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原始仏典コミュの因縁相応 「縁起」4

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(続き 『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P36−42 に相当)





「   第十 縁

20.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、あなたたちに縁によって生起すること[縁起]と縁によって生起する法[縁起法]を説こう。それを聞いてよく考えなさい。説こう。
「はい、先生」とその比丘たちは先生に応えた。先生はこう言った。

 比丘たちよ、何が縁によって生起することか。

 生を縁として老死がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、生を縁として老死がある」と。

 有を縁として生がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、有を縁として生がある」と。

 取を縁として有がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、取を縁として有がある」と。

 愛を縁として取がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、愛を縁として取がある」と。

 受を縁として愛がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、受を縁として愛がある」と。

 触を縁として受がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、触を縁として受がある」と。

 六処を縁として触がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、六処を縁として触がある」と。

 名色を縁として六処がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、名色を縁として六処がある」と。

 識を縁として名色がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、識を縁として名色がある」と。

 行を縁として識がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、行を縁として識がある」と。

 無明を縁として識がある。
 如来が出現しても如来が出現しなくても、その界は住し、法として住し、法として決定し、これを縁とすることがある。
 それを如来は正しく覚って確認する。
 正しく覚って確認して、教え、説き、設定し、確立し、明らかにし、解説し、明瞭なものにする。
 そして「見よ」と私は言う。「比丘たちよ、無明を縁として識がある」と。

 比丘たちよ、このようにそこにおいて事実であること、事実でないのではないこと、他の事実ではないこと、これを縁とするということ。
 比丘たちよ、これが縁によって生起することと言われる。
 
 比丘たちよ、何が縁によって生起する法か。
 比丘たちよ、老死は無常であり、有為(為されたもの、形成されたもの)であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、生は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、有は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、取は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、愛は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、受は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、触は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、六処は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、名色は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、識は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、行は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、無明は無常であり、有為であり、縁によって生起したものであり、尽きる法であり、壊れる法であり、離貪する法であり、滅する法である。
 比丘たちよ、これらが縁によって生起する法と言われる。


 比丘たちよ、聖なる弟子はこの縁によって生起することとこれらの縁によって生起する法を事実の通りに正しい智慧によって善く見る。

 あるいは過去に向かう者がいるだろう。
「私は過去に存在したのだろうか。
 過去に存在しなかったのだろうか。
 過去にどのように存在したのだろうか。
 過去に何が存在したのだろうか。
 過去に私に何が有り何が存在したのだろうか」と。

 あるいは未来に向かう者がいるだろう。
「私は未来に存在するのだろうか。
 未来に存在しないのだろうか。
 未来にどのように存在することになるのだろうか。
 未来に何が存在するのだろうか。
 未来に私に何が有り何が存在するのだろうか」と。

 あるいは現に生じている時である現在において内に疑惑がある者がいるだろう。
「私は存在するのだろうか。
 存在しないのだろうか。
 どのように存在しているのだろうか。
 何が存在するのだろうか。
 この生ける者はどこから来たのか。
 彼はどこへ行くのだろうか」と。

 しかし〔聖なる弟子には〕この処は知られない。それはなぜか。
 比丘たちよ、なぜなら聖なる弟子はこの縁によって生じることとこれらの縁によって生じる法を事実の通りに正しい智慧によって善く見ているからである。

                    第二 食品

   その頌
    食とパッグナ、二つの沙門バラモン
    カッチャーナ家と法説者、アチェーラとティンバルカ
    愚者と賢者と、第十に縁である。

  




     第三 十力品


   第一 十力[一]

21.サーヴァッティに住んでいた。
 比丘たちよ、如来は十の力[十力]を成就し、四つの怖れなきこと[四無畏]を成就し、牛王(最上位)であること知らせ、会衆においてライオンが吠えるように吠え[獅子吼]、梵輪[ブラフマ・チャッカ]を転じる。
 これが色である。これが色の生である。これが色の滅である。
 これが受である。これが受の生である。これが受の滅である。
 これが想である。これが想の生である。これが想の滅である。
 これが行である。これが行の生である。これが行の滅である。
 これが識である。これが識の生である。これが識の滅である。
 これがあるときこれがある。
 これが生じてこれが生じる。
 これがないときこれがない。
 これが滅してこれが滅する。

 即ち、無明を縁として行がある。
 行を縁として識がある。
 識を縁として名色がある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 しかし無明を残りなく離貪し滅することによって行が滅する。
 行の滅によって識が滅する。
 識の滅によって名色が滅する。 
 名色の滅によって六処が滅する。
 六処の滅によって触が滅する。
 触の滅によって受が滅する。
 受の滅によって愛が滅する。
 愛の滅によって取が滅する。
 取の滅によって有が滅する。
 有の滅によって生が滅する。
 生の滅によって老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。



