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原始仏典コミュの見相応  「成見の原因」5

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(続き  『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P357−361 に相当)







     第四 再四説品

   第一 風
276.あるとき先生はサーヴァッティのジェータ林に住んでいた。先生はこう言った。
 比丘たちよ、何が存在し何を取り何に住することによってこのような見解が生じるのか。
 「風は吹かず、川は流れず、妊娠して出産せず、太陽と月は出たり没することなく、石柱が立つように住する」と。
 先生、私たちは先生を法の根とし、先生を眼とし、先生に帰依しています。
 先生、そうです。先生がこの説の義を明らかにしてください。先生から聞いて比丘たちは受持するでしょう。
 比丘たちよ、それならば聞いて善く考えなさい。説こう。「はい、先生」とその比丘たちは先生に応えた。先生はこう言った。

 比丘たちよ、色が存在し、色を取り・・・
 比丘たちよ、受が存在し、受を取り・・・
 比丘たちよ、想が存在し、想を取り・・・
 比丘たちよ、行が存在し、行を取り・・・
 比丘たちよ、識が存在し、識を取り、識に住することによってこのような見解が生じる。
 「風は吹かず、川は流れず、妊娠して出産せず、太陽と月は出たり没することなく、石柱が立つように住する」と。

 ・・・色は永遠か永遠ではないか。
 ・・・受は永遠か永遠ではないか。
 ・・・想は永遠か永遠ではないか。
 ・・・行は永遠か永遠ではないか。
 ・・・識は永遠か永遠ではないか。
 ・・・所見・所聞・所思・所識・所得・所求・所意伺、これらは永遠か永遠ではないか。
 先生、永遠ではありません。
 では永遠でないものは苦か楽か。
 先生、苦です。
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「風は吹かず、川は流れず、妊娠して出産せず、太陽と月は出たり没することなく、石柱が立つように住する」と。
 いいえ、それはありません、先生。

 比丘たちよ、それゆえにいかなる色、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の色は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる受、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の受は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる想、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の想は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる行、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の行は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる識、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 比丘たちよ、このように見て聞くことのある聖なる弟子は色も忌避し、受も忌避し、想も忌避し、行も忌避し、識も忌避する。
 忌避して離貪する。離貪して離脱する。離脱して「私は離脱した」と知る。
 「生まれることは尽きた。
  梵行を完成した。
  為すべきことを為した。
  さらにこのようになることはない」と。

   第二−二十六
277−301.サーヴァッティ因。・・・
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「これは私のものである。これは私である。これは私の我である」と。
 いいえ、それはありません、先生。
 比丘たちよ、それゆえにいかなる色、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の色は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる受、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の受は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる想、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の想は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる行、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の行は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 いかなる識、過去であっても未来であっても現在であっても、内であっても外であっても、粗いものであっても細かいものであっても、劣ったものであっても優れたものであっても、遠いものであっても近いものであっても、一切の識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しく智慧によって見るべきである。
 比丘たちよ、このように見て聞くことのある聖なる弟子は色も忌避し、受も忌避し、想も忌避し、行も忌避し、識も忌避する。
 忌避して離貪する。離貪して離脱する。離脱して「私は離脱した」と知る。
 「生まれることは尽きた。
  梵行を完成した。
  為すべきことを為した。
  さらにこのようになることはない」と。

 サーヴァッティ因。・・・
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「これは私である。これは世間である。この私たちは後にも存在するだろう。永遠であり不変であり恒久であり変化しない法である」と。
 いいえ、それはありません、先生。
 比丘たちよ、それゆえにいかなる色、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる受、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の受は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる想、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の想は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる行、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の行は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる識、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 比丘たちよ、このように見て聞くことのある聖なる弟子は色も忌避し、受も忌避し、想も忌避し、行も忌避し、識も忌避する。
 忌避して離貪する。離貪して離脱する。離脱して「私は離脱した」と知る。
 「生まれることは尽きた。
  梵行を完成した。
  為すべきことを為した。
  さらにこのようになることはない」と。

 サーヴァッティ因。・・・
 では永遠でなく苦であり変化する法であるもの、それを取ることがないのにこのような見解が生じるだろうか。
 「もし存在するものは無くなり、また私の存在も無くなるならば、いずれ私は存在しなくなるだろう」と。
 いいえ、それはありません、先生。
 比丘たちよ、それゆえにいかなる色、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる受、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の受は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる想、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の想は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる行、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の行は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 いかなる識、過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。
 比丘たちよ、このように見て聞くことのある聖なる弟子は色も忌避し、受も忌避し、想も忌避し、行も忌避し、識も忌避する。
 忌避して離貪する。離貪して離脱する。離脱して「私は離脱した」と知る。
 「生まれることは尽きた。
  梵行を完成した。
  為すべきことを為した。
  さらにこのようになることはない」と。

