう言われている。
  法を極めた者と 有学と凡夫
  ここにそれらの在り方を
  問われて語れ わが友よ
 サーリプッタ、この省略して説かれた義はどのように広説され見られるべきか。
 このように言われたが、尊者サーリプッタは二度目も沈黙していた。

 三たび先生は尊者サーリプッタに呼びかけた。
 サーリプッタ、パーラーヤナのアジタの質問においてこう言われている。
  法を極めた者と 有学と凡夫
  ここにそれらの在り方を
  問われて語れ わが友よ
 サーリプッタ、この省略して説かれた義はどのように広説され見られるべきか。
 このように言われたが、尊者サーリプッタは三度目も沈黙していた。

 サーリプッタ、これは存在するものであると見るか。
 先生、これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見ます。
 これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、存在するものの厭患のため、離貪のため、滅のために修行します。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見ます。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、食によって存在するものの厭患のため、離貪のため、滅のために修行します。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見ます。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見て、滅する法の厭患のため、離貪のため、滅のために修行します。
 先生、これが学ぶ者[有学]です。

 先生、どのようなものが法を極めたものでしょうか。
 先生、これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見ます。
 これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、存在するものを厭患し、離貪し、滅し、取らず、解脱します。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見ます。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、食によって存在するものを厭患し、離貪し、滅し、取らず、解脱します。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見ます。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見て、滅する法を厭患し、離貪し、滅し、取らず、解脱します。
 先生、これが法を極めた者です。

 先生、これがパーラーヤナのアジタの質問において言われていることです。
  法を極めた者と 有学と凡夫
  ここにそれらの在り方を
  問われて語れ わが友よ
 先生、私はこの省略して説かれた義をこのように広説して知ります。

 そうだ、そうだ、サーリプッタ。
 これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見る。
 これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、存在するものの厭患のため、離貪のため、滅のために修行する。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見る。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、食によって存在するものの厭患のため、離貪のため、滅のために修行する。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見る。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見て、滅する法の厭患のため、離貪のため、滅のために修行する。
 サーリプッタ、これが学ぶ者である。

 サーリプッタ、どのようなものが法を極めたものなのか。
 サーリプッタ、これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見る。
 これは存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、存在するものを厭患し、離貪し、滅し、取らず、解脱する。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見る。
 それは食によって存在するものであると事実の通りに正しい智慧によって見て、食によって存在するものを厭患し、離貪し、滅し、取らず、解脱する。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見る。
 食が滅すればその存在は滅する法であると事実の通りに正しい智慧によって見て、滅する法を厭患し、離貪し、滅し、取らず、解脱する。
 サーリプッタ、これが法を極めた者である。

 サーリプッタ、これがパーラーヤナのアジタの質問において言われていることである。
  法を極めた者と 有学と凡夫
  ここにそれらの在り方を
  問われて語れ わが友よ
 サーリプッタ、この省略して説かれた義はこのように広説され見られるべきである。



   第二 カラーラ

32.サーヴァッティに住んでいた。
 ときにカラーラ・カッティヤ比丘[カッティヤ〔クシャトリヤ〕階級のカラーラ]は尊者サーリプッタを訪ねた。訪ねて尊者サーリプッタと互いに挨拶した。挨拶して記憶すべき会話を交わして一方に座った。一方に座ってカラーラ・カッティヤ比丘は尊者サーリプッタにこう言った。

 友サーリプッタ、モーリヤ・パッグナ比丘は学を実際に捨てて劣ったところに転じました(還俗の意)。
 あの尊者はこの法・律において安息を得なかったのでしょう。
 尊者サーリプッタはこの法・律において安息を得ていますか。
 友よ、私に疑いはない。
 では友よ、将来的にはどうですか。
 友よ、私に疑うということはない。

 そこでカラーラ・カッティヤ比丘は席を立って先生を訪ねた。訪ねて先生に敬礼して一方に座った。一方に座ったカラーラ・カッティヤ比丘は先生にこう言った。

 先生、尊者サーリプッタは悟りを記説しました。
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはないと。

 そこで先生は一人の比丘に呼びかけた。
 比丘よ、来なさい。あなたは私の言葉によってサーリプッタを呼びなさい。友サーリプッタ、師があなたを呼んでいると。
「はい、先生」とその比丘は先生に答えて尊者サーリプッタを訪ねた。訪ねて尊者サーリプッタにこう言った。
 友サーリプッタ、師があなたを呼んでいる。
「わかった、友よ」と尊者サーリプッタはその比丘に答えて先生を訪ねた。訪ねて先生に敬礼して一方に座った。一方に座った尊者サーリプッタに先生はこう言った。
 
 サーリプッタ、あなたが悟りを記説したというのは真実なのか。
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはないと。
 先生、このような文句、このような文による義を言ったのではありません。
 サーリプッタ、どのような方法によって良家の子は悟りを記説するべきか。
 また記説は記説としてどのように見られるべきか。
 先生、私はこのようには言ったではありませんか。
「先生、このような文句、このような文による義を言ったのではありません」と。

 サーリプッタ、あなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、どのように知り、どのように見て、悟りを記説するのか。
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはないと。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説(解答)するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、どのように知り、どのように見て、悟りを記説するのか。
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはないと。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、生まれることには原因がある。
 その原因が尽きることによって尽きたことを『尽きた』と知る。
『尽きた』と知るがゆえに
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはない
 と私は知る」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。

