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原始仏典コミュの長部経典 第18経 ジャナヴァサバ経 重要部分訳

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修行方法に関するサナンクマーラの説法部分を抄出しました。




  1.三帰依 + 戒円満 → 六欲天
  2.四神足  神通広大・神通拡大・神通自在のために設定された修行法
  3.三つの楽に達する機縁   欲・粗三行・無知[貪瞋癡]
  4.四念処  善に達するために設定された修行法  内見外知 
  5.七定資  正定遍修習・正定円満のために設定された修行法
        「有依・有資助の聖正定」






 先生と呼びかけて話しているのは故マガダ王セーニヤ・ビンビサーラ。
 王としての死後、毘沙門天[ヴェッサヴァナ]の眷属として転生。
 神名は「ジャナヴァサバ」。眷属と言っても非人の王とされる。
 ビンビサーラは人とヴェッサヴァナ大王の眷属に転生することを七回繰り返した。
 この過去生の記憶も死後に生じたとされ「一来になることを希望」している。
 三十三天と梵天サナンクマーラの会話をジャナヴァサバが語る設定。





(『南伝大蔵経7 長部経典2』大蔵出版 P219−226 に相当)

長部経典>第18経 ジャナヴァサバ・スッタ


「285.・・・・・・
 先生、そこでブラフマー・サナンクマーラは三十三の自己の存在を化作し、三十三の神々のそれぞれの席に対して座って三十三の神々に呼びかけました。
 卿ら三十三の神々よ、これをどう思うか。かの先生は多くの人々の利益のため、多くの人々の楽のため、世を憐れむため、人々と神々の義利のため利益のため楽のために修行した。
 卿らよ、いかなる者であってもブッダに帰依し、ダンマに帰依し、サンガに帰依し、戒を円満なものと為すならば、彼は身が破れて死んだ後に、
 ある者は他化自在天[パラニンミタ・ヴァサヴァッティ]の神々の仲間に転生し、
 ある者は化楽天[ニンマーナラティ]の神々の仲間に転生し、
 ある者はトゥシタ天の神々の仲間に転生し、
 ある者はヤーマの神々の仲間に転生し、
 ある者は三十三の神々の仲間に転生し、
 ある者は四大王の神々の仲間に転生する。
 一切の身を満たすことができない劣った者であっても、彼らはガンダッバの身を満たすだろう。
286.先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説きました。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラが説き宣言したとき神々は思いました。
 「私の席の彼一人だけが説いているのだ」。

   一人が説くとき 一切の化作された者が説き
   一人が黙すとき 彼ら一切の者も黙する
   そこで神々は思った 三十三とその王は、
   実に私の席の  彼一人だけが語っているのだ

 先生、そこでブラフマー・サナンクマーラは一つに自己を集めた。一つに自己を集めて神々の王サッカの席に対して座って三十三の神々に呼びかけました。

287.卿ら三十三の神々よ、これをどう思うか。
 かの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によって善く設定されたこれら四つの神通足は、神通広大のため、神通拡大のため、神通自在のために設定されたのである。何が四か。
 卿らよ、ここに比丘は意欲三摩地精勤行成就の神通足を修習する。
 精進三摩地精勤行成就の神通足を修習する。
 心三摩地精勤行成就の神通足を修習する。
 観察三摩地精勤行成就の神通足を修習する。
 卿らよ、かの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によってこれら四つの神通足は、神通広大のため、神通拡大のため、神通自在のために設定されたのである。
 卿らよ、過去の沙門婆羅門で様々な神通の種類を実現させた彼ら一切は、この四つの神通足を修習し多く為したのである。
 卿らよ、未来の沙門婆羅門で様々な神通の種類を実現させる彼ら一切は、この四つの神通足を修習し多く為したのである。
 卿らよ、現在の沙門婆羅門で様々な神通の種類を実現させる彼ら一切は、この四つの神通足を修習し多く為したのである。
 卿ら三十三の神々よ、私にもこのような神通の威力を見ないか。
 マハーブラフマーよ、見ます。
 卿らよ、私もこの四つの神通足を修習し多く為したがゆえに、このような大神通がありこのような大威力がある。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説きました。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説いて三十三の神々に呼びかけました。

288.卿ら三十三の神々よ、これをどう思うか。
 かの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によってこれら三つの楽に達する機縁は覚られた。何が三か。
 卿らよ、ここにある者は欲に交わり悪法に交わって住する。
 彼は後の時になって聖なる法を聞き、根本に作意し、法のままに法を修行する。
 彼は聖なる法を聞くことによって根本に作意し、法のままに法を修行し、欲に交わらず悪法に交わらずに住する。
 彼は欲に交わらず悪法に交わらないことによって楽が生じ、さらに多くの楽と喜が生じる。
 卿らよ、たとえば喜び[パムダー]によって喜び[パーモッジャ]が生じるように。 
 卿らよ、このように欲に交わらず悪法に交わらないことによって楽が生じ、さらに多くの楽と喜が生じる。
 卿らよ、これがかの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によって覚られた第一の楽に達する機縁である。