 サーヴァッティ因。・・・
 「布施は存在しない。祭祀は存在しない。供養は存在しない。
  善く為され悪く為された業の報いが結果することは存在しない。
  この世界は存在しない。他の世界は存在しない。
  母は存在しない。父は存在しない。化生の生ける者は存在しない。
  正しく行き正しく修行し、この世界と他の世界を自ら超知し実証し知らせる沙門婆羅門は世界に存在しない。
  四大より成るこの人間は死の時において地身は地に入り、水身は水に入り、火身は火に入り、風身は風に入り、諸根は虚空に転移する。
  四人が高い床に死者を載せて行く。火葬場まではその足跡が知られるが、灰色の骨となる。
  祭祀は言説に過ぎない。布施は愚か者の教説である。彼らが存在するという説は空疎で偽りで冗談である。
  愚か者も賢者も身が破れれば断滅し消滅し死後に存在することはない」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「為し為させ、切断し切断させ、焼き焼かせ、悲しませ悲しむようにさせ、疲労させ疲労するようにさせ、恐れさせ恐れるようにさせ、生き物を殺し、与えられていないのに盗み、壁を壊し、略奪して奪い、泥棒をし、スリをし、人妻に通い、やったのに悪いことはしていないと嘘をつき、さらに周囲がカミソリになっている輪でこの地の生き物を一つの固まり・一つの山と為しても、それを原因とする悪はなく、悪が還って来ることもない。
  もしガンガー川の南に行き、殺し殺させ、切断し切断させ、焼き焼かせても、それを原因とする悪はなく、悪が還って来ることもない。
  もしガンガー川の北に行き、布施をし布施をさせ、祭祀を行ない祭祀を行なわせても、それを原因とする福はなく、福が還って来ることもない。
  布施・訓練・自制・真実の言葉による福はなく、福が還って来ることもない」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「生ける者たちが汚れる原因は存在せず縁は存在しない。
  生ける者たちは原因なく縁なく汚れる。
  生ける者たちが清浄となる原因は存在せず縁は存在しない。
  生ける者たちは原因なく縁なく清浄となる。
  力は存在せず、精進は存在せず、人の勢力は存在せず、人の努力は存在しない。
  一切の生ける者・一切の生き物・一切の存在・一切の命は自在なく力なく精進なく、結合の状態に応じて決まったところに行き着き、六種の生まれにおいて楽苦を感受する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「これら七つの身体は為されたものではなく、為されたものの類いでもなく、化作したものではなく、化作されたものでもない、妊娠によるのでもなく、不動の柱が立つように住する。それらは動かず、変化せず、互いに損害することはない。互いに楽や苦や不苦不楽とするに十分ではない。何が七か。
  地身・水身・火身・風身・楽・苦・命の七である。
  これらの七つの身体は為されたものではなく、為されたものの類いでもなく、化作したものではなく、化作されたものでもない、妊娠によるのでもなく、不動の柱が立つように住する。それらは動かず、変化せず、互いに損害することはない。互いに楽や苦や不苦不楽とするに十分ではない。
  鋭い剣によって頭を切断しても、彼には何もせず、彼の命を奪うわけでもない。ただ七つの身体の隙間に剣が近づくだけである。
  これら百四十万の胎に向かう六千と六百、五百の業と五つの業、三つの業、一つの業と半分の業、六十二の修行道と六十二の中劫、六の種姓、八つの人の性格[地]、四千九百の生活者、四千九百の遍歴者、四千九百のナーガの住処、二千の根、三千の地獄、三十六の不浄界、七つの想胎、七つの無想胎、七つのニガンタの胎、七つの神々、七つの人々、七つの鬼、七つの湖、七つの山、七つの深淵、七百の深淵、七つの夢、七百の夢がある。
  八百四十万の大劫のあいだ愚者も賢者も流転し輪廻して苦の寂静を為す。
 この間において「この私は戒により、禁により、苦行により、梵行により熟していない業を熟させ、熟した業に触れて触れることによって終滅させよう」ということはない。量られた楽苦が輪廻の中で終わるということはなく、減少したり増大することもなく、道を外れることもない。
 たとえば、糸まりを投げるとほどけながら転がって行くように、このように愚者も賢者もほどけながら楽苦に転がって行く」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「世界は永遠である」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「世界は永遠ではない」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「世界は有限である」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「世界は無限である」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「身体は命そのものである」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「身体と命は別々のものである」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「如来は死後存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「如来は死後存在しない」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「如来は死後存在すると同時に存在しない」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「如来は死後存在するのでもなく存在しないのでもない」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「有色の我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「無色の我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「有色であると同時に無色の我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「有色でもなく無色でもない我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「一方的に楽である我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「一方的に苦である我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「楽苦である我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

 「不苦不楽である我が死後に無病で存在する」と。 ・・・
 比丘たちよ、それゆえにいかなる・・・過去未来現在・内外・粗細・劣勝・遠近、一切の色・・・受・・・想・・・行・・・識は「これは私のものではない。これは私ではない。これは私の我ではない」とこのように事実の通りに正しい智慧によって見るべきである。・・・

                      第四 中略 

   その頌
    第一章に十八記別があり
    第二章に二十六広説
    第三章に二十六広説
    第四章に二十六広説。


        見相応   終

 (『南伝大蔵経14 相応部経典3』大蔵出版 P357−361 に相当)






       見相応       完

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