   第二 十力[二]

22.サーヴァッティに住んでいた。
 比丘たちよ、如来は十の力を成就し、四つの怖れなきことを成就し、牛王であること知らせ、会衆においてライオンが吠えるように吠え、梵輪を転じる。
 これが色である。これが色の生である。これが色の滅である。
 これが受である。これが受の生である。これが受の滅である。
 これが想である。これが想の生である。これが想の滅である。
 これが行である。これが行の生である。これが行の滅である。
 これが識である。これが識の生である。これが識の滅である。
 これがあるときこれがある。
 これが生じてこれが生じる。
 これがないときこれがない。
 これが滅してこれが滅する。

 即ち、無明を縁として行がある。
 行を縁として識がある。
 識を縁として名色がある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 しかし無明を残りなく離貪し滅することによって行が滅する。
 行の滅によって識が滅する。
 識の滅によって名色が滅する。 
 名色の滅によって六処が滅する。
 六処の滅によって触が滅する。
 触の滅によって受が滅する。
 受の滅によって愛が滅する。
 愛の滅によって取が滅する。
 取の滅によって有が滅する。
 有の滅によって生が滅する。
 生の滅によって老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 比丘たちよ、このように私によって法は善く説かれ、明らかとなり、開かれ、輝き、封印は解かれた。
 比丘たちよ、このように私によって法は善く説かれ、明らかとなり、開かれ、輝き、封印は解かれ、それは信によって出家した良家の子が精進を起こすのに十分である。
「むしろ皮と腱と骨が残ることなく、身体の血肉が乾ききるとしても、人の力によって、人の精進によって、人の努力によって得るべきものを得るまでは、精進を止めないだろう」と。

 比丘たちよ、怠けるならば悪不善法が満ちるゆえに苦に住し、また大いなる善利は衰退する。
 比丘たちよ、精進を始めるならば悪不善法を遠離するがゆえに楽に住し、また大いなる善利は円満となる。
 比丘たちよ、劣ったものによって最高のものに達するということはない。
 比丘たちよ、最高のものによってのみ最高のものに達するのである。
 比丘たちよ、師の面前においてこの梵行は醍醐(最高の味)として飲まれるべきものである。
 比丘たちよ、それゆえに得ていないものを得るために、達していないことに達するために、実証していないことを実証するために、精進を起こしなさい。
「このようにこの私たちの出家は空しくなく、成果があり効果があるだろう。
 また私たちは衣服・飲食・座臥具・薬資具を受用することによってそれ(梵行)を為すがゆえに、それらは私たちにとって大果・大功徳となるだろう」と。
 比丘たちよ、このようにあなたたちは学びなさい。
 比丘たちよ、実に自己の利益をよく見るからこそ、不放逸となるのに十分となるのである。
 比丘たちよ、実に他者の利益をよく見るからこそ、不放逸となるのに十分となるのである。
 比丘たちよ、実に両者の利益をよく見るからこそ、不放逸となるのに十分となるのである。」(続く)




(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P36−42 に相当)




 註 その界は住する  ṭhitāva sā dhātu
   法として住する  dhamma ṭṭhitatā
   法として決定する dhamma niyāmatā
   これを縁とする  idappaccayatā  
   正しく覚る    abhisambujjhati
   確認する     abhisameti
   そこにおいて事実であること tatra tathatā
   事実でないのではないこと  avitathatā
   他の事実ではないこと    anaññathatā
   無常 アニッチャ anicca
   有為 サンカタ saṅkhata
   縁によって集起したもの paṭicca samuppanna
   尽きる法 カヤダンマ khaya dhamma
   壊れる法 ヴァヤダンマ vaya dhamma
   離貪する法 ヴィラーガダンマ virāga dhamma
   滅する法 ニローダダンマ nirodha dhamma
   十力  ダサ・バラ dasa bara ダサは十、バラは力
   四無畏 チャッターリ・ヴェーサーラッジャーニ cattāri vesārjjāni
   牛王  アーサダ・ターナ āsabha ṭhāna 最上位の意
   梵輪  ブラフマ・チャッカ brahmacakka
   獅子吼 シーハ〔ライオン〕・ナーダ〔吠える〕sīhanāda
   これがあるときこれがある。 Iti imasmiṃ sati idaṃ hoti,
   これが生じてこれが生じる。 imassuppādā idaṃ uppajjati.
   これがないときこれがない。 Imasmiṃ asati idaṃ na hoti,
   これが滅してこれが滅する。 imassa nirodhā idaṃ nirujjhati.

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