 卿らよ、またここにある者は粗い身行が安静となっていず、粗い語行が安静となっていず、粗い心行が安静となっていない。
 彼は後の時になって聖なる法を聞き、根本に作意し、法のままに法を修行する。
 彼は聖なる法を聞くことによって根本に作意し、法のままに法を修行し、粗い身行を安静とし、粗い語行を安静とし、粗い心行を安静とする。
 彼は粗い身行を安静とし、粗い語行を安静とし、粗い心行を安静とすることによって楽が生じ、さらに多くの楽と喜が生じる。
 卿らよ、たとえば喜びによって喜びが生じるように。 
 卿らよ、このように彼は粗い身行を安静とし、粗い語行を安静とし、粗い心行を安静とすることによって楽が生じ、さらに多くの楽と喜が生じる。
 卿らよ、これがかの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によって覚られた第二の楽に達する機縁である。

 卿らよ、またここにある者は「これは善である」と事実の通りに知らず、
 「これは悪である」と事実の通りに知らず、
 「これは有罪である」と事実の通りに知らず、
 「これは無罪である」と事実の通りに知らず、
 「これは親しむべきである」と事実の通りに知らず、
 「これは親しむべきではない」」と事実の通りに知らず、
 「これは劣っている」と事実の通りに知らず、
 「これは優れている」と事実の通りに知らず、
 「これは黒である。白である。分けられる」と事実の通りに知らない。
 彼は後の時になって聖なる法を聞き、根本に作意し、法のままに法を修行する。
 彼は聖なる法を聞くことによって根本に作意し、法のままに法を修行し、
 「これは善である」と事実の通りに知り、
 「これは悪である」と事実の通りに知り、
 「これは有罪である」と事実の通りに知り、
 「これは無罪である」と事実の通りに知り、
 「これは親しむべきである」と事実の通りに知り、
 「これは親しむべきではない」」と事実の通りに知り、
 「これは劣っている」と事実の通りに知り、
 「これは優れている」と事実の通りに知り、
 「これは黒である。白である。分けられる」と事実の通りに知る。
 彼はこのように知りこのように見て、無明を断って明が生じる。
 彼は無明を離れて明を生じることによって楽が生じ、さらに多くの楽と喜が生じる。
 卿らよ、たとえば喜びによって喜びが生じるように。 
 卿らよ、このように彼は無明を離れて明を生じることによって楽が生じ、さらに多くの楽と喜が生じる。
 卿らよ、これがかの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によって覚られた第三の楽に達する機縁である。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説きました。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説いて三十三の神々に呼びかけました。

289.卿ら三十三の神々よ、これをどう思うか。
 かの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によってこれら四つの念処が善に達するために設定された。何が四か。
 卿らよ、ここに比丘は内の身において身を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪りと憂いを制御する。
 内の身において身を見て住することによってそこに正しく集中し[サマーディヤティ]正しく観察する[ヴィッパシーダティ]。
 彼はそこに正しく集中し、正しく観察することによって、外の他者の身における知見を得る。
 内の受において受を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪りと憂いを制御する。
 内の受において受を見て住することによってそこに正しく集中し正しく観察する。
 彼はそこに正しく集中し、正しく観察することによって、外の他者の受における知見を得る。
 内の心において心を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪りと憂いを制御する。
 内の心において心を見て住することによってそこに正しく集中し正しく観察する。
 彼はそこに正しく集中し、正しく観察することによって、外の他者の心における知見を得る。
 内の法において法を見て住し、熱心に自覚して念じ、世間における貪りと憂いを制御する。
 内の法において法を見て住することによってそこに正しく集中し正しく観察する。
 彼はそこに正しく集中し、正しく観察することによって、外の他者の法における知見を得る。
 卿らよ、かの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によってこれら四つの念処が善に達するために設定された。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説きました。
 先生、この義をブラフマー・サナンクマーラは説いて三十三の神々に呼びかけました。

290.卿ら三十三の神々よ、これをどう思うか。
 かの先生・知者・見者・阿羅漢・正覚者によってこれら七つのサマーディの資助が正しいサマーディ[正定]の遍修習のため、正定の円満のために善く設定された。何が七か。
 正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念。
 卿らよ、これら七支が心を一つに行かせることを資助する。
 卿らよ、これが「依るところも有り、資具も有る聖なる正しいサマーディ[聖正定]」と言われる。
 卿らよ、正見により正思が可能になり、
 正思により正語が可能になり、
 正語により正業が可能になり、
 正業により正命が可能になり、
 正命により正精進が可能になり、
 正精進により正念が可能になり、
 正念により正定が可能になり、
 正定により正智が可能になり、
 正智により正解脱が可能になる。
 卿らよ、正しく語る者が「先生によって善く説かれた法は、自ら見られ、時がいらず、来たれ見よであり、導くものであり、知者が各自で知るべきものである。不死の門は開かれたのだ」とこのように語るとすれば、その彼は正しく語っているのである。
 卿らよ、実に先生によって善く説かれた法は、自ら見られ、時がいらず、来たれ見よであり、導くものであり、知者が各自で知るべきものである。不死の門は開かれたのだ。」


(『南伝大蔵経7 長部経典2』大蔵出版 P219−226 に相当)

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