 サーリプッタ、またあなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、では生まれることは何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、では生まれることは何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、生まれることは有を原因とし、有を生起とし、有から生じ、有から現れる」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。

 サーリプッタ、またあなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、では有は何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、では有は何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、生まれることは取を原因とし、取を生起とし、取から生じ、取から現れる」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。

 サーリプッタ、またあなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、では愛は何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、では愛は何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、生まれることは愛を原因とし、愛を生起とし、愛から生じ、愛から現れる」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。

 サーリプッタ、またあなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、では受は何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、では受は何を原因とし、何を生起とし、何から生じ、何から現れるのか」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、生まれることは受を原因とし、受を生起とし、受から生じ、受から現れる」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。

 サーリプッタ、またあなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、ではどのように知り、どのように見れば、感受への喜びに従事することがなくなるのか」と。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、ではどのように知り、どのように見れば、感受への喜びに従事することがなくなるのか」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、これら三つの感受がある。何が三か。
 楽の感受・苦の感受・不苦不楽の感受。
 友よ、これら三つの感受は無常である。
 無常であるそれらは苦であると知るがゆえに、感受への喜びに従事することがなくなる」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
 
 そうなのだ、そうなのだ、サーリプッタ。
 サーリプッタ、この法門の義をこのように省略して記説することもできる。
「いかなる感受であっても、それは苦である」と。

 サーリプッタ、またあなたがこのように質問されるとする。
「友サーリプッタ、ではどのように解脱してこのように悟りを記説するのか。
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはないと。
 サーリプッタ、あなたはこのように問われてどのように記説するのか。

 先生、私がこのように質問されるとします。
「友サーリプッタ、ではどのように解脱してこのように悟りを記説するのか。
  生は尽きた。梵行は完成した。
  為すべきことは為した。
  さらにこのようになることはないと。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。
「友よ、私は内に解脱し、一切の取が尽きたことをその通りに念じて住する。
 その通りに念じて住するがゆえに漏は流れず、また私は我を認めることもない」と。
 先生、私はこのように問われたならばこのように記説します。

 そうだ、そうだ、サーリプッタ。
 サーリプッタ、この法門の義をこのように省略して記説することもできる。
「沙門によって説かれた漏、
 それへの迷いは私になく、
 それが私において断たれたことを疑うこともない」と。
 先生はこう言った。こう言って善きところに達した方は席を立って部屋に入った。

 そこで尊者サーリプッタは先生が去って久しからずして比丘たちに呼びかけた。
 友らよ、以前に私が知っていないときに先生は最初の問を質問したが、私は遅れていた。
 友らよ、先生が最初の質問をして私のことを喜んだとき、友らよ、私はこう思った。
「もし先生が私に一日の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に一日の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に一夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に一夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に一日一夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に一日一夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に二日二夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に二日二夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に三日三夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に三日三夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に四日四夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に四日四夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に五日五夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に五日五夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に六日六夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に六日六夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に七日七夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に七日七夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう」と。

 そこでカラーラ・カッティヤ比丘は席を立って先生を訪ねた。訪ねて先生に敬礼して一方に座った。一方に座ってカラーラ・カッティヤ比丘は先生にこう言った。
 先生、尊者サーリプッタはライオンが吠えるように吠えて言います。
「友らよ、以前に私が知っていないときに先生は最初の問を質問したが、私は遅れていた。
 友らよ、先生が最初の質問をして私のことを喜んだとき、友らよ、私はこう思った。
 もし先生が私に一日の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に一日の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう。
 もし先生が私に一夜の間・・・
 もし先生が私に一日一夜の間・・・
 もし先生が私に二日二夜の間・・・
 もし先生が私に三日三夜の間・・・
 もし先生が私に四日四夜の間・・・
 もし先生が私に五日五夜の間・・・
 もし先生が私に六日六夜の間・・・
 もし先生が私に七日七夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、私もまた先生に七日七夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説しよう」と。

 比丘よ、サーリプッタは法界に善く通達している。彼は法界に善く通達するがゆえに、
 もし私がサーリプッタに一日の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、サーリプッタもまた私に一日の間この義を様々な文句・様々な方法で記説するだろう。
 もし私がサーリプッタに一夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに一日一夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに二日二夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに三日三夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに四日四夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに五日五夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに六日六夜の間・・・
 もし私がサーリプッタに七日七夜の間この義を様々な文句・様々な方法で質問するならば、サーリプッタもまた私に七日七夜の間この義を様々な文句・様々な方法で記説するだろう。」(続く)



(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P67−81 に相当)



 註 学ぶ者 セーカ sekha 有学 セッカ sekkhaとも言う 預流者以上
   法を極めた者 サンカータダンマ saṅkhāta〔考量された〕dhamma 
   存在するもの ブータ bhūta
   食によって存在するもの アーハーラ・サンババンティ āhāra sambhavanti
   食が滅すればその存在も滅する法 
    āhāranirodhā〔食滅〕yaṃ bhūtaṃ〔存在〕taṃ nirodhadhammanti〔滅法〕
   事実の通りに ヤター〔通りに〕ブータ〔事実の〕 yathā bhūta
   正しい智慧  サンマッ〔正しい〕パンニャー〔智慧〕 sammappaññā
   見る     パッサティ passati
   法界 ダンマダートゥ dhamma dhātu 法の領域
   善く通達する スッパティヴィッダー su〔善〕ppaṭividdhā〔通達〕

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏典 更新情報

原始仏典